権利法NEWS

小林 尚子

い物は疲れます。特に品物が豊富だと、どれにして良いか決められず思わぬ時を無駄使いしてしまいます。迷うのは決断力がないからでしょうか?一人で決められなければ誰かに相談する。それが普通のパターンだと思います。

常任世話人  佐々木 菜美

ったい、出産時の自分はどういう状態になっていたのかしら。ただもう大変だったという思いしかなくその後の育児になだれこんだ私でしたが、心の中にはずっとモヤモヤとしたものがありました。というのも、あの日の当直だった看護婦さんが、「個人医院や助産院だったらマジで危なかったわよ。小さい所じゃ手遅れってこともあるでしょ。でも、こんな大きな病院だって、産婦人科で輸血なんて年に数えるほどしかないのよ」と、四方山話の軽いノリで教えてくれたことが引っ掛かっていたからです。

星塚敬愛園  島 比呂志

は新法が公布された翌年(昭和二二年)六月、国立癩療養所大島青松園(香川)に入園、一年後の六月、国立癩療養所星塚敬愛園(鹿児島)へ転園、以来五〇年、強制隔離の中で一貫して執筆活動に明け暮れてきた。そしてそのテーマは、入園当初に経験した二、三の出来事に由来している。一つは、半強制的に優生手術(断種)を受けさせられたこと、二つ目は自作の短編小説が園長検閲によって発表禁止処分を受けたこと、三つ目は忘れもしない昭和二五年五月三日の憲法記念日に、園長が一人の病友を退園処分にした事件で、二年間抗議行動を続けた結果、五日間の監禁と一年間の公職停止処分を受けたことなどである。
以上のような事件に出合って、私は国家権力の非人道性、非人権性を痛感した。ここは新憲法の及ばない異国なのか、癩患者は人間ではないのか、日本人ではないのか、と苦悩した。したがって私の文学は、人間回復を模索した道標のようなものであり、その旅は今も続いている。

小林 尚子

の息吹きに人の心にも暖かさが感じられるようになると共に、母の日常も少し以前に戻ったようです。ただ日によって波があるのは仕方ありません。
具合の悪い日に当番の者は「ボケたのではないか?」と感じ、良い日に当番の者は「すっかり元気になった」と感じます。当初ボケた、いや違うという論争がありました。何度か当番を繰り返すうちにその両面を見るようになり、波を受け入れてゆくゆとりが出てきました。

常任世話人  佐々木 菜美

五月六日(五日目)
とうとう一睡もできず。五分おき、七分おきに「きたァ」と叫んで夫の腕をつかむので、当然夫も寝られない。
午前八時ごろ 陣痛室へ向かう。例によってモニターをつける。産婦人科医長がやってきた。「だいぶ参ってるようだね。予定日もずいぶん過ぎてしまったし、あなたも辛いだろうから少し陣痛を強めてみましょう。これから点滴しますからね。あなたはゼンソクがあるんですね。××××という薬は使えませんから◯◯◯◯にしますよ。急激に効かないようにゆっくりやりましょう。じゃ、がんばって」。

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