権利法NEWS

妊婦が患者に変わるとき(その2)

常任世話人  佐々木 菜美

五月六日(五日目)
とうとう一睡もできず。五分おき、七分おきに「きたァ」と叫んで夫の腕をつかむので、当然夫も寝られない。
午前八時ごろ 陣痛室へ向かう。例によってモニターをつける。産婦人科医長がやってきた。「だいぶ参ってるようだね。予定日もずいぶん過ぎてしまったし、あなたも辛いだろうから少し陣痛を強めてみましょう。これから点滴しますからね。あなたはゼンソクがあるんですね。××××という薬は使えませんから◯◯◯◯にしますよ。急激に効かないようにゆっくりやりましょう。じゃ、がんばって」。

午前九時すぎ 点滴が始まった。何という名の陣痛促進剤なのか、まるで記憶にない。徐々に痛みが強まってくる。どれくらいの時間がたったのだろうか、助産婦さんが唐突に「これに署名して」と言って夫に紙とペンを差し出した。えっ、これなに?ガーン!そうだ、きっと同意書だ。でも本当にそうなのかしら。促進剤って同意書がいるの?何にも聞いてないぞ!問答無用の体で迫られ、夫は早々にサインしてしまった。「あなたも」「わ、私もですか?」強烈な痛みにもがきながら。「だめよ息をとめちゃ、さあ早く」。今更こんな状態で書けというのか、まるで読みもしないで!仕方がない、とにかくペンを握って書きなぐった。
午後一時半ごろ いよいよ分娩台に上がる。ここまでは、ただもうひたすら耐えるのみ。死ぬかと思うほどの痛み。でも台にさえ上がってしまえば、陣痛に合わせてイキめるんだ。火事場の馬鹿力とはまさにこのこと。あと少しの辛抱だ。
午後二時五四分 ようやく出産。やった、終わった。看護婦さんが赤ん坊を掲げて見せてくれる。産湯をつかったわが子と並んで分娩台の上でしばしの休息、のはずだったが‥‥。
入院から数えて六日目、元気な産声を聞いた時はさすがにホッとしました。胎児の心音が終始安定していたことが幸いし、分娩は順調でした。

それにしても、あれは一体何だったのでしょうか。陣痛促進剤の同意書だったのか、あるいは、促進が不首尾に終わった時の帝王切開に対する同意書だったのでしょうか。目を通すどころではなかった私は全く判らないのです。動転していた夫も「いろいろ書いてあったけど記憶にない。だいいち、もうすでに(署名の是非について)何か言えるような状況じゃなかった」。こんな時は家族の見識もあてにはなりません。
でも、緊急の事態ならともかく、私の場合は事前の対応ができたはずです。どうして事前に見せてくれなかったのでしょうか。忘れていたのでしょうか。あの時の助産婦さんのあわてぶりから推して、もしかしたらと勘ぐりたくもなります。前日には医師から説明を受けているのだから、その際に署名ができたのに‥‥。
いずれにせよ、どのような場合(処置、検査、手術等)に同意書が必要なのか、そんなことは素人には判りませんよね。この点に関して、病院ではどのようなルールに基づいて患者に対応しているのでしょうか。まさか、妊婦は患者じゃないから適当に扱ってる、そういうわけではないでしょ?

分娩終了後 担当医が研修医に説明をしながら縫合処置。ずいぶんと時間がかかる。足腰がだるくて堪らない。「すみません、まだでしょうか。足を下ろしたいんです」。「いま、処置してますからね。ちょっと出血が多かったから、もうじきですよ」。なんだか悪寒がする。頭もボーッとしてきた。真っ白な感じ。
時刻不明 「佐々木さーん、だいじょうぶ?」誰かが私のほほをたたいている。分娩室が人の気配で一杯だ。産婦人科医長が言った。「佐々木さん、気がついた?いま気分はどんな感じ?」。「フワフワと浮いているみたい、頭しろーい、チカチカするような感じ、寒いし」。「血圧60」「佐々木さん、輸血しますからね、今手配中だから」「先生、大丈夫ですよね」「だいじょうぶ、だいじょうぶ」‥‥。それから、私の両足をまるでミイラのように包帯でグルグル巻きにしはじめた。それまでは医師の一人が分娩台の上にあがり、私の両足を肩に担いでいたらしい。頭へ血液を送る為、台の上に毛布やら枕やらを積み上げて足を乗せる。そこへ、白衣を着せられた夫が入ってきた。
夕闇のなかで、輸血が始まった。出血は1.5・で、輸血量は1・とのこと。
午後八時ごろ 空腹は回復の兆し。夫が近所のコンビニで飲み物とおむすび、アイスクリームを買って来てくれる。美味しい、の一言。
午後11時 徹夜の夫を帰宅させる。私の足は相変わらず持ち上げられたまま。包帯がいつとられたのか、覚えていない。腰が痛い。

五月七日(六日目)

午前一時前 まもなく輸血が終わる。分娩室に病室から私のベッドが運ばれてきた。「こちらへ移りますよ」。やれやれ、半日近く乗っていた分娩台からようやく解放される。二つある分娩台の真ん中にベッドが並び、当直の助産婦さんたちが私を平行移動させた。「じゃ、今夜はここでね」、私を残して彼女らは去っていく。えーっ、そんなひどーい。部屋へ帰るんじゃないの。枕頭台におむすび置いといてもらったのに、ジュースだって‥‥、誰かのお産が始まるかもしれないし、やっぱりこんな所で寝られないよー。どうしよう、どうしよう。絶対部屋へ帰してもらおう。あれ、そうか、ナースコールが無いんだ。どうしよう、叫ぶしかない!
午前二時すぎ 「すみません」。反応なし。聞こえるのは陣痛室のモニターの音だけ。「すみませーん」。‥‥‥。「す・み・ま・せーん!誰かきてくださーい」。三人が飛んで来た。交渉の結果、ようやく病室へ戻る。

最初は我慢していたんです。「経過観察が必要だから」と言われて。でも、観察なんてまるでないんですよ、ほったらかしにしてるだけ。私にしてみれば虐待以外のなにものでもなく、当然の主張をしたまでなのですが、これが反抗的ととられたらしく、かの助産婦さんには最後まで目をつけられてしまいました。
こうして私の出産初体験は終わりました。大量出血の原因は、分娩時に子宮の入口にある大きな血管を損傷したことで、何故そうなったかの説明は結局ありませんでした。夫にも確たる説明はなく、直ちにサインをしろと輸血の同意書を突き付けられ、一体何が起きたのかハラハラしながら待たされていたとのことです。もちろん、事後承諾ながら私もサインをさせられたことは言うまでもありません。産後は四日目から母子同室となり夜間の授乳も開始、産後の痛みや不眠不休の疲れもあって、さまざまな疑問を抱く暇もなく退院の日を迎えました。
出産は無事に終わるのが当然とされ、リスクを回避するべき手段や発想が最初から軽視されているような気がします。そしてまた、とりあえず無事に産まれてしまえば万事が目出度しで、実際には見逃してはならない重要な問題があっても気が付かないか、有耶無耶の内に片付けられているように思われてなりません。
怪しいぞ。子育てにも少し余裕がでてくると、「患者の権利」の虫がにわかに騒ぎだしました。

(次回につづく)