まるで現実感のない、映画から切り取った様な映像に、誰もが立ちすくんだ9月でした。
繰り返しさまざまな角度からその瞬間を伝え続ける受像機を前に、切り取られた情報の貧しさを思いました。私たちが受け取る情報は常に加工されています。情報が、人を介し、感覚器を通して流布するものである以上、それは避けられないことで、だからこそ、情報を読む力が求められるのではないでしょうか。
総会記念シンポジウムにおいでいただいた李啓充さんは、ボストン在住。あの事件後、数多く寄せられた安否を気遣うメールへに対する彼の返信にあった次の一文。
「ボストンのあるテレビ局が、道行く人々に今回の事件への感想を聞いていましたが、レッドソックスの帽子をかぶった70代の男性が語った言葉を、私は一生忘れないと思います。
『パレスチナの人々が大喜びしている姿を見て、何十年も前に、原爆を落とした日に自分たちが大喜びしたことを思い出した。』そう語った後、彼はカメラの前で泣き崩れました。」
正しく前を見、今と明日を見る目。
問われているのは、ひとりひとりなのだと思います。(K)