権利法NEWS

妊婦が患者に変わるとき(その3)

常任世話人  佐々木 菜美

ったい、出産時の自分はどういう状態になっていたのかしら。ただもう大変だったという思いしかなくその後の育児になだれこんだ私でしたが、心の中にはずっとモヤモヤとしたものがありました。というのも、あの日の当直だった看護婦さんが、「個人医院や助産院だったらマジで危なかったわよ。小さい所じゃ手遅れってこともあるでしょ。でも、こんな大きな病院だって、産婦人科で輸血なんて年に数えるほどしかないのよ」と、四方山話の軽いノリで教えてくれたことが引っ掛かっていたからです。

それほど危険な状態を救ってくれてありがとう、と単純に喜んではいられません。そもそも、そんな深刻な結果を招いたのは誰?なぜなの?もしかしたら、何らかの医療ミスを被ったあげく、大金をふんだくられたのではないかしら?‥‥‥。私の中の疑惑の霧は次第に大きくなっていきました。
前にも書きましたが、肝心な時には「患者の権利」なぞ吹き飛んでしまうものです。ああすれば良かった、こうしておくべきだった、と言ったところで後の祭り。父をガンで、母を難病で亡くし、自分も延々と患っていながら同じことの繰り返し。毎回顔から火のでるような思いで原稿を書いている私ですが、読んでいる皆さんだって、いざとなれば同じかも。現実は厳しいものですね。
でも、ただでさえ辛い病の身で権利権利と神経を張り詰めていたら、本当に疲れてしまいます。患者がしゃかりきにならずともシステムとして「患者の権利」が守られるような医療に、一日も早くしたいものです。

て、そうこうするうちに季節は移り夏のころ、神奈川では初めてのシンポジウムの企画が進められていました。かねて神奈川では、三ヶ月に一度のペースで会員の親睦会を続けていましたが、そろそろ何か形あるアピールをしようではないかという声が自然とあがり、シンポジウムの開催となったのです。
テーマは「カルテ開示の現在とこれから」
パネリストのお一人には、「医療情報の公開・開示を求める市民の会」の勝村久司さんをお迎えすることになりました。皆さんご承知の通り、勝村さんは長年レセプトやカルテの開示を求めて活動を続けてこられた方です。その運動の成果として昨年レセプトの開示が認められるに至ったわけですが、権利法の会としても是非その権利を行使し、間に合えばシンポジウムで報告しようという話になりました。
そこで私の出番です。出産時の病院の対応に割り切れない気持ちでいた私は、とりあえず陣痛促進剤の名前は判るはず、と安易に構えてレセプトの開示請求に乗り出しました。
とはいっても、どういうふうに請求をすれば良いのかが判りません。夫の勤務先の健康保険組合へ請求すればいいのですが、なにしろ書式がありませんから。そんな困った時の森田弁護士頼み。神奈川のアイドル森田明弁護士がサッと書式をつくってくれました。それに記入して送付、待つこと二週間で先方より電話連絡がありました。
担当者の話では、もちろん私が初めての開示請求者で、いかに対処すべきか検討の時間がかかってしまったというのです。夫の勤める大学は都内に大規模な付属病院をかかえていて、大学の職員も多数利用しています。大学・健保組合・付属病院と三位一体の組織の中で、いずれは付属病院のレセプトも開示せざるをえない状況を考えれば、それなりに複雑なものがあるのかもしれません(ちょっと深読みしすぎかな)。加えていわく、「指定の書式に記入の上、確認のため本人が来られたし」、「病院側の意向で開示にならないこともある」とのこと。えーっ、困ったなぁ、子ども連れて東京なんてとてもまだムリだ。「本人が行けない場合はどうすればいいんですか」「法定代理人に来て頂くことになります」。これはまずい。めんどくさいぞ。しまったなぁ。委任状とかそういう世界の話よね。森田さんに聞いてみようかなぁ‥‥。それに開示にならないかもしれないなんて、医師の裁量権の濫用じゃないの?

れこれ悩んだ末、私は夫に仕事を休んでもらうことにしました。いくら暇な時期だったとはいえ、こんなことで欠勤させてごめんなさい。おかげさまで久しぶりに子育てから解放され、私はルンルンと気分転換ができました。ともあれ、わがままの言える身はともかく、こうした手続きはもう少し改善できないものでしょうか。法定代理人などと言われても一般市民にはピンときません。これに限らず、いわゆるお役所的な手続きたるや面倒なものばかりです。プライバシーを侵害することなくかつ簡便に、個人の情報を開示する方法はないものでしょうか。またまた悩んでしまいました。
申請から二週間目の九月八日、ようやくレセプトが開示となり健保組合から郵送されてきました。作業にかかわる人件費や発送の費用などがかかると思うのですが、開示手数料は無料でした。皆がこぞって請求すれば(そんなまさか)、大変なことになりそうです。
開示されたレセプトはB5用紙一枚で、意外に簡略なものでした。「何だ、これ?」、私はがっかりしてしまいました。結局のところ、保険が適用になったのは内服薬と輸血にかかわる部分のみ。期待していた陣痛促進剤の名前は判らずじまい。

「入院料は産科自費にて算定済」

この一文がすべてを物語っていました。なにもかも自費でまかなわれていたからです。 

(次回につづく)