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病んだとき何かを決定することは?

小林 尚子

い物は疲れます。特に品物が豊富だと、どれにして良いか決められず思わぬ時を無駄使いしてしまいます。迷うのは決断力がないからでしょうか?一人で決められなければ誰かに相談する。それが普通のパターンだと思います。

八〇才台のIさんは長年教職にあった人です。退職後も自治会、老人会の世話役、自営農としての仕事など元気にこなしている男性です。性格がきちんとしていますから、仕事もやはりはじめたらその日のノルマはやりとげないと気がすみません。そのため時々膀胱炎をわずらいます。大抵、二日軽い抗生剤内服、水分摂取、休養で回復しますが、最近のそれは激しいもので血尿が出ました。驚いたIさん、農作業を中断して自転車で三〇分の救急指定病院へ行きました。
検尿後、止血剤二日分の投与、そして三日目再来院して膀胱鏡をはじめとする諸検査の予定をもらいました。帰宅後も膀胱炎の症状は取れません。彼は考えました。血尿さえなければ今までの膀胱炎と同じだ。そこで前に受診した近医にもらった膀胱炎の薬が残っていたので、それを服んでみました。
二日後、症状は取れ、Iさん検査は自分でパスすると決めました。この決断が正しかったかどうか?二ヶ月たってIさんは元気です。 
念のための検査ならば、元気とはいえ八〇才を超えた人の体力を考え、まず目前の訴えに対する処置があってほしかったと思います。もちろん検査すべてを否定はしませんが。

〇才台の女性、腰痛で病院を訪れた時、すでに原発はどこから分からないような骨転移(腰痛の原因)を含めて全身癌の状態でした。確たる病名は医師と家族で相談の上本人に告げぬまま、腰痛に対して放射線照射をすることが決まりました。しかし、この治療を患者さんの身体が受けつけなかったのです。通院の予定が、二回目の照射後、すでに動けぬほどの負担となり、即入院、そしてそのまま生涯を終えました。
病名は知らされないが何となく自分の病気は分かる。次々試みられる治療の苦しみの中で主治医に丸山ワクチンの使用を希望しました。おそらく入院後はじめての自己主張だったと思います。この願いは聞き入れられませんでした。医師の治療方針に合わないからでした。それでも使いたいなら転医ですが、患者さんはすでに移動できる状態ではありませんでした。確たる説明もない状況で彼女が自分の病気を判断して、自分の意見を主張したこれは最初で最後のものでした。彼女はそれをどう受け止めたのでしょう?
拒否されたことで「自分は癌でなかった」と思えたのか‥‥。遺族は今、病気をきちんと知らせる方向で、効果はどうあれ最後の願いを聞いてやりたかったと話します。しかしその時は、「助からない癌」と告げることのデメリットの方が先行していたのです。

くる会に参加し、病む人の権利を考え続け、医療従事者のはしくれとして患者さんが主人公の医療をと願い続けてきました。権利は又自己決定権にもつながります。
この頃私は迷っています。自己決定権はどこまで可能なのでしょうか?
健康な時、もし病んで治療法がないとされたら、余計なことはしないで静かに終わりたいと私を含め多くの人がそう語ります。病んだ時、その気持ちは持続するでしょうか?症状が悪化した時、心のどこかで何か生きる道を求めることはないだろうか?医師から治療法の選択を提示された時、果たしてそれを判断する能力が残っているだろうか?
きちんと死の覚悟ができて、最期の病に平静に立ち向かえる人の数はそう多くないと思うのです。分かっていても心のどこかに何か生きる方法を求める気持ちがあって当然でしょう。そして確たる判断力が持てなくなった時はどうなるのか?インフォームド・コンセントは医療者対患者から、患者の周囲の者の同意、決定権へ代わってゆくのが自然です。この時の決定は患者さん本人の意思というより周囲の者の(うまい表現がみつかりませんが)病む人への想いと共に自分たちがここまでやったという自己満足も含まれます。周囲の者の参加も又重要な要素であり、この辺のかね合いが今一つ私の中で消化されなくなりました。

頃、敬愛する友人の母上に対して、さらにその思いが強くなっています。自宅療養からホスピスへの段階で友人との話し合いの中、心のどこかで母上のことに加え、介護する人の心情を考え、むしろその方が比重を占めているような気持ちで、私自身の考えを述べていたように思えます。この間のことはもう少し整理してまとめたいと思っています。
母上がホスピスに入れられた時、割合症状が落ち着いていたある日、腕をさすっている私に突然「この胸の影に放射線は効かないの?」という問いかけがありました。治療法がないから、痛みや苦しみを最低限にQOLを考えてのホスピス入りですが、それはある程度分かっていても心のどこかに生き抜くための積極的治療を求めておられる気持ちが伝わります。
「効きますよ」
「じゃあ、なぜ皆それをすすめないのかしら」
「それはね、お母さん、今食べられなくて体力がないからですよ。今の体力では私もすすめられないな」
その夜、母上は一生懸命夕食を食べてくれたように見えました。とても空しい解答だったけれど、効かない、ダメとどう脚色してもそう伝えられませんでした。
こうした状況下での主張、決定は何と困難なことか。そしてさらに少しの主張もできぬ状況の時の決定はどうなるのか。そうした時、身内の者同志の主張のぶつかり合いとか、本人が元気な時話したことに対して医療者の主張が納得できぬまま従うしかないことがある。カルテ情報開示につながる一つの問題点にもなってきます。

ルテに医師やナースが家族のことも含めて記載する。それも又患者さんの病歴に大事な役割を持つのです。特に一番多く病む人と接し、その心理を分かり得る看護記録は患者さんの主張を知る重大で大切な資料です。話がまとまらなくなりました。
ワラと分かっていてもすがりたくなる病む人の心理につけ込むような誘導型情報によってまどわされることがないよう、せめて最低限現段階で言えること。それは医療情報は正確に、特にマイナス面を隠すことなく伝えてほしいということです。