権利法NEWS

らい予防法違憲国賠訴訟原告  重 野 千 代

【編集部より】
「らい予防法」廃止の経緯や国家賠償訴訟提起については、これまでも数回にわたって掲載してきました。今回ご紹介するのは、熊本の国家賠償訴訟においてひとりの原告がおこなった意見陳述です。ハンセン病も、その療養所も、私たちの日常からはるかに遠く、それだけに私たちはこの、これまで私たちの目から遮られてきた地にどのような歴史があり、どのように理不尽なことが行われたのか、知らないで来ました。
今に至るまで六〇年を療養所で過ごしてきた重野さんがはじめて療養所の外で、一般の人達に向けて語った言葉は重く、聴く者の胸を打ちました。なお、重野千代は仮名です。出身地も療養所の名前も伏した形でご紹介しなければならない、そこにもこの問題の根深さがあります。
けんりほうnewsでは、これからも折に触れ、療養所の方々の声をお届けしたいと思います。

患者の権利法をつくる会事務局長  小林 洋二

月24日、厚生省に対する診療記録法制化の要請を行ってきました。要請書に賛同してくれた団体は32団体。集まったメンバーは、薬害オンブズパースン会議代表の鈴木弁護士(当会常任世話人でもあります)、同タイアップグループの谷弁護士、医療問題弁護団の福地弁護士、医療情報の公開・開示を求める市民の会世話人の新美さん、全国低肺機能者団体協議会事務局次長の古矢さん(団体としては機関討議を経る時間がなかったとのことで今回は個人としての参加)、当会常任世話人森谷弁護士、そして私の7名です。厚生省は健康政策局医事課で診療記録法制化を直接担当している下田課長補佐が対応してくれました。

1999年4月2日

日本医師会 御中

患者の権利法をつくる会

常任世話人  池 永   満

のほど九州山口医療問題研究会は、最近の連続的な医療事故報道と医療事故の教訓が何ら生かされず同様の事故が多発している日本医療の抜本的な改革・改善を求める患者市民の強い要求、法律上の制度改革をめざしてきた患者の権利法運動の到達点などを検討した結果、この際「患者の権利オンブズマン(仮称)」を早急に設立して、日本における患者市民の主体的運動を背景とした患者の権利擁護システムの構築に向けての第一歩を踏み出す必要があるとの認識で一致し、患者の権利法をつくる会や医療と福祉を考える会に対し共同呼びかけ団体となることをお願いするとともに「患者の権利オンブズマン(仮称)創立準備会」を発足させました。  

ぐいすが早々とまだ幼い声を聞かせてくれました。
何となく心にほっとするものを感じ、母の入院時からのメモを整理しました。入院生活をちょっと斜めからみたものの幾つかを記してみます。

【1】 A病院の巻

(1) 朝、昼、晩とベッド上仰臥位でおむすびを口にした母、「どうしてこんなに毎回シンのあるごはんが炊けるんだろうねェ」
病院食はこんなものと患者さん達は割り切っているのでしょうか?ブランド米をとは望みません。せめて優しく炊いてくれたら、点滴より余程効果があるでしょう。

(2) 待てどくらせど来室しない主治医、経費節約のための医師不足など考えました。ところが医師はいたのです。○○科××医師の名札をつけた白衣の男性、何なのか午後の早い時間帯、彼等は玄関の外で携帯電話でお話し中でした。院内使用禁止、外で話すのは正しい行為です。でもその時間帯ちょっと病室をまわってくれたらと思うのは患者のわがままでしょうか?
外来に掲示された担当医は曜日毎に色々な大学からの出張、それも病室軽視の一因かもしれません。度重なる外での電話姿にこちらがいらいらからあきらめムードになります。

(3) 病院には色々な菌が住んでいます。ゴキブリだって当然一員です。それゆえせめて掃除は手を抜いてほしくないと思いつつ、朝の掃除終了後、せっせと患者の家族は掃除に励みました。でもどうしても出来なかったのは、元は白であったらしいベージュのカーテンでした。仕方がないのでヒモでしばり、終日窓むき出しで生活することに決めました。

聞くところによると、病院と清掃会社の契約は破損防止のため腰より下までとのこと、でも床も丸くモップかけだけ。入院必需品として雑巾用の使い古しタオル数枚とほうき、掃除機代用のガムテープをお忘れなく、とても役に立ちます。

【・】B病院の巻

(1) ほこりの匂いのない白いカーテン、シンのないご飯、そして何と主治医とすぐ顔を合わせることが出来ました。A病院で毎朝四人がかり、大声の清拭でもすすけていた病人、たった一人のナースが静かに語りかけつつきれいにしてくれました。プロの見事な業に感謝です。ほっと一息この安らぎが続いてほしい。

(2) 「膝のプンクで手がふるえていたよ」大分活躍して左膝関節に水のたまった母は穿刺することになりました。医師同志ベッドサイドでドイツ語の穿刺を略してプンクと言ったのを聞きかじった母、若い医師がそのプンクに初挑戦をした時の様子です。研修医もいる病院、その昔私も患者さんにお世話になってプンクや点滴を覚えさせてもらいました。ずい分余分なつらさを押しつけたのに蕫良いよ、ゆっくり練習しなよ﨟と血管を貸して下さったNさんやKさんを時々思い出して感謝しています。
幸い母のプンクは手がふるえただけで一回で成功、やはり治療は苦痛が少ない方が良いですよね。すぐに主治医に対面できる体制(複数の主治医によるチーム医療)ではこうしたふるえも覚悟しなければいけません。

(3) B病院の食堂はレストランと呼ぶ方が似合った雰囲気です。しばし病んでいること、看ていることを忘れさせてくれる良い空間でした。
ある日私たちの隣席にガウン姿の男性と友人らしい背広姿の男性が座っていました。

「○○さん、オペしたんだって?」
「そう僕がやった」
「何?」
「マーゲンクレブス」

えんえんと続きます。
背広姿は外科医、共通の友人は胃癌の手術をしたがあまり将来の展望は良くないらしいのです。でも人の病気を公共の場でこんな風にして良いものでしょうか?守秘義務の範囲はどうなっているのか?

(4) 「看護婦さんにこんなに良くしてもらって何かお礼しなくちゃね」元気になることがありがとうといっても母はそれでは気が済まないと言う。そこでボケ防止も兼ねて、レース糸で花びん敷きを編みつづけることに決定、せっせと編み退院までにありがとうが間に合いました。張り切ってOさんにまで押しつけてしまいました。
謝礼は受け取らないという看護婦さん達もこのありがとうは気持ちよく受けてくれました。

これを書いている合間にパラパラとみた本に良い医療を受けるには、病院の偉い人を紹介してもらうと良いという文章をみつけました。医学部の教授の著書です。患者さんが主役の医療にはほど遠い感覚を持っているのに驚きました。偉い人の紹介状は安心手形ではありません。むしろスペ患(特別な患者)はごたつくという言葉もあるくらいです。偉い人の紹介状がなくても安心して受けられるのが医療の本当の姿のはずです。
付き添う家族の居場所、病室にいることの緊張感等々、病は気からというけれど、それならこうあってほしい病院の姿に対するわがままな願いは書き尽くせません。

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