1999年4月2日
日本医師会 御中
患者の権利法をつくる会
1 はじめに
私たち「患者の権利法をつくる会」は、「医療における患者の諸権利を定める法律案」を起草し、その制定に向け立法要請活動を行うとともに、医療の諸分野における患者の諸権利の確立と法制化をすすめるために必要な活動を行うことを目的として、1991年10月に結成された市民団体であり、現在、全国で約840名の市民と18の市民団体(構成員数合計約4000名)が参加しています。また1995年10月には「医療記録開示法要綱案」を起草し、立法を提唱しています。
さる1月12日、貴会の診療情報提供に関するガイドライン検討委員会は、中間報告「診療情報の適切な提供を実践するための指針について」(以下、単に「中間報告」と略称します)を発表しました。右検討委員会は4月までに最終報告を行い、貴会の理事会において議論される予定と聞いております。そこで私たちは、診療記録開示の法制化を提唱してきた市民団体として、右「中間報告」に対して、以下のとおり意見を述べるものです。
2 「中間報告」の基本的考え方について
私たちは、この「中間報告」が「医師及び医療施設の管理者は、患者が自己の診療録、その他の診療記録の閲覧・謄写を求めた場合には、原則としてこれに応ずるものとする」としたことを高く評価するものです。しかしこの中間報告が、診療記録開示の法制化に対して反対の立場をとっていることについては厳しく批判せざるを得ません。
そもそも、患者が診療記録の閲覧・謄写を求めた場合には、原則としてこれに応ずることを医師の倫理であると考えた場合、これを法制化することに反対する理由があるでしょうか。
「中間報告」はその前文において、法制化に反対する理由を以下のように述べています。
「日常診療の中で、患者の自己決定権を尊重し、医師・患者相互間の信頼関係を醸成するための診療情報の提供は、元来、法的な権利・義務関係、特に法的な強制に馴染むものではない。何故ならばこの種の問題は法による強制ではほとんど効果が期待できず、関係者の自発的、積極的な履行によって、初めて、その実を挙げうるものと言えるからである。したがって、これらの問題は、まさに医師の職業倫理、医師団体の倫理規範に委ねられるべきである。」
以下、この反対理由に対する私たちの考え方を述べます。
(1) 倫理規範と法規範とは矛盾しない
私たちは、診療記録開示は医師の倫理であると考えています。そしてそのことを、貴会のような医師の団体が倫理規範として成文化することは極めて好ましいことであると考えています。しかし倫理規範と法規範は一致すべきものでこそあれ、矛盾すべきものではありません。
確かに貴会は日本の医師の多くを会員として組織していますが、貴会に所属しない医師がいることもまた事実です。貴会の倫理規範は、それらの会員外の医師にはなんの効果もありません。しかし国法上の規範となれば、会員外の医師にとっても規範となります。これは貴会にとっても好ましいことではないでしょうか。
また貴会は、会員たる医師が倫理規範に違反した場合、それを糺す何らかの権限をお持ちでしょうか。これが法規範となれば、それに違反した場合、まさに法律上の強制という形でその違反が糺される道が開けます。診療記録の開示が医師の倫理であり、これが医療従事者と患者との信頼関係を醸成することになると考える貴会にとって、これは不都合なことなのでしょうか。
倫理規範としては正しいが、それを法規範とすることは誤っているという考え方は、私たちには全く理解できません。患者の求めに応じて診療記録を開示すべしというのが医師の倫理であるとするならば、これを積極的に国法上の規範に高めるのが貴会としてとるべき当然の立場ではないでしょうか。
(2) 診療記録開示の意義は信頼関係醸成のみにとどまらない
「中間報告」の反対理由の第一の問題点は、診療情報提供と診療記録開示を全く区別することなく、その意義を「医師・患者相互間の信頼関係を醸成するため」に限定しているところです。
勿論、診療記録開示は診療情報提供の一つの方法ではありますが、診療情報提供の場面には大きく分けて二つあります。一つは医療従事者が患者に対して医療行為を行おうとする場合の、患者のインフォームド・コンセントの前提となる情報提供であり、この場合は基本的に医療従事者の側から積極的に情報提供が行われることになります。もう一つが患者の側から積極的に全ての情報の開示を求める場合、すなわち診療記録開示の場面です。前者の診療情報提供が行われれば後者の診療記録開示が不要になるものでもなく、診療記録が開示されればその他の診療情報は提供しなくていいというものでもありません。したがって診療情報提供の意義と診療記録開示の意義とは、重なる部分はあるものの、全く同じに考えることはできないのです。
診療記録開示の意義について考える場合においても、これが医療従事者と患者との信頼関係の醸成に大きな役割を果たすことには全く異論はありません。しかし診療記録開示の意義をその点に限定してしまうのは誤りです。1998年6月18日に発表された厚生省「カルテ等診療情報の活用に関する検討会」報告書(以下「検討会報告書」と略称)も、診療情報の提供及び診療記録の開示の必要性の根拠として、「医療従事者、患者の信頼関係の強化、情報の共有による医療の質の向上」と並んで「自己情報コントロール権」という考え方を指摘しています。
診療記録開示に関しては、特にこの「自己情報コントロール権」という考え方を重視しなければなりません。「自己情報コントロール権」からすれば、診療記録として保管されている情報は、患者の個人情報であり、情報主体である患者が診療記録の開示を求めうることは当然のことです。医療従事者と患者との信頼関係の醸成は、この当然の権利を保障することによる結果であると考えるべきでしょう。
このような考え方に基づけば、診療記録開示は、元来、権利義務関係の問題であることは明らかです。そしてその患者の権利を保障することが医療従事者の倫理でもあり、法的な義務でもあります。法制化することに何の問題もありません。
(3) 「法制化」=「強制」ではない
反対理由の第二の問題点は、法律の存在と法による強制を全く同視していることです。それは「何故ならばこの種の問題は法による強制ではほとんど効果が期待できず、関係者の自発的、積極的な履行によって、初めて、その実を挙げうるものと言えるからである」という言説に明らかです。
確かにカルテ開示が法制化された場合、患者から開示の要求があるにもかかわらず医師が開示しなければ、患者は法的手続によって開示を求めることが可能になるでしょう。その結果開示されたとしても、その時には既にその患者と医師との間の信頼関係は崩れているであろうことは想像に難くありません。その意味では「法による強制によってカルテが開示されても、信頼関係醸成のための診療情報提供にはならない」というのはそのとおりです。しかしこの場合、法律が存在し、法的手続によってカルテが開示されたことによって信頼関係が崩れたのではなく、カルテ開示を求められたにもかかわらず、医師がそれを拒否したことによって信頼関係が崩れているのではないでしょうか。法的手続によって強制されるまでもなく、「法律に従って」患者にカルテを開示していれば、信頼関係は保たれるはずです。
つまり「中間報告」の論理は、法律の存在そのものを法的手続による強制に置き換えることで成り立っています。しかしこの二つは全くレベルの違うことです。例えていえば、借りたお金を返さなければならないのは法律上の義務です。お金を借りた人は普通はその「法律に従って」、自発的かつ積極的にお金を返しています。貸した人も普通に返してもらえればそれで差し支えないわけですから、別に裁判を起こしたり差押えをしたりはしません。「法律に違反して」支払わない場合に初めて法的な手続が取られることになります。カルテ開示も同じことです。法律の存在と「自発的、積極的な履行」は全然矛盾しません。「法律に従って」かつ「自発的、積極的に」診療録が開示されれば、信頼関係は醸成されるのではないでしょうか。診療記録開示の法制化が、信頼関係醸成という目的に有害であるとするかのような「中間報告」の論理は、全く奇妙なものといわざるを得ません。
以上のとおり、「中間報告」が法制化に反対する理由は、全く非論理的なものです。法制化を積極的に推進することこそ、貴会が専門家の団体として国民の信頼を得る道です。
3 指針の具体的内容について
以下、「中間報告」の「診療情報提供に関する指針」(以下「指針」と略称します)の具体的内容について、特に重要な部分について意見を述べます。
(1) 指針3-3「診療記録等の開示による情報提供」について
指針3-3は、原則としては診療記録そのものの閲覧・謄写を認めながら(a)、これに代えて要約書の交付によることを認めています(b)。しかもどのような場合に要約書の交付が認められるかについて何の限定もないため、診療記録そのものを開示するか、要約書交付で済ませるかは事実上、開示を求められた医師あるいは医療機関の自由裁量によって決定されることになります。
診療記録開示の意義については、前述のとおり自己情報コントロール権という観点を重視すべきであり、その観点からするならば、診療記録そのものの開示を「要約書」で代替することはできないと考えるべきです。
診療記録そのものの開示と、診療録に代えて「要約書」を交付することは自己情報コントロール権という観点から見て根本的に性格の異なることです。「要約書」等の交付は「診療情報の提供」の一方法ではあっても「診療記録の開示」ではありません。「要約書」の作成過程で、提供する診療情報の範囲が提供する側によって選択されることになるからです。「診療記録の開示」=「個人情報開示」にはこのような選択の契機は含まれません。選択するのは情報主体である個人であり、それは開示を請求するか請求しないかという選択です。それこそが情報主体が自分の情報をコントロールするということの意味であって、提供者に提供の範囲を決定させることを認めてしまえば、それは情報主体のコントロールを外れてしまうことになります。
また「中間報告」が診療記録開示の意義として挙げる「医師・患者相互間の信頼関係醸成」という観点からしても、「要約書」交付による代替を認めるべきではありません。なぜならば、「要約書」によって診療情報を提供するとしても、その元となる診療記録そのものを開示しないというのでは、患者側から診療記録の内容と「要約書」の内容が一致していることを確かめる方法がないからです。
「指針の実施にあたって留意すべき点」(以下「留意点」と略称します)においては、要約書交付による代替措置を認める理由として次のように述べられています。
「現在の診療録、看護記録には、患者の身体に関する客観的な所見のほかに医療関係者が感じた主観的な印象等が率直に記載されている例が少なくない。これらをそのまま見せ、謄写させることは、医師・患者関係を破綻させる要因となりかねない。諸外国では、このような記載は、開示の対象外とするのが普通である。」
しかし私たちが知る限り、診療記録開示を法制化している国で、主観的印象の記載を開示の対象外としていところはありません。
患者が診療記録そのものの閲覧・謄写を求めているのに、要約書のみを交付するとするならば、患者としては診療記録に医師・患者関係を破綻させる要因となりかねないような記載があると想像せざるを得ません。このようなことで医師・患者間の信頼関係は醸成されるでしょうか。
患者の知りたいという気持ちを押さえ付けた上で、なお信頼関係が保たれる、あるいは新たな信頼関係が醸成されるという考え方は、患者側には全く理解できないものです。医療従事者は、開示したことによる信頼関係の破綻を恐れる前に、まず開示しないことによる信頼関係の破綻を恐れるべきではないでしょうか。仮に開示したことにより信頼関係を破綻させかねない記載が含まれていたとしても、それが診療上必要な情報として記載されているものであれば、その旨患者に説明し、理解を求めるのが筋です。
(2) 指針3-4 「診療記録などの開示を求め得る者」について
「指針」3-4では、患者本人が生存している場合に、誰が診療記録開示を求めうるかということについて規定していますが、これのみでは不十分です。私たちは、患者が死亡した後、その相続人に対しても診療記録開示請求権を認めるべきと考えます。
そもそも医師法が診療録の作成を義務づけているのは、医療の質を適切ならしめるという公共的な目的に基づいています。しかし診療録が患者本人にも開示されない現状では、この公共的な目的に沿った診療録が作成されているか否か検証されることはほとんどありません。診療録を含む診療記録が患者に開示されることになれば、患者側に検証の機会が保障されることになり、診療録に対する信頼、ひいては医療そのものに対する信頼が醸成されることになるでしょう。
その意味では、診療記録開示の意義を、単に開示を請求する患者と開示する医療機関の間での信頼関係の醸成という点に限定して考える必要はなく、むしろ医療全体に対する国民的信頼感の醸成にもつながるものと考えるべきです。患者本人が死んでしまえば、その検証の機会が失われるということではなく、死亡した後も、請求権者による診療記録開示を認め、検証の機会を残すことが、医療を開かれたものにし、医療全体に対する国民の信頼感につながっていくことは自明です。
患者死亡後に診療記録を請求できる有資格者としては、基本的にはいわゆる「遺族」が相当であると考えられます。診療記録開示請求権の根拠となる自己情報コントロール権は、厳密な意味では相続の対象となるものではありませんが、例えば臓器移植法5条は脳死判定に関する記録の作成を義務づけ、臓器提供者の遺族にその記録の閲覧権を認めています。また7条は移植術の記録作成を義務づけ、移植術を受けた患者の家族にその記録の閲覧権を認めています。これらは基本的には脳死判定や移植術が適正に行われるようにという公共的な目的から記録作成を義務づけているものですが、さらに脳死判定あるいは移植術を受ける当事者の側から、脳死判定や移植術の適正さを検証する機会を保障することで、脳死判定及び移植術に対する社会的信頼を確保しようとしたものです。これは脳死判定や移植術といった特殊な場合にのみに必要な考え方ではなく、本来、医療一般に必要な考え方です。
(3) 3-8 「診療記録の開示を拒みうる場合」について
「指針」は、診療記録開示を拒みうる場合として以下の3つを規定しています(以下、これらを非開示事由の(1)~(3)と略称します)。
(1) 対象となる診療情報の提供、診療記録などの開示が、第三者の利益を害する恐れがあるとき
(2) 診療情報の提供、診療記録等の開示が、患者本人の心身の状況を著しく損なう恐れがあるとき
(3) 前二号のほか、診療情報の提供、診療記録等の開示を不適当とする相当な事由が存在するとき
この点について、私たちは診療記録の開示が第三者のプライバシー侵害に当たらない限り、全ての記録を患者に開示すべきであると考えています。
日本でこれまでもっとも議論されてきたのは、上記の(2)、いわゆる「打撃的情報」と表現されている類の情報を、患者に提供するべきか否かという問題でした。「がん告知」等の問題がその典型です。しかしこれまでの議論は、「診療情報提供」についての議論と、「診療記録開示」についての議論の区別が必ずしも意識されておらず、これまでの日本の議論は、専ら「診療情報提供」についての議論が中心に行われてきたことを念頭に置く必要があります。
前述のとおり、「診療情報提供」が行われる状況としては、大きく分けて、ある医療行為を行うか否かの意思決定を患者に求めるために医師側から患者に情報を提供する場合、すなわちインフォームド・コンセントの前提としての情報提供の場面と、患者側から自ら進んで情報を求める「診療記録開示」の場合があります。いわゆる「打撃的情報」の取り扱いに関しては、この二つの場面を分けて考える必要があります。
例えばWHO「ヨーロッパにおける患者の権利の促進に関する宣言」(1994年3月)は第2章「情報」の3項において、「情報は、その提供による明らかな積極的効果が何ら期待できず、その情報が患者に深刻な危害をもたらすと信ずるに足りる合理的な理由があるときのみ、例外的に患者に提供しないことが許される」として、厳格な表現で「打撃的情報」の例外を認めています。一方、同宣言の第3章「秘密保持とプライバシー」の4項は患者の診療記録に対するアクセス権を規定し、その例外とされるのは「第三者に関するデータ」のみであって、「打撃的情報」を例外とする旨の規定はありません。この点はオランダの医療契約法も同様であり、医師の情報提供義務を定める448条では「打撃的情報」を情報提供義務の例外と規定する一方、医療記録に対するアクセス権を定める456条が例外として定めるのは「患者以外の者のプライバシーを保護する上で必要な場合」のみです。
すなわちWHO宣言及びオランダ医療契約法は、医師が患者に対してインフォームド・コンセントの前提として情報提供を行う場合においては、患者の健康に対する医学的影響などを考慮して、情報提供を留保することを認めていますが、患者が自ら診療記録にアクセスを求める場合には、専らプライバシー(自己情報コントロール権)の観点から、第三者のプライバシー侵害に該当しない限り例外なく開示することとしているのです。
これは理念的にも首肯し得るだけでなく、現実的に見ても極めて妥当な扱いであると考えられます。何故ならば、患者が診療記録開示を請求し、医療機関が「打撃的情報が含まれている」「心身の状況を著しく損なう恐れがある」という理由でこれを拒絶するならば、その拒絶自体が患者に打撃的な影響を与えることは容易に想像できるからです。「打撃的情報」が含まれる診療記録を開示する場合、勿論開示に伴い、患者が受けるであろう打撃的影響を考慮した精神的なケアを検討すべきでしょう。どこまでケアできるかは状況によって様々でしょうが、少なくとも「打撃的情報が含まれている」という理由で非開示とされた患者のケアよりは容易であることが普通ではないでしょうか。前にも述べたとおり、患者の「知りたい」という欲求を押さえつけて医療関係者と患者との信頼関係が保たれることはあり得ないからです。
以上のような理由から、非開示事由の(2)は不要であると考えます。
非開示事由の(1)については、一般的に「第三者の利益を害するとき」ではなく、明確に「第三者のプライバシーを害するとき」とすべきです。この点について「留意点」は「拒絶できる典型的事例として諸外国でも承認されている」としていますが、諸外国で非開示事由として認められているのは、前掲のWHO宣言及びオランダ医療契約法にもみられるとおり、第三者のプライバシー侵害に該当する場合です。
非開示事由の(3)は全く不必要な規定です。「留意点」は「それ(非開示事由(1)及び(2))以外にも、診療情報の提供、診療記録等の開示を不適切とする場合があり得るので、その場合に備えて(3)が設けられた。(3)の不適切事由は、(1)及び(2)に匹敵する事由であることを要する。」としていますが、これでは診療記録開示を求められた医師あるいは医療施設が各自で非開示事由を判断することになり、指針3-3aで診療記録開示を原則とした意味がほとんど失われてしまいます。診療記録開示に消極的な医療従事者が多い現在の状況では、この(3)の非開示事由が濫用される可能性は極めて高いと考えざるを得ません。
「患者の権利法をつくる会」は診療記録開示の法制化を主張するものですが、法制化が実現したとしても、日本で最大規模の医師の団体である貴会が診療記録開示についての指針を示すことは有意義なことであると考えています。診療記録開示が、本来医師の職業倫理であることを明らかにし、医師の自覚を高めることは、「自発的、積極的な履行」に有意義であるはずですし、また法制化では必ずしも煮詰まらない細かい点について、医療の専門家である医師の団体として考え方を示すことは重要なことです。法制化を前提としたガイドラインを作成、実施し、会員の医師の方々にその徹底を図っていただくよう念願する次第です。