権利法NEWS

葉山 聡

「本当に医療被害者を救済したいのですか。医療過誤被害者のために戦いたいのですか。あなたは被害者を愛していますか。それならどうして被害者本人の治療には関心をもってくださらないのですか。」私は何度も関係団体に繰り返してきた。

猿 渡  圭一郎

9月30日福岡市の中心エルガーラホールで「事故から学ぶ安全な医療」と題して講演会とシンポジウムが行われました。「シンポジウムの感想」を小林・久保井の両弁護士に依頼され、困ってしまいました。「どんな取り組みだったかな?」・・・しかし、いい機会を与えられたと気を取り直して、私見もまじえて報告させていただきます。

まるで現実感のない、映画から切り取った様な映像に、誰もが立ちすくんだ9月でした。

繰り返しさまざまな角度からその瞬間を伝え続ける受像機を前に、切り取られた情報の貧しさを思いました。私たちが受け取る情報は常に加工されています。情報が、人を介し、感覚器を通して流布するものである以上、それは避けられないことで、だからこそ、情報を読む力が求められるのではないでしょうか。

総会記念シンポジウムにおいでいただいた李啓充さんは、ボストン在住。あの事件後、数多く寄せられた安否を気遣うメールへに対する彼の返信にあった次の一文。

「ボストンのあるテレビ局が、道行く人々に今回の事件への感想を聞いていましたが、レッドソックスの帽子をかぶった70代の男性が語った言葉を、私は一生忘れないと思います。

『パレスチナの人々が大喜びしている姿を見て、何十年も前に、原爆を落とした日に自分たちが大喜びしたことを思い出した。』そう語った後、彼はカメラの前で泣き崩れました。」

正しく前を見、今と明日を見る目。

問われているのは、ひとりひとりなのだと思います。(K)

島 比呂志【エッセー】
矢辺 拓郎【写  真】
解放出版社ISBN4-7592-6060-9

1999年6月、島比呂志さんは「奇妙な国」である星塚敬愛園を出発し、奥さんと共に見知らぬ地である北九州市での生活をはじめた。齢80という高齢、ハンセン病の後遺症による重度の後遺障害、予防法は廃止されたものの、退所のための準備金250万円(それも領収証を要するやっかいな後払いシステム)以外に何らの施策のない中、死にに行くようなものだとみんなが止めた「冒険」だった。

台湾在住  眞 武    薫

日本では一応患者のプライバシーは守られていると信じたい。台湾に住み始めてから暫くして日本の主治医が亡くなり、とある冬休み別の病院へ行った。その時の受診は日本と思えないほど屈辱的なものだった。医師に「こんなにたくさんの病気を持った患者を診るのは嫌だ」と頭ごなしに言われたのである。私の慢性疾患の一つに糖尿病がある。両親、祖母ともあり、遺伝だ。兄は私より遅く発病した。上記病院で定期的に診てもらっていたところ、母のとある友人より電話があった。「お宅は息子さんも娘さんも糖尿で、食事には注意しなければならない。お母さんがすすんで糖尿病教室や栄養教室に通って正しい食事の作り方を学ぶべきだ」といった内容だった。

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