権利法NEWS

小林 洋二

 前号でお伝えしたとおり、12月2日、尊厳死協会の「尊厳死法制化に関する法律学習会」に鈴木利廣世話人とともに出席してきました。

 「つくる会」には尊厳死法制化に推進する立場の方も、絶対反対という方も参加されています。私自身についていえば、この問題について確固たる見解を持てないまま現在に至っているというのが率直なところであり、先日の勉強会でも、東海大病院安楽死事件判決の射程や、成年後見制度による代理権の範囲など、専ら法律的な問題点についての質問に答えるという立場で参加しています。

浦瀬さなみ

 自己決定権でいいのではないか。それが安楽死になるか、尊厳死の域でとどまるかは神のみぞ知る、わたしたちに予知できることではない。その点で、引き合いに出したいのが、安楽死の先進国、オランダである。その実態を、三井美奈著、『安楽死の出来る国』(新潮新書)から探ってみたいと思う。帯にこう書かれている。「末期胃がんの元船長、エイズの青年、うつ状態で自殺願望の主婦、全身がんの17歳少女、アルツハイマー病の老女、小脳症の新生児、重度知的障害者、「もう十分に生きた」元上院議員……みんな安楽死で世を去った」。

浦瀬さなみ

 

 以前、わたしは数年間、終末期医療の現場で准看護師として働いた。その体験(患者たちは、生命尊重の美名のもと、本人の意思を無視した濃厚治療で骨の隋まで搾取され、あえぎ、呪いながら、死んでいった)を世に知らせるべく、『延命病棟』を、次に『死ぬにときあり』を書き、発表した。それが縁でいまだに読者からの生々しい報告が後を絶たない。つまり、裁判官の認識と現場の実態には乖離があるということである。それゆえ不遜を承知で専門家の判断に私見を併記させていただくことにした。

浦瀬さなみ

 

 川崎協同病院安楽死事件の公判が始まった当初は、まさか、自分が海(東京湾)を越えて、傍聴に通うことになろうとは思いもしなかった。いくらなんでも遠すぎた。しかし、知り合いの記者から得た情報から、先の東海大安楽死事件に相当する重大事件との認識で審理が進められていることが分かり、これは自分で確かめなくては、という気になった。というのも、私は先の事件も傍聴していたのである。

 ふたつとも医師による安楽死で、方法として筋弛緩剤を用いたこと、家族の依頼に抗しきれず当行為に及んだことなど酷似している。しかも、本件の廣瀬健二裁判長は、先の事件では右陪席を担当しており、そこで氏の示した安楽死許容要件は、以後、同種の事件の合否性を判断する基準となり、現場にあっては、医師たちの終末期医療のあり方を強く規制してきたという事実がある。

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