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川崎協同病院事件を通して日本の安楽死裁判を考える(3)

浦瀬さなみ

 自己決定権でいいのではないか。それが安楽死になるか、尊厳死の域でとどまるかは神のみぞ知る、わたしたちに予知できることではない。その点で、引き合いに出したいのが、安楽死の先進国、オランダである。その実態を、三井美奈著、『安楽死の出来る国』(新潮新書)から探ってみたいと思う。帯にこう書かれている。「末期胃がんの元船長、エイズの青年、うつ状態で自殺願望の主婦、全身がんの17歳少女、アルツハイマー病の老女、小脳症の新生児、重度知的障害者、「もう十分に生きた」元上院議員……みんな安楽死で世を去った」。

 帯から見るかぎりでは、手当たり次第ではないか、といった印象を受けないでもない。実際、オランダの安楽死法の波紋はEU全域に広まり、キリスト教系諸国から、そうとうゆさぶりがかけられたようだ。オランダは、しかし“わが道を行く”で、今日まで独自の姿勢を貫いてきた。これを読めば、一朝一夕で、いまの形の安楽死法が成立したのではないことが分かる。以下に、安楽死の流れを変えた大きな事件を三つピックアップしてみよう。

 事件1、1971年、脳溢血で半身麻痺の状態にあった母親に請われて、大量のモルヒネを打って死なせた女医のポストマさんが嘱託殺人で起訴された。それに同情したのが村人たちだった。彼らの大規模な救援活動が医者たちを動かし、自分も安楽死を行ったことがあると、次々名乗り出た。

 裁判は、そこで、一気に安楽死の是非を問う国民論議にまで発展してしまった。結果、「違法だが理解可能」という形式刑が下された。ところが、この「ポストマ事件」の反響は、それだけに終わらなかった。安楽死合法化を求める全国的な市民運動へと発展していったのである。オランダ王立医師会は、本人の自発的意思を前提に、生命をちぢめる恐れがあっても患者にモルヒネなどの苦痛緩和剤を認める立場を打ち出した。

 事件2、1983年、9歳の安楽死希望の老女(肉体的苦痛はあったが終末期ではなかった)を安楽死させる事件が起こり、それも高裁への差し戻しで無罪が確定した。この事件も最高裁まで持ち込まれ、国内世論は沸騰した。それを受けて、王立医師会は、「患者の自決権」をもとに「無益な延命治療の自粛」を発表、そして、1973年の「終末期に限る」の要件を外した。

 事件3、1994年6月、この女性は22歳で結婚、ふたりの子を設けたが、長男は失恋の痛手からピストル自殺、その後、夫との間がうまくいかなくなり離婚、二男をつれて再婚したが、こんどはその二男が癌で死亡した。女性は絶望して大量の睡眠薬を飲み自殺を試みたが失敗した。その後も自殺願望は収まらず、かかりつけ医に安楽死を求めたが拒否された。

 女性は「自発的安楽死協会」に助けを求め、そこからシャボット医師に紹介された。氏は、同僚の医師、心理学者、開業医など七人の判断を仰いだところ、「苦痛を軽減する手当てはなく、より過激な手段をとる恐れがある」という意見の一致を見た。そこで、氏は、女性を安楽死させる決意をし、カスタードクリームに致死量の睡眠薬を混ぜて食べさせた。検察側は「苦痛は肉体的なものではなく、終末期になかった、また、本人はうつ状態にあり、自己決定能力は認めがたい」などを主張したが、最高裁は、肉体的苦痛でなくても、終末期でなくても、本人の絶えがたい苦痛を認め、自己決定能力もあり、と認めた。そして、実行した医師を免責した。

 以上の経過から、安楽死の許容要件が一件ごとに緩められていくさまを読み取っていただけただろうか。

 そして、2001年四月10日――その間にもたゆまぬ歩みがあったわけだが――、世界じゅうの注目を浴びた安楽死法案が、この日、ついに成立した。わたくしがここで注目したいのは、そこまで推し進めた市民のエネルギーである。ひとつ事件が起こるごとに、世論が沸騰する。裁判所任せの日本と何たるちがいであろう。

 確かに医学用語は難しい。治療中止が早すぎただの、まだ三か月程度は生きられたはずだとか、医療用語、バイタル数字を駆使して専門家が自説を主張するのをかしこまって聞いているのは骨が折れる。オランダ市民のすごさは、そんな専門家の土俵には引きずられなかった。許容要件をとっぱらってしまった背景には、それでもって市民の生死を支配しようとする権力への強い反発があったと思われる。

 日本では、安楽死は死なせ方の概念でしかない。安楽死、是か非かの論議の域を出ないのはそのせいであろう。これは強調しておきたいが、オランダの安楽死法制化運動の歩みは、自分の生死は自分で決める自治権の全面的保証を求めての歩みである。言い換えれば、安楽死はひとつの選択肢にすぎない。

 人間の尊厳にとって、自由、すなはち、個々人の主体的な「自己決定権」は絶対に譲れない砦なのだ。むろん、自由には責任がともなう。責任も含めて人間の尊厳のうちと考えるのである。自由もなく、責任も免除されているのがわが国、日本だが、それを喜ぶべきか、怒るべきか……。

 さて、ここまで大急ぎでオランダの安楽死の法制化過程を見てきたが、関心をもたれた方には全編、読了をお勧めしたい。ついでにもう一冊、資料に供する意味で『死を求める人々』ベルト・カイゼル著(角川春樹事務所)を、紹介しておこうと思う。先の『安楽死のできる国』(三井美奈著)が理論的に綴られているとすれば、こっちは現場からの生々しいレポートである。

 著者はオランダの施療院、日本でいえば、療養型病院で、医者として普段に安楽死と関わっていた。本書はその体験を普遍化したものである。哲学者でもある著者は、自分がそこに呼ばれるべくして呼ばれたことを自覚している。しかし、見取るときの苦悩はまた別で、それは死なせることに同意した日にはじまり、終えた後まで続く。なるほど、たいへんな仕事である。ただ、そこに徒労感は感じられない。毒杯を飲み干す前に、患者と医師が出会ったことをお互いに感謝する場面では胸が熱くなった。そこには医者対患者の関係はない。人と人とのせつない別れがあるばかりである。

 追記 いま高裁で審理中の本件ですが、公判はあと一回、最終弁論を残すのみとなり、来春三月にも判決がでる見込みです。

(完)