権利法NEWS

265号 医療基本法議連との活動報告

今年こそは 〜医療基本法の議論の充実に向けて

事務局長 小林 洋二

今年もよろしくお願いいたします。

新型コロナ問題に明け暮れた一年が終わり、新しい年を迎えましたが、感染者数は、年を越えてますます増加し、一月七日、首都圏の一都三県には緊急事態宣言が出されました。大阪府、京都府、兵庫県及び愛知県にも、政府に緊急事態宣言を要請する姿勢を見せており、第一波の時期と同様、緊急事態宣言が全国に拡がる可能性もあります。この問題の煽りをうけて、医療基本法に向けた議論は滞りがちですが、こういった状況であればこそ、わたしたちは、患者の権利、医療に関する基本的人権といった原点に立ち戻ることが必要です。

とりあえず昨年の動きを振りますと、まず、医療基本法議連から、ヒアリングの対象となった団体に示された基本法骨子案(以下、「叩き台」といいます)に対し、二月二〇日付で改訂案を提出しました。これは、医療過誤原告の会、患者なっとくの会INCA、患者の声協議会、公益社団法人日本医療社会福祉協会、全国「精神病」者集団、全国ハンセン病療養所入所者協議会、ハンセン病違憲国家賠償訴訟全国原告団協議会、Medical Basic Act Communityという8団体との間で協議を重ね、連名で提出したものです。ついで、この改訂案の解説文的な要請書を、同じ8団体との連名で、四月一日に提出しています。「叩き台」自体が非公開扱いであるため、「叩き台」を前提とするこの二つの意見書も、公開できていないことをご了解ください。

その後、新型コロナ問題が深刻化し、医療基本法の議論に影響することは必至という状況認識に基づき、この点についての議論を始めました。前号の付録「医療基本法と新型コロナウイルス感染症問題に関する論点整理」(二〇二〇年七月三〇日付)がその成果であり、当会のHPで公開しています。

九月三〇日に医療基本法議連の役員会が開催されましたが、そこでの議論は、わたしたちが二月、四月に提出した意見が必ずしも反映されていないように思われたところから、改めて、医療基本法に対するわたしたちの考えを、今回は公開の形で示そうということになりました。そこで、各団体との意見交換を重ねて作成したのが、昨年一一月にお届けした「医療基本法制定の議論の充実に向けて〜『医療基本法共同骨子7項目』」にもとづく提言〜」(二〇二〇年一一月一六日付)です。議連の会長である尾辻秀久議員に提出するとともに、各政党及び衆参両議員の厚生労働委員にも送付し、記者会見も行いました。

この意見書は、二月及び四月に提出した意見を踏まえたものであり、内容もほぼ同じですが、眼目はその前文にあります。

わたしたちは、拙速な議論を求めるものではありません。しかし、新型コロナ問題で、医療政策の重要性が社会的にクローズアップされたいまこそ、医療がいかにあるべきかについての国民的な議論を盛り上げる好機であると考えます。

医療基本法制定の議論の充実に向けて、以下、改めてわたしたちの意見を表明いたします。いずれも、わたしたちの共同骨子7項目の本質に関わるものであり、医療基本法に欠かせないものであるとわたしたちは考えています。

この提言を十分にご検討いただいたうえ、可及的速やかに議連としての医療基本法案を公表し、議論の場を国会に、そして社会全体に拡げていただくようお願いする次第です。

一二月六日の総会記念シンポ「医療基本法の議員立法に向けて〜あなた自身が、人権に根ざした医療を受けるために〜」は、初めてのウエブシンポの試みであり、準備期間もごく短かったにもかかわらず、約六〇名の参加者を得て、しかも多くの参加者からチャットで質問が出るというたいへん充実したものになりました。新型コロナウイルス問題で大人数で集まることができないという、いままで経験したことのない状況ではありますが、それは医療について真剣に議論するチャンスでもあるのだということを実感しましたし、同じ思いを抱いた参加者も多かったのではないかと思います。

議案書でも述べているとおり、今年の大きな目標は、医療基本法に関する議論の場を拡げていくことです。そのために、さまざまな方法を試みていきたいと思いますので、会員のみなさまからもアイデアをいただければ幸いです。

 

二〇二〇年医療基本法議員連盟と私たちの活動について

漆畑 眞人

はじめに

 標記については、患者の権利法をつくる会(以下、つくる会とします。)、第三〇回定期総会の中で「医療基本法を巡る動き」としても概要は報告されました。

 この記事は、これまでの「あらすじ」がわからなくなって、「もう一度はじめから知りたい人向け」にしました。

簡単な経過

 つくる会は、二〇〇九年から、「患者の権利を定めた法律の制定をめざし、その集大成として患者の権利擁護を中心に据えた『医療基本法』の法制化をめざしています」(つくる会ホームページのトップ)。

 つくる会は、大きな世論を形成するため、同年から、患者本位の立場に立つ他団体と連携をすすめ、秋ごとにシンポジウムを開催してきました。そして、二〇一六年には、ハンセン病・難病等の患者や支援者などの団体とともに「五団体」で、「医療基本法」に関する共同骨子七項目の要望を公開しました。これには、二〇団体が共同提案、二三団体が賛同の名乗りをあげました。

 そして、二〇一八年には、議員会館の中で「五団体」により医療基本法制定に向けた「院内集会」を開催し、超党派の議員が参加しました。同年、参加議員からの呼びかけがあり、二〇一九年には、「医療基本法の制定に向けた議員連盟」(以下、議連と表記します)が発足しました。同年中には、議連により、延べ十一の団体に対するヒアリングが行われました。

二〇二〇年の活動について

二〇二〇年一月から、基本法の「たたき台」(非公開)をベースとして議連の役員会で検討が開始されています。

私たちは、その「たたき台」をもとに、二、議連宛に私たちの意見書を提出し、議連役員会で説明しました(議員は一〇名参加、参議院法制局と厚生労働省医政局、日本医師会も同席)。そして、四月には、議連会長からの要請でその趣旨説明書を議連事務局に提出しました。この作業は、九団体が連名しました。

この経過のもとに、九月、議連事務局は「たたき台修正案」(非公開)をつくり、役員会で報告しました(議員は九名参加、参議院法制局と厚生労働省医政局、日本医師会も同席)。私たちは、再びそれをもとに、十一月、今度は公開の場で、私たちの要請意見書を議連会長に手渡しました。これは、今後は広く国民がこの論議に参加できるように願ったためです。この要請意見書には、これまでにも協働してきた四十団体が連名となっています。

二〇二〇年の新型コロナ問題

今年は、コロナ禍にあって、日常のテレビやネットでは、感染者やその家族、感染者と接する医療従事者などの「少数者の人権擁護」よりも「社会防衛」を優先するような発言が優位となってしまい、自粛警察による私的襲撃や、自動車の他県ナンバー狩りなどが発生し、このような傾向に対して、国際的には「監視社会」化に対する警告も歴史学者から出ていました。

この「社会防衛」的な考え方が医療基本法の議論に影響した場合には、私たちの求めるものとは異なる方向に進んでしまう危惧がありました。つまり、私たちとしては、ハンセン病問題・旧優生保護法問題などの反省に基づき、医療基本法においては、医療における人権保障を確実にする必要がある、と考えていました。

 そこで、つくる会では、七月に、「医療基本法と新型コロナウイルス感染症問題に関する論点整理」を公表しました。そこでは、四つの論点、医療提供体制、蔓延防止体制、偏見・差別による人権侵害防止、有効で安全なワクチン・治療薬の開発承認と安定供給について、それぞれつくる会世話人会の「医療基本法」要綱案に照らし、基本的人権の観点から問題を指摘しました。

 わが国は、ハンセン病問題、薬害エイズ、旧優生保護法問題など、過去に医療政策において重大な人権侵害を繰り返しています。医療政策の本質は「人権擁護」(The protection of human rights)であるということが、残念ながらあいまいなままで置き去りにされています。医療従事者の人権についても同様です。医療基本法の議論の中で、この「本質」そのものを論点化し、明確かつ確実に論じる必要があります。

 なお、五月、パンデミックの中、WHO総会決議文で使われた言葉も、「社会防衛」(social defense)ではなく、「社会的擁護」(social protection)でした。

直近の議連役員会

一二月一〇日、議連役員会が開催されました。「たたき台修正案」に関する私たちの要請意見書について私たちからの説明を聴取し、議論するためでした。

参加した役員は、尾辻秀久会長(自民)、羽生田俊事務局長(自民)、小池晃議員(共産)、三ツ林裕巳議員(自民)、古川元久議員(国民民主)、福島みずほ議員(社民)の六名でした。参議院法制局と厚生労働省医政局、日本医師会も同席でした。

この日は、ちょうど国際連合の「世界人権デー」でした。鈴木利廣弁護士の説明はそこからはじまりました。そして、要請意見書の説明が終わったあと、議連役員会の議論がはじまりました。その議論の全体的方向は、「WHO憲章」と「人権」を医療基本法に規定するものとなっていました。ただし、「たたき台修正案」とは「構成」が違うので調整が必要である、ということになりました。

そして、いよいよ次回の議連の議論は、役員会ではなく「総会」で行うことになりました。そのときまでに、医療基本法の「構成」を含めて内容の「調整」をして、かつ、条文に「解説」を付けることとなりました。後者については、意見の対立が狭まるように、鈴木利廣弁護士の要望が容れられたものです。この準備作業のために、次回は二か月後ぐらいに開催される予定です。

今後の展開

医療基本法は、人権に根ざす医療制度の再構築のための基礎(スタート)です。今後も、一方で、議連での活発な論議を支持しながら、その軌道を見守りつつ、他方で、社会に向けても多様な方法で情報発信をして、さまざまな立場や境遇の国民が一人でも多く医療基本法づくりのことを知って意見表明し、よりよい医療制度ができるようにしていく必要があります。

「WHO憲章」は、単にフィジカルとメンタルの「人体」だけでなく、「人権をもって社会で生活していくこと」、「その人らしい生き方」であるソーシャルウェルビーイングを含めた完全な「健康」について、その実現を各国政府に要請しています。

私たちは、「WHO憲章」と「人権」が医療基本法で明確に位置付けられ、「患者の権利擁護の価値観」が医療全体を網羅できるように、今後も提言していきます。

 

シンポジウム「医療基本法の議員立法に向けて〜あなた自身が、人権に根差した医療を受けるために〜」のご報告

神奈川 森田 明

二〇二〇年一二月六日の総会後のシンポジウムは、一四時から一五時半まで、当会と患者の声協議会、Medical Basic Act Communityの三団体共催で、初めてオンラインにより実施しました。参加者がどれだけになるか不安でしたが、五六名ほどの参加をいただきました。

前半では、様々な観点からの報告をいただき、後半は質疑を行いました。

〈報告の要点〉

〇小林洋二さん(患者の権利法をつくる会)

「医療基本法に関するわたしたちの意見」(一一月一六日に「医療基本法制定に向けた議員連盟」に提出したもの。以下「意見書」)について意見書の要点を説明していただいた(意見書は会員の皆様には送付しており、会のホームページからも見ることがでるので、説明内容自体は省略)。

これに加えて、新型コロナをめぐる問題について七月に「論点整理」を取りまとめ、これも会のホームぺージに掲載していること、新型コロナ対策についても意見書で述べている点の実現が必要であることが指摘された。

〇漆畑さん(患者の権利法をつくる会、社会福祉士)

「WHO憲章における健康概念について」

WHO憲章では、「健康」とは「単に病気でないことを意味するものではなく、肉体的、精神的、社会的に良好な状態」を意味する。そして「社会的に良好な状態」には、生活の安定だけでなく「その人の価値観から見て有意義な人生を送ること」も含まれる。そうすると、インフォームドコンセントについても、人体への処置についてだけでなく、生活環境への影響をも説明された上で選択できることが求められる。WHO憲章は条約なので日本の政府はこれを遵守すべきであり、そこでいう権利は基本的人権を指すので、軽視してはならない。

〇宮脇さん(医療過誤原告の会)

「医療の安全と質の確保について」

国は重大な医療事故について実態調査をし、実情を把握すべき。そして、再発防止対策や被害者救済の仕組みを作るべき。権利侵害からの回復について医療基本法で明示して、制度の改善につながることを期待している。

〇小沢さん(患者の権利法をつくる会)

「患者本位の医療について」

 医療の主体は患者のはずだが、医療側からは「客体」と見られがち。患者が主体であることをはっきりさせなければ、管理、支配、操作の対象となってしまい、人生を奪われることにもなる。憲法とWHO憲章に基づき患者の人権の擁護を目的とすることを明らかにし、自己決定に必要な情報、参加を確保すべき。たらい回しにされない相談窓口の設置も必要。

〇桐原さん(全国「精神病」者集団)

「病気・障害による差別について」

医療や医療政策による差別は大きな問題です。精神障害者も差別を受けてきており、医療基本法の制定をもとに対策をとることが必要。

〇前田さん(Medical Basic Act Community)

「患者の権利擁護者とは」

ハンセン病の隔離政策や優生保護法の不妊手術では、国の政策の下で医療者がいわば道具として利用された。しかし医療者には、差別の対象となる人々の社会における「ゲートキーパー」の役割がある。例えば虐待を受けている人を発見し知らせることが法律上も求められている。世界医師会のリスボン宣言でもそのような責務がうたわれており、こうした役割を果たしてこそ患者との信頼関係が成り立つ。権利擁護者として位置づける必要がある。

〇本間さん(患者の声協議会)

「難病の経験からの基本法の必要性」

難病対策については、一九七二年から四〇年にわたり要綱による対応がされてきたが、法的裏付けがないために「予算を使い切れば終わり」で極めて不安定であった。法制化によって難病指定も格段に増えた。また法制化に当たっては患者の参加も一定認められた。要綱ができた当時、医療基本法の議論もされていたが、廃案になってしまった。難病についてはまだ課題も多く、ご支援を願いたい。

〈質疑〉

問 「社会的に良好な状態」がうまくいってないことの具体例を聞きたい。

答(漆畑)退院時にベッドを空けたいという病院側の事情が優先して患者の家庭の事情を軽視しがちなところがまだある。

問 日本国憲法下でハンセン病などの人権侵害が起きてきた。医療基本法がなかったためで、あればそうならなかったと言えるのか。

答(小林洋)憲法の内容を法律に活かすための基本法にすることが必要。

(鈴木)法律では目的は規定しても理念が示されないために人権侵害を生じることがある。基本法で憲法に基づく患者の権利擁護という理念を示し、医療法規の見直しをすることが重要。

(桐畑)基本法があれば患者側のたたかい方も変わっていくのでは。

(漆原)障害者基本法ができたことにより、多くの法律が見直されている。医療基本法によってどこまで見直しがされるか見守る必要がある。

(前田)実体的正義と手続き的正義の両方が必要。権利回復、実現の手段を定める必要がある。

(鈴木)被害回復の方策を作り、アクセスできるようにすべき。「ビジネスと人権」の議論の中でも救済策にアクセスできる権利が指摘されている。

(前田)政策決定への患者参加というアクセスも重要では。

問 新型コロナと差別の問題について聞きたい。

答(小林洋)この間、新型コロナに対する恐怖感があおられてきた。これは病気に対する正しい知識があれば防げるというものではない。感染拡大を防ぐために感染への恐怖をあおっている傾向もある。しかし、そうするとかえって感染が水面下に隠れてしまい防止にならない。医療は「個人を大切にする」ことが基本になるべき。今後ワクチンが導入されると、ワクチンを打たないことが批判されることになりかねない。

紙面の制約もあり、またもっぱらメモに頼っての再現のため不正確、不十分なところも多々あるかと思いますが、ご容赦ください。

発言者のレジュメやスライドが映写はされたものの配布されなかったことも再現する上で苦労した一因で、今後は事前配布する等の工夫が必要でしょう。

 とはいえ、初のオンラインシンポとしては、短時間で中身の濃い発言がされ、質疑も深められて成功と言えると思います。

 限られた時間の中でご報告いただいた皆様に感謝いたします。司会の前田さん、不慣れな環境で適切な進行をしていただき、ありがとうございました。裏方で準備にご尽力いただいた小林展大さんにもお礼申し上げます。

 

医療事故調査制度の改善を求める要請書の提出について

木下 正一郎

要請書の提出

医療事故調査制度が二〇一五年一〇月に施行してから、五年が経過しました。医療事故調査制度は、医療事故の原因を明らかにし、医療事故の再発防止を行い、医療の安全を確保する制度です。国民の安全な医療を受ける権利を確保するため、国及び医療機関が負う社会的責務を具現化する制度であるといえます。

しかし、制度開始以前・開始当初から制度趣旨に照らしていくつもの問題が指摘されていました。五年を経て一層制度の問題が顕在化しています。

五年の節目に、患者の視点で医療安全を考える連絡協議会(患医連)は、医療事故調査・支援センター(センター)の権限強化や見直し検討会の設置を求めて、二〇二〇年一二月二三日、厚生労働大臣に宛てた「医療事故調査制度の改善のために厚生労働省内に見直し検討会の設置を求める要請書」を厚生労働省医政局総務課医療安全推進室に提出しました。以下、要請の内容につき説明します。

なお、患医連は、医療過誤原告の会、医療事故市民オンブズマン・メディオ、医療情報の公開・開示を求める市民の会、医療の良心を守る市民の会、陣痛促進剤による被害を考える会が加入しています。患医連、患者の権利法をつくる会、医療問題弁護団の三団体で医療版事故調推進フォーラムを構成し、医療事故の再発防止・医療安全の推進のための活動をしています。

医療事故報告・調査を促進するセンターの権限の強化

制度開始前、医療事故報告件数は年間一三〇〇~二〇〇〇件と試算されていました。年間二万件を超す医療事故死亡事例が発生していると推計されているところ、この試算にしても少ないものでした。そうであるにもかかわらず、五年間の医療事故報告件数は毎年四〇〇件未満で、五年の合計でも一八四七件にしか達しませんでした。

また、二〇一五年一〇月~二〇一九年一二月末までの四年三ヵ月の実績で、四〇〇床以上の施設のうち約二八~七〇%の施設で医療事故の報告実績がなく、九〇〇床以上の施設(全五三施設)に限ってみても、二八.三%にあたる一五施設で報告実績がありませんでした。多くの医療機関で医療事故が報告されていないことが疑われます。

実際、二〇一九年の医療機関からの相談に対し、センターが三七件で報告を推奨すると助言したにもかかわらず、一六件(四三.二%)では医療機関が医療事故報告を行いませんでした。

さらに、医療過誤原告の会に医療事故の被害者・遺族から寄せられた相談のうち、予期せぬ死亡と判断される相談件数は五年間で一三五件ありましたが、医療機関がセンターに報告したものは一四件に過ぎませんでした。

このように、報告されるべき医療事故が報告されていなくて、報告件数が少ない実態が明らかになっています。

そこで、患医連は、センターが医療事故として報告すべきと判断した事例については、医療機関に対して報告を求めること、この求めにもかかわらず、医療機関が医療事故の報告をしない場合には、センターは、医療事故の報告をしない医療機関の名称を公表すること、センターの求めに応じて報告・調査を行おうとしないときは、センターが医療事故調査を行うことができるように、センターに権限をもたせる法律、運用の改正をすることを求めました。

センター調査報告書の公表

現在、センターが行う調査報告書(センター調査報告書)は公表されていません。

センターで調査・分析された結果であるセンター調査報告書が公表されれば,これを教訓として,全国の他の医療機関も同様の医療事故を防止することができます。したがって,医療事故の当事者たる遺族と医療機関のみならず,他の医療機関でも医療事故の防止に役立てられるよう,センター調査報告書が公表されることが必要かつ重要です。公表にあたっては、特定の個人を識別することができる情報はマスキングされることを想定しています。

また、報告事例を明らかにしていく上でも、事故事例の公表は重要と考えます。いかなる医療事故事例を報告すべきかについては、医療法六条の一〇に定められています。法律の規定は抽象的にならざるを得ず、具体的事例を報告すべきか否か見解が分かれることがあります。報告すべき基準を明確にしようとしても同様の問題は残ります。基準の文言を修正するよりも、多数の医療事故事例を公表して、医療機関が医療事故として報告をすべきか判断するにあたり参照できるようにすることが適当と考えます。それにはセンター調査報告書の公表が最も適しています。

そこで,患医連は、再発防止の観点から、また、適切に医療事故報告がなされるようにする観点から、センター調査報告書を公表することを求めました。

見直し検討会の設置

ここまでに述べたとおり、現行の医療事故調査制度は医療の安全を確保するという目的を達成するにあたり、重大な問題があります。五年を経た今、医療事故調査制度は医療の安全の確保に資するよう、改められなければなりません。

そこで、患医連は、医療事故調査制度の改善に向けて、すべきこと及びロードマップを議論し整理するために、見直し検討会の設置を強く求めました。

なお、五年前の医療事故調査制度の開始前に、運用を検討する検討会が設置されました。しかし、検討会設置直前に、それまで医療安全を確保する実践を行ってきた複数の構成員候補者が検討会の候補者から外され、これに代わる構成員が選任されました。新たに入った構成員からは、医療事故の報告・調査をしなくともよしとする意見が出され、意見はまとまらず、医療事故調査制度は医療事故再発防止に資するものとはなりませんでした。したがって、検討会の構成員には、医療事故調査制度のもとで医療の安全を確保する実践を行ってきた者、少なくとも医療の安全を確保する意思がある者を選任しなければなりません。

患者の権利法をつくる会では、患医連とともに、引き続き、医療事故調査制度の改善を求め、医療事故の再発防止に向けた活動を続けていきます。

 

新たな正常状態が必要な医療基本法(下)

“情報”に思う

                          常任世話人 小沢木理

〝情報〟、これは生きる上での指針です。〝情報〟のあり方が民主主義の重要なバロメーターでもあります。〝情報〟の独占が、社会を操作する権力者を作ります。情報を持つ者、持たぬ者で優位関係が決まります。一方で、個々人には、無数に交錯している情報の中から、真に信頼できる情報を、探し当てる努力が求められます。

これらのことを踏まえ、今回は、まず主権者である国民の信託を受けた国会議員の国民への情報の取扱いや、その職責のありかたについて、次に、国民・市民の側の情報の発信のありようについて考えてみます。

無関係とはいえない

そもそも本稿は、新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない中、医療基本法を確立するにあたって、これまでの私たちの主張を揺るぎないものにするためにも新たな発想の転換が必要だとして、「新たな正常状態」という表題を掲げて書き出したものです。昨年四月から今回で三回目、今回は一応収めの回となりました。

「新たな正常状態」とは、新型コロナ以降頻繁に使われ出したニューノーマル(新しい生活様式:世界金融恐慌時代の金融状態を意味する語源)という意味とは異なります。これまで当たり前のように踏襲されて来た慣習や常識、生活のありかたに今大きな警鐘が鳴らされています。「新たな正常状態」とは、本来のあるべき姿、何が大事で何が本当に必要なのかを考え、新たにそういう正常な状態を選んでいく必要があるのではないかといった意味を込めています。つまりその場しのぎの生活の対処法ではなく、生き方においてそもそもの原点に立ち返ることが必要ではないかということです。社会の慣習や常識といったものがその時代の経済的力や政治的力の影響を受けていることも多く、正しいとは限らないからです。でも、なぜ個別の医療の問題にそんな関係のない屁理屈のような話しを持ち出すのでしょう。それは、医療は生活の一部であり、人々の生活のありかたや国内外の社会状況とも影響しあっているからです。そのことを痛感させる出来事が、昨年から日本にももたらされた新型コロナウイルス感染症です。

今回の新型コロナウイルスのパンデミックは、医療が社会生活のありかたによってどういう影響を受けるのか、国内のことだけで完結するのかという問いを私たちに投げかけられているようです。いま、私たちにはなんらかの答えを求められています。そのためにも、社会生活全体を俯瞰してみることは医療とも無関係ではないでしょう。

不安の先の選択

第一回目では、この新型コロナウイルスの出現や感染拡大は決して「想定外ではない」ということ、また何ごとにも問題の対策を考えるには「俯瞰が必要」で、この新たな不安に乗じて人々が陥り易い「超監視社会」さえも容認してしまう可能性を、改めて意識する必要性があるといったことなどを述べました。

つまり、ユヴァル・ノア・ハラリ氏(イスラエルの歴史家)のことばを借りれば、『全体主義的な監視社会を選ぶのか、それとも個々の市民のエンパワメントを選ぶのか。国家主義者として世界から孤立するのか、それともグローバルな連帯をとるのか。』というふたつの選択肢から選択を忙しく求められる時代になってきていると思います。

世の中の混乱は、人々の動揺や不安の大きさに比例してグローバル企業の大きなビジネスチャンスともなり、人々は国による管理・監視社会を容認していきがちです。

人々の判断能力が鈍化し、不安を取り除いてくれるように思える選択肢を容易に受け入れてしまいます。うがった見方をすれば、企業や国家の安心対策という事業計画を、遂行しやすい時期でもあります。

しかし本来国は、大災害時におけるリスク管理を協議する専門機関を設け、平時から議論や準備を行う必要がありました。大自然災害や、原発事故時の経験から何も学んでいません。今回の感染症対策では、医・科学的知見を軸に対策を講じる必要がありましたが、追い込まれた中で根拠の乏しい政治判断が行われ、社会が振り回されました。燃え盛る火の海に向けて、とにかく走り出せと言われたようなものです。感染拡大の沈静化なくして社会経済は成り立たないのですから。緊急時の医療崩壊を起こさせないための医療体制、システム設計など実施計画のシミュレーションを行う専門部署を設けているべきでした。

私たちも平時から。どうあることが本当の「安心・安全」に繋がるのかの判断力を身に付けておく必要があります。

〝情報〟のあり方

日本の過去においても同じような大きな失敗(判断能力の麻痺)を経験しています。その顕著な例が国を挙げて国家総力戦をもたらして行ったことです。巧みな煽動があったにせよ、その結果は国民にとって無惨なことばかりでした。なぜ同じような愚かしいことを繰り返してしまうのか、そのヒントはやはり〝情報〟のあり方にあると思います。〝情報〟の重要性に国民は無頓着であり、国の国民への情報の取扱いが不当であったばかりか国民を裏切ることが平然と行われて来たことによると思います。具体的な例を挙げれば切りがありません。

こと、医療における情報のあり方についても、やはり医療受診者側がひとつひとつ情報をかじり取って来た感があります。医療費明細書、薬剤情報の提供、診療記録の開示等々です。しかし、実際にはこれでも不十分で、それぞれの目的が充分に満たされているとは言えません。特に診療記録の開示に至っては、大病院以外では出し渋り、門前払い、威嚇的対応などの例はむしろ珍しくなく、どれだけ患者側が心身の消耗を来たし困っているか分かりません。

実際に、当会のホームページへのアクセスの九〇%以上が、カルテ開示のページです。また、問合せのページを通じて相談されてこられる方の圧倒的多数のかたが、診療記録の開示に関するもので開示を求めたものの、門前払いされその交渉に疲れ行き場が無くなって相談されてきます。紹介した全国各居住エリアに設置されている医療安全センターに相談するも、糠に釘。院内の相談センターに相談しても何も役に立たないといいます。そんな経験を経て患者さんたちは、指針や法律ができても、強制力は無い、罰則は無いのではと、憤りを隠しません。このように建て前の虚しさを痛感する機会が沢山あり、相談を受けるこちらも情けなくも立ちすくむしかありません。

患者が自分の診療記録(情報)を得て考えるという機会を、第三者の都合に委ねられている状態は正常ではなく上下関係の固定化を裏付けるようなものです。またそれを是正させる体制もできていないことも問題です。

そもそも、国民は当事者として自分たちに関係のあることがらについて「情報を得る権利」「知る権利」があります。国がその原則を軽視した場合、情報を独占した国は暴走しやすくなります。国は、その情報は本来誰のものかを自覚し、国民に提供または共有していかなければ、再び国民の人生を翻弄するような事態を招きかねません。人は自分にとって、判断に必要な情報を覆われたら適否などの判断が出来なくなります。

『情報は主権者へ!』が大原則です。

自己決定の権利が無効化するのを許す? 

自己情報のコントロールが必ずしも保障されていない一方で、AI依存社会がまっしぐらに進んでいます。この先、個人の選択の自由などという価値観は現実性が無くなりそうです。社会のレール(仕組み)に乗らなければ生きていかれないからです。今日の新型コロナの問題で、その予行演習の機会が増えました。本来の人間生活のあり方を考える余裕も無いまま、技術進歩による時代の要請の速度に追いつくことで必死です。生まれて来てからこの方、自分は「何回ヒト(人間)に出会ったか?」ということが大きな話題になる時代が、そぐそこに来ているような気がします。

これは突飛なことではなく、生活の隅々まで無人化されていくので医療においても例外ではなくなるでしょう。科学や様々な技術は人々の生活におおいに必要です。しかし、人々が、本来の人間生活のあり方を顧みたり、人間や生物の生存にとってこれはどうかを考えることをしなくなったら、今回の新型コロナウイルス感染拡大や自然からの仕返しに見舞われる機会が増えることでしょう。AI依存社会は、大国による覇権拡大の歯止めを無くし、私たちは生の人間が見えない社会を拡大させます。直接会ったり言葉を交わしたり、体に触れたりしないで生活することが普通になり、医療も介護でも人を介さない時代が来ることを覚悟しなければなりません。

さらに、自分の人生や生き方、医療の選択等に置いても、AIが自分の情報を全て管理し(管理され)答えを決めてくれる(決められる)時代も実現可能だと言われています。

原則、自分のことは自分で決めるという自己決定原則が危うくなってきそうです。

私たちは、安全のために効率のために目先利益のために、自己決定権の能力を捨ててしまって本当にいいのだろうかと危機感を覚えます。自己決定には、判断するための情報が必要です。そういう情報すら自分でチェックしたり管理したりすることをAIに依存してしまったら、人間としての尊厳や最終的な〝自己〟そのものを無いものにするような行為とも言えます。茹でガエルではないですが、気づく間もなく〝己〟は〝融合体〟に化してしまうかもしれません。その一方で、情報を独占し操作するのは、ごくごく限られた一部の人間となります。つまり、情報は、その一部の人の手にありその人間が社会を自由に操作出来るということになります。こうなってくると、「情報は誰のものか?」という設問自体が俎上に上げられることが無くなってしまいそうです。今はそこまでにはなっていませんが、少なくともそういう方向の途上にあることは事実です。ですから、ゼッタイに情報の最終管理者は、自己決定権を放棄しないと考える多数の国民であるべきです。その死守が最後の砦です。

相互関係の中で成り立つ医療

コロナ問題がなかなか収束していかない中、最近、ある話題が取り上げられるようになりました。SDGs(エス・ディー・ジーズ)という行動目標です。コロナ問題で、遅まきながらその意義や必要性について共感を呼んだものと思われます。

昨年来新型コロナで世界中が深刻な状態に陥っていますが、実際には既にその5年前の二〇一五年に、国連加盟国はSDGs(持続可能な開発目標)として一七項目掲げ、それを採択しました。開発といっても、自然破壊や生態系への無謀な介入、野生動物の生活圏への侵入などではなく、知恵や能力の活用を意味していると思われます。又の名を「グローバル・ゴールズ」とも言い二〇三〇年までという期限が定められていますが、この目標の狙いは、あらゆる貧困、不平等、気候変動の問題等々に対処しながら誰一人取り残されないようにするためだとしています。それはアフガニスタンで中村哲医師が出した答えと通じます。中村医師は、住民に行う医療に限界を感じ、その最大の原因である貧困対策こそがカギだ。それには「水」が最優先で必要と結論し、砂漠化した大地に治水、灌漑工事を行い緑の大地に変えました。「水さえあれば、直ぐ治るのに」という氏のことばが印象的です。

 つまり人間生活には、「これだけ(ワンイシュー)!」を取り上げても思うようには解決せず、健康も福祉も、貧困問題をはじめ社会的要因と深く相互に影響しあっています。SDGsが目標に掲げている貧困、資源、環境、生態系、教育、平和、水、全ての人に健康と福祉をといった問題は相互に関連しあっています。だからこそ持続可能な社会のためには、このグローバル:ゴールズのそれぞれの目標に向けた総合的な取り組みが必要なのです。新型コロナウイルス感染対策では海外の貧困者層の抱える問題がひとつの大きな障壁となっていますが、日本でも生活困窮者にとっては医療以前の生命維持と直結する問題となります。

これまでは一部の人たちにしか関心を持たれなかったこの運動、特に先進国の私たちは真剣に捉え、積極的に行動しなければならないでしょう。抑え込めたと思っても、人々の生命や健康に脅威をもたらす新たなウイルスは何度も登場するでしょう。その可能性を減らすために生活志向を見直すことは、医療崩壊を抑制し、結果として医療における患者の人権を守ることと繋がります。

SDGsの取り組みは、医療基本法の土台をしっかり支えるうえでも重要です。

情報の使命

話が横に膨らみましたが、本題の〝情報〟に話しを戻します。

当会、患者の権利法をつくる会は一九九一年、患者の権利の法制化を求める活動を始めて、今年で三一年目に入ります。その間、医療基本法という具体的な目標を掲げてから約二〇年。当会では、推敲を重ね多視点を包括した「医療基本法要綱案」を発表。加えて他団体と連帯し医療基本法の法制化要請活動を拡大。そういった流れが、二〇一九年二月医療基本法の法制化に向けた議員連盟の結成となり、患者・市民団体との四度のヒアリング、叩き台や意見書や要望書の交換などと続きました。しかしその経過は釈然としないものでした。

当会を含めた⑸団体が発表した、医療基本法に最低限求める『七項目の共同骨子』の中に、「国民参加の政策決定」があります。〝患者・国民が参加し、…恊働し、政策の合意形成が行われ、医療を継続的・総合的に評価改善していく仕組みを形成する。〟という補足説明があります。この項目は私たちにとって、最も重要な譲れない条件です。

しかし、私たちと議連との間は、実際には、結果として議連に忖度を暗黙の条件とされた格好になりました。自分たちに必要な法律を検討してもらうにあたって、権限委譲ではなく、職務委託という関係にありながら、主導権は請負う側に移ってしまった感じです。法律の専門家から見て「合法か?」の判断はあるでしょう。しかし、この間、法案作成担当者からは医療では一般常識であるインフォームドコンセントという姿勢に全く出会うことはありませんでした。やっぱり立場はお上と段下がりの下々の関係のままです。民主主義の国において、議論はオープンな形で行われることを原則とすべきだと考えますが、オープンにされる機会はありませんでした。

一般に会議を非公開にする理由として、これまで何かと使われて来た「自由な議論を阻むから」「失言したら修正が利かないから」「一人歩きすると困るから」等々の理由で事実上秘密会議が行われて来た例は山ほどあります。しかし、明確に規定されている場合を除き、その判断はいわゆる担当者の事情や裁量で決められています。

ちなみに、地方議会では本会議前の委員会や審議会についても、法的に求められていなくてもすべての委員会の一般傍聴を認め、会議録も要旨ではなく発言の全てを記録し公開するべきだという流れが出て来ています。本会議では形式的で、実際の問題点を傍聴者が知ること無く会議が進行するため詳細な議論や論点が分かりません。委員会は実質的な審議機関となっており、情報は可能な限り開示されるべきだという論調になって来ています。

市民が公的組織と闘わなければならなかった歴史というものは、情報を出させること、妥当な開示をさせることにそのエネルギーの多くが費やされて来ました。

情報の扱いについては、情報を持っている側が公開の諾否を決め、法律もそれに沿って作られて来ました。しかし、それは全く公平な判断ではなくて、日本の情報公開・開示は発展途上にあります。その情報は誰のものか、誰のためのものかのテーマがテーブルの上から外されているからです。 

「大事なのは結果だ」とよく言われます。その結果が良ければラッキーですが、思うようでない場合、出された結果は容易に動かすことはできません。本来は、その結果に至る前に、事前に議論の経過を知ることができることが重要です。むしろ、その決定に至る議論の過程が結果以上に重要な意味を持ちます。議論の過程が見える化していて、広く国民と情報を共有出来るものとなっていることが民主的手法であり、信頼に通じる道だと思います。

ましてや、私たち五団体の掲げる共同骨子にある「国民参加の政策決定」とは、扉を閉じた部屋での意見交換を求めているのではなく、国民やメディアにも開かれた場であるべきだと、少なくとも私はそうあるべきだと考えています。

このままいくと、国民がまず、「何も知らないうちになんかできてしまった」ということになります。法律ができる前に国民が考える機会を積極的に設けるべきです。言うまでもないことですが、特定の対象者の問題ではなく国民全てに関係する問題だからです。一定の時期になったらパブリックコメントを募集する式の常套的セレモニーは、むしろ国民の不信感を募らせます。〝透明性〟に勝る信頼の勝ち取り方はないでしょう。

一方、私たちにも、一般市民に向けての情報提供のありかたに問題があります。複数の人たちが共に活動する際、個々人の意思を尊重することを前提に結論を出して行く必要があります。そのうえで、市民に向けての情報発信は最重要な目的のはずです。国の発する情報とは異なった、むしろもっと別な意味で貴重な情報です。しかし、これまでは接点のある人たちを対象とするに留まり、実に内向きで消極的でした。広く国民に向って発信する意思がないのかと思えるくらいでした。情報発信に障壁になる事がらがあるとしたらそれを避けて、別な方法をとれば済むことですが、オールオアナッシングで広報活動が萎縮してしまってきたのは、大変残念なことでした。私たちが大事に思う情報を、多くの市民に届けたいという思いは同じですので、そのための協力の仕方はいろいろあり各自が可能な方法で協力して下さることで前に進めました。本文の中程でも触れましたが、患者の権利運動を三〇年前後続けて来て、いまだに広く国民に向けて情報共有のための情報発信に消極的というのは、実に忸怩たる思いです。私たちにとって、国民と課題を共有することは市民活動の原点ともいえるものだからです。「やった、良かった」の自己評価で終えるだけでは、一般市民にこそ必要な情報でありながら、これでは届くはずがありません。

これまで、自国のあるべき姿の医療基本法を作ることだけをひとえに考えてきましたが、新型コロナウイルス感染拡大の問題は、一ウイルス感染症の問題に留まらず、国の危機管理や体制のありかたが問われ、私たちの暮らしのありかたを問われ、世界が運命共同体であることを知らされる機会となりました。同時に、この機会に乗じて国家が個人を越えて管理していく社会が再来するのではないかという緊張も覚えました。

非力な私たち市民ができることは、やはり、成果は得られずとも自分たちの声(伝えたい主張や情報)を積極的に国民に向けて発信していくしか無いでしょう。

国民の信託を受けた国会議員に対しては、国民への情報の取扱いや、その職責のありかたについて市民側が萎縮することなく率直に自由に進言できることを理解して頂き、相互の立場を尊重しつつ目標のために共に協力しあう成熟した国にしていきたいと思います。

現在の国と国民との関係性は、戦後七七年目を迎えようとしている今日の進化?の数値を表しています。私はとてもこの数値に甘んじられないのです。

新たな正常状態とは、実は原始的な内容です。現代、視野から外れている生命権を基軸とした価値観を取り戻しましょうという主張です。持続可能な社会への取り組みの必要性、医療も他要因と相互関係にある、情報は主権者のもの、権限と職務の混同の是正等に関してそれぞれ原点に戻すべきだという素朴なしかし非常に重要な主張です。

 

 

「感染症法改正に関する意見書」を発出しました!

当会は、二〇二一年一月一八日付で、標記の意見書を、厚生労働大臣及び各政党に送付いたしました。新型コロナウイルス感染症の患者・感染者が入院措置に反したり、積極的疫学調査・検査を拒否する場合の処罰規定を設けることに反対の意思を表明するものです。

危機感を同じくした複数の団体から同様の声が上がっています。以下に、意見書の全文を掲載しますので、是非ご一読ください。

次号では、この問題について、改めて経過を報告するとともに問題点を整理する記事を掲載したいと思います。

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感染症法改正に関する意見書

私たち「患者の権利法をつくる会」は、医療の諸分野における患者の権利の確立及び患者の権利の法制化を目的として、一九九一年一〇月に結成された市民団体です。現在、患者の権利擁護を中心とする医療基本法の制定を求めて活動しています。

新型コロナウイルス問題への対応のために、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(以下、「感染症法」と表記します)の改正が検討されていると伝えられています。この問題について、以下のとおり、意見を述べます。

意見の趣旨

感染症法の改正により、新型コロナウイルス感染症の患者・感染者が入院措置に反したり、積極的疫学調査・検査を拒否する場合の処罰規定を設けることに強く反対します。

意見の理由

人は、病気になったときでも、ある治療を受けるかどうかを自分で決定する権利を持っています。この患者の自己決定権は、日本国憲法一三条の保障する個人の尊厳に由来するものであり、重要な基本的人権のひとつです。

感染症法は、一定の要件を充たす感染症の患者に対して、都道府県知事が入院を勧告することができること(法一九条一項)、勧告に従わない場合に入院措置を採ることができること(同条3項)としていますが、これは上記の患者の自己決定権の制限であり、この都道府県知事の権限は、極めて厳格な要件の許に、抑制的に行使されるべきものです。

今回の改正により、上記の入院措置が罰則を持って強制されることになるとすれば、その自己決定権の侵害がより強いものとなります。しかし、実際に新型コロナウイルス感染症蔓延の原因とされているのは、主として自らの感染の事実を知らない無症状感染者の行動であると考えられており、入院勧告に従わない患者・感染者の存在が新型コロナウイルス感染症蔓延の原因だという指摘はありません。すなわち、罰則による入院の強制という強力な人権制約を正当化する根拠となるような事実は存在しません。

むしろ、感染しているというだけで罰則を伴う入院勧告・措置の対象とすることは、それを忌避するために検査を受けないという行動を誘発する可能性もあり、それは、結果的には新型コロナウイルス感染症蔓延防止を困難にしてしまうことになります。

また、人は自分に関する情報をコントロールする権利を持っています。このプライバシー権もまた、憲法一三条の保障する個人の尊厳に由来する重要な基本的人権です。積極的疫学調査・検査への協力を罰則で強制することは、このプライバシーの制限にあたるものです。そして、その人権の制限を正当化するような事実が存在しないことは、入院措置に反した場合の罰則に関して述べたところと同じです。

感染症法の前文には、「……我が国においては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である」と謳われています。ところが、昨年一月に新型コロナウイスル問題が発生して以来、全国各地から、患者・感染者はもちろんとして、実際に感染していなくても感染機会が多いと考えられる職種の人やその家族に対する差別・偏見事例が報告されています。患者・感染者に対する処罰規定を設けることは、このような差別・偏見を、いっそう助長することに繋がり、公衆衛生政策において必要不可欠な、国民の主体的で積極的な参加と協力を妨げることになりかねません。

いまこそ、感染症法制定の原点に立ち返り、「感染症の患者等の人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ適確に対応すること」を最重要の課題として位置付けるべきときです。第三波といわれる感染者増大傾向のまっただなかではありますが、患者・感染者の自己決定権・プライバシー権を軽視した処罰規定を設けるような場当たり的な法改正ではなく、新たな感染症に適確に対応し国民の医療に関する基本的人権を守れるような医療供給体制の構築に向けて、大局を見据えた冷静な議論を望む次第です。