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264号 新型コロナウイルスと医療基本法2

新型コロナウイルスと医療基本法2

事務局長 小林 洋二

再び、新型コロナウイルス感染の蔓延が問題になっています。

前号でご報告したとおり、このコロナ問題の中で、医療基本法制定に向けた議論は一休みの状態です。しかし、議論が再開されたとき、私たちがこのコロナ問題をどう受け止めるのか、それは医療基本法にどう反映されるべきなのかが問われることは間違いありません。

世話人会では、この点について、メールとズームミーティングで議論し、また、医療基本法骨子七項目の共同提案団体とも意見交換を行いました。今号の別冊「新型コロナウイルス感染症問題に関する論点整理」は、現時点における議論の到達点を、(1)医療供給体制、(2)蔓延防止対策、(3)差別・偏見問題、(4)治療薬・ワクチン問題の4つの観点から整理したものです。

この問題は日々動いており、情報も錯綜しています。

例えば、マスクの有用性に関しても、この間、さまざまな情報が飛び交いました。PCR検査を積極的に行うべきか否かについても、未だに議論が分かれています。欧米に比較して、日本をはじめとする東南〜東アジアでの感染者数及び死亡者数が少ない理由について、生活習慣説、BCG説、HLA説、交差抗体説、ウイルス株説等さまざまな仮説が唱えられてはいますが、まだ解明されていません。最近の感染者増を第二波であると位置づける人もいれば、PCR検査の数が増えただけだという人もいます。アビガンについても、製薬会社の社長と安倍首相の関係を取り沙汰する人もいれば、承認されないことに何らかの意図を見いだそうとする人もいます。遡ってみれば、そもそもこのウイルスは中国の生物兵器だという説もありました。

わたしたちは、こういったことについて、正確な情報を求める権利があります。しかし、情報の正確さは常に流動的なものであり、相対的なものです。特に、新型コロナウイルスのような新しい感染症については、なにが正確な情報なのか、誰も知らないということもあり得ます。

そういった状況であればこそ、わたしたちは、基本に立ち返るべきだと思います。

その立ち返るべき基本が、基本的人権としての、必要な医療を受ける権利であり、医療における自己決定権であり、病気や障がいを理由として差別を受けない権利です。それをきちんと法律の形にすることが、いま取り組んでいる医療基本法制定に向けての活動であり、わたしたちが三十年にわたって取り組んできたことです。

だから、わたしたちの医療基本法要綱案にせよ、共同骨子七項目にせよ、いまさらこの新型コロナ問題で改訂を加えるべき点はないというのが、現時点での結論です。

会員の皆様のご意見をお聞かせいただければと思っています。

 

個人情報保護法制のはなし(最終回)

第六回 新型コロナ対策と個人情報保護

 

神奈川 森田 明(弁護士)

 

はじめに

前回は、医療情報の利活用推進の現状として、次世代医療基盤法や個人情報保護法の改正による仮名加工情報の導入の動き(その後六月五日に改正ずみ)、自民党政務調査会データヘルス推進特命委員会の動向などを紹介しました。同委員会は、今年の六月三〇日に提言を公表し、医療情報は積極的に利活用されるべきで個人情報保護法制が医療情報の共有と蓄積を阻んでいるとして、医療分野の個人情報の保護と利活用に関する法制化の検討を開始し、令和三年度中に結論を得るべきとしています。つまり、医療情報の利活用のために個人情報保護法の特別法を作るということです。

このような動きが進む中で、新型コロナウイルスの感染が拡大し、私たちの生活は激変してしまいました。こういう状況がいつまで続くのかもわかりません。

新型コロナを巡り、感染拡大対策のための医療情報等の収集及び提供・公表と個人情報保護が問題となります。

今回はこれについて述べ、連載の締めくくりとします。

なお、新型コロナ対策では、他に「接触確認アプリ」等も個人情報保護の点から大きな問題を含んでいますが、ここでは論じきれないため、割愛します。

 

国、地方公共団体等の公的機関では

連載第一回で述べたように、個人情報取り扱いの主体により個人情報保護の適用法が異なるのでこれを踏まえて整理する必要があります。

まず公的機関については、行政機関個人情報保護法(行個法)、独立行政法人個人情報保護法(独個法)、個人情報保護条例による取扱規制、第三者提供規制との関係が問題となりますが、行個法、独個法、各条例とも法令に基づく取扱や提供は認める規定があります。

新型コロナウイルス感染症については政令で、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症法)が準用されることとされ、感染症法の第三章では「感染症に関する情報の収集及び公表」について規定しています。

収集については、例えば医師らの届け出義務(同法一二条、一三条)、都道府県知事(実際には保健所)によるいわゆる積極的疫学調査(同法一五条)等が定められています。

公表については、同法一六条で「厚生労働大臣及び都道府県知事は…収集した感染症に関する情報について分析を行い、感染症の発生の状況、動向及び原因に関する情報並びに当該感染症の予防及び治療に必要な情報を新聞、放送、インターネットその他適切な方法により積極的に公表しなければならない。」と定め、あわせて、公表に当たっては「個人情報の保護に留意しなければならない。」としています。

また、新型インフルエンザについては、同法四四条の二で「厚生労働大臣は、新型インフルエンザ等感染症が発生したと認めたときは、速やかにその旨及び発生した地域を公表するとともに、当該感染症について、第一六条の規定による情報の公表を行うほか、病原体であるウイルスの血清亜型及び検査方法、症状、診断および治療並びに感染の防止の方法、この法律の規定により実施する措置その他の当該感染症の発生の予防又はそのまん延の防止の必要な情報を新聞、放送、インターネットその他適切な方法により逐次公表しなければならない。」と定め、あわせてここでも、公表に当たっては「個人情報の保護に留意しなければならない。」としています。

 

公表基準について

しかしこれらの規定も抽象的で、実際に何を公表するかについてはさらに個別判断が必要です。そのために、「一類感染症が国内で発生した場合における情報の公表に係る基本方針」(令和二年二月二七日付厚生労働省健康局結核感染症課発出の事務連絡)が発せられ、新型コロナウイルス感染症は一類感染症ではないが、この基本方針を参考にしつつ適切に情報の公表を行うよう求めています。

同基本方針では、公表する情報として、「感染症に関する基本的な情報、感染源との接触歴に関わる情報、感染者の行動歴等の情報」が挙げられていて、公表する情報と公表しない情報を詳細に仕分けていますが、運用上は微妙な判断を求められる事柄も少なくありません。

例えば、「感染者情報」については、「個人が特定されないように配慮する」ことを基本に、「居住国、年代、性別、居住している都道府県、発症日時」は公表し、「氏名、国籍、基礎疾患、職業、居住している市町村」は公表しないとしています。しかし、基礎疾患を公表しないのは「基礎疾患との関係性が判明していないため」としており、今後判明すれば公表されるようになる可能性はあります。職業については、「感染源との接触機会が多い等の場合(例 医療従事者)には公表を検討する」としており、現に医療従事者や、クラスターにかかわった人の職業が公表されることがあるのはご承知のとおりです。

入院した医療機関名は公表しないこととされていますが、これは「原則として入院後は基本的に他者への感染がないため」であり、「医療機関での行動に基づき感染拡大のリスクが生じた」場合には公表することもあるとしています。

 このように運用上の問題は残るものの、公的機関はこれらの法令やそれに基づく基準に従って対応すれば個人情報保護との関係は少なくとも形の上では整理されていると言えます。

 

民間事業者による公表など

これに対し、民間事業者については、個人情報保護法適用の問題になり、現場に判断が委ねられるため厄介な問題になります。

ざっくり言うと、個人情報保護法は、個人情報の目的外利用(同法一六条)、要配慮個人情報(感染者の情報は原則これにあたる)の取得(同法一七条)、個人データの第三者提供(同法二三条、公表はこれにあたる)を原則として禁止しており、本人の同意を得た場合または次の四つのいずれかにあたる場合は例外として認めることとしています。(要配慮個人情報取得についてはこれに加えて一定範囲の規則や政令による場合が認められます。)

①        法令に基づく場合

②        人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき

③        公衆衛生の向上又は児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき

④        国の機関若しくは地方公共団体又はその委託を受けた者が法令の定める事務を遂行することに対して協力する必要がある場合であって、本人の同意を得ることにより当該事務の遂行に支障を及ぼすおそれがあるとき

*この四つの例外規定は繰り返し登場するので、私はこれを「例外四兄弟」と呼んでいます。(しかし今では名曲「だんご三兄弟」を知らない世代が多くなり、ウケはいまいちです。)

 

本人の同意に基づく取得、提供の問題点

個人情報保護法は、上記の制限条項の例外として前記「例外四兄弟」の前に、本人の同意を得ることをあげており、これを原則としていると考えられます。しかし、同意を得るにあたっては、任意性を確保するべきです。例えば従業員が感染した場合に解雇や不利益な処遇をちらつかせて同意させてはいけませんが、事実上「ボクは嫌だ」とは言えないことは多いでしょう。反面、個々人の意向次第で公表内容が大きくばらつき、必要な基本的情報が公表されないのも問題です。

そう考えると、この種の問題については、本人の同意に大きく依存するのではなく、どの範囲の情報が必要であり例外四兄弟にあたるのかを慎重に見極めた上で、対処する必要があります。

 

公共機関への提供等

例外四兄弟のうち、法令に基づく(例外①)、あるいは法令に基づく公的機関の行為への協力(例外④)にあたるならできることになります。例外②又は③に当る場合もあるでしょう(個人情報保護委員会、令和二年四月二日付「新型コロナウイルス感染症の拡大防止を目的とした個人データの取扱について」)。

例えば、保健所が、感染症法一五条一項に基づく積極的疫学調査のため、事業者に対し、新型コロナウイルスに感染した従業員の勤務中の行動歴の提供を依頼している場合には、その情報の提供に当たり本人の同意は必要ないと解されています。(同委員会「個人情報保護法相談ダイヤルに多く寄せられている質問に関する回答」、令和二年五月一五日追加回答)

 

他の民間事業者や地域社会への提供(公表)等

顧客や取引先からの個別の問い合わせに対する回答、店舗での掲示等による公表にあたっては、原則としては匿名化した状態で提供等すべきです。個人が特定できない範囲での公表ならば、個人情報保護法には抵触しないし、プライバシー侵害にもならないはずです。

しかし、実際にはもろもろの他の情報と合わせて特定される可能性はありますし、特定される可能性があってもなお公表せざるを得ない場合もあります。

したがって、個人情報に当るとしても例外として許容される範囲にとどめ(例えば、感染拡大防止のために必要性が高い場合は②人の生命、身体保護のため必要、あるいは③公衆衛生の向上のため必要、にあたるといえます(前記個人情報保護委員会令和二年四月二日通知の二項)、しかしその際も必要以上の情報は出さない配慮が必要です。

*私の経験から

四月の半ばに、私の住む町の某百貨店の食料品売り場(他の階はすでに営業自粛中で、この売り場のある一階のみ営業)で新型コロナ感染者が出て営業中止となりました。

その際、公表されたのは「売り場の従業員一名が感染していたことが四月一六日に判明した、当該従業員は四月一一日からは出勤していなかった。」ということだけでした。私はこの店が帰宅途中にあるので、ほぼ隔日で買い物をしており、驚きました。もっと情報が欲しいという気持ちはあったものの、これ以上の情報を出せば個人が特定しまうので、この範囲で仕方ないとも思いましたし、住民から感染者をもっと詳しく公表しろという声は(私の知る限り)なく、むしろ営業再開がいつになるのかを知りたがっていました。店側の対応としてはそう悪いものではなかったと思います。一〇日後には感染対策に配慮しつつ再開して、すぐに賑わい(!)を取り戻しました。

 

著名人の感染、病状の公表

著名人については、感染や療養状況、さらには死亡についての情報がまさに氏名と合わせて広く公表され報道されています。これはおそらく公的機関による公表ではなく、関係者が基本的には本人の同意を得て公表しているものと思われます。同意による公表の前提として、本人の社会的立場によりプライバシー保護より公表が優先するべき場合であると考えられたことがあるでしょう。

これは、匿名を基本としつつ例外四兄弟に当たるかを感染拡大防止の必要に照らして慎重に判断するという上述の考え方とは異なる観点からの公表です。

著名人の感染の事実は、注目を集め感染防止への意識を高めること、感染者への差別をなくす方向に働くこと、など有益な面もありますが、逆に本人や同業者等への差別をあおる恐れもあり、どこまでの範囲ですべきかは難しい問題です。

 

若干の考察

 新型コロナと個人情報保護に関する問題は多岐にわたりますが、ここではビッグテータの利活用との関係について述べておきたいと思います。

新型コロナについては、この病気に対する共通認識が形成されていないことが議論を難しくしています。

感染拡大を恐れて人々の行動を徹底的に規制すべきだという考え方もあれば、風邪と変わらないのだから普通に生活していればよいという見方まであります。個人の考えだけでなく、国により、時期によっても大きなばらつきがあります。

感染者数が再び増えつつありますが、このことをどう見るかも問題です。検査数が増えたからなのか。死亡者数は以前のような増え方はしていないが、感染者のうち治療を要する人、重症の人はどれくらいいるのか。どんな感染者にどれ位リスクが高いのか、といったことも正確にはわかりません。

未知の病気への対応を決めるためには、まずその実態を知るために、広範囲に詳細な情報を収集、分析、周知する必要があります。

そのためには、個人の医療情報をベースとしたビッグデータの活用の必要性は否定できません。この間の対応の混乱は感染者情報の流通の仕組みができていなかったためという側面があり、そのことは冒頭に述べた医療データ利活用を推進する動きをより促進する大義名分となるでしょう。

それは悪いことではないのでしょうが、緊急事態において必要な情報の利活用と、平時における利活用とでは異なる基準で運用するべきではないでしょうか。

そこの区別をせずに、常時大量の個人の医療情報を利活用しようとすることは、(以前述べたようにそれが匿名化された情報の形をとっているとしても完全な匿名化はあり得ないことも考え合わせるなら)、プライバシーに対する深刻な脅威をもたらすように思えてなりません。

このことを、この連載の最後に改めて指摘しておきたいと思います。

 

新たな正常状態

が必要な医療基本法(中)

                          常任世話人 小沢木理

 

 そもそも私たちは、医療の理念を記す医療基本法の法制化だけを目標に活動していればよかったものが、新型コロナ感染拡大(パンデミック化)に遭遇し、医療基本法のありかたを改めて見直してみる必要性が出てきました。それどころか、避けて通れない課題となっています。

前回の原稿では、このコロナ騒動を受けて、医療基本法のありかたについて少し回り道し、グローバルな視点から考えてみる必要があるとしています。この新型コロナによる今の事態は「想定外に非ず」「俯瞰が必要」「ふたつの選択肢がある」「超監視社会に身を供する?」といった問題を提起しつつ医療基本法における医療主体の位置づけや医療崩壊を起こさないための対策、さらには医療における公益性・公共性のあり方とリンクするものがあると述べました。そして今、〝新たな正常状態〟を目指されなければ社会生活が成り行かない時に、医療基本法はそういった事態に耐えられるのだろうかという問いで終わっていました。

 

いま座して冷静に考えてみると、人間は本当の新型コロナの被害者なのかという気がしてきました。

収束が見通せないでいる新型コロナウイルスの世界の感染者数は七月一日時点で、一、〇四七万人越、死者五一万人超、さらにその数は増え続けています。この新型ウイルス感染拡大の問題は、一国で終結させられるものではないこと、長い時間付き合わざるを得ない問題であることなど、もはや誰もが認めることとなりました。これまでの生活志向、選択基準、あたりまえの多くが通用しなくなってきています。「新しい生活様式」ということばが頻繁に使われ出しました。しかしこのことばの意味には、これまでの生活志向に戻るための忍耐・努力の生活のように思えます。つまりこれまでの生活志向路線に戻るために取り入れている期間限定の生活スタイルだとしたら、それも確かに辛い日々ではありますが、それだけでは今後も訪れる試練を乗り越えては行かれないでしょう。

そもそも私たちは、医療分野に限局した医療基本法の法制化だけを考えていれば良いと思っていました。それ以外はここでは関係ないと。

新型コロナ感染拡大の問題に遭遇し、医療も社会生活の環境と密接な関係にあることを思い知らされました。従って、前回の原稿でも触れた課題はどれも、社会の構成員として不可分であり無視出来ないテーマだと私は考えています。

 

■人間の傲慢による産物

「被害者面しているんじゃないよ、人間は!」

新型ウイルス感染が収束していかないことにストレスを感じている私たちに、なぜかこんな声が聞こえてくるようです。

これまで私たちは、日本の法律、その中の医療分野の法律をつくる、それでひとまず完結。それだけで良かったはずです。しかし今、新型コロナのパンデミック化に伴い、当然その元凶であるウイルスの実体にまで関心を向けることになりました。

ウイルスには国境がありません。人や物資の往来は封じ切ることはできませんから、感染を一国で封じ込むことは不可能です。国際的な連携・連帯なくして収束は望めません。

勿論、抗ウイルス薬やワクチンに解決を求めることも必要ですし、医療体制の充実といったことも経済支援策とともに重要ですが、この先次々パンデミックやパニックになるような事態が発生したら、その度にモグラ叩きの繰り返し、対症療法しかないというのは本当の対策とは言えません。しかし当面は、国内法、国内の医療に関する法律は、その程度のことを、その範囲で可能なことを定めるしかありません。

しかし、より本質的な対策を講じるとしたら、自国内で美しい法律を仕上げることでは、今回の新型ウイルスのパンデミックや自然がもたらす大災害には、乾いた大地に一時的に水滴を落とすような効果しかなく、もっと本質的な課題に取り組む必要があります。そういう視点の取り組みがなされなければ、災害が頻発し巨大化していくことを減らしていくことは出来ないのではないかと思います。

 

・昨二〇一九年八月からアマゾンで、九月にはオーストラリア史上最大の森林火災が発生し五ヶ月もの間燃え続けました。この山火事で、人間の犠牲者以外にも十億匹以上の動物がいのちを落とし、そのほか昆虫などを含めるとはるかに大きな数字の命を失ったと言われています。森林による二酸化炭素を吸収する重要な役割をも消失したことになります。火災発生の最大の原因は少雨と乾燥でした。

・ケニアでは、新型コロナの陰でバッタが大発生し大地を食い荒らしています。国連食料農業機関(FAO)は、「生活と食料安全保障に危機的結果をもたらしている」「東アフリカで二五〇〇万人以上、イエメンで一七〇〇万人が危害に直面する」と警告。オーストラリアで大規模の森林火災を起こした原因は、インド洋の海水の上昇が関係しているとも言われています。そのほかの国々でもこの森林火災の影響で壊滅的被害を受け、加えてその国々の人々の間に新型コロナの感染が拡大しており、二重の闘いを強いられています。

・海洋プラスティックゴミの問題も深刻で、五兆個のプラスッチックが世界の海洋を漂い、海洋生物の生態を危機に晒し続けています。中でもマイクロプラスチック(五ミリ以下のプラスチック)は海に流出すると分解はされず、魚や海鳥などが飲み込んでしまいます。東京湾で獲れたカタクチイワシの八割の内臓からマイクロプラスチックが検出されていると言われますし、あらゆる海洋生物の体内に取り込まれます。多種類の海洋生物に摂を通じて結局私たちの体内にも取り込まれます。

プラスチック添加剤のノニルフェノールも海洋を漂うプラスチックに残留しています。この添加剤は牡蠣の再生能力の低下や、巻貝のメス化やオス化に影響を与えていることも判明しています。このような環境ホルモン(内分泌撹乱物質)が、一生物であるヒトにも同様の影響を与えてくることは当然です。

・「シベリアで三八度を記録か」「北極圏の山火事は高温と強風によって激しさを増している」といった記事を目にしたことがあるかと思います。

いま北極圏では世界平均の二倍の速さで温暖化が進んでいると言われています。永久凍土が溶けると、地下に閉じ込められていた二酸化炭素とメタンが放出されます。

これらによる温室効果ガスはさらなる温暖化と、さらなる永久凍土の融解を引き起こす可能性が指摘されています。永久凍土の海に流れ出す量が増えて海面上昇につながります。地盤が海水で浸水し、これまでの生活が出来なくなる人々がたくさん出て来ます。

・また、かねてから懸念されてきた宇宙ゴミ、これもこの二〇年で二倍に増え、今後更に増殖することが分かっています。「あわや、宇宙ゴミと衛星が衝突か!」という状況が現実になっています。軍事目的や企業の宇宙開発などによって宇宙にばらまかれ、制御不能になった宇宙ゴミが地球上に落下するリスクが高まっています。

このような地球温暖化や環境汚染や環境破壊による、人間のみならず生物にもたらす甚大な被害は数えきれません。人々は新型コロナウイルスで苦しんでいますが、それも、人間が生態系を無視し前のめりで欲望の達成を求めて突っ走った結果もたらされた現象とも言えそうです。

従って、犠牲者、被害者は何も人間だけでないばかりか、災害をもたらした原因の殆どが人間の行為の結果なのだといっても間違いではないでしょう。むしろ、犠牲者は人間以外の声を出せない、人間にあがなうことが出来ない生きものたちなのだと思います。自然災害(実は人災)による森林火災で、全身がただれ大やけどを負って救い出されたコアラが、結局は救いきれず安楽死させられたなんて話が珍しくないのが悲惨です。人間が関与した結果、またはその影響でもたらされた災害の多くは、一番の被害者はこういった人間以外の生きものでしょう。今回の新型コロナによる人類の危機的状況に対し、彼らからは、「被害者面しているんじゃないよ、人間は!」という心の底からの訴えが聞こえてくるようです。

生命を存続させていく為の「新たな正常状態」というのは「新しい生活様式」という期間限定の発想では全く足りないのです。科学も技術の発展も生活を豊かにしてくれます。しかしそれらが人類だけのものであって他の生物を顧みないものだとしたら、共生ではなくアタックしか考えに無いとしたら、それは生命体の滅亡に繋がる行為となるでしょう。

新たな正常状態を模索し、それを目指して行くのか否かで、人類の未来の姿が変わってくると思います。人類はみな運命共同体ですので、一国では成し得ません。しかし、わたしたちは自分の手が届く範囲内ででも新たな正常状態を目指して努力するしかありません。

 

■広く掬って凝縮させる法案を!

目の前にある手短な材料だけで組み立てた構造物は、ほどなくして欠陥や不足なものに気づき構造物を支えられなくなるでしょう。

「でもやっぱり、活動してきた私たちが求めるのは、医療基本法の実現ですしその迅速化です。取り敢えずの法案の成立を求めています。この機を逃さずに熱が冷めきらぬうちになんとかまとめあげたい。」という思いは多くの方に共通すると思われます。

しかし、これまでの経緯を見ていると、新型コロナ問題以前からこれまで私たちが議連に提案したり進言してきた内容についてさえ充分に踏まえて検討されてきたようには思えません。このまま法案がまとめられて進んで行くことには安気にしてはいられません。

 

想定外を想定した対策・体制の必要性】

社会の緊急事態に対応する医療体制こそが重要になります。それがいままでは考えられていませんでした。しかし実際には、災害などの緊急時にこそ医療崩壊が起きたり人権侵害が行われたりして患者の権利が躊躇なく損なわれる可能性が高くなります。

現在直面している新型コロナ感染症のパンデミック化については、この先も収束が見通せていません。いつまで続くのか、さらに拡大していくのか、新たなウイルスが発現するのかも予測不能です。このような医療介入が最優先される災害時の対策として、国は特別対策協議会を設け、計画や実施に必要な組織を起動させ全国体制で臨む必要があります。しかし過ぎたことではありますが、平時からパンデミックに相当するような大災害を想定し、そういう事態に対応する対策専門委員会なるものを設置し、対策を練り常にそれなりの体制に移れる準備をしておく必要がありました。災害の規模については想定外を想定し、臨機応変な対応を可能にするための体制作りでもあります。それは今後、自然災害とは別に必ず必要とされる組織体制だと思います。

その際、一〇〇年前のスペイン風邪のときの資料があるかどうか分かりませんが、少なくとも過去のSARSやMERSの時の状況を検証し、そこから得る教訓はあるはずです。

また今回の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の場合、既に始めているかと思いますが、自国のみならず海外での対応やその評価をし、次に備えるための計画をたてる専門家会議が設置されている必要があります。

このような緊急事態の対策・制度の必要性について、医療基本法の中に何らかの形で取り込むべきか、その議論は必要ですが、やはりこれからは「災害」に対しての医療体制のありかたについて、きちんと明記しておくことは現実的であり必要ではないかと思います。

 

【人権に根ざした医療か?】

さらに、改めて思うことですが、人類共通の理念は『人権』であろうと思います。もすこし広義に言えば『生命権』でしょう。日本国憲法しかり、医療基本法しかり。医療行為が、この「人権」という共通の理念に反していないかが医療の質を測る重要な物差しになっています。この理念、建て前では万人が認めるところですが、現実はそうはいっていないことが多々あります。今回の新型コロナ下ではこの理念(理想)が薄まります。止むを得ないとした患者の優先性、医療従事者や医療関係者の生命や安全が保障されない環境、さらには差別意識の生成、生活弱者が見過ごされる、仕事が無くなり収入が途絶え自滅状態の人たちの存在等々の存在が浮き彫りになってきました。経済的困窮者、介助者が欠かせない障がいを持たれている方、高齢の単身者などの生活弱者に一番ダメージを与えます。このような方々への積極的なフォロー体制が必要です。

 

関連して思うことは、去る六月三〇日の東京地裁の旧優生保護法訴訟の判決です。

中学生のとき、何も知らされず無理やり強制不妊手術を受けさせられた男性の訴えが棄却されました。棄却理由は、除斥期間が過ぎたからダメ、というものです。除斥期間とは、不法行為があったときから二〇年が過ぎると、賠償を求められなくなるという規定です。この法律は、改正前の旧民法にあった「除斥期間」と呼ばれる規定で、確か明治三一年(一八九八)に施行された約一二〇年以上前の法律です。なにごとも申請主義、訴えなければ相手の罪は裁かれないことになっています。しかしおかしいのは、法規定に則った判決という律儀な理由の前に、この被害は、そもそも私人ではない国による行為が原因であり、行ったこと自体が既に人権侵害であり犯罪に値します。国策の犠牲になった方たちに一律申請期限を設けることは、国家の誤った行為を見逃したり是認することにも繋がりませんか。国民の命と人権を守る立場のものが、その立場を行使し暴挙を行ったのですから、その責任を問われるのは当然です。国家が誤った犯罪的行為を行いながら、犠牲者だけにそれも特殊な環境下にある弱い立場の者に「除斥期間」が架せられ、期限があるからダメと法律が裁くのは不公平です。加害側が何も裁かれず償わずに済むことになる「除斥期間」が優先されるのは、まさに人権侵害が延長されていることになり、納得がいきません。国策の犠牲になった方には、「除斥期間」を設けるべきでなく被害者の申請を条件とせずとも国は自ら謝罪し賠償するべきです。

なぜ被害者は償われることもなく、侮辱をはらすことも出来ず辛い人生を一生送らなければならないのでしょう。医療という名のもと人間の尊厳を冒した場合、その罪は重いです。人権に根ざしていると言えるのでしょうか。この実態、なんとか変えて行かなければなりません。法律で表層だけ整えても、実際には把握しきれていない問題がたくさん内在しています。 

いろいろと調べ物をして行くなかで、いままで知らなかった法律があまりにたくさんあることに驚きました。複雑多岐に亘る社会ですからそれは当然なのですが、市民の利益に繋がる法律にしても、その殆どが始めて接するものばかりで、知っていなければ損するものばかりでした。「こんなものもあったんだ!」「こんなものもあるんだ」と倉庫にしまってあった高価な美術品を見つけたような、美しいけど縁遠かったものばかりでした。

果たして、医療基本法もこの美術品のひとつのように倉庫に並ぶことになるのでしょうか。一番必要としている人たち、当事者が手に取って活用できるものになるのでしょうか。そこにあることさえ知らずに通り過ぎて人生を終える人がいる、そんなことだけにはしたくないという思いです。

常に、原点に立ち返る必要があります。医療基本法を組み立てるにあたり、何よりも患者・市民の声を反映し、さらには過去の負の歴史を顧みて活かしていくことが不可欠です。

 新たな正常状態は、医療基本法という具体的課題においても必要になってきます。法律作成過程において型通りの法案や成立過程のありかたは撤回されなければなりません。そこで重要なのは『情報』です。その『情報』のありかたが民主主義のレベルの評価ともなります。少し時間が開きますが、次はこの『情報』のありかたについて書いてみたいと思います。