医療基本法制定に向けて 〜総会シンポジウムにお集まりください〜
事務局長 小林洋二
前号では、医療基本法制定に向けた議員連盟の動きについてお伝えしました。このような状況を受け、一一月二日には、総会記念シンポジウム「みんなで動こう医療基本法パートⅤ〜医療基本法で医療に人権を根付かせよう」が開催されます。
企画の概要は、このニュースに同封するチラシのとおりですが、ここで今回のパネリストのみなさんを紹介したいと思います。
桐原尚之さん(全国「精神病」者集団)は、患者本人としての立場から、精神医療における患者の人権、精神医療を一般医療に編入することの重要性を主張してきました。議員連盟のヒアリングでの桐原さんの発言要旨は、けんりほうニュース第二五九号で報告しています。
その後、桐原さんからは、「患者の政策決定過程への参画」について、以下のような具体的な提言をいただいています。
○ 基本方針(仮称)の明文化
・ 法律明文に患者の権利を推進する医療の基本方針を書き込むこと。
・ 基本方針は、共同骨子七箇条を踏まえたものとし、列挙的に書きこむこと。
・ 基本方針は、精神障害者を特別な医療の枠組みに押し込めず、一般医療と同じ枠組みにしていく方針を明文にすること。
○ 基本計画(仮称)の明文化
・ 患者の権利を推進する医療の基本計画を定めること。
・ 基本計画には、行革等を含む患者の権利を推進するためのグランドデザインを定めるものにすること。
・ 基本計画には、いつまでにどの法令を制定・改正するのかなどのスケジュールを定めるものとすること。(例えば、「精神障害者の医療の提供のあり方関する検討については、令和四年九月を目途に結論を出す」など政策の全体像が明らかになるように書き込む。)
○ 会議(仮称)の明文化
・ 患者の権利を推進する医療の基本政策を決めるために厚生労働大臣を中心にした会議を厚生労働省に設置すること。(医学部教育について検討するためには文部科学大臣、医療観察法や医療刑務所について検討するためには、法務大臣、裁判所などの参加が不可欠になってくるため、成員については閣僚を前提とする。)
・所掌事務は厚生労働大臣とすること。
○ 委員会(仮称)の明文化
・患者の権利を推進する医療の基本政策を検討する委員会を設置すること。
・患者団体を過半数とすること。
・委員会の位置づけは、厚生労働省設置法上の委員会とし、委員は国家公務員に準ずるものとすること。
・委員会の機能は、①基本計画(仮称)の作成にあたって意見をいうこと、②基本計画(仮称)の見直しの検討にあたって意見をいうこと、③基本計画の実施状況について評価をおこなうこと、会議(仮称)の決定にあたって意見をいうこととすること。
○ 地方公共団体の講ずる措置
・ 地方公共団体においても同様の機能を確保すること。
○ 附則に入れるべき事項
・ 見直し規定を設けて政策の実施状況の評価を踏まえながら見直しをできるようにすること。(見直し規定に実効性を持たせるため議連を継続すること。)
・ 厚生労働省設置法において患者の権利の推進を厚生労働省の所掌事務に加えること。
たいへん重要な問題提起であり、シンポジウムでもぜひ、議論してみたいと思います。
中原のり子さん(過労死を考える家族の会)は、小児科医であった夫・利郎さんの過労自死遺族として、過労死の根絶を訴えてきました。
故利郎さんが亡くなられたのは、一九九九年のことでした。「少子化と経営効率のはざまで」と題された遺書には、自分を追い詰めたものが日本の医療政策であることが冷静な筆致でつづられていました。
○ 都内の病院で小児科の廃止が相次いでいます。……小児科消滅の主因は厚生省主導の医療費抑制政策による病院をとりまく経営環境の悪化と考えられます。
〇 生き残りをかけた病院は経営効率の悪い小児科を切り捨てます。現行の診療報酬制度(出来高払い)では、基本的には薬は使えば使っただけ、検査を実施すればしただけ診療報酬が上がり、病院の収入となります。例えば大人の場合は、だいたい注射アンプル1本分が通常の投与量となります。しかし、体重も小さく代謝機構も未熟な小児では、個々の症例で年齢・体重を勘案しながら薬用量を決定し、その分量をアンプルから注射器につめかえて細かく、慎重な投与量を設定しなければなりません。検査にしても協力が得にくい小児の場合には、泣いたりわめいたりする子供をなだめながら実施しなくてはなりません。例えば大人なら二人三人分のCT撮影がこなせる時間をかけて、やっと小児では、CT写真一枚が撮影できるという事も珍しくなく医師・放射線技師泣かせです。現行の医療保険制度はこのように手間も人手もかかる小児医療に十分な配慮を払っているとは言えないと思います。
〇 常勤医六名で小児科を運営して参りましたが、病院リストラのあおりをうけて、現在は、常勤四名体制で、ほぼ全日の小児科単科当直、更には月一~二回東京都の乳幼児特殊救急事業に協力しています。急患患者数では、小児の方が内科患者を上回っており、私のように四十路半ばの身には、月五~六回の当直勤務はこたえます。
〇 看護婦・事務職員を含めスタッフには、疲労蓄積の様子がみてとれ、これが「医療ミス」の原因になってはと、ハラハラ毎日の業務を遂行している状態です。
〇 経済大国日本の首都で行われているあまりに貧弱な小児医療。不十分な人員と陳腐化した設備のもとで行われている、その名に値しない(その場しのぎの)救急・災害医療。この閉塞感の中で私には医師という職業を続けていく気力も体力もありません。
医療基本法の制定にむけた議員連盟の発足を報じるニュースに対しては、インターネット上、医療基本法によって医療提供者の負担がこれまで以上に重くなるのではないかと心配する声が多く寄せられました。
しかし、わたしたちが望む医療基本法はそういうものではありません。わたしたちの医療基本法要綱案は、患者が、等しく最善かつ安全な医療を享受しうるよう、国及び地方公共団体に、必要かつ十分な医療施設等の人的、物的体制を整備することを求めるものであり、その目的を達するために、必要かつ十分な医療従事者の養成及び確保に努めることを義務付けています。また、「医療施設の開設者は、雇用する医療従事者の労働者としての権利を侵害してはならない」という条項も含んでいます。
このような医療基本法を、患者・市民の側と、医療提供者側とが、一致団結して求めていきたい。そのために、今回、中原さんにパネリストをお願いしました。
漆畑眞人さん(日本医療社会福祉協会)は、当会の世話人でもありますので、みなさまよくご存知だと思います。一貫して、医療と福祉との関係について問題提起を続けており、議員連盟のヒアリング(これもニュース第二五九号で報告しています)でも、その観点から発言されました。
当会の医療基本法要綱案の、以下のような条文は、特に漆畑さんの問題意識が反映されたものです。
〇 医療は、生命の尊重と個人の尊厳の保持を旨とし、患者が肉体的、精神的かつ社会的に良好な状態にあることを目指して行われなければならない(第Ⅰ2ⅰ)。
〇 国は、Ⅲ1及び2の医療供給体制及び医療保障制度の整備を図るにあたって、医療と介護との連続性に十分配慮しなければならない(第Ⅲ3ⅰ)。
また、第Ⅰ1の医療従事者の範囲に「福祉職」を含むとしているのも、今日の医療が、漆畑さんのようなメディカルソーシャルワーカーなくしては成立しなくなっているという認識によります。
シンポ当日までに、議員連盟から何らかの見解が示されるかどうかによって議論の重点は変わってくる可能性がありますが、いずれにせよ、非常に重要な議論がなされることになるはずです。
みなさま、ぜひ、総会記念シンポにお集まりください!
「歯科の感染対策」を考えるシンポジウムにご参加下さい
福岡市 武藤糾明
シンポジウムのご案内
二〇一九年十月二六日一四時~一七時、四谷主婦会館プラザエフ七階カトレアで、「歯科の感染対策」を考えるシンポジウムを開催します。是非ご参加下さい。
B型肝炎訴訟の経過
私は、全国B型肝炎訴訟九州弁護団事務局長をつとめております。(B型肝炎訴訟というと、最近はテレビコマーシャルが定着し、八〇年頃の懐メロに乗せたものも登場していますが、私たちは、このようなテレビコマーシャルは一切行っていません。)
幼少時に受けた予防接種のときの注射器(針、筒)の連続使用によって、B型肝炎ウイルスに持続感染したとして、平成元年に札幌地裁で五名の原告が実施主体である国を訴えました。しかし、持続感染後の慢性肝炎発症には通常二〇~三〇年の潜伏期間が伴うことから、持続感染した原因を特定することが困難ではないかと予想されていました。一審は因果関係を否定しました。しかし、札幌高裁は、浄土宗の僧侶でもある与芝真彰医師の意見書と証言を採用し、B型肝炎ウイルスの持続感染が成立しやすい幼少期における感染原因が、キャリアである母親からの感染以外では、日常生活ではほとんど想定しがたく、注射器の連続使用以外に具体的な原因となり得る行為が考えがたいとして、因果関係を認めました。最高裁も、二〇〇六年、原告らがB型肝炎に持続感染したり、その結果慢性肝炎を発症したりした原因が、国による予防接種時の注射器の連続使用にあるとして、その責任を認めました。
ただ、被害者が膨大な数に上ると考えられたためか、厚生労働省は、被害者の救済を進めなかったため、二〇〇八年に一〇地裁で集団提訴をしました。福岡地裁と札幌地裁の審理は、メディアでも大きく取り上げられました。札幌地裁での和解協議を経て、二〇一一年六月には、被害者の認定基準と症状別の和解金額に関する枠組み合意である基本合意が原告団・弁護団と厚生労働大臣とのあいだで締結され、当時の菅首相は原告団に正式に謝罪し、B型肝炎根治を目指す薬剤の開発支援を約束しました。
再発防止の課題としての歯科の感染対策
注射器の連続使用は、レアケースでない限り再発を心配する必要がないかもしれませんが、全国B型肝炎訴訟原告団・弁護団が取り組んでいる再発防止の課題として、歯科の感染対策があります。
二〇一四年、読売新聞は、国立感染症研究所が調査した結果として、歯科において口腔内で使用する医療器具であるハンドピースを、患者ごとに必ず交換している割合が三四%でしかないため、院内感染が懸念されるという記事を公表しました。
注射器の連続使用ほどではないとしても、感染リスクがあり、安全な医療のためになくなるべき医療器具の連続使用であるとして、全国原告団・弁護団は、年一回の厚生労働大臣協議で、この課題の克服を求める活動をはじめました。
二〇一六年には、現場での遵守状況の調査を求め、二〇一七年五月に公表された結果では、患者ごとに使用済みハンドピースを交換、滅菌する歯科医師は五二%に上昇しましたが、一〇〇%実施にはまだ遠い状況でした。
二〇一七年には、当時の塩崎厚生労働大臣から、①標準予防策(患者が感染者であるか否かで区別することなく、すべての患者に対して同様に実践する感染防止策)の徹底が科学的に必要、②命にかかわる重要な問題でコストの課題があっても妥協は許されない、③標準予防策一〇〇%実施のために、今後も継続的に調査して向上を図る、④中医協で診療報酬上の対応も議論してもらう、との回答がなされました。
それ以前は、口腔内で使用した医療器具の患者ごとの交換、滅菌は、AEDの設置などの他の要件を合わせて実践した場合に診療報酬の加算がなされる外来環の一要素とされていました。この年の中医協の結果、患者ごとの交換、滅菌が、基本診療料(初診料、再診料)で評価されるべきこと、つまり、原則としてすべての歯科医院で実践されるべきこととされました。(全国弁護団ホームページで、パンフレットを公表していますhttps://bkan.jp/dental_pamphlet.html)
実際に、現在は、新しい施設基準に基づく届出をしている歯科医院が九〇%を超えています。現場では、すべての患者に対して口腔内で使用する医療器具の交換、滅菌等が実践されるべきことが周知されつつあります。
残された課題
他方、現場で、本当に標準予防策が徹底されているか疑問もあります。原告さんたちの実際の体験として、二〇一八年にも、B型肝炎の感染を打ち明けたら怒られた、午後の一番最後に受診するように言われた、という事例が報告されています。
確かに、以前は、歯科では問診によって血液感染しうるウイルス感染の有無をたずね、はいと回答すると別のイスに誘導したり、午後の一番最後に回されることがありました。しかし、そもそもウイルス感染を自覚しない患者が相当数存在する以上、すべての患者の血液を、感染の危険性があるものとして対応する、標準予防策が実践されなければなりません。このことは、一九九六年にアメリカのCDCで示されました。
ところが、大学の歯学部においても、それ以前に卒業した歯科医師が、進展した感染予防策をフォローする制度が保障されておらず、ベテランの歯科医師ほど、感染申告をもとに区別する感染予防法、つまり標準予防策以前の古い危険な方法を維持しているというおそれがあります。二〇一六年の調査によると、歯科医師のうち、標準予防策を理解していると回答した割合は、わずか四七・三%でした。
本年の大臣協議では、一九九六年以前に歯学部を卒業したベテラン歯科医師をターゲットにして、感染予防対策の講習を受けるよう促すとの回答がありました。
診療報酬制度の変更に合わせて、現場で標準予防策が適切に理解され、実践されるよう、原告団・弁護団ともこれから見守っていきたいと考えています。
冒頭のシンポジウムは、原告団の報告のほか、東京歯科保険医協会理事である濱﨑啓吾氏の講演や、久留米大学医学部准教授の井出達也氏のパネリストとしての参加もあります。
身近な医療機関なのに、意外と現状が分からない歯科の感染予防策について、是非一緒に考えましょう。ひとりでも多くの皆様のご参加をよろしくお願いいたします。
個人情報保護法制のはなし
第三回 個人情報保護法の改正点
〜医療情報がかかわる部分を中心に
神奈川 森田 明(弁護士)
はじめに
個人情報保護法(「個情法」、「法」)は二〇一五年に大きな改正がされ、二〇一七年五月から施行されています。今回はこの改正点について、医療分野にかかわることを中心に紹介します。
改正の趣旨としては次の三点があげられています。
① 従来の個人情報保護法では趣旨がわかりにくかった点を明確化した
② 国際的な水準に照らして不備とみられる点について、個人情報保護を前進させた
③ 個人情報保護だけでなく、「個人情報の積極的な利活用」を法の目的に掲げ、そのための仕組みを整備した
前記①にあたるものとして、
・個人情報の定義を見直して、個人識別符号も個人情報に当るとした(二条一項二号、二項)
・本人開示請求等について、裁判上請求できる権利であることを明らかにした(三四条)
前記②にあたるものとして、
・個人情報取扱事業者についていわゆる「五〇〇〇件要件」を撤廃し規制対象を拡大した
・要配慮個人情報の概念を導入し(二条三項)、通常の個人情報より慎重な取り扱いをするものとした
・消去について努力規定を定めた(一九条)
・第三者提供の制限の例外としてのオプトアウトの手続きを厳格にした(二三条二から四項)
・外国にある第三者への提供の制限規定を設けた(二四条)
・いわゆるトレーサビリティ(個人情報を追跡可能にすること)についての規定を置いた(二五、二六条)
・独立した監督機関として個人情報保護委員会を設置した(五九条)
前記③にあたるものとして
・法の目的として、利活用の推進を強調した(一条)
・匿名加工情報の規定を設けた(三六から三九条)
などがあげられます。
なお、行政機関個人情報保護法(「行個法」)も個情法と共通する内容の改正がされ、同時期に施行されています。地方自治体の個人情報保護条例については、各自治体が順次改正をすすめていますがその時期や内容にはばらつきがあります。
個人情報の範囲〜個人識別符号の導入
もともと法二条一項では、「当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等…により特定の個人を識別することができるもの…」を個人情報と定めていました。
しかしそれだけでは特定個人を指し示す文字、数字等がどの範囲で個人識別情報なのかが明らかではありませんでした。改正により一項に二号を設けて、「個人識別符号」もそれ自体が個人情報であるとしました。そして二項一号では「特定の個人の身体の一部の特徴を電子計算機の用に供するために変換した文字、番号、記号その他の符号であって、当該特定の個人を識別することができるもの」、二号では個人に発行されるカードその他の書類に記載される個人ごとに割り振られた文字、番号、記号その他の符号があたるとします。
それぞれの具体的な内容は政令で定められています。
一号について、政令では次のイからトのもののうち、個人情報保護委員会規則で定める基準に適合するものがこれに当るとしています。
イ 細胞から採取されたデオキシリボ核酸(別名DNA)を構成する塩基の配列
ロ 顔の骨格及び皮膚の色並びに目、鼻、口その他の顔の部位の位置及び形状によって定まる容貌
ハ 虹彩の表面の起伏により形成される線状の模様
ニ 発声の際の声帯の振動、声門の開閉並びに声道の形状及びその変化
ホ 歩行の際の姿勢及び両腕の動作、歩幅その他の歩行の態様
ヘ 手のひら又は手の甲若しくは指の皮下の静脈の分岐及び端点によって定まるその静脈の形状
ト 指紋又は掌紋
例えば、画像から顔認証をする場合、画像にある顔のデータを数値化してそれを照合することになりますが、その数値そのものが個人識別符号にあたり、個人情報になるわけです。
この規定により、生体認証に用いる情報が広く個人識別情報とされることになりました。その意味で実際には、従来の考え方の明確化というよりは拡大というべきでしょう。
個人情報として取り扱いを規制するのは野放しにするより良いことのようでもありますが、生体情報が個人を特定、識別する上で価値が高いことが認められたわけですから、今後こうした技術はますます発展するでしょう。近いうちにある種の生体情報が正確かつ容易に特定人を識別できる符号にできるようになるかもしれません。
こうした生体情報由来の個人識別符号は住民票コードやマイナンバーなどの人工的に付与する番号以上に正確(なりすましが困難)かつ便利な(紛失しない)個人識別情報になります。そうなるとこうした符号によるより徹底した国民総背番号制が可能となり、医療情報も含め国家が個人の情報を集約し、管理する世界が現実味を帯びてきます。
要配慮個人情報の導入
⑴ 要配慮個人情報の規制とは
改正法では、「要配慮個人情報」という概念を導入しました。これは、個人情報の中でも特に保護すべき程度の高いものについて慎重な取り扱いを規定するものです。
実は、個人情報保護条例の多くは、すでにこのような趣旨の規定を置いており、「センシティブ情報」「機微情報」などと呼ばれていました。
今般の改正で、個情法、行個法ともに要配慮個人情報の規定を置きました。そして、自治体に対しては、従来のセンシティブ情報の規定ではなく、法の要配慮個人情報の規定に合わせるように働きかけをしています。
ただここで注意すべきは、適用される法によって、要配慮個人情報をどう規制するのかが大きく異なっていることです。
条例の多くは、センシティブ情報は原則として取り扱いはできず、法令の規定や第三者機関(審議会)の意見を得てはじめて取り扱えるとしていました。
改正個情法では、要配慮個人情報を取得するにあたっては本人の同意があるか、六つの例外条項にあたる場合のみ可能とし(一七条二項)、オプトアウトによる第三者提供は認められない(二三条二項)としています。
これに対し、行個法では、個人情報ファイルの事前通知の記載項目とされている(一〇条一項五号の二)に留まり、取得や利用提供についての規制はありません。
国にとっては要配慮個人情報の範囲を広くしてもさほど影響はないのに、民間や自治体、特に自治体にとっては条例改正や改めて審議会に大量の諮問をするなど大きな負担になります。私は三つの自治体の個人情報保護に関する審議会の委員をしていて、その大変さを痛感しました。
⑵ 医療に係る要配慮個人情報の範囲
個情法二条三項では「要配慮個人情報」を「本人の人種、信条、社会的身分、病歴、犯罪の経歴、犯罪により害を被った事実その他本人に対する不当な差別、偏見その他の不利益が生じないようにその取扱いに特に配慮を要するものとして政令で定める記述等が含まれる個人情報をいう。」としています。
政令では、次のように定めています。ここでは病歴に限らず、広範囲の医療情報が含まれています。
⑴ 身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の個人情報保護委員会規則で定める心身の機能の障害があること。
⑵ 本人に対して医師その他医療に関連する職務に従事する者により行われた疾病の予防及び早期発見のための健康診断その他の検査の結果
⑶ 健康診断等の結果に基づき、又は疾病、負傷その他の心身の変化を理由として、本人に対して医師等により心身の状態の改善のための指導又は診療若しくは調剤が行われたこと。(⑷⑸は省略)
このうち⑵⑶についての個人情報保護委員会のガイドライン(通則編2-3)では次のように記載されています。
⑵関係
疾病の予防や早期発見を目的として行われた健康診査、健康診断、特定健康診査、 健康測定、ストレスチェック、遺伝子検査(診療の過程で行われたものを除く。)等、 受診者本人の健康状態が判明する検査の結果が該当する。
具体的な事例としては、労働安全衛生法に基づいて行われた健康診断の結果、同法に基づいて行われたストレスチェックの結果、高齢者の医療の確保に関する法律に基づいて行われた特定健康診査の結果などが該当する。また、法律に定められた健康診査の結果等に限定されるものではなく、人間ドックなど保険者や事業主が任意で実施又は助成する検査の結果も該当する。さらに、医療機関を介さないで行われた遺伝子検査により得られた本人の遺伝型とその遺伝型の疾患へのかかりやすさに該当する結果等も含まれる。」ただし、「健康診断等を受診したという事実は該当しない。」とされています。
⑶関係
健康診断等の結果に基づき…指導が行われたこと」とは、「健康診断等の結果、特に健康の保持に努める必要がある者に対し、医師又は保健師が行う保健指導等の内容が該当する。
指導が行われたことの具体的な事例としては、労働安全衛生法に基づき医師又は保健師により行われた保健指導の内容、同法に基づき医師により行われた面接指導の内容、高齢者の医療の確保に関する法律に基づき医師、保健師、管理栄養士により行われた特定保健指導の内容等が該当する。また、法律に定められた保健指導の内容に限定されるものではなく、保険者や事業主が任意で実施又は助成により受診した保健指導の内容も該当する。」そしてここでは、「保健指導等を受けたという事実も該当する。」としています。
さらに「「健康診断等の結果に基づき…医師等により診療が行われたこと」とは、「病院、診療所、その他の医療を提供する施設において診療の過程で、患者の身体の状況、病状、治療状況等について、医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療従事者が知り得た情報全てを指し、例えば診療記録等がこれに該当する。」そしてここでも「病院等を受診したという事実も該当する。」としています。
「健康診断等の結果に基づき…調剤が行われたこと」についても同様に定められています。
⑵⑶いずれについても「身長、体重、血圧、脈拍、体温等の個人の健康に関する情報を、健康診断、 診療等の事業及びそれに関する業務とは関係ない方法により知り得た場合は該当しない。」とされています。私がダイエットのために毎日体重を測って記録しているデータは、いかに正確でも該当しないわけです。
このように、要配慮個人情報の範囲がどこまでかは微妙です。しかも実際に存在する文書には要配慮個人情報とそうでない個人情報とが混在していることも多く、どこまでを要配慮個人情報として取り扱えばよいかはしばしば困難な問題となります。
利活用の促進〜匿名加工情報
個情法、行個法ともに法の目的(一条)に「個人情報の適正かつ効果的な活用が新たな産業の創出並びに活力ある経済社会及び豊かな国民生活の実現に資するものであることその他の個人情報の有用性に配慮しつつ…」という文言が追加され、そのための仕組みとして、ビッグデータ創出のための匿名加工情報(行個法では非識別加工情報)制度が定められました。
その検討過程では完全に個人の識別可能性をなくす匿名加工情報を作成することは技術的に困難であるという結論が出されたのに、本人識別のための照合行為等を禁止することで防止できるとして導入に踏み切ったもので、現実には個人が識別される(つまり個人識別情報が流通してしまう)可能性は否定できません。
そもそも匿名加工情報の制度を個人情報保護法制の中に規定すること自体、国際的には異例で、その是非は疑問です。
しかも、特にビッグデータの必要性が高いとされる医療情報については別途、「医療分野の研究開発に資するための匿名加工医療情報に関する法律」(「次世代医療基盤法」、「医療ビッグデータ法」)が制定され(二〇一八年五月に施行)、国が認めた専門事業者の下で広く匿名加工が進められようとしています。
ビッグデータ利活用の必要性は否定できないのでしょうが、個人情報保護の観点からは問題も多いのです。
おそらく最終回となる次回は、そのあたりの動向も含めて、医療情報の個人情報保護にかかわる最近の具体的な動きの一端を紹介したいと考えています。
医療基本法制定に向けての浮揚と澱
その二 国民の生命と健康を守る!
ほんとですか?
小沢木理
思いは同じ
議連(医療基本法制定に向けての議会連絡会)による患者・市民団体からの二回目のヒアリングで、尾辻秀久会長は、「国の最も基本的な役割のひとつが国民のいのちと健康を守ることである」と述べられた。さらに「この責任を放棄されたらもう国家ではなくなると思う」と続けられ、医療は国家の重要な任務であるということを強調された。
当たり前のことなのだが、改めてこういうことばに接すると、「あゝ、ほんとにその通り!」という思いを強くする。
しかし、そのことばへの期待に反して巡ってくる思いが自分の中にある。国家という、時には得体の知れない統率機関にもなり得る国が行うことが、必ずしも国民のいのちと健康を守ってはくれていないという事実をいくつも知っている。それは大過去のことばかりではない。ここではひとつひとつを挙げないが、国家政策によって人生を台無しにされた人々が、被害者としての救済もないまま邪険に扱われ、その人たちのいのちと健康を尊重されずに延々と闘いを強いられてきたという事実を、そんなことは知らないとはとても言えない。
ハンセン病患者をめぐる人権侵害などはまだ現在も問題が残るし、減少していかない医療事故や、救われるはずの薬剤で重篤な薬害被害者となった方々などは、現在進行形の形で複数存在している。
近年では、子宮頸がんを予防する目的として定期接種になったHPVワクチンの問題がある。このワクチンの副作用で被害を訴えるケースが続出し、定期接種の積極的勧奨は控えられたが、被害の認定や救済では停滞したまま終息させようとしている気配すらする。
しかし、これらの問題はみな国が行った政策だ。国の政策によって健康被害に遭ったのだから、国は国民の生命と健康を守るために全力を挙げて取組んでくれるはずだ。
HPVワクチンの場合も、国が「良かれ」として積極的に接種を推奨したのだから紛れもなく国の責任である。
ところが国は、そのワクチンと副作用との因果関係を証明出来ていないから被害を訴える少女たちに対して責任はとらないという。国の対応は実に冷酷だ、というより犯罪的だとわたしには思える。しかしこれが国の常套手段でいま始まったことではない。
さらに一歩踏み出し、明らかに接種後急激に現れた重篤症状を含む諸症状があるが、それとHPVワクチンとの因果関係は無いという強い否定論が席巻しだした。
ところが実際には研究者の間でHPVワクチンそのものの評価が分かれ、疑義が晴れていない。
医学は、科学は、どこまでも謙虚でなければならない。人間の知見を過信すると真実は歪みを生じ易くなる。調査や論文にバイアスがかかっていて評価に値しないものも十分にあり得る。たかだかこれまでに知り得たことが全てだと言いきることで、知り得ていない事実を見逃し不幸な結果を招いてしまうということは、これまでも幾度も経験してきたはずだ。
原爆による被爆者の後遺症認定の問題、水俣病の原因認定や補償の問題、福島原発の被災者の健康被害認定の問題しかり、国は被害者に正面から向き合うことにさえ距離を置いてきた。原因とされるものとの因果関係を認めようとしないだけでなく、その可能性すら積極的に検証することを怠ってきた。水俣病ひとつとっても、公害認定に一五年、被害者との最終合意まで四〇年あまりを要したが、これらのことから一体国は何を学習したのだろうか。
国の被害者救済への行動を阻んでいるのは金銭負担をしたくないというのが最大の理由だとするなら、それは不謹慎な理由だ。もちろん、政治とはお金の配分そのものである。しかし国の事業で起きた被害の救済は、誰が償うべきだと考えるのだろうか。
因果関係が認められるまで、歴代の被害者はどれだけの年月を費やしてきただろう。因果関係が証明されるまで被害者の苦しみに対応しないとは、国のあるべき姿ではないだろう。被害者にとっては因果関係の証明は二の次三の次の問題である。国民の生命と健康を守るという国の責務からも、因果関係の証明を待たずに国はまず救済に関わることに尽力すべきではないのか。発症状況からその被害者の存在が証拠そのものなのだから。まず被害救済を先行し、それから検証はたっぷりしっかりとやるべきだ。
救済対策とは、指定病院だけでなくどの医療機関に対してもHPVワクチンの副作用事例に関することなど必要情報の周知を図り、患者の受診に伴う経費の支援も含め、いかに被害者の負担を軽くするかという視点から諸体制がとられなければならない。
第一、おかしくはないか。誘導されてワクチンを受けたら被害に遭った。なのにその被害者に被害の因果関係の証明をさせるのって。裁判などで闘わせ、上からその経過を眺め、裁判で国(時には企業)に原因があると分かったら、そこではじめて謝ったり被害弁済したりするのって弱いものイジメそのもの、本末転倒ではないだろうか。
ただそれでも見逃してはならない重要なことが二つある。
因果関係が無いとは証明しきれていないということと、相関関係が否定されていないため因果関係がある可能性が否定しきれていないというこのふたつの事実だ。
相関関係が、後に因果関係を明らかにしていくという経過をたどることはおおいにありえる。原爆被害者や水俣病患者たちが、最終的に勝ち取った結果がその良い例だ。従ってこのHPVワクチン接種後、急激に現れた心身や脳への特異性の変化を、拙速な検証で「因果関係があるとは言えない」とする医療者側の姿勢にはとうてい信頼を寄せることはできない。
将来をも奪う負の恩恵
私はかなり以前から、インターネットで海外のHPVワクチンの被害に苦しむ残酷な症例をたくさん目にして来た。それと全く同じ症状が日本でも現実に起きていることに驚いた。重症な場合、水俣病を思わせるようなからだが勝手にバタバタと激しく暴れ出して止まらないなど、信じ難い光景が繰り返される。実際に、これらの多岐にわたる尋常でない症状に苦しんでいる娘さんやその親御さんを何人か知っており相談も受けている。
あるひとりの親御さんの話によると、「接種前に異常なことは何も無かった。ワクチン接種後、娘はまるで別人格になってしまった。以前の娘ではなくなってしまった。激しい身体症状や異常な言動を繰り返し本人も家族も毎日そのことでいっときも安らかな時間が持てていない。元々は全てにおいて優秀で将来に具体的計画を持っていたが、今は知的障害者施設で簡単な作業に調子の良い時だけ通う生活に一変した。わたしたち家族は、このワクチン接種を境に何もかもがまるで暗転してしまった。」と話す。
また、これまで何軒も、何軒もひたすら医療機関を訪ね歩いたたが、行く先々でいい加減な診断を下されたり、門前払いを受けたり、屈辱的な発言をされたりしてきた。それにもめげすあちこち医療機関を転々としなければならなかった。しかも、娘さんの人格が一変し、失神を頻繁に繰り返す娘さんを何度も救急搬送してもらったりしながらであるから、それは惨憺たる日々を過ごして来たと思う。今になって分かることだが、これは明らかに高次脳機能障害の症状である。
その親御さんは、医薬品副作用被害救済制度(PMDA)なるものの存在を知って、申請するも〝棄却〟された。不服申立申請後も同様の結果だ。
棄却理由は、該当の受診期間の医師がつけた「診断名」が『HPVワクチンによる副作用の疑い』となっておらず、単に『て○○ん』となっているという理由だ。これにはあきれ果てる。HPVワクチン副作用の疑いの〝HPVワクチン関連神経免疫症候群(HANS)〟と認定されたのは、あちこち受診を重ねてもきちんとした診断が下されず、遠方まで訪ねて行き受診した医療機関で、そこではじめて症状の正体が認知されたのだ。
しかしそれまでに受けた医療機関の医師たちは、これまで経験したことの無い症例なので「まったく分からない!」か、何か病名付けておかないと薬を出せないのでと言って、取り敢えず「て○○ん」などと適当に便宜的につけた病名だった。もちろん、申請時にPMDAにその事情は丁寧に伝えてある。
受診する医療機関(医師)はことごとく、「正直いままで出会った経験が無い。見当がつかない。全くわっかんな〜い。」と言ってお手上げ状態でさじを投げられていた状態だった。医師とはいえどこの症状に関しては全く知識が無かった。国から事前に医療機関に副作用事例の情報提供も図られていなかった。なのに、そのツケを、被害の収拾を被害者に丸投げしたに等しい。一市民が、いま起きている症状がHPVワクチンの副作用であるなど当初分かるわけがないのは当たり前。にもかかわらず、被害者や親御さんが蒙った全ての負担を、失ったものの全てを、そのままその後の人生にわたって被害者やその家族に押し付けるというはヒドイ仕打ちだ。
このPMDAという救済制度は、うわべ救済の看板が立てかけてあるに過ぎなかったのか。医師の無知を擁護し、国の無策を棚に上げ、たらい回しにされた被害者にPMDAが突きつけたのは〝棄却〟。このワクチン自体やその副作用に全く無知であった医師が便宜的に付けた診断名のみを審査の根拠とするという明らかに不誠実な態度だった。最終的に〝HPVワクチンの影響による症状〟であると診断されるまでの経緯に関する資料は十分に揃っていて説明もしているにも関わらずだ。
しかし、この関連の症状が出てから受診した医療機関のすべては、まさにHPVワクチン接種後の症状をめぐって訪ね歩いたところ。最後に受診した所でやっと〝HPVワクチンの副作用による症状〟と認知されたもので、最後に確認された診断が「特定されたもの」と誰もが考えるだろう。それまでにかかった医療機関は、同ワクチンの影響(副作用)の症状を診ていたに過ぎないのだから。
もちろんこのHANSというのは、HPVワクチン関連で引き起こされた神経免疫症候群ということを意味していて、最終病名ではなく、HPVワクチンによる多様な症状であるというということが認められたということになる。
繰り返すようだが、かすかに期待した救済の窓口でも、被害者は救済されることはなかった。審査委員たちは、幾重にも負担を背負わされ将来の人生までも奪われた被害者よりも、医師としての資格や能力を疑うような医師を肯定し優先するという前提を崩さなかった。審査員の資質の問題なのか、限りなく入口を狭めた制度なのかはわからない。いずれにせよ被害者救済制度は自動改札口に過ぎないということがよく分かった。
この医薬品副作用被害救済制度は、救済という実質的な目的が機能していない。本気で事実を把握しようとしていないからだ。診断に関しては普通に診断ミスもあるし、暫定的な診断名が付けられることもあるし、セカンドオピニオンで明らかになる診断名もある。しかしPMDAでは、審査の基準が、該当する受診期間に付けられた診断名が絶対であり、その診断を下した医師が無知であろうが診断の信頼性が無かろうがそれは全くおかまい無し、医師の評価ははじめから外してあるのだ。なるべく被害認定をしたくない方針があからさまである。これならAIに審査を委ねた方が、よほどまともな判断をするのではないかと思うくらいだ。
これまでかかった費用は、医療費や遠路の移動費、様々な経費は相当なものだったようだが、その娘さんの症状がこれ以上悪化しないでいてくれるのならまだ救われると親御さんは言う。脳に何らかの損傷を与えたためか、このままでは幼児化症状と知的障がいを背負っていく彼女の将来が不安でならないという。彼女の症状が少しでも安定してくれれば、娘から、現状のまま自分を母親と捉えることもなく避け続けられても構わないとまで言う。心配は娘さんの将来だけだと話す。
これらは、実情のほんの一片だ。
「ウーン、国は〝医療は国民の生命と健康を守るのが重要な任務〟だというのに、まるでそれに反していないか?」
予防接種名目で国民の健康管理を謳い、その結果生じた被害には率先して救済や補償対策を講じるのが国のあり方ではないのか。現在は愚か、将来までもが奪われた状態になっている、その子供たちのことを憂えないのだろうか。
目の前に、このようにHPVワクチンにより悲惨な症状で苦しんでいる娘さんたちが何人も存在する。それは紛れも無い事実だ。それも探し出してやっと出会うというレアケースではない。それでも、国側はその苦しむ姿は見えなかった振りをする。因果関係を否定することを目的にしているのかとさえ思わされる。国や医療者や、PMDAは何のために自分たちの役目があると考えているのだろうか。どうしても理解できない。
HPVワクチンは、被害者にとって将来をも奪う負の恩恵であったことを考えて欲しい。ほんとうに、「国は国民いのちと健康を守る」と言えるのだろうかという不信感がどうしても拭えない。
蓄熱しない「信頼」
ここで日常的に使われることば、「信頼」について、医療においてはどういうことが求められるかについても、少し掘り下げてみたい。
わたしたちが日頃医療に関することで求めるものにはこんなものがある。
・ 医療の質
・ 医師の質
・ 受診権の保障
・ 患者の学習機会の確保
・ 患者の参画権
・ なっとく権の重視
・複数の医療情報の提示
・リスク情報の明示と説明義務
見方を変えれば、患者にはこれらを求めるために必要な努力が求められる。しかし現状では、医療に限ったことではないが市民生活のありようは、皆が同じだとは言わないが、おおかた以下に挙げる傾向にある。
例えば豚舎や鶏舎の囲いの中にいる動物たちと同じように思える時がある。
・与えられるのを待つだけの生活
・自分の意思を持っていない
・一方的にあてがわれる
・自己決定権が無い
・限られた範囲以上の知恵が付かないように管理されている
・動き回れる自由はあるが、実は囲いの中に限られている
・最終的には強いものの利益が優先される
養鶏場や養豚場の場合、これらの制約を外し解放したら、囲いの中から出てしまい動物のコントロールが難しくなる。
話を人間生活に戻すと、つまり国は、国民を守ると同時に国民を管理することまでが任務としてある。しかし、人間は、食物としてあるのではないから、囲いの中に収めその運命を自在にすることはできない。なぜならば、国家というものは元を糺せば我々と同等の一人間であり一国民の集合体に過ぎないからだ。私たちと同じ国民で、その中から特定の役割を持たせられたというだけなので、上下関係ではないからだ。むしろ、責任の重い役割を担わされただけ、より厳しい国民の審判を受けることが求められる。
ひとたび、その任務を離れ平民になったらごく普通の一市民に戻る。
国や国家とは抽象的な存在ではなく正確に語るならば、その時にその位置(役割であって権力的地位ではない)に就いて仕事をした人のなせる結果や現状のことだ。役職で語ると、なぜか威厳を持つ効果を生むから不思議だ。これは魔法にかけられたのと似ている。手の込んだ舞台装置や照明に照らされた芸能人たちがやたらと目映く見えるのと同じ仕組みだ。衣装を脱ぎ、普段着で巷を歩けば庶民と何ら変わらない。しかし、我々はそういう演出に弱く、むしろそういう存在を好む傾向にさえある。
ここで説明を加えておきたい。「国は、国民を管理することまでが任務としてある」と書いたが、これは揶揄的な表現である。正確には、〝管理〟ではなく国民を守るために必要な業務を行い制度の運用を図ることを意味する。よって正確には〝管理〟というべきではない。しかし、現実にはかなり〝管理〟されているという印象が強く残る。これは立場や力関係の逆転である。
かつて日本では、国政に異論を言ったら非国民とされ収容された。戦後は〝アカ〟と指差され村八分にされてきた。今日ではディベートという意見を交わすゲームはあるが、リングを降りた社会では、一気にそういう自由に意見を交わすという空気がスポイルされてしてしまう。
日常生活で国民はいつも権力的立場の者に忖度するのが当たり前になっている。従順な市民が褒められるという状況は現代も変わっていない。だからか、影響力の強い者やヒーロー的な存在に判断や運命を託すのが国民性の中にある。国民性といっても天然なものではなくそのように形成されたものが大半かと思う。
こういった従順な国民性や立場上の上下という関係性は、医療の場面でもかなり色濃く残っている。そういった関係性を解消していくためには、養鶏場や養豚場の例ではないが、市民の自立意識と自立に必要なものを要求していくことが欠かせない。
つまり「信頼」は上から授けられても根付くものではないのだ。
信頼は、対等なコミュニケーションを通じて築かれるものだ。つまるところ、インフォームドコンセントの到達点を目指すことを通じて得られるものとも言えるかもしれない。
同様に、国が裁量で国民を管理するといった姿勢があるとしたら、わたしたちは国や国の制度に信用や信頼を築きようがない。
医療においても、同じことが言える。
患者の権利や自立を保障する環境整備と、患者自身の意識変革とが相まって、より熱伝導率の良い「信頼」が築かれていくのだと思う。
当事者の声は未来への扉
今年の九月、国連の温暖化対策サミットで地球温暖化対策を訴えた一六歳のグレタさんのスピーチが話題になっている。「あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね」「これまで同様、取り組んでいれば解決する、といって私たちを裏切っている。あなたたちを絶対に許さない」と大人世代を強く非難し厳しくたしなめた。これは環境問題についてであるが、共通することは、「私たち(大人)に任せておきなさい。なんとかするから。」というのはもう信用出来ないという訴えだ。環境問題はまさに次世代にこそ直接影響を及ぼす問題で、大人たちがこれまで通りの価値観や発想で政策を進めようとするのは止めて欲しい。私たちの存在を無視するな、次世代の未来を奪うな、自分たちの主張を反映せよということに他ならない。
彼女はまた、「あなた方は、私たちの声は聞いている、緊急性は理解している、と言うが、私はそれを信じたくありません」と怒りをぶつけた。
グレタさんのメッセージは全世代への貴重な警鐘に違いない。
HPVワクチンの被害は、明らかに国の政策によって蒙らされたこと。国が国民の生命や健康を守るという使命からも、実施した国自身が、因果関係について自信を持てないでいるのに、被害者にその証明を求めるなどというのは本末転倒ではないだろうか。国はなによりもまずしっかり被害者を守るための行動をすべきではないのか。そのような姿勢が、「信頼」の芽を育てていくのに欠かせない。グレタさんの訴えることばが、HPVワクチン被害に苦しむ若い女性たちの姿とどこか重なる。
当事者として声を上げていくことの重要性をグレタさんから学んだ。
国や医療は、やはり国民・患者の命や健康を守るために必要な業務や行為を行う機関に違いない。一方、国民・患者はそれらの目的に幸福な状態の中で近づけるように自らの意識改革や自立が求められていると私は考える。
仕事を任されたもの、依頼するものそういう双方の立場のセッションの中から、「信頼」は醸成していくのだと思う。
尾辻議連会長は、国民のいのちと健康を守るのが国の責務と話し、こう続けた。「そうした精神を大事にしながらやっていきたいなと思っています」
わたしたちは、尾辻会長のそのメッセージに清々しい気持ちで信頼を託したいと思います。