権利法NEWS

【編集部より】前号でご紹介した医療基本法の制定にむけた議員連盟の設立後、既に六月一四日も含め、四回の会合が開催されています。今回は、第二回、第三回の議連におけるヒアリングについて報告するとともに、小林展大さんの報告とダブる感はありますものの、第二回議連における当会事務局長の発言原稿を掲載しました。第四回以降の動きについては、次号でご報告させていただきます。

「医療基本法の制定にむけた議員連盟」 第二回の報告

川崎市 小林展大(弁護士)

第二回議員連盟の開催

二〇一九年四月一〇日、参議院議員会館一〇一会議室において、第二回「医療基本法の制定にむけた議員連盟」の会合が開催され、患者団体のヒアリングも実施されました。

 


開会・会長挨拶・役員承認

当日、私は、参議院議員会館の通行証を渡す役割があったため、約十分遅れて患者団体ヒアリングに参加しました。そのため、冒頭の約十分については、詳細は把握できておらずその報告は割愛します。

 

患者の権利法をつくる会のヒアリング

⑴ 私も所属している患者の権利法をつくる会は、医療基本法制定にむけた議員連盟に対し、「患者の権利擁護を中心とする医療基本法制定に関する要請書」を事前に提出しました。

そこには、要請の趣旨として、「安全かつ質の高い医療を受ける権利」及び「患者の自己決定権」等を国民に保障し、その権利を実現するため、医療提供体制及び医療保障制度を整備する国・地方公共団体をはじめとする関係者の責務を明らかにする法律を、日本の医療制度全ての基本法として制定することを要望する旨が記載されています。

また、要請の理由として、医療は、人々の幸福追求権と生存権の実現に必要不可欠なものであり、医療制度は、それらの基本的人権を擁護するためにこそ存在することから、「安全かつ質の高い医療を受ける権利」及び「患者の自己決定権」は、医療にかかる基本的人権として理解されるべきものであること、多くの国が患者の権利についての法律を制定していること、上記医療にかかる基本的人権を国民及び医療にかかわるすべての関係者の共通認識とし、その権利を実現しうる医療制度と、その権利が侵害された場合に、速やかにその救済が図られ、再発防止策が講じられる制度の構築が求められること、医療政策の決定過程においては、患者が参画する仕組みの整備も必須であること等が記載されています。

⑵ 議連においては、患者の権利法をつくる会小林洋二事務局長から、医療提供者と患者との間の信頼関係を構築するためには、患者の権利を双方の共通認識とし、医療提供者が患者の権利を擁護するためにその責務を果たすことが必要になること、医療提供者には医療にかかる基本的人権を擁護するという重要な責務があり、医療にかかる基本的人権を擁護していくことは医療提供者の人権を守ることにもなること(言い換えれば患者の権利擁護を医療制度の根底に据えることにより、医療提供者の権利を守ることの重要性を社会の共通認識とすることができること)、患者の権利法をつくる会では諸外国の法律、条約等を参照して医療基本法要綱案を作成したこと等の報告がありました(編集部註:この記事の後に事務局長の発言原稿を掲載しておりますので、ご参照ください)。

 

患者の声協議会のヒアリング

⑴ 患者の声協議会は、医療基本法制定にむけた議員連盟に対し、「医療基本法の早期制定を求める要望書~患者参画と医療の質の確保に向けて~」を事前に提出しました。

その要望書には、患者・国民が参加して医療政策の合意形成が行われることを担保する条項を盛り込むこと等の要望事項、医療基本法共同骨子等が記載されています。

⑵ そして、患者の声協議会代表世話人の長谷川三枝子さんから、配布資料にもとづき、患者の声協議会は医療政策に患者の声が反映されなくてはならないという問題意識から設立して勉強会を重ねてきたこと、ご自身のリウマチ患者としての経験、医療は誰もが必要とするものであるから患者の声が医療政策に反映されなくてはならないこと、患者も医療費についての負担と給付についての認識を持たなければならないこと等の報告がありました。

 

医療政策実践コミュニティーのヒアリング

⑴ 医療政策実践コミュニティー(H―PAC)は、医療基本法制定にむけた議員連盟に対し、「医療基本法の制定に関する要請書」を事前に提出しました。

その要望書には、①負担と給付のバランスに関する国民的合意を形成し、医療の質とアクセスのために必要な財源を確保し、国民皆保険制度を堅持すること、②多くの病者・障がい者が、職場、学校、地域社会等での差別に苦しんできた歴史を踏まえ、病気や障がいを理由とする差別が許されないことを明らかにすること等が記載されています。

⑵ そして、医療政策実践コミュニティー医療基本法制定チームリーダーの前田哲兵さんから、医療政策実践コミュニティー(H―PAC)の紹介、OECD加盟国の医療費の状況、歳出のうち社会保障関係費の割合、社会保障支出と国民負担率の関係、医療を受ける権利を保障するために国民皆保険制度を堅持するという理念を定めてその理念実現のために財政を確保する必要があること、優生保護法と優生思想、医療が人権侵害の道具にされてしまっていたこと、本来医療者は病者や障がい者が差別されている場合には、それらの者の権利擁護者として社会に働きかけるべきであること等の報告がありました。

 

意見交換

意見交換の時間においては、次のような意見が述べられました。

・「患者」のカテゴライズをどのように考えればよいか。

・医療政策、立法政策の中で、基本的人権がどこまで及ぶのかという観点から、「患者」の範囲をとらえていけばよいのではないか。

・国民皆保険制度の堅持という立場からすると、「患者」というのは現在、医療を受けている人だけではなく、将来的な国民(外国人も含む)も含めてとらえていると解釈することになるだろう。

・医療基本法においては、急激な医療の進歩に耐えられる理念をつくっていきたい。

・時代を超えて使える医療基本法の理念をつくるという点に共鳴する。

・医療基本法には、普遍的に守っていかなければならないもの(医療によって人権が侵害されないこと、病気になったことによって本来享受すべき人権を侵害されることがないようにすること等)を入れていくことに大きな意味がある。

・諸外国では、患者の権利法という単独法を定めているもの、医療関係法規の中に患者の権利に関する条項を設けているもの等がある。

・患者の権利法をつくる会の要綱案は、契約法の側面と皆保険制度にもとづく公的サービスとしての側面をとりいれて作成したものである。

・患者の権利を最前線に据えることで患者と医療提供者との信頼関係が構築されることを医療基本法の中で示していきたい。

・基本的人権といったときに、対立をあおるものではなく、対話につなげるという価値観の転換が求められている。

・インフォームドコンセントの最も適切な日本語訳は、情報と決断と方策の共有である。

・インフォームドコンセントは対立をあおるものではなく、一緒に決断していくという考えにもとづくものである。

・「高度の公共性に則った、患者本位かつ相互信頼に基づいた医療を構築する」という点に感銘を受けた。

・国民皆保険制度については、重要であり、堅持していくべきものである。

 

最後に

意見交換の後、第二回「医療基本法の制定にむけた議員連盟」は閉会となりました。

二〇一九年四月には、医療基本法の制定にあたって、患者団体からのヒアリングが二回予定されています。このヒアリングを十分に踏まえて、医療基本法の制定にむけた今後の動きが望まれます。

 

患者の権利擁護を中心とした医療基本法制定に向けて

患者の権利法をつくる会

事務局長 小林洋二

(第二回議連発言原稿)

 

患者の権利法をつくる会は、患者の権利の法制化をめざして一九九一年に結成された市民団体です。結成以来二八年、インフォームド・コンセントの普及、カルテ開示の制度化に向けた活動、医療事故再発防止制度の提言といった活動を行ってきました。二〇一一年以降は、医療基本法による患者の権利法制化を活動の中心に位置付けて、会としての医療基本法要綱案を発表しています。

 

わたしたち患者の権利法をつくる会の考え方は、前回の議連総会で配布させていただいたパンフレットのとおりですし、先日、要請書も提出いたしております。ここでは簡略に、ポイントのみ述べさせていただきます。

 

現在の医療基本法をめぐる議論は、二〇〇九年、ハンセン病問題の再発防止検討会が、「患者の権利擁護を中心とする医療基本法」を提唱したことに発しています。また、この年、当時の麻生内閣のもとに設置された安心社会実現会議が、「国民の命と基本的人権(患者の自己決定権・最善の医療を受ける権利)を実現するための基本法制定」を提言しています。

 

医療制度の存在意義は、患者の権利を保障し、実現するところにあるとわたしたちは考えています。

患者の権利とは、医療に関する基本的人権を意味します。それは日本国憲法二五条が保障する生存権に含まれる「適切な医療を受ける権利」と、一三条が保障する個人の尊厳に含まれる「医療における自己決定権」とを2本の柱とするものです。

このような患者の権利は、国際人権規約、WHO憲章といった人権規範においても認められているものであり、世界医師会のリスボン宣言もこれを認めています。多くの国では、患者の権利に関する法律を制定しています。

しかし、日本には、患者の権利について定めた法律が存在しません。

医療は、患者の生命や健康を護るものであり、敢えて「権利」を護る必要はない、という考え方もあるようです。

しかし、そのような考え方は容易にメディカル・パターナリズムに傾きます。そのメディカル・パターナリズムによって患者の自己決定権が侵害されてきました。そのような歴史を踏まえて、患者の権利の法制化が進んできたというのが世界的な流れです。

一方では、二〇年前、三〇年前ならばいざしらず、患者の権利はいまや当然のことではないか、いまさら法律で定める必要はないのではないか、という意見もきかれます。

そんなことはありません。

病によって身体や精神が弱った時には、自分で自分の権利を守ることがたいへん困難になります。周囲の援助がなければ、特に医療による支えがなければ、人が人としてもっているはずの基本的人権が享受できなくなってしまいます。また、その一方で、医療に頼らざるを得なくなるが故に、医療による人権侵害にさらされる危険も大きくなります。

歴史的にそういった権利侵害が繰り返されてきました。例えばハンセン病問題がそうです。優生保護法による強制不妊手術がそうです。薬害エイズ等の薬害事件がそうです。そしていまも、医療に関する自分の基本的人権が侵害されている、人権保障が実現していないと感じている患者、日常医療の中でそのように感じている患者はたくさんいます。いまは健康であっても、自分が病んだ時に、適切な医療を受けられるのか、不安を抱えている市民はたくさんいます。

そのような問題を解決し、不安を解消していくために、わたしたちは、医療制度の存在意義が患者の権利を守ることにあることを明らかにし、患者の権利の内容を明らかにする医療基本法が必要だと考えています。

 

議員連盟の設立趣意と規約には、「わが国の医療の姿を医師・医療提供者と患者、国民の間の信頼関係に根ざしたものとしていくために」という目的が謳われています。信頼関係が重要であることについて、わたしたちもまったく異論はありません。

問題は、どのようにしてこの信頼関係を構築するか、というところにあります。

インフォームド・コンセント、患者の自己決定権といったものが意識されなかった時代には、患者には医師を信頼して全てを任せる以外の選択肢はありませんでした。自分は医療の専門家である、あなたの身体のことはあなたよりも自分の方が知っている、だから何もきかずに自分を信頼せよ、というのが、医療者の患者に対する古典的な姿勢でした。

医療不信と呼ばれる状況は、このような一方向的な信頼関係が限界に達したところに生まれた、必然的なものです。

このような状況を克服し、医師・医療提供者と患者、国民の間の信頼関係を構築するためには、患者の権利を双方の共通認識としたうえで、医師・医療提供者が、それを擁護すべき自らの責務を果たすという姿勢を示すことがまず必要です。

 

また、議連の発足を報じるニュースに対しては、インターネット上、医療基本法によって、医療提供者の負担がこれまで以上に重くなるのではないかと心配する声が多く寄せられました。

ひとはみな、勤労者としての権利を持っています。当然ながら、医療提供者も例外ではありません。

それだけではなく、医療提供者には、患者の権利、医療にかかる基本的人権を擁護するという重要な責務があります。それは世界医師会のリスボン宣言にも謳われており、世界的な共通認識といえます。

自らの基本的人権を侵害されている者が、他者の基本的人権を擁護することはできません。医療提供者が疲弊し、燃え尽きて辞めていかざるを得ないような医療制度、過労によってミスを繰り返すような医療制度、極端な場合には過労自殺に至るような医療制度では、患者の権利は守れません。

患者の権利を守る医療制度であるためは、医療者の権利を守る医療制度でもある必要があるというのが、私たちの考えです。これを別な面からみれば、患者の権利擁護を医療制度の根底に据えることによって、医療者の権利を守ることの重要性を、社会の共通認識とすることができるはずです。

 

そういった問題意識を含めて、日本国憲法、国際人権規約、WHO憲章、リスボン宣言などを参照しながら策定したのが、この、わたしたちの医療基本法要綱案であり、わたしたちの考える「患者の権利擁護を中心とする医療基本法」の姿を示したものです。

 

医療基本法制定に向けては、そもそもの出発点である「患者の権利擁護を中心とする」という部分を繰り返し確認しつつ、その実現に向けて充実した議論がなされることを要望いたします。

 

第三回「医療基本法の制定にむけた議員連盟」の報告

事務局長 小林洋二

 

医療基本法の制定に向けた議員連盟第二回会合で実施されたヒアリングについては、小林展大さんのレポートのとおりですが、引き続き四月一八日に開催された第三回会合でのヒアリングについて報告します。

この日の発言は、全国「精神病」者集団の桐原尚之さん、患者なっとくの会INCAの小沢木理さん、日本医療社会福祉協会の漆畑眞人さんの三名です。小沢さんと漆畑さんは当会の常任世話人でもあります。

 

全国「精神病」者集団の桐原尚之さんの発言

桐原さんからは、まず、日本の精神医療の現状、特に世界的にみたその特殊性が説明されました。

世界的には、二〇世紀後半に精神疾患に対する開放処遇が進んできたが、日本は今でも入院中心。人口千人あたりの精神科病床数を比較すると、OECD諸国の平均が〇・七であるのに対し、日本は二・七と、三〜四倍の密度で精神科病床が存在する。平均在院日数でいえば、OECD平均が三六日であるのに対して、日本は二九八日と突出している。

日本の全病床の約二割が精神科であり、その七割は閉鎖病棟である。法的にも、非自発的入院や身体拘束を定めた精神保健福祉法という特別の法律があり、ベテランの医療者をして、「精神科は他の科と違う、医療とは思えない」と言わしめるほどの特殊な環境におかれている。そういった中で、患者に対する職員の暴行、虐待、殺害といったさまざまな事件が続いてきた。

こういった歴史、情況を踏まえて、桐原さんは、精神医療を一般医療に編入することの重要性を強調します。例えば患者の拘束の基準は精神保健福祉法三七条によって大臣が定めることができることになっているが、このような権利の制限は、精神医療に対する特別法に紐付けすべきものではなく、医療一般における患者の権利を定める法律を基礎とする法体系の中で運用されていくべきものではないか。

桐原さんは、医療基本法五団体共同骨子の中でも、特に「国民参加の政策決定」という部分に注目しているとして、政策決定過程の透明化、医療政策の評価を行う機関の創設、その機関に対する患者団体の参画などを明文で定めるべきとの具体的な提言もされました。

 

患者なっとくの会INCAの小沢木理さんの発言

小沢さんは、医療基本法をつくるにあたって、最も重要なのは、その決定プロセスのありかたであるということを強調しました。

基本法をつくるにあたっては、既存の価値観や先入観、社会的既得権者の意見を優先することはやめて、ゼロからスタートすべきである。ご破算で願いましては〜という発想で議論を始めなければならない。土台の有り様がその上に築かれる結果を左右するのだから、土台に予めバイアスがかかっていないかどうかという検証がなされなければならない。

国のありかたはわたしたち国民が決める、医療のありかたもわたしたち患者・市民が決めるというのが基本。日本医療政策機構のアンケートでは、医療制度の分かり易さとか、制度決定プロセスの公平さ、制度をつくる過程での国民の声の反映については、どれも全体の三・六%程度しか満足していない。医療政策の決定過程に、患者・市民が当事者として参画することが極めて重要である。

また、過去の負の歴史から俯瞰してみることが必要である。過去の国策によって行なわれて来た非常に非人間的な行為、非人道的な行為、それに対して国は、医学界は検証してきたのだろうか。医療基本法では、二度とそういうことを起こさせないような方向を考えるべきではないか。

そのためには、医療界は国から独立したものとしてあるべきだ。国策に思慮無く従うのではなく、医療者としての社会的責任を果たすべきだと思う。

この「独立」発言が、後の質疑応答を盛り上げることになります。

 

日本医療社会福祉協会の漆畑眞人さんの発言

漆畑さんは、共同骨子七項目の「患者本位の医療」に関連して、医療と福祉との関係を中心に発言されました。

医療基本法共同骨子の一つは、「世界保健機関(WHO)の国際的な理念と日本国憲法の精神に沿って、患者の権利と尊厳を尊重し、患者本位の医療が実現される体制を構築する」ことである。WHO憲章に明記されている「健康」を目指すことは医療が、「患者本位の医療」であることを意味している。日本医師会の医療基本法案も、WHO憲章の「健康」の定義を前提としている。

WHO憲章による「健康」の定義は、「身体的、精神的、社会的にwell beingな状態」である。身体的、精神的、社会的という三つの要素がそろってはじめて「健康」が完成する、だから締約国はそのような「健康」を実現する責任があるというのが、このWHO憲章という条約の内容である。

しかし、医療の現場ではこの社会的要素、social well beingが見落とされがちである。入院が長引けば医療機関の経営に支障が出るという仕組み等で、健康の重要な要素であるsocial well beingが切り捨てられるような医療制度上の問題がある。

自分たちソーシャルワーカーは、福祉職であり、医療職ではない。しかし、介護保険、障害者総合支援法、障害者雇用促進法、生活保護等、生活に関するあらゆる相談を通じて、医療がsocial well beingという価値の実現に繋がることをめざして働いている。このような役割が、医療の法秩序に、明確に位置付けられるような医療基本法を望みたい。

 

質疑など

短い時間でしたが、さまざまな論点について充実した質疑がなされました。特に桐原さんの提起した精神医療の問題については、最も患者の権利侵害が起きやすい場面であり、議員のみなさんも大きな関心を示していました。

印象深かったのは、小沢さんの「医療は国から独立した存在であるべきだ」という発言をめぐる議論です。

この議連の事務局長である羽生田たかし議員(元日本医師会副会長)は、医師会としては、医療は国家から独立しているという自負を持っているけれども、日本の場合、医療保険制度というものがありここからはみでることはできない、この健康保険制度は医師のためのものというよりは患者のためのものであり、そのあたりのジレンマがある、という発言をされました。

これに関連して議連会長である尾辻秀久議員が、いまの日本の医療保険制度は国家から独立しているものと理解しているのか、そうではないと理解しているのかと小沢さんに質問、小沢さんの「独立しているのではないでしょうか」との答えに対して、さらに尾辻議員が疑義を呈するといったやりとりがありました。

小沢さんがいわれる趣旨は、国の医療政策が国民の患者の権利を侵害するようなもの(例えばハンセン病隔離政策とか優生保護法に基づく強制不妊等のような)であった場合、医師はその政策に反して患者の権利を擁護する立場を選ぶべきであるという趣旨であって、医療保険制度が患者のために機能しているものであれば、それを利用することと何ら矛盾するものではないと思います。そのような趣旨が尾辻議員に十分に伝わったかどうか、やや心配な面もあるのですが、わたしとしては、議員のみなさんが、そういった一つ一つの言葉を丁寧に受け止めてくれたことをとても嬉しく感じました。

 

楽観は禁物ですが、手応えを感じたヒアリングであったことは間違いありません。

 

個人情報保護法制のはなし

神奈川 森田明(弁護士)

 

第一回 個人情報保護法制の全体像

〜「保護制度」の氾濫

はじめに

ダイエット体験記に続き、個人情報保護制度についての連載をさせていただくことになりました。医療分野の個人情報保護を中心に書きますので、ダイエット記事よりはこのニュースにふさわしいものになるのではないかと思います。

主たる目的はこのニュースに厚みを持たせるための埋め草記事とするためですが、このテーマを選んだのは、個人情報保護制度が法律家にとっても大変難解であり、二〇一五年には医療情報にかかわる部分も含め大きな改正がされてますますわかりにくくなっていることと、もともと医療分野ではカルテ開示など個人情報保護をめぐる様々な問題があることから、わかりやすい形で問題の整理をしてみたいと考えたからです。

つくる会では、「法律家にしかわからないような難しい議論をするな」「素人だからわからないと思って不正確な議論をするな」というアンビバレントな要請が生じますが、できるだけわかりやすく、かつ正確に述べたいと思います。(もっとも正確なばかりではつまらないものになるので、やや主観的なコメントも織り込みます。)

今考えている執筆プランは次のようなものです。四回、約一年程度の連載を考えていますが、延びる可能性はあります。

第一回 個人情報保護法制の全体像〜「保護制度」の氾濫

第二回 カルテ開示をめぐって〜この問題だけでもこんなにややこしい

第三回 個人情報保護法の改正点〜医療情報がかかわる部分を中心に

第四回 診療情報のビッグデータ化〜突き進む「利活用」のための条件整備

  

個人情報保護法制とは

わが国では個人情報保護について主体ごとにいろいろな法律が適用されますが、共通する基本的な考え方は「自分の情報をコントロールする権利」です。

これは、「個人情報の流通は目的に制約される」ことを基本原理として、個人情報を保有するものに取得時の目的の特定・明示、取得後の安全管理と目的内での利用・提供の義務付け、保有目的がなくなった時点での廃棄・消去を義務付け、かつ、それを保障するために情報の主体である個人に開示・訂正・利用停止等の権利を保障する、さらにそのような運用を監視する第三者機関を設ける、というものです。もちろんそれぞれの場面で一定の例外は認められますが、原則として、当初の目的の範囲内で、本人が知りうる形で個人情報を取り扱うべきだとするものです。

「自己情報コントロール権」は今日では国際的なルールとして確立していますし、わが国でも学術研究や政策上の論議では広く使われていますが、裁判所や官僚はこの概念を正面から認めようとしていません。(それどころか「プライバシー」という言葉すら使いたがらない状況で、驚くべき頑固さです。)

 

個人情報保護法制を構成する法令等

個人情報保護制度は、次のような様々な法律等により構成されています。

・個人情報の保護に関する法律(「個人情報保護法」「個情法」)

 →個人情報保護に関する通則的な部分(基本法的な部分)と民間事業者全般に関するルールを規定

・行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律(「行政機関個人情報保護法」「行個法」)

 →国の機関に関するルールを規定

・独立行政法人等の保有する個人情報の保護に関する法律(「独立行政法人個人情報保護法」「独個法」)

 →独立行政法人に関するルールを規定

・個人情報保護条例

 →都道府県、市区町村ごとに制定され、当該自治体についてのルールを規定

これらの法律・条例は前項で述べた自己情報コントロール権を実現するための基本的な構造を持っている点は共通しているのですが、例外規定の定め方等は異なっており、特に条例は自治体ごとに異なった内容のものが並立しています。個人情報保護制度は個人情報を「やり取りする」ことが前提なので、主体ごとにルールが違うと大変厄介なことになります。法制が多様化しているために運用上支障を生じており、「個人情報保護法制二〇〇〇個問題」などと言われたりしています(もっとも統一すればよいというものでもありません)。

これらの関係性を図解したのが、後記の国が作成した「ピラミッド図」と呼ばれる図です。イカの頭と足(ゲソ)のようにもみえます。

普通、法令は、憲法のもとに基本法があって、個別の法律があって、政令、規則等があるという三角形の階層的な構造になっているのですが、個人情報保護法制はどうしてこんな奇妙な形になっているのでしょうか。

 

「イカゲソ」状態の背景

〜個人情報保護法制の成立経過

一九七〇年代から、一部の地方自治体では、個人情報保護に関する条例の制定が始まっています。東京都国立市や福岡県春日市などですが、どこが一番乗りと言えるかははっきりしません。今日的な個人情報保護制度に近いという意味では春日市が有利なようです。

一九八〇年にOECD(経済協力開発機構)が「個人データの保護に関する八原則」を発表し、個人データの活用を見越したうえで、その前提としての個人情報保護の仕組みを提唱しました。これが各国の法制化の標準として広まります。

これを追い風に一九八〇年代には市町村レベルで個人情報保護条例の制定がさらに広がり、一九九〇年には神奈川県が都道府県で初めて個人情報保護条例を制定し、その後は都道府県でも条例の制定が進みます。

他方、国は、一九八八年に「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」(旧行個法)を制定しましたが、対象とする情報の範囲や本人の権利保障等で、その前後に制定された条例よりもはるかに劣る中身であり、その後も自治体は旧行個法よりも先行する条例を参照して条例制定を進めました。いわば、「イカの頭がないままに、ゲソの部分がバラバラに増えていく」状態でした。

さらに問題だったのは、民間事業者の規制について、旧行個法は(法律名からもわかるように)規定がなく、国はずっと法制化を怠ってきたことです。 

一九九九年に住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)が導入されることが決まったとき、附則で民間事業者についての個人情報保護法を制定することが定められました。これもすんなりいかなかったのですが、尻を叩かれるようにして二〇〇三年に個人情報保護法が制定され、あわせて旧行個法が大幅に改正されて現在の行個法になるなどの法整備がされました。こうしてようやく「イカの形」らしきものに収まってきたわけです。

国際的動向

海外では、OECD八原則をベースに包括的な事前規制を内容とした個人情報保護制度を推進しようとするEU諸国と、実質的なプライバシー侵害の個別救済を出発点とするアメリカがことあるごとに対立し、この分野ではEUの方が優勢になっています。最近のEUのGDPR(一般データ保護規則)では、個人情報保護に関する厳格なルールがEU域外の企業にも適用され、違反すると高額の制裁金を課されることになるため、日本の事業者も無視できず困惑しています。

情報の流通は国際的になっていますから、個人情報保護法制の在り方については海外の動向は無視できません。

  

てんこ盛り状態のガイドライン

個人情報保護法はあらゆる分野の事業者に適用される前提で作られているので、きわめて抽象的な規定が多いのです。そこでその趣旨を解説するために、ガイドラインがつくられています。二〇一五年改正後にはさらに詳しいものがつくられました。

現在の「個人情報保護法についてのガイドライン」は、「通則編」「外国にある第三者への情報提供編」「第三者提供時の確認・記録義務編」「匿名加工情報編」の四つからなります。ほかにより詳しいQ&Aもあります。    

さらに、分野別のガイドラインが多数つくられており、医療分野では例えば次のようなものがあります。

 「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」(「医療・介護事業者ガイダンス」、従来「ガイドライン」でしたが法改正に伴い「ガイダンス」に変更)、同Q&A(事例集)

 「健康保険組合等における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」、同Q&A(事例集)

 「国民健康保険組合における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」

 「国民健康保険団体連合会における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」

 「医療情報システムの安全管理に関するガイドライン」、これは一五〇頁位の詳細なもので、しかも二、三年ごとに改定されています。

 なお、個人遺伝情報については、経産省が「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」に関してQ&A等を策定しています。

医療分野はガイドラインが多い方ですが、他にも金融・信用、情報通信など分野ごとにガイドラインが定められています。

さらに民間の認定個人情報保護団体(業界団体など)がそれぞれガイドラインを定めています。

そして、「個人情報保護法」の適用については、個々の個人情報取扱事業者が規則・プライバシーポリシーを制定することが想定されています。多くの企業では、自社のプライバシーポリシーを公表しています。医療機関も機関ごとにプライバシーポリシーを持っています。

このように、個人情報保護についての「似ているようで微妙に異なる」ルールが巷にあふれかえる状況にあります。

 

同じ業務なのに適用される個人情報保護制度が違うこと

学校や病院などに言えることですが、同じ業務をしているのに設立主体によって、適用される法令が異なります。例えば、医療機関として診療行為をしている点では同じなのに、設立主体は民間事業者(個人、法人)、地方自治体、独立行政法人(国立大学、国立病院)など様々なため、適用される法律が違うのです。

これでは不合理なので、医療分野について医療機関の設立主体にかかわらず個人情報保護のルールを一本化し、あわせて医療分野の特質を踏まえた規制・利活用推進を可能にするために個人情報保護法の特別法としての「医療分野についての個人情報保護法」を作るべきだということが個人情報保護法制定時から指摘されているのですが、いまだに実現していません。その代わりに、前記「医療・介護事業者ガイダンス」を共通のルールとして位置づけようとしていますが、厳密には同ガイダンスは個人情報保護法に基づくものなので、国公立の病院に義務付けができるものではありません。

このことから、例えばカルテの開示についての義務付けの範囲などについて問題が残されています。カルテ開示は、医療現場の個人情報保護の基本的な問題ですが、その根拠はいろいろありすぎてかえって複雑な状況にあるので、次回まとめてご説明します。

テキスト ボックス: イカゲソ図「複雑な状況」とは、「遺族もカルテ開示を求めることはできます」とは言えても「遺族にはカルテ開示を求める権利があり、拒まれたら裁判を起こすことができます」というのは誤りだというようなことで、その解説を試みたいということです。

 

 

ハンセン病家族訴訟判決が六月二八日に延期されました。

 

前号で五月三一日とお知らせしていたハンセン病家族訴訟の判決言渡期日が六月二八日に変更となりましたので、改めてお知らせします。

さて、この間、五月二八日には仙台地方裁判所で旧優生保護法により不妊手術を迫られた方々が国を訴えた裁判について、当の優生保護法が違憲であることは明確に認めたものの、国会や厚生労働大臣の責任は認められないとして、訴えを棄却する判決が言い渡されました。

優生保護法は、戦前、法的根拠もないままハンセン病療養所の中で違法に入所者らに実施されていた不妊手術を、基本的人権の保障を謳った日本国憲法の下で、何の科学的根拠もなく適法にすると同時に、広く、障害のある方々に対する不妊手術を適法化してしまった法律でした。

同じ過ちを繰り返さないためには、いったいどうしてこのような過ちを起こしてしまったのか、検証することが必要です。ハンセン病問題では、この真相究明が重大な課題として厚労省と統一交渉団の間で共有されていますが、未だに検証すべき問題が山積みとなっています。優生保護法の被害者の多くは、自らは声を上げることもできない障害を抱えた方々で、その多くは既に鬼籍に入られていると思われます。

また、不妊手術という場合、精管結索術(所謂断種)が念頭に浮かびますが、優生保護法による強制不妊手術の七割は女性に対して行われています。ハンセン病療養所では男女比は三対一でしたが、優生手術は逆転し、男性三〇一件に対し、女性一一七四件と女性が三倍以上にのぼっています。産まない女性を量産する方が安上がりだったとでもいうかのような統計で、その事実を知った時には心底悪寒を覚えました。

この問題については、仙台での提訴以降、各地での提訴が相次ぎ、マスコミにも大きく取りあげられ、超党派の議員懇談会が結成されて、今年四月二四日には不十分ながら法律が成立し、ようやく被害者の一部に一時金を支給するという制度が動き始めたところでした。

誤った優生政策により、障害のある方々をおとしめ、排除した法施策の誤りを、国(国会)自ら認めたのだから、公平たるべき裁判所であれば必ず国を断罪し、一時金支給法の欠陥をも示すような判決が示されるのではないか。多くの関係者の期待は無残にも裏切られました。

原告の方々は直ちに控訴し、舞台は高裁に移ります。また各地で係属している後発訴訟では、仙台の経過に学び、除斥期間などの障害をいかに突破するか、白熱した議論が交わされているところです。

家族訴訟の判決は、この優生保護法のたたかいにも大きな影響を与えるものになります。

「価値のない生」「不良な生」などない。社会が高いバリアを下げ、平坦でやさしい環境を整備しさえすれば、誰もが生き生きと日々を生きられる。そんなメッセージを伝えることができるように、これからも応援いただきますようお願いします。          (久保井 摂)