権利法NEWS

第二八回総会を終えて 〜来年もよろしくお願いします

 事務局長 小林 洋二

一二月一日、明治大学駿河台キャンパス研究棟第九会議室において、第二八回総会が開催されました。

議案書にも報告されているとおり、今年の活動も、患者の権利擁護を中心とする医療基本法の制定をめざす活動が中心でした。そして、一一月一三日には、非公開の形ではありますが、医療基本法制定をめざす議員連盟の呼びかけ人会が開催されるところまできました。来年初めには、いよいよ議員連盟が発足することになりそうです。

議連の結成により、各政党のキーパーソンが明確になります。そのキーパーソンに向けての働きかけを活発化する必要があります。

また、「患者の権利擁護を中心とする」という私たちの医療基本法の核心部分を実現するには、これまで以上に、各患者団体との連携を強めていかなければならないと思います。

 

「患者の権利擁護」には、「患者の権利」を明文化しその侵害が許されないことを明らかにすること、それが侵害された場合に適切に回復されるシステムを備えることの二つが必要です。

患者の権利運動の歴史は、権利侵害の回復・救済を求める声に牽引されてきました。

 

日本で最初に、「患者の権利」という言葉が注目されたのは、一九八四年の「患者の権利宣言案」でした。わたしたちのパンフレット『医療基本法要綱案/案文と解説』の末尾にその全文が収録されています。

この『患者の権利宣言案』は、「個人の尊厳」、「平等な医療を受ける権利」、「最善の医療を受ける権利」、「知る権利」、「自己決定権」、「プライバシーの権利」の六項目からなります。策定、発表した「患者の権利宣言案起草委員会」の中心的なメンバーは、当時、患者側で医療過誤訴訟を取り組んでいた弁護士たちでした。

個別の医療過誤事件にどれほど精力を費やしても、同種事故は繰り返し起こり続ける。このような被害の再発を防止するためには、日本の医療に「患者の権利」という考え方を根付かせることがまずは必要なのではないか。

そのような発想で始まったのが、この『患者の権利宣言案』の議論でした。つまり、医療被害の再発はどうすれば予防できるのかということを考え続けた法律家が発見したのが、既にアメリカなどでは常識的なものになっていた、「患者の権利」というコンセプトだったといえます。

 

この『患者の権利宣言案』に基づく患者の権利宣言運動を五年間ほど続けた後、その運動の総括の中で出てきた考え方が、「患者の権利の法制化」という発想でした。

これが、わたしたち「患者の権利法をつくる会」の出発点です。

一九九一年に結成された当時のパンフレットは、こう言います。

私たちはここに「患者の権利法」を制定することを呼びかけます。「権利宣言」ではなく法律をつくるという観点から考えることは、単に個別的な医療関係における権利義務の関係を越えて必然的に「患者の権利」という観点からわが国における医療制度全体を見つめ直す作業を伴います。

患者の権利というのは、個別の医師・患者関係の間だけで問題になるものではなく、より普遍的な、基本的人権の問題なのだということは、患者の権利宣言の中でも意識されていました。しかし、それが、この患者の権利を法律にするという方向性をとったことで、より明確に意識されるようになりました。

その「患者の権利法要綱案」は、患者の権利に関する条文だけではなく、「国及び地方公共団体の義務」、「医療機関及び医療従事者の義務」の章を設け、また、「患者の権利擁護システム」にも一章を割いています。

 

患者の権利法をつくる会の結成当時の活動は、インフォームド・コンセント原則の普及が中心でしたが、これは一九九五年に厚生省「インフォームド・コンセントの在り方に関する検討会」が、報告書「元気の出るインフォームド・コンセント」を発表したあたりで一段落し、中心的な課題は、カルテ開示の制度化に写りました。同年一〇月、つくる会は、患者の権利法要綱案から独立した「医療記録開示法要綱案」を採択しています。

そして、このカルテ開示の制度化を大きく後押ししたのが、一九九六年に和解が成立した薬害エイズ事件でした

薬害エイズ事件を機に厚生省に設置された「医薬品被害防止プロジェクトチームは、一九九六年七月に報告書「医薬品による健康被害の再発防止について」の中で、カルテ開示問題に関して検討の場を設けることを提言しました。また、翌一九九七年七月、同じく薬害エイズ事件の関係で行われたNIRA「薬害再発防止システムに関する研究」中間報告は、「患者の中心の医療の確立」のために、カルテ開示を含む患者の権利法制定を提唱しました。

このような動きが、厚生省の「カルテ等診療情報の活用に関する検討会」によるカルテ開示法制化の提言(一九九八年六月)につながり、各種ガイドラインによる自主的カルテ開示の取り組みを経て、二〇〇三年五月の個人情報保護法によるカルテ開示法制化に結実することになります。

 

この時期はまた、医療事故問題が社会の注目を集めた時期でもありました。

一九九九年以降、横浜市立大学付属病院患者取違事件、都立広尾病院消毒薬誤投与事件をはじめとして、多数の医療事故が報じられ、医療事故再発防止が政策課題として浮かびあがりました。このような状況に対応して、つくる会は、二〇〇一年に権利法要綱案を改定し、「安全な医療を受ける権利」を患者の権利の中に明確に位置付けました。また、この安全な医療を受ける権利を保障するため、医療被害の報告制度、原因分析と再発防止制度及び被害補償制度の確立を求める制度提言として、「医療被害防止・補償法要綱案の骨子」を採択しました。

医療事故再発防止のための制度をめぐる議論には、紆余曲折がありましたが、二〇一四年の医療法改正によって医療事故調査制度が創設されています。

 

二〇〇一年五月の、らい予防法違憲国賠訴訟熊本地裁判決とその確定も、患者の権利法制化に関する議論を大きく前進させました。

厚労省の設置した「ハンセン病問題に関する検証会議」は二〇〇四年七月に「公衆衛生等の政策等に関する再発防止のための提言(骨子)〜ハンセン病問題における人権侵害の再発防止に向けて」を発表し、その柱として「患者・被験者の諸権利の法制化」を提言しました。

同年、つくる会は権利法要綱案を改定し、患者の権利として、「病気及び障害による差別を受けない権利」を、国及び地方公共団体の義務として、「病気及び障害による差別を撤廃する義務」を新設しています。

さらに、上記の提言を実現するために設置された「ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」は、二〇〇九年四月、「患者の権利擁護を中心とする医療基本法」の制定を提言しました。

これを受けて、つくる会は、従来の「患者の権利法要綱案」の全面的な見直しに着手し、二〇一一年一〇月、「医療基本法要綱案」を発表しました。また、上記「再発防止検討会」の提言に基づき、日本医師会をはじめとする医療提供者側の団体も「医療基本法」についての検討をはじめ、それぞれの草案や見解の発表が相次ぐことになります。

 

来年は、あるべき医療基本法の姿だけではなく、現実に制定される医療基本法の具体的な内容が問題になってきます。患者、市民側と、医療提供者側の思い描く医療基本法のイメージを重ね合わせて合意を形成するまでには、なお粘り強い努力が求められるでしょう。

このような段階であればこそ、わたしたちは改めて、患者の権利確立の運動を牽引してきたのが、医療によって人権を侵害されてきた人たちによる被害救済、権利回復の闘いであったことを思い起こす必要があると思います。そしてまた、精神病院身体拘束事件、旧優生保護法強制不妊手術をはじめとして、現在進行形で続いている闘いがあることも。

 

医療基本法による患者の権利法制化実現のために、来年もいっしょに頑張りましょう。

 

 

 

 

 

医療基本法法制化の実現をめざしみんなで動こう!『医療基本法』パートⅣ

~患者の権利侵害の予防と救済に向けて~

 

弁護士 鹿島 裕輔

 

第1 はじめに

患者の権利法をつくる会では、患者の権利擁護を中心とする医療基本法の制定を求め、これまでに患者の声協議会、H−PACとともに「みんなで動こう!『医療基本法』」と題するシンポジウムを3回行ってきました。

して、今回はパート4として、患者の権利侵害の予防と救済の視点から医療基本法の必要性を考えるシンポジウムが行われました。

 

第2 基調報告

まず、始めに、患者の権利法をつくる会・事務局長の小林洋二弁護士より基調報告が行われました。一九八四(昭和五九)年一〇月一四日に「患者の権利宣言案」が出されたことをきっかけに、「権利宣言」ではなく「患者の権利」という観点から法律をつくるために患者の権利法をつくる会が一九九一(平成三年に「患者の権利宣言案」をより具体化し、かつ国及び地方公共団体の義務や患者の権利擁護システムなどの新たな条項案を盛り込んだ「患者の諸権利を定める法律要綱案」を作成し発表したこと、その後一九九二(平成⑷年に起きた都立広尾病院事件を始めとする医療事故の増加や医療崩壊による医療に対する不信が生じていた中で、「患者の権利法」から憲法一三条、二五条の理念を具体化する医療政策の基本法としての「医療基本法」の制定を目指すようになったこと、「医療基本法」を制定することにより患者の権利を根底に据えた医療制度の構築が必要であることなどをご報告されました。

 

第3 各パネリストの報告

次に、医療の過程で生じた権利侵害による被害の回復と救済、再発防止の活動に取り組まれている6名の方々より報告がなされました。

医療事故被害者遺族・医療の良心を守る市民の会の代表である永井裕之さんは、医療は国民すべてがお世話になるものであり、医療者を含めた国民の誰しもが医療被害に遭遇する可能性があることを示し、医療制度の目的である患者の権利擁護のためにも医療基本法の早期成立が必要であることをお話された上で、都立広尾病院事件についてのご報告とともに、医療事故調査制度の課題をご報告されました。

全国ハンセン病療養所入所者協議会の事務局長である藤崎陸安さんは、約九〇年の長きにわたって行われてきたハンセン病患者への強制隔離収容政策による患者の権利侵害の実態、ハンセン病患者の権利侵害の回復・救済に向けた裁判や行政との闘いの経緯、このような闘いを経ても現在でも国民の間に根付いた差別意識が払拭されず、未だに根強く残っており、現在でも偏見・差別に脅える入所者やその家族などが被害に遭っていることなどをご報告されました。

 薬害肝炎全国原告団代表の浅倉美津子さんは、自身がC型肝炎患者となった際、危険なお産をしてしまった自分のことを責めてしまったこと、その後、薬害肝炎事件の裁判が始まったことをきっかけに、フィブリノゲンの投与の記録がされている看護記録を見た際に、自分を責めていた感情から解放されたこと、自ら原告団に加わり、裁判闘争を経て国との基本合意を交わしたが、それで闘いは終わることなく、恒久対策、再発防止、個別救済の3本柱が確立されるまで現在も活動を続けていること、特に差別偏見の問題では医療現場での偏見差別が圧倒的に多いこと、現在ではHPVワクチンの副作用により若い女性たちが被害に苦しみ、闘っていることなどのご報告があり、患者の権利が侵害されないための制度、侵害された場合に被害が回復・救済されるための制度が医療基本法で保障されることの必要性をお話されました。

優生保護法被害東京弁護団の前田哲兵弁護士は、旧優生保護法に基づく強制不妊手術による被害の実情、現在までの取組み、被害の再発防止・予防と救済のあり方についてご報告されました。その報告の中では、一九四八(昭和二三)年に制定された優生保護法の考え方は、人を優秀な人と不良な人に分け、不良な人は不要とする考え方であったこと、被害の実情としては、原告の苦悩として子どもをもつ機会を永遠に奪われたこと、四〇年以上も連れ添った妻にさえ強制不妊手術を受けたことを打ち明けることができなかったこと、原告の家族(姉)が原告の手術のことを祖母から口止めされ、今回の裁判に至るまで六〇年以上も誰にも言えずに秘密を抱えてきたこと、これまでの取組みとしては、現在、国会では、超党派議連が結成され、議員立法を目指していることが報告されました。そして、被害の再発防止・予防と救済のあり方として、医療基本法により患者の権利を確立すること、医療提供者が患者の権利侵害に加担してきたことから医療提供者を「患者の権利擁護者」として位置づけることの必要性をお話されました。

最後に精神科医療における患者の人権と司法的課題として、三枝恵真弁護士と精神科病院における身体拘束を原因に亡くなられた裁判で闘われている原告の方による報告がなされました。その報告の中では、精神科医療における患者の権利、身体拘束により生じる肺血栓塞栓症のリスク、精神科病院における身体拘束の法的根拠、身体拘束の適法化要件についてご報告がなされた上で、現在行われている裁判の現状と原告の方による被害の実情についてのご報告がなされました。

 

第4 パネルディスカッション及び質疑応答

その後、6名のパネリストによるパネルディスカッションと会場参加者からの質疑応答が行われました。

パネルディスカッションの中では、各パネリストによる報告の中でも出てきた偏見差別について、医療基本法の制定により解消されるのか。それだけで足りるのか。他に手当が必要ではないかとの話題があがりました。それに対しては、医療基本法が制定されることで現在よりも1歩でも前に進んでほしいという望み、医療現場で偏見差別が多いという実情に鑑み、この患者の思いを医療関係者に届くようにしてほしいという思いがあるとの発言がありました。また、差別の禁止に加えて、医療関係者の権利擁護者としての立場を明確にする必要があること、すなわち医療者は社会でゲートキーパーの役割を持っており、その役割を果たすためにも医療者の側からも医療基本法制定の必要性を訴えてほしいという発言もありました。

さらに、正しい医療知識の普及によって差別が解消されるのかという点については、医療現場で偏見差別が多いという実情からして、医師に対する人権教育が必要である旨の発言もありました。

また、医療事故調査制度の問題については、大学病院や特定機能病院が報告していないのが多く、大学病院の中で差が出てきていること、今の制度は死亡だけ扱っているが、植物状態になったときもしっかり原因を調査してほしい、メディアとしても医療事故調査制度の問題をいろんな角度から分析して発信してほしいという発言もありました。

 

第5 総括

最後に明治大学学長特任補佐の鈴木利廣弁護士より、本日のシンポジウムについての総括がなされました。

患者の疾病像に対する偏見については、正しい医学的知識を持っていれば差別偏見はなくなるのかというとそうではなく、もっとも激しい差別をしたのは医療者である以上、知識があっても人権感覚がないとだめであること、そのための医学教育が極めて重要であること、精神科病院における身体拘束の問題では人手不足によって管理が十分でないという問題もあること、ヒューマンエラーからシステムエラーへと変わり、制度が希薄であることによって、患者の擁護者が侵害の道具として使われてきていること、患者の権利の中核としてのインフォームドコンセントの重要性、すなわち医療の中身を患者と医療者が一緒に決める、情報と決断、方策を共有することにこそ人権侵害防止機能があること、患者と医療者が共同して侵害を防止し、権利を確立していくことが必要であること、これから基本法を国会で作るプロセスでは、十分に論点を出させるためにも、我々はそのプロセスを監視する必要がある。良い法律ができても死文化してしまっては意味がなく、法律を生き生きとさせるのは国民の役割であることを認識し、医療基本法の制定に向けて、ともに取り組んでいきましょうとの発言がなされました。

 

 

患者の権利がいま立っている所

常任世話人 小沢 木理

今の事情

 今日では、老いない、死なない技術が近未来に可能になると予見されるほどにまでなっていますiPS細胞(人工多能性幹細胞)の樹立が可能になり、AI人工知能)の想像を超えた速度での進歩などなど、生命自体の考え方にすら影響を与えかねない時代の背景があります。臓器移植の実践を経て人間をパーツの集合体として考える時代をも経験してきています。医療で用いられる「死の三兆候」、それらは全ての不可逆的な機能停止と捉えてそれでこれまでは済んでいました。ところがそれも、恐らく「脳死」ということばの意味も生体現象の一症状くらいに認識され、脳移植の選択が残されており絶対死とは捉えられない時代もそう遠くない気がしています。可能性としては、です。それもごくごく限られた極上の層の人にとっての話です。

 もっと至近距離に目を向けると、医療事故、薬害被害、経済的事情で医療を受けられない等々、医療現場では泣き寝入りや患者の権利がないがしろにされているといった現実、患者が抱いている不満は数十年前と比べ目を見張るほど大きくは変わっていません。科学の進歩と医療を受ける一般庶民との乖離は一層広がる感さえあります。

振り返ると

 日本での患者の権利運動は、一九八四年の「患者権利宣言(案)」(患者の権利宣言全国起草委員会)の発表に端を発した、或は大きなきっかけとなったのではないかと言えます。この権利宣言運動を継承しその七年後の一九九一年に当会「患者の権利法をつくる会」が結成されました。当会では患者の権利を具体的に示した「患者の諸権利を定める法律要綱案」を発表し活動を開始しました。患者の権利を全面的に記し、それを法制化する案を作成したのはわが国ではじめてであり歴史的な節目と言えます。

当時から、今日に至るまでそのスローガンは一貫しており変わっていません。

〝与えられる医療から参加する医療へ〟〝医療制度全体において国民の参加権の確立〟といった患者こそが医療の主体者・主人公であり自己決定権を持つことを明確に示しています。

 

 日本における患者の権利運動は、つまり一九八四年を起点とするとそれから三四年。「権利法要綱案」発表から二七年。国の大罪であるハンセン病政策の検証会議再発防止検討会(日本医師会・日本病院会・日本病院協会・日本薬剤師会・全国自治体病院協議会・法律家・薬害被害者などの構成員からなる)が二〇〇九年に出した最終結論の方針は『患者・被験者の諸権利の法制化』であり、患者の権利擁護を中心とする「医療基本法」制定の必要性が提言されました。それから既に九年が経ちます。

 当時、この再発防止検討会の提言を受け、長年患者の権利の法制化を目指して関わってきた一人として、これまで微動だにせず法制化を阻んできた“巨大な岩が動いた!”と欣喜雀躍しました。なにしろこの検討会では多数の構成委員を占める日本の代表的な医療関係組織がこぞって出した結論なのですから、決定的な進展に繋がると大きな期待を寄せました。今年中? 或は翌年中? に〝動く!??〟と思ったのは私だけではなかったと思います。これで患者の権利の法制化の動きが一気に加速するであろうと。

 しかし、この段に至ってもそんな期待に応える動きにはなっていません。考えは甘かった。巨大な岩がそんなに簡単に動くはずはありませんでした。

 一方で、私たち患者の権利法をつくる会は、患者の権利の法制化運動を、さらに深化、進化させるために「医療基本法」として医療のグランドデザインを構築し、そこでステークホルダー(医療に関わるすべての立場の人たち)としての捉え方とその責務を明記しつつ、医療の目的や理念、つまり患者の権利を保障する制度を確立することを目指すことになっていきました。

 

 この間、日本医師会をはじめとする医療関係者や団体との交流や意見交換会の場を設けてきました。当時日本医師会常任理事の今村定臣さんにも多くの交流の機会を設けていただき相互理解のためにご尽力いただきました。これらの機会を通じ、意思疎通をはかることができ、成果を実感することができました。しかし、“巨大な岩”は、少し動いたかに見えたのですがそんなに簡単ではなくやはり元の位置のままです。“巨大な岩”とは定位置に固定されている権力構造・組織や体質のことです。

またこれまでに、共催や当会単独主催で医療基本法の制定を目指してのシンポジウムを一〇回以上開催して来ました。そのうちの何回かは日本医師会や医療関係者の参加もいただき有意義な時間を持つことができました。今もその感想は変わらないしその延長線にあります。しかしいまのところ、寄せては返す波のようというのか、近づきたいのに遠ざかる、医療関係団体と良い距離感が築けているかというとなかなか簡単ではなく、残念ながらまだまだその距離を縮めきれていません。

 

 ここ最近の「医療基本法」をめぐる当会の活動を、開催されたシンポジウムを中心に以下に挙げてみます。(次頁 二〇一五〜二〇一七は患者の声協議会とH−PACとの三団体共催)

 

 このように振り返ってみると、きめ細かく患者団体、市民団体、医療関係団体と意見交換を重ねてきたことをなぞることができます。

つまりこれまで、「みんなで動こう」というスローガンのもと、第一弾は、患者側・医療従事者側との対話の場であり、第二弾は医療基本法の制定を求める多くの患者・市民団体、医療従事者団体の結集の場といえます。そして第三弾は、法律をつくる側の国会議員を交えての対話の場でした。形の上では全当事者の立場の人たちが医療基本法の必要性についての認識を共有したことになります。形の上では、です。

さらに続く第四弾は、具体的な例として、医療基本法が患者の権利侵害の予防と救済にいかに重要かを確認する作業と言えるかもしれません。

 この時点で、医療者側や国会議員の中で何らかの動きがあることは事実のようです。ただまとめようとしているその中身が不安視されています。本来患者が求めるものとはならないのではないかという不安です。また一般世論の高まテキスト ボックス: 2009.10「今こそ患者の権利・医療基本法を!」
2010.10「医療基本法の制定を!」
2011.10「みんなの医療基本法」(多分野の方々が発言)
2011.10「医療基本法要綱案」(世話人会案)公表
2012.11「医療基本法」制定に向けて りもないまま進められていることもあり、動いているという実感はまだ希薄です。

 

梯子は外されている?

 二〇一四(平成二六)年には日本医師会が「医療基本法」の制定に向けた具体的提言(最終報告)を発表しています。わたしたち共同骨子を発表している五団体は、日医案との擦り合わせが行なわれることを期待していますが、思うようには進んでいません。

 一方よく取沙汰される医療者の労働環境をはじめとする医療者の権利や人権擁護対策の問題ですが、それは医療基本法に含めるのではなく医療基本法に基づいて対策や制度整備が求められるものではないかと思っています。医療者の労働環境や人権問題は、他の職業と同様に重要な問題であり、患者の権利擁護の観点からも当然無関係なことではありません。

  そもそも、医療の主体者としての患者自身が、その人権を保障する法律を求めて様々な活動や努力を重ねて来ましたが、その殆どは現場ではチャラにされてきました。患者の権利が保障されているという実感を求めてきましたが、結局その思いもことごとく捨てて来ました。ひたすら患者の権利が実質的に保障される日が来るのを待ってです。ですがその期待も子供のうわごととして聞き置かれるだけで、法律が出来たからといってこれまでの不満がスッキリ解消されるものではないことが分かって来ました。基本法というのは理念の骨格に過ぎないからです。仮に医療基本法が法制化された場合でも、当会が何度も推敲し改訂を重ねてきた「患者の権利法要綱案」やその後の「医療基本法要綱案」に明記されている患者にとっての重要で具体的な規定が、バッサリ切り捨てられてしまうということのようです。

 法律案は、国会議員と内閣が提出することができるのですが、当会の患者が望む法律案はどのように反映されるのか、殆ど無視されるのか塀の向こう側のことは窺い知ることが出来ません。国会議員が主体者(政策過程から医療に参加するべき主体者)の譲れない主張(核心部分)を反映する気があるのかも皆目見当がつきません。逆にわたしたち患者側の主張が少しでも聞き届けられるために、わたしたちは議員たちにゴマを擦って擦り寄って行かねばならないとしたら、料亭政治ではないですが全く基本法の精神からは外れて行きます。施し、宛てがわれるという従来然とした双方の上下関係を踏襲しその意識をさらに固定化していくことになります。しかも、議員提案されたとしてその原案を作成するのは内閣法制局です。所管する各省庁を経て行くのか法律に疎い者にはその蚊帳の中のことが分かりません。つまり、法律が成立するまでのプロセスは変えることが出来ないでしょうが、扉の入口まで行って請願を出すも、そのあとは塀の中、蚊帳の中のことなので全く丸投げになるということです。そのことが市民感覚からいって全く容認できません。市民の立場としては、慣習化した既定路線自体を前提には考えません。納得できないことは受け入れられない、それこそが健全な感覚だと思います。まためざす目的は「信頼関係」とするも、標語ありきでなく結果として患者側から生まれるものです。宛てがわれの法律では信頼は生まれません。

 「手取り足取り、一患者団体がもの申したからと言ってその合意を得られなければ何も前に進むな」ということを言っているのではなく、法律案作成に、いかに患者団体(複数の)の具体的提言を検討し反映すべきものを反映したかが、法律成立前に窺い知ることができないのはやはり我々市民はエサを投げ入れられて飼われている畜産動物の扱いと何ら変わりません。この構図が変わらなければ憲法の保障する主権者や一三条、二五条自体が無効状態になります。

国民主権だの患者主体だのとことばだけが踊らされますが、実質は紙人形でしかないのであれば昔とひとつも変わっていません。しかし、まだ耳元で「なんだかんだ言っても、水面下でのやり取り無しには何も動かないんだよ!」という先達の囁きが聞こえてくるかのようです。政治的取引でなければ、〝策〟を講じることは無論必要ではありますが。

 

国会議員に期待するもの

 二〇一八年五月に行なった院内集会では、参加された衆参の議員さんがこぞって『“医療基本法”は必要だ。超党派の議議員連盟をつくり早々に取り組みます。』と言っていました。ん?あれは群集心理?同じ場にいて異論を発せるような空気ではなかった?と揶揄したくなる気がしてきます。いや、きっと真摯にお話しされていたと思います。確かに抱えている問題は山積しているのは分かりますがやはり、ただ医療の基本法の重要性に対し、その本気度、優先度が高くないということなのでしょうか。

 その後、日本医師会案や医師資格所有者の議員さんが主導で「医療基本法案」がまとめられようとしているという話しも聞こえてきます。患者・市民は蚊帳の外、それだけは勘弁してください。少なくとも当会が発表した医療基本法要綱案の内容から後退するような法案は決して出さないで下さい。そのことはしっかり声を大にして訴えていきたいです。

 

 二〇一八年一一月のシンポジウムでは、現役の医師でもある古川俊治(自由民主党)氏は、医療基本法自体に財源の問題も含めてではあるが「懐疑的だ」と述べ、出来ても現実は何も変わらないだろうとかなり後ろ向き発言をされました。しかし、最終的には「とは言うが機運が高まれば、自分も前向きに取り組む」といった趣旨の発言でまとめられました。この発言には複層的な意味が込められていると思いましたが、なぜかわたしは共感するものがありました。この「出来ても現実は何も変わらないだろう」というフレーズにです。

「医療基本法」が出来るかもしれない。でも名称は立派でも「仏作って魂入れず」では、無いも同然です。当事者が必要とする納得できるものでないと、一方的に他者の判断で「コレ、あなたのこと考えて作ったモノよ!」と宛てがわれても受け入れられません。子どものランドセル買うのと同じ、本人の体の状況を知り本人の意向を聞いて買わないと使いにくい不具合の多いランドセルになりかねません。

「医療基本法」が出来たとしても、そのあと既存の関連の個別法の法整備にまたさらに多くの時間を要するでしょう。そして何よりも、官民挙げて主体者としての医療消費者の学習の機会をしっかり確保しないと、多くに人が“制服作って、着ないまま卒業(?)しちゃった”ってことになりかねません。

「医療基本法が出来ても現実は何も変わらないだろう」という憶測が現実のものとならないためにも、一方的な供与とならないようにしていく必要があります。

 

 ここまで悲観的な話しが続きましたが、国会議員に動く意思が全く無いとは思っていません。事実なんらかの動きがあるようです。ただ、「わたしたちに任せておきなさい!」、このスタイルは呑めません。

「わたしたち医師でもある国会議員が考えて、作ってあげます。」式はゴメン願います。「だってそうでしょ。わたしたちが動かなければ出来ないんですよ!あなたたちの主張はもう聞きました。分かった上で進めているんですよ。」と言われて、「ああそうですか、あとはいいように判断してお願いします。」と言えるでしょうか。

 やはり、二〇一七年のシンポジウムで、当時無所属で民進党の川田龍平氏は、「国会議員になっても、政党の中の医師資格を持つ議員が医療政策担当になるという風潮があり、医療政策がどうしても医師主導となってしまう。また、患者本位の医療の実現、持続可能な医療、患者の諸権利の明記、患者の政策過程への参画については、ちゃんと患者の立場が代表されるような人が複数入るような規定というのが必要ではないか。」と発言されています。

 これまでもセレモニーとして当事者(患者や被害者や市民といった)を審議委員の一人に加えるということは行なわれて来ました。しかし、それは形式上であって外部に釈明できる形をとるためであって、積極的に優先的に当事者の意見を吸い上げる姿勢にはないと感じています。「聞いてあげる」ではなく「ぜひ聞かせてください」でなければいけません。受益者=施しを受ける側は弱者、と捉える姿勢を変える必要があります。

 これらのことからも示唆されるように、国会議員の方々には、優越的態度で事案を対処するのでなく、謙虚さとあくまでも当事者(国民・市民)の代弁者だという自覚を持って持てる能力を発揮して欲しいと思います。

 

謙虚さは不可欠

 常にわたしは、どんな立場や職業の人にも「謙虚であれ!」と言っています。つまりどんなに有能な人でも人間としての弱さや不完全さを持ち合わせているからです。医療職の人も同じで、社会的に影響力のある職業の人はなおさらその姿勢や判断に謙虚さが求められます。やはり二〇一七年一一月のシンポジウムで、立憲民主党の阿部知子さんが「私は今回の医療基本法に必要性があるという立場だが、単に患者さんが医療を受ける権利うんぬんではなく、医療そのものがその方の自由権や社会権を時に奪うものであるということに対しての視点を持っていただきたい」と話され、さらにはハンセン病のらい予防法を例に「繰り返すが、医療や治療という名においてその方に奪ってはならないものがあるという視点をぜひ医療基本法には入れていただきたい。もちろん医療が保障される、生存が保障される、提供されるべきことは言うまでもない。そこにおいては患者の権利の基本法を作っていただきたい。」と話された。子宮頸がんワクチン問題にも触れておられたが、実際に、旧優生保護法にしてもそうですが、国や医療者たちが独占的に決めて実践した医療政策が決定的に人権侵害を犯す結果になっている例はいくつもあります。ですから、社会的に統制や影響力を行使できる立場の人には「徹底した謙虚さ」が不可欠です。その視点でいえば、医療制度に主体者(患者市民)の権利擁護を基軸に置くことはごく当たり前のことなのです。

 さらに阿部知子さんは、医師の資質についても言及し、医師たちが起こした集団レイプの事件を憂いておられました。実際、医療職の方々の職場内外での性的暴行事件やセクハラ事件は一般社会と比べてもひけを取らないかそれ以上とも思えるほど頻発している実態があります。被害が患者の場合、密室同然の部屋で無抵抗に近い状態です。医師による性的暴行は二重三重にその罪は重いはずです。職業に聖域はありません。「謙虚さ」は共有すべきものです。

 

患者参加権は譲れない 

 もうお分かりだと思いますが、「わたしに任せておきなさい!」「専門職として能力のあるわたしたちが作ってあげます」式はもう通用しないのです。もう古すぎるのです。ものごとを諮る時の任命者に、有識者とか第三者とかいう区切りかたに終始するのは前時代的です。当事者参加優先が原則の時代です。いじめの検証をするにも、教育機関がしがらみや組織に縛られた人材で検証委員会を構成し、しかも被害当事者の家族にも非公開で行なう検証会議などに信頼を置けるわけがありません。対象となるテーマに、自由にものが言える立場の人でなければ中立的・客観的な見方は出来ません。原則として当事者は、関係するどの場面でも参加することができる基本的権利があります。

 

わたしたちの課題

 冒頭の方にも書きましたが、当会結成以来27年、それももうあと少しで28年を迎えます。当会を支えて来てくださった会員さんたちも段々思うように行動できなくなってきていても不思議はありません。道は目の前にずっと先の方まで続いているのが見えますが、バトンを渡す人が目の前に見当たりません。かといって、少し前方に医療基本法法制化への兆しというくつろげる花園がまだ見えてきてもいません。ただ、道や目標は先にしかないということだけは分かっています。

 限られた人材や制約の中、やれることに限界はあり止むを得ないのですが、やはり一番の課題は、国会議員を動かすことではなく世論の喚起でした。こと「医療基本法」という切実感のないテーマに優先的に関心を持ってもらえなかったし、それ以前の“患者の権利”という発想にも関心を持ってもらえませんでした。一方で、個別の問題には関心があるようで、当会のホームページにアクセスするテーマで、圧倒的に群を抜いて多いのは『カルテ(診療記録)開示』です。これが実態だろうと思います。

川田龍平さんも、「国民の中にもっと世論を喚起すること。そして同時に“機運”というものがあるのでその時を逃さないように」と話されていました。

 

 日本人は、権利を侵害されたといった意識はあまり持たないようにと育てられて来ているようです。足を踏まれていても何も言えない、言っては相手に気の毒かもくらいに考える人もいるくらいです。抗議しないのが日本の美学くらいに思っている風潮さえあります。セクハラ、パワハラも近年やっと用語が使われ出し人権侵害にあたる行為なのだと認識されはじめたくらいです。それでもまだ、自分が我慢するものだという意識はまだかなり多くの人の中には残っています。ましてや、医療過誤にあったとしてもそれは我慢するものだと考える人が多くいても不思議はありません。実際に何度も当事者の家族からそういう話しを聞くことがありますが、やはり殆どの場合問題を感じながらも言い出せません。自分や家族などが入院中の事故死や危険な目に遭ってもそうなのですから、声を挙げる人は少数派とさえ言えそうです。ましてや医療基本法の必要性を感じて行動する人が少ないのは仕方ないのかもしれません。日本人の特性でもありますが抗議の結果に期待が持てず、「どうせダメだろう」と思ったり、抗議に伴う高負担に耐えられる状況にないので放棄するということはかなり多くあると思います。これらの事情には無理からぬものを感じます。

 

 二〇一二年、九州で行なわれたシンポジウムで、パネリストのおひとり九州大学大学院准教授の鮎澤純子さんが語られた中にも課題がちりばめられています。①今なぜ必要なのかということにちゃんと答えられるものを持っていなければならない。②「共に、関係者みんなで」という考え方が織り込まれていることが知られていなければならない。③この会場にいない多くの人を巻き込んでいかなくてはならない。④進めていくためには、なにが障害になっているか。⑤医療基本法というものは、国民をあげてアクションを起こしていかなければならない…といったことなどです。

 また、同じシンポジウムで当会の常任世話人であり、当会の医療基本法要綱案の筆頭の起案者でもある鈴木利廣さんが、「医療基本法で何が変わるかではなく、何を変えるかである」として話されたが、その具体的な内容については、当会の『医療基本法要綱案』につぶさに記されています。

 わたしたちは、これらのことを含めて多くの課題を抱えています。そのうえで一見説得力に欠けそうですが、やはり継続しか無いようです。機運は継続という準備態勢なしには通り過ぎてしまいます。十分に材料を蓄えて必要な時に活かせるものを準備し続けます。ただ、当会のスローガンである〝与えられる医療から参加する医療へ〟や〝医療制度全体において国民の参加権の確立〟これだけは放棄できません。 

 また、時代が代わり医療に求められるものが変わってくることも十分に考えられます。しかし、医療基本法は恒久的な生命と人権に関しての理念として、時代によっても損なわれないものとしての〝生命倫理〟を柱としての役割が担わされています。

この医療における法整備はまさに次世代の問題なのに、当の若者はスマホやITを使いこなし宇宙旅行の夢で留まっています。しかしそういう彼らも医療における想定外の現実に遭遇したら、とても脆弱な気がします。かたやわれわれ老兵の体力は段々落ちてきています。バトンを受け取る若者世代の誰かおらんか…と呟いています。