患者の権利に関する最近の動き 〜総会記念シンポジウムにお集まり下さい!
事務局長 小林洋二
まずは、このところけんりほうニュースの発行が滞っていることを深くお詫びいたします。そのうえで、ニュースというより旧聞に属することも含めて昨今の患者の権利に関するトピックをまとめてみたいと思います。
〇 第三回閣僚級世界患者安全サミット
四月一三日から一四日にかけて、東京で第三回閣僚級世界患者安全サミットが開催され、「患者安全に関する東京宣言」が採択されました。
この閣僚級世界患者安全サミットは、各国や国際機関のリーダーに患者安全の重要性を浸透させることを目的として二〇一六年にロンドンで初めて開催され、第二回がボン、そして第三回が東京で開催されたものです。
採択された「東京宣言」は、その冒頭で次のように述べています。
安全でない医療ケアや避けうる有害事象は、防ぎ得たはずの人々の大きな苦しみの原因や、財政的にも相当な負担になるとともに、医療制度や政府への信頼の失墜にもつながることから、世界的に医療提供体制に対する重大な挑戦であることと認識する。
全ての医療段階、医療領域において、医療サービスを提供する基本要件として患者安全の促進と実行が必要であることを認識する。
患者にとって、提供される医療行為の危険性が適切にコントロールされることは医療参加を行う前提条件であり、「安全な医療を受ける権利」は自己決定権とならぶ基本的な権利であるというのがわたしたちの立場です。この「東京宣言」の「安全」についての考え方は、わたしたちのそれと基本的に一致しています。
また、この「東京宣言」の中でわたしが注目したのは、最後の項目です。
安全で質の高い医療の提供や医療サービスのあらゆる側面(政策の策定、組織レベル、意思決定、健康に関する教育、自己のケア)において患者及び患者家族が参加することの重要性を認識する。
二〇一六年に発足した医療事故調査制度に関する議論の中では、患者や家族の位置づけを巡って厳しい議論が交わされたことは記憶に新しいところです。患者安全の議論に患者や家族が関わるのを忌避する医師の中には、医療事故被害者の遺族を「遺賊」と表記し、「遺賊が求めているのは金と、医師・看護師への処罰であって、原因究明や再発防止は関係ない」と発言する人もいました。
しかし、医療事故再発防止策は、現実に起こった医療事故から出発すべきものです。そこに直接に関わった患者や家族の声が、患者安全を実現するために重要であることはあまりにも当然のことです。そのことが、この東京宣言で確認されたと言えます。
〇 被害者たちの闘い
昨年(二〇一七年)五月、ニュージーランド人男性が精神科病院で身体拘束を受けている間に心肺停止となり死亡するという事件が発生しました。これをきっかけに、精神科身体拘束による被害者やその遺族、支援者などによる「精神科医療の身体拘束を考える会」が発足しました。
今年五月には、摂食障害で入院した病院で七七日間身体拘束されたという女性が東京地裁に損害賠償請求訴訟を起こしました。また、七月には東京地裁、八月には金沢地裁で、身体拘束中に肺血栓塞栓症で死亡した患者の遺族が損害賠償請求を起こしました。
身体の自由を奪うばかりか生命の危険まで伴う身体拘束が、患者の権利に関する侵害であることはいうまでもありません。わたしたちの医療基本法要綱案は、「不当な拘束等の虐待を受けない権利」として、以下のような条項をおいています。
ⅰ 患者は不当な身体拘束などの虐待を受けない権利を有する。
ⅱ 患者は、緊急かつ他に取り得る手段がないなどのやむを得ない場合であって、法に定める適正な手続に基づいた必要最小限度の範囲でなければ、身体拘束等自由を制限されない。
身体拘束をいかに最小限度のものに止めるか。この課題については、医療問題弁護団が本年七月に発表した「精神科医療における身体拘束に関する意見書」が注目されます。
旧優生保護法(一九四八年〜一九九六年)は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する目的で、優生手術(不妊手術)を合法化するものでした。遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、顕著な遺伝性精神病質、顕著な遺伝性身体疾患、強度な遺伝性奇形が確認された人には、都道府県優生保護審査会がその遺伝を防止することを公益上必要と認めることを要件として、本人の意思に反しても優生手術を行うことができるとされていました。
このような強制不妊手術を受けた被害者が、これを「障害による差別」であり憲法の保障する自己決定権侵害、平等権侵害であったとして国家賠償を求める裁判が、本年一月仙台地裁に提訴されました。これに続き、札幌、東京、大阪、神戸の各地裁にも同様の裁判が提訴されています。
本人の意思に反する強制不妊手術が違法なものであることは明らかですが、約二万五千人いると思われる被害者のうち個人が特定できるのは約三千件にすぎないといわれており、被害の認定、救済をどのような形で行うかは難しい問題だと思われます。
〇 患者の権利擁護を中心とする医療基本法の制定に向けて
わたしたちの中心的課題である医療基本法制定に向けての運動としては、五月一六日に院内集会を開催したことが挙げられますが、その準備会的なものとして三月二一日、医療基本法共同骨子の共同提案団体及び賛同団体での意見交換会を開催しました。
患者の声協議会を構成しているさまざまな患者団体や、精神障害者の患者会の方、また医療過誤原告の会のみなさんも参加して、たいへん有意義な議論ができたと思います。
わたしが特に印象的だったのは、アレルギー友の会の理事長である武川篤之さんの発言でした。
日本には「基本法」と名のつく法律が約五〇本存在しますが、そのなかには医療分野のものがいくつか含まれています。がん対策基本法、肝炎対策基本法、アルコール健康障害対策基本法、そしてアレルギー疾患対策基本法です。そういった個別の疾患(というにはやや大きなカテゴリーではありますが)についての基本法以外に、なぜ医療基本法が必要なのか。
アレルギー疾患についての基本法ができたことは、行政が継続的にこの問題に取り組んでいくことを義務付けた点でよかった。しかし、アレルギー疾患の患者は、アレルギー疾患だけではなく、いろいろな病気を持っていることが普通なのだ。医療全体についての基本法をつくらなければ、特定の疾患が優先されて、その隙間に医療難民を生み出してしまうことになるのではないか。
特定の疾患に関する患者の要求は切実です。だから、その声は社会に届きやすいし、国会議員も動きやすい。一方、医療全体の基本法というコンセプトはやや漠然として、それがいったい何の役に立つのかをイメージすることが難しい、その必要性を訴える声が届きにくい。そういった意見を聞くことが多いだけに、この武川さんの意見は、とても参考になりました。
さて、五月一六日の院内集会。正直なところ、いったい誰がきてくれるのだろうかと心配しながらの企画でしたが、約一二〇名の参加者を得て、思った以上の盛り上がりとなりました。
マイクを握って、医療基本法制定への決意を表明してくれた一一名の国会議員は以下のとおりです(発言順)。
羽生田俊参議院議員(自由民主党)
田村智子参議院議員(日本共産党)
小西洋之参議院議員(立憲民主党)
小川克巳参議院議員(自由民主党)
川田龍平参議院議員(立憲民主党)
自見はなこ参議院議員(自由民主党)
穴見陽一衆議院議員(自由民主党)
高橋千鶴子衆議院議員(日本共産党)
三ツ林裕巳衆議院議員(自由民主党)
玉木雄一郎衆議院議員(国民民主党)
安藤高夫参議院議員(自由民主党)
昨年一一月のシンポジウムに参加してくれた古川俊治さん(自由民主党)、桝屋敬悟さん(公明党)、阿部知子さん(立憲民主党)の顔が見えなかったのは残念ですが、それぞれ忙しい方々ですからね。
この院内集会を経て、九月二日付毎日新聞は、「医療基本法制定に向けて超党派の議員連盟発足へ」と報じました。いまのところ、実際に発足したとの情報はありませんが、一歩一歩前進していることは間違いありません。
〇 総会記念シンポジウムにお集まり下さい!
以上のような情勢を受け、今年の総会記念シンポジウムは、「患者の権利侵害の予防と救済に向けて〜みんなで動こう医療基本法パートⅣ」と題して、医療の過程で繰り返されてきたさまざまな権利侵害について考える企画としました。
患者の権利宣言のそもそもの出発点になった医療事故被害、患者の権利擁護を中心とする医療基本法という発想を生み出したハンセン病問題、薬害被害救済の闘いから肝炎対策基本法を勝ち取った薬害肝炎。そして、闘いがはじまったばかりの精神科身体拘束問題と、旧優生保護法強制不妊手術問題。
さまざまな形の医療被害の経験を共有し、その回復と救済、さらには再発防止の仕組みを考えることを通じて、あるべき医療制度の姿を探る機会にしたいと思います。
ぜひ、総会記念シンポにお集まりください!
本の紹介
「未来を拓く人
弁護士池永満が遺したもの」
横浜市 森田 明(弁護士)
けんりほうニュース二五五号で予告されていた、池永満弁護士の追悼集が出版された。改めて言うまでもなく、池永弁護士は患者の権利法をつくる会の設立を呼び掛け、その礎を築いた人物である。
この本の中でも、つくる会をはじめ、医療問題への取り組みについては多くの論稿を通じて紹介されている。ただ、私にとっては、医療分野でしか付き合いがなく、かつ医療分野で圧倒的な存在感を示していた池永弁護士が、他にもこれほど多岐にわたる分野(様々な訴訟、運動のほか、弁護士会、法曹養成など)で活動されていたことに改めて驚かされた。
いろいろな分野でかかわった人々の池永弁護士に対する評価はほぼ共通している。
第一に組織作りの達人であること。目的に応じたユニークな組織を作り上げ、そこに人を集めて動かして行く。権利法をつくる会もいわばそうした作品のひとつで、その時代の状況というキャンバスに池永先生の人脈でデッサンをし、そこから自己増殖的に展開するような仕掛けをするのである。
そして多くの人が少々悔しそうに述べているのは、そのようにして運動が軌道に乗ると池永先生はさっと身を引いてしまい、またほかで新たな分野を切り開いていくことである。これを「火付け盗賊」と書いている方もいたが、私も共感する。権利法をつくる会についても、軌道に乗ったところで事務局長を退任されて、海外に行ってしまい、帰国後は患者の権利オンブズマンの設立に奔走され、権利法の活動はすっかりお見限りとなってしまった。その後の患者の権利オンブズマンの活動を見るとその意義が大きいことはわかるが、それでも私としては「見捨てられた」感を引きずったままである。
第二に、組織作りと関係するが、個々の人を育て、働かせることの巧みさである。
これも何人もの方が書いている。「適当な役職を作り出して人をあてはめてやる気を出させる」という得意技があった。そういえば私も初期のつくる会で、「出版担当事務局次長を頼むよ」などと言われ、つくる会発行の三つの書籍の編集を担当したのであるが、冷静に考えるとそんな役職はないのであった。しかしこの編集の経験は、いろいろな人とのつながりもできて大変楽しく、勉強になったことも事実である。
多くの人が池永先生の人使いの荒さを嘆きつつも、結構喜んでいるのである。
第三に、運動に必要な資金の調達である。これも事柄により様々なやり方があったようだが、私にとって忘れられないのは、何といっても、「カンパ依頼攻勢」である。
医療問題関係のことならともかく、全然関係のない分野についても、「このような社会的意義のある運動・訴訟を私池永がやるのであるからカンパするべきだ」という依頼がのべつくるのである。
「こっちだってカンパ依頼したい運動・訴訟は山ほどあるのだ」と言いたいところであったが、おそらく池永先生は依頼されればそれにはもちろん応じるという腹があって、そういうカンパのやり取りが互いの運動を広げていくのだという考えからされていたのだと思う。
しかし私はこういうやり方には共鳴できず、応じたことはなかったと思う。患者の権利オンブズマンくらいはカンパすべきだったかもしれないと今は思っているが、権利法の運動を袖にしておきながら援助せよとまで言われることにへそを曲げて一度としてカンパしなかったことは私の狭量のなせる結果である。
最後に、医療問題への取り組みについては、患者側と医療側を対立構造で見るのではなく、医療の改善は協力して取り組むべき課題であるととらえる姿勢が一貫していることを、改めて確認できた。
この本の執筆者の中には個人的な信頼関係でつながれた医療関係者が少なくない。医師、医療機関の側に飛び込んで状況を変えていくという取り組みは池永先生の真骨頂であったろう。それは九州の「弁護団」ならぬ「研究会」のポリシーでもあるし、権利法をつくる会のルーツでもある。理念もその延長線上にある。要求ばかりするのではなく、いろいろな原稿から、福岡では弁護団ではなく医療者を含む研究会として取り組まれ、その流れで権利法やオンブズマンの運動も対立的発想を乗り越えるべく展開してきたというルーツをたどることができることからである。
池永先生を語るには、私はそれほど親しくもなく、力量も不足であるのでこの程度にする(その割には勝手なことばかり書いてしまった。美辞麗句ばかりの書評や追悼文は書かないことにしているのでお許しいただきたい)。
購入希望の方は、このニュースに申込書が入っているはずなので、お申込いただきたい。
(付記)
世話人会で急遽この本の紹介を書く役割を引き受けることになった。カンパ要請を断り続けた負い目から何となく断りづらかったのだ。そして三〇〇頁を超える本を短時間で通読した。大変ではあったが、私の若いころの写真も紛れ込んでいたりして、過去のいろいろなことが想起され、楽しい時間でもあった。読みながら「今でも池永先生にこき使われているなあ、でも何だか嬉しい。」と不覚にも思ってしまった。