権利法NEWS

なぜ今「医療基本法」が必要なのか〜二〇一五年問題に向けて

事務局長 小林洋二

昨年一一月一二日のシンポジウム「みんなで動こう医療基本法Ⅲ」については、前号に、小林展大さんのレポートが掲載されています。わたしはいま、このシンポジウムの録音データの反訳原稿を、ホームページに掲載するため、繰り返し読んでいるところですが、立法に携わる議員の方々の問題意識はさすがに的確で、改めて、さまざまなことを考えさせられているところです。

シンポジウムは、HーPACの前田さんによる論点設定、①医療政策の基本理念、②患者の権利、③負担と給付との関係、④政策決定過程への患者・国民参加、⑤ステークホルダー論を受けて、川田龍平さん(無所属/民進・新緑風会)、田村智子さん(日本共産党)、桝屋敬悟さん(公明党)、小西洋之さん(民進)、古川俊治さん(自由民主党)、阿部知子さん(立憲民主党)がそれぞれコメントするという形で始まりました。

五つの論点のうち、①、②、④、⑤についてわたしたちの考え方は、「医療基本法要綱案ー案文と解説」のなかで十分に展開されています。しかし、③負担と給付との関係については、附則3の「医療保険に関する検討事項」のⅲ項で、「保険医療の財源としての保険料、窓口一部負担金、公的負担の割合」を検討事項として挙げている程度です。その点については、それ自体をこの基本法の中に規定するというよりは、④政策決定過程への患者・国民参加のなかで合意形成がなされていくべきもの、というのがわたしの理解です。

この点、川田さん、小西さん、阿部さんの考え方は、わたしたちとほぼ同じであるように思えました。非常に重要な問題であるだけに、広く国民の声を吸い上げて議論を重ねていかなければならない、そのためにこそ、政策決定過程への患者・国民参加が重要なのだ、という考え方。

最もクリアな考え方を示したのは田村さんでした。田村さんは、社会保障費抑制を既定路線とする現在の政策を批判し、社会保険と国民保険とで、被保険者の負担が区々になっている問題を指摘します。財源については、大企業や富裕層に対して応分の負担を求めることで十数兆円規模の財源をつくることができるのだというのが田村さんの発言でした。

一方、与党議員である桝屋さん、古川さんの発言は、社会保障制度の財源を確保することの困難さを強調するものでした。二人が共通して指摘したのが、「二〇二五年」というエポックです。

一九四七年から四九年の第一次ベビーブームの時期に生まれた人たちを、「団塊の世代」といいます。二〇二五年には、この世代は七七歳〜七五歳の後期高齢者となります。国民の五人に一人が後期高齢者、三人に一人が高齢者(六五歳以上)という、人類がかつて経験したことのない「超高齢化社会」を迎える。これがいわゆる「二〇二五年問題」です。この二〇二五年あたりを境にして、社会保障のスキームは変わっていかざるを得ない。

特に古川さんが指摘したのは、現時点の医療需要を前提として養成された医師や、設置されている医療施設が、二〇二五年以降は過剰になっていくという点でした。過剰な医師や医療施設の存在は、不必要な医療支出、国民負担を生み出すことになる。それをどう回避するかが現在の課題だが、そういった点まで視野に入れた医療基本法の制定が可能だろうか。国会議員であり、かつ医師資格と弁護士資格を併せ持つ古川さんの発言には、興味深い点が多数含まれていましたが、これは具体的な医療政策をつくっていく立場からの貴重な問題提起だったと思います。

 

では、わたしたちは、この「二〇二五年問題」についてどのように考えるべきなのか。

わたしとしては、そのような時期であればこそ、患者の権利擁護を中心とする医療基本法が必要だと考えます。

もう一人の医師資格を持つパネリストである阿部知子さんは、医療基本法の必要性について、このような発言をしています。

今回の医療基本法に必要性があるとすれば……わたしはあるという立場だが……単に医療を受ける権利を確保するということではなく、医療は、ときには患者の自由権や社会権を奪ってしまうものなのだという視点にあるのではないか。

そのとおりだ、と思います。

そもそも、「患者の権利」という権利概念は、メディカルパターナリズムに抗って自己決定権を確保するために生まれたものであり、「患者の権利法をつくる会」の原点もそこにあります。そして、日本の歴史上、医療の名による最大の人権侵害ともいえるハンセン病問題の検証会議が提言した再発防止策の柱が、患者の権利法制化であり、その提言にもとづく再発防止検討会の議論から、「患者の権利擁護を中心とする医療基本法」という考え方が出てきたというのが、今日の医療基本法を巡る議論の経緯です。

そういう意味では、患者に対してどのようなレベルの医療を保障するのか、そのための財源をどう確保するのかという議論も重要ではありますが、より本質的な議論は、やはり医療は何を目的とするものかという基本理念に関わることであり、基本的人権としての患者の権利の問題なのです。

超高齢化社会になって、勤労人口が減少し、十分な税収が確保できない社会になったとしても、患者の権利、すなわち自己決定権や生存権は基本的人権として尊重されるべきであり、それを擁護することを医療の基本理念とすべきことはかわりません。それは、財源全体のどれほどを社会保障に配分するかという観点においても重要ですし、限られた財源の中で平等な医療を実現するという観点からも必要なことです。

また、医療に配分される公的財源が乏しくなれば、自由診療の範囲が拡がります。これは一見、患者の自己決定権の拡大のようにも見えますが、医療情報が専門家側に偏在している状態では、必ずしもそうはなりません。逆に、そこを利潤追求の場と捉える医療産業を、どのようにコントロールしていくのかが大きな課題となっていくのではないでしょうか。

 

今日における患者の権利の状況をどのように捉えるにせよ、「二〇二五年問題」は、患者の権利法制化の必要性を弱めるものではありません。むしろ、「二〇二五年問題」によって患者の権利侵害が多発しないように、いまから備えておく必要があるというべきでしょう。「状況は厳しいのだ、患者の権利どころではないのだよ」という声に対しては、「状況が厳しいからこそ、患者の権利が重要なのだよ」というのがわたしたちの答です。

 

自己決定ダイエット(最終回)

   「私の実践から」

 

横浜市 森田 明(弁護士)

 

 最終回となる今回は、食生活に関する私の取組みをより具体的に紹介する。

 なお、私は独身で独居・自炊しており、私生活が充実しているとはいいがたいが、自分の考えのままに生活パターンや食事の内容を決められるという意味では恵まれた環境にあるといえる。(配偶者や同居の親がいる場合、その理解が得られないとダイエットは困難になる。)

 

1 食生活

(1) 総論

・基本はプチ糖質制限

 つまり、朝、昼はある程度パン、ごはんを食べる。しかも後述のようにいろいろ糖質制限の例外を設けている。ダイエット効果が十分上がっているので、それ以上極端なことはしないというポリシーである。

・三食を大体決まった時刻にとること

 「食べる時間が不安定になると、身体は次に食べるのがいつか不安になるため、食べたものを目いっぱい吸収してため込もうとするんだよ」と尊敬するある先輩弁護士が突き出たおなかをさすりながら言うのを聞いて、非常に説得力を感じ、定時の飲食に努めている。一食抜くのはもってのほかである。

・大食しないこと

 いかに糖質制限でも暴飲暴食はダイエット効果を削減するし、身体に良くない。糖質制限ダイエットをしている人が急に体調を崩すことがあるのは、糖質をとらなければ体重が増えないために食べ過ぎてしまうことがあるためと推測している。逆に糖質食でも量がわずかであれば容認している(夕食を少量のサンドイッチですませるなど)。

・ダブル糖質食の排除

 糖質中心の料理が複数かぶっているものは極力避けるべきだが、これが意外に多い。特に「ごはんにドロッとしたものをかける」系統のものは要注意である。 

 カレーライス(対策としてはスープカレーにしてごはんを少量食べる、あるいはごはんの代わりに豆腐や刻んだこんにゃくにかけるようにする。)、ドリア(グラタンだけであれば、意外に糖質は少ないようだ。)、麺類と丼物のセット(どう見ても絶対的にいけない。)といったものである。

・食べる順番・時間をかけて食べること

 肉よりはまず野菜から食べ始める程度のことはしているが、私はあまり重視していない。このことが大変効果的という人はいるし、そう思う人がそうすることに異論はない。

 

(2) 各論

・朝食

 朝食は、卵や肉類を添えたサラダと少量のパン、ホットミルクティーである。

 サラダはいろいろ考えたが、トマト、オニオンスライス、水菜(あるいはキャベツ、レタス)を基本としてほかの野菜を加えたり、、フルーツ(リンゴ、バナナ、キウイなどのいずれか)を入れ、肉製品(ハム、ソーセージ、焼いた鶏肉など)、チーズ、卵(ゆで卵、目玉焼き、オムレツなどその日の気分で形を変える。オムレツは八割方失敗するが成功したときの満足感は大きい。)を添えたりする。バナナなど糖質制限に反する食材でもプラス面があるものは一定量なら使う。毎日組み合わせを工夫してサラダを作るのも楽しい。

 ちなみに独身生活が長い結果、私は料理をすることは全く苦にならず、毎朝包丁と火を使わないと気が済まない方である。(逆にそうだから独身なのかもしれない。)

 サラダについては、実は私はかつてポテトサラダとマカロニサラダが大好きで、休日の朝食によく作っていた。しかしこれらはいずれも糖質制限からは望ましくない。外食時に付け合わせで少量出た場合に神の恩寵とばかりに食べることはあるが、自宅で作ることは一切しないようになった。

 パンは本当は食べない方が良いが、この点は妥協策をとっている。食パンなどの「もっちりしたパン」は食べないこととして、フランスパンの小片程度、あるいはチーズやナッツ類の入ったものなど糖質分の多くないパンを少なめに食べるようにしている。パンを中心にするのではなく、あくまでサラダを食べる口直し程度にパンを用意するのである。

・昼食

 平日は外食が中心となる。ラーメンやパスタではなく、「おかずだけで成り立つメニュー」つまり定食的なものにする。そしてごはんの大部分を残すことにする。私の母の実家は農家であり、「残さず食べる」よう教育を受け実践してきた身にとって米飯を残すのはつらいことである。しかし、これはもう生産者に感謝し、謝罪しつつも貫くしかない。

 ごはん少な目のメニューがあるところではそうしてもらうが、私が食べるのはせいぜい一人前の二、三割程度であるから、少な目にしてもらっても大部分残すことになる。「ごはん抜きの定食」というメニューが早く定着して欲しいものである。最近、近くの店の定食でご飯の代わりに多めのサラダを付けられるところが出始めた。これは朗報である。

 丼物も避けるべきだが、「載っているものとごはんの上層一センチだけ食べる」やり方を開発し、時々海鮮丼などを食べている。

 サラダランチ(サラダをメインにして小さなパンが付く程度の軽いランチ)のある店を職場の周囲で五、六軒把握している。これは前夜食べ過ぎたときに利用する。  

・夕食

 出来るだけ一八時前に済ませるようにする。帰宅後自炊するとやや遅い時間になるので、夕食も外食になることが多い。家から遠いところで食事を済ませると、帰宅までの間に体を動かすことからダイエットには有効である。

 自炊にせよ外食にせよ、極力炭水化物の主食がないものにする。ただ、前述のように小さいサンドイッチなど全体の量が少ないものは許容しており、例えばドトールコーヒーのミラノサンドセットで夕食を済ませるのは効果的である。(もちろん夕食後何も食べないことが前提。) 

・自炊時の工夫

 ご飯の代わりに豆腐やこんにゃくを利用する。こんにゃくの細切り(又はしらたき)をパスタ風に調理したり、冷奴をごはん代わりにすることもある。最近は無糖質の麵も売っており活用している。

 とはいえ、メニューは限定されることになるが、麺類や丼物、炊き込みご飯などのメニューは、味の良しあしを問わなければ、すぐに何十種類も思いつくことができる。ある程度制限があってこそ創造力が発揮できるというものである。

・居酒屋等での飲み会

 参加者が適宜注文して飲み食いする形での宴会については、糖質食を除いて注文すればよい。枝豆、冷奴、お新香といった定番のつまみの多くは糖質分は少ないし、基本的に肉や魚は食べてよいので、食べる物に困ることはない。注意すべきは「締め」のごはんものや麺類である。これは断固避けなければならない。

 なお、お酒については、以前書いたように、ビールや日本酒は避けるべきだが、ウイスキーや焼酎は良いとされている。私はもともとあまり飲めない(ビールならはジョッキ一杯飲むのが精いっぱいである)のであまり考えずに飲んでいる。

・コース料理の宴会

 コース料理は原則としてすべての人に同じ量の同じ食べ物が供される。そんな中でも糖質制限に反する物だけは断固食べない、という選択もあるが、私はそこまではせず、あえて覚悟を決めて残さず食べてしまうことが多い。重要なことは、食べてしまうことだけですませるのではなく、「今日は明らかにいけないことをしてしまった、どこかで帳尻を合わせなければならない」という自覚を強く持つことである。

 そして帳尻合わせの方法としては、翌日の昼はサラダランチ、夜は早めの時間にサンドイッチ一つだけをとり、食後三〇分以上歩き回る、というやり方をしている。これでたいていは基準体重に戻る。少なくとも数日続ければなんとかなる。これは一例であり、その人にとって実行しやすい「帳尻合わせ法」を持っておくとよい。

 時にはおいしいものを腹いっぱい食べたいという、人としての根源的な欲求を否定してまで原則論を貫くよりも、時には禁を破ってもよいが必ず事後的に調整するとした方が、ダイエットを長続きさせる上では現実的な方法と考える。

・バイキング(ブュッフェ)形式の食事

 いわゆる「食べ放題」のことだが、これはむしろ「食べない放題」と考えるべきである。コース料理とは違って、糖質制限の観点から食べられるものだけを少しだけ食べても構わないという状況は、ダイエットにとって極めて有利である。

 そうはいってもついつい食べ過ぎてしまうことは(少なからず)ある。その時は前記のコース料理への対処法に準ずることになる。

・麺類との戦いと(勝訴的!)和解

 麺類は糖質制限では大敵だが、実は私は麺類が大好きである。盛岡で二回わんこそばに挑戦し、二回とも一〇〇杯超えを達成した。 ラーメン、うどん、パスタも大好きで、むしろダイエットのためと思ってごはんに代えてこれらを食べたりしていた。麺類に対しては食習慣の根本的な転換が必要であった。具体的には次のようにした。

① ラーメン屋、そば屋、うどん屋、パスタ店には行かない。こういう店に行って、最もウリである麺類を食べ残すわけにはいかないからである。これはほぼ完全に達成しつつある。しかしそうはいっても、生活から麺類を完全に断つことは難しい。そこで……

② 「自宅で、少しだけ食べる」

試行錯誤の結果、私の場合、麵を通常の半分の量にして、肉や野菜、こんにゃく、豆腐等を増やして食べると、体重増加を招くほどの影響は出ないことが分かった。そこで、週末などに自宅で昼食を調理する際、インスタントラーメンならば麵の部分を半分にカットして右のように調理する。二食分使えることになりお得でもある。日本そばについてもこれまでの半分の量にしている。

③ 経験的にうどんがもっとも肥満につながるようなのでこれは極力食べないこととした。先年、高松に出張したことがあったが、讃岐うどんの本場という環境の中でついにうどんを食べることなく過ごした。「勝った」と思った。

・菓子類との戦いと(敗訴的)和解

 菓子類への対処も重大な問題である。しかるに私は、甘いものは大好物である。前回述べた「ケーキ総量規制」などはそれゆえの苦肉の策であった。

 ダイエット開始時の「約束事」では、自分では買わないがいただいたものは食べる、という不徹底なものになっていたが、社会生活上、例えばもらったケーキはその日に食べなくてはならないから、これは現実的な対応であった。実際、自分で菓子類を買うことをやめただけで、菓子類の摂取量は大幅に減った。(それ以前にどれだけたくさん食べていたかということではあるが。)

 このように、長く続ける上では、原理主義に傾かず、ある程度の例外も必要である。

 平日、事務所でのお茶の時間にその場にある菓子類を食べることは、昼間であること、少量であることを条件に是としている。(事務員が、事情を分かっているにもかかわらず、「これもおいしいですよ」「もう一つどう」などと悪魔のささやきをしてくるので、これと日々戦うことになる。)つくる会の世話人会で時々お菓子が回ってくることがあるが、これについても同様の基準を満たしているか吟味したうえで適量をいただいている。

 休日の散歩の際、三〇分以上歩いて喫茶店などで一休みする際、甘味をとることは許容することとした。ファミレスの場合、ドリンクバーだけでは居づらい(?)ということもある。このような場合は食後さらに三〇分以上歩いて帰ることにしている。

 麺類の制限に比べるとやや例外が広くなっている(その意味で敗訴的和解とした。)が、甘味の摂取後の体重の推移を注意深く見て、増えていれば翌日以降減らす措置をとることを常に意識している。

 

 食生活の各論として書きたいことはまだまだ山のようにあるが、きりがないのでこの程度にとどめる。

 

2 さいごに〜自己決定ダイエットとは

(実は元の原稿では、「運動〜ウォーキングの展開」「体重測定と記録の方法」という項目があったのだが、すでにあまりに長文となっているのでカットした。)

 前述のように、私は現在自分の標準体重を五五キロと設定している。身長一五六センチの身としては決して「痩せている」状態ではなく、むしろ小太りといえるが、私にとっては、これが適切な体重と考えている。無理のないダイエットをしながら体重が落ち続けて底を打った値であり、これ以上減らせないことはないが、やや無理をすることになりそうで、それは避けるべきと考えるからである。(もっと痩せると一通り買い替えた今の服も着られなくなってしまうおそれもあるし。)

 要するに、ダイエットによりどういう状態を目指すかは当人が決めることであって、客観的・普遍的な基準で決められるべきことではない。そして、ダイエットをするかどうか自体も結局は本人が決めるべきことであり、さらにいえば、それは個人にとってのクォリティ・オブ・ライフとは何か、健康とは何かということも自己責任で決めるほかないということでもある。

 そんなわけで「自己決定ダイエット」というタイトルはあながち外れでもないと弁明させていただき、あわせてこの紙面を延々と拝借したことも若干正当化しつつ、長期にわたった連載を閉じさせていただく。(完)

 

出版のご案内

未来あしたひらく人

弁護士池永満が遺したもの」

池永満弁護士追悼集出版委員会編

木星舎刊 上製A5版三三二ページ

本体価格三〇〇〇円(税別)

 

 池永満弁護士は当会の発足に最も寄与した方で、当会の設立からイギリスに留学する一九九七年まで初代事務局長を務めました。帰国後はNPO法人患者の権利オンブズマンを立ち上げ、「苦情は宝」をスローガンに、患者の自立支援活動を推進するなど、「患者の権利」をライフワークとしていました。

 その池永弁護士が亡くなって五年以上が過ぎました。遅すぎると言ってもいいかと思いますが、ようやく弟子たちが重い腰を上げ、故人が携わった様々な課題にゆかりのある方々に呼びかけ、その人生の軌跡の概要を形にしたいと取り組んだ成果が本書となります。

 池永弁護士の活動分野は、司法制度改革、埋め立てや再開発などの環境問題、ハンセン病問題、中国人強制連行・中国残留孤児などの戦後補償問題、弁護士会活動、原発差止訴訟、後継者育成問題など、極めて多彩、多岐にわたります。独りの視点からでは到底その全体像を結ぶことはできません。本書には三十名を超える方がおのおのの活動における関わりを通じて触れた生き生きとした姿を寄せてくださり、結果として一弁護士の足跡をたどるにとどまらず、この国の抱える様々な問題を、広い視野から総覧するものとなっています。

今のところ連休前の出版を目指しています。詳細が決まりましたら、またご案内しますが、当会のホームページでも逐次ご案内する予定ですので、どうぞご期待下さい。

また、予約も受け付けています。当会事務局宛冊数と送付先をお知らせ下さい。

(久保井摂)