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日本医師会との意見交換会のご報告

事務局長 小林洋二

 

七月七日に開催された、医療基本法に関する日本医師会との意見交換会について、全体の状況については小林展大さんの原稿に譲ることとして、患者の権利法をつくる会の発言を中心にご報告したいと思います。

 

患者の権利(国民の医療に関する権利)の位置づけの明確化

日医草案一条(基本理念)には、「すべての国民が安心、安全な医療を等しく受ける権利を享受し」との文言、三条(1)には「個人の人権に配慮しつつ」、同(4)には「憲法で保障された国民の生存権を担保し、それぞれの国民を個人として尊重するとともに」といった文言が入っています。

日本医師会との意見交換会のご報告

事務局長 小林洋二

 

七月七日に開催された、医療基本法に関する日本医師会との意見交換会について、全体の状況については小林展大さんの原稿に譲ることとして、患者の権利法をつくる会の発言を中心にご報告したいと思います。

 

患者の権利(国民の医療に関する権利)の位置づけの明確化

日医草案一条(基本理念)には、「すべての国民が安心、安全な医療を等しく受ける権利を享受し」との文言、三条①には「個人の人権に配慮しつつ」、同④には「憲法で保障された国民の生存権を担保し、それぞれの国民を個人として尊重するとともに」といった文言が入っています。

したがって、憲法一三条、二五条による基本的人権の保障を、医療制度において実現するというのがこの草案の基本的スタンスであるとは思われます。しかし、その国民の医療に関する権利の位置づけが文言上あまり明確ではなく、そのことが後に述べるような問題点を派生させています。

医療制度の目的が、憲法一三条及び二五条に定められた人権の保障にあることを、より明確に謳うことが望まれます。

この点について、わたしたち患者の権利法をつくる会の医療基本法要綱案は、前文で次のように謳っています。

日本国憲法は、生命、自由、および幸福追求に対する国民の権利について最大の尊重をすべきことを表明するとともに、すべての国民が、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有することを確認し、国が、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めるべきことを明らかにしている。医療は、人々の幸福追求権と生存権の実現に必要不可欠なものであり、医療制度は、それらの基本的人権を擁護するためにある。

 

「患者の権利と義務」の位置付け

医療制度の目的が憲法一三条及び二五条に定められた人権の保障にあるとするならば、医療基本法において、「患者の権利と義務」よりも「医療提供者の権利と義務」の規定が先行するという体裁には違和感が拭えません。

まずは、憲法一三条及び二五条の規定から敷衍される患者の権利を明らかにし、それを保障するために、医療提供者にはいかなる権利と義務が認められるかを定めるのが順序です。

日本医師会という団体の性質上、「医療提供者の権利と義務」を先行させざるを得ないという組織内の状況は理解できないではありませんが、あくまでも、国民のための医療基本法であるという観点から、それに相応しい体裁を考えていただきたいと思います。

 

基本的な「患者の権利」規定の必要性

上記の患者の権利保障が目的である以上、医療基本法においては、その権利がどのようなものかをある程度具体的に示すべきだと考えます。日医草案においては、「自己決定の権利」、「診療情報の提供を受ける権利」、「秘密及びプライバシーの権利」が定められていますが、それに加えて、「最善かつ安全な医療を平等に受ける権利」も明文で定めるべきです。

わたしたち患者の権利法をつくる会の医療基本法要綱案は、以下のように基本的な患者の権利を明らかにしています。

ⅰ すべて人は、その経済的負担能力、政治的、社会的地位や、人種、国籍、宗教、信条、年齢、性別、疾病の種類等に関わりなく、最善かつ安全な医療を受ける権利を有する。

ⅱ すべて人は、医療行為を受けるか否かに関し、必要十分な情報を得た上で、同意あるいは拒否する権利を有する。

ⅲ すべて人は、医療政策の立案から医療提供の現場に至るまで、あらゆるレベルにおいて参加する権利を有する。

ⅳ すべて人は、自らの生命、身体、健康などにかかわる状況を正しく理解し、最善の選択をなし得るために必要なすべての医療情報を知り、かつ学習する権利を有する。

ⅴ すべて人は、病気または障碍を理由として差別されない。

 

患者あるいは国民の責務条項の独り歩き阻止

日医草案八条の国民の責務、二一条の患者の責務条項そのものに反対するものではありませんが、こういった条項には疾病に関する自己責任論=公的責任の放棄に繋がる危険が含まれています。このような条項を設けるにはそれに関する配慮が不可欠だと考えます。

わたしたち患者の権利法をつくる会の医療基本法要綱案では、国民の責務条項を、以下のように定めています。

国民は、自らの健康状態を自覚し、健康の増進に努めるものとする。但し、病気や障害を、その努力義務に違反した結果であると解釈してはならない。

 

感想

時間が限られていたので、患者の権利に直接関わる部分に限定して意見を述べることにしました。

もちろん、他にも言うべきことはたくさんあったのですが、小林展大さんの報告にもあるとおり、様々な団体から、その団体なりの視点に立った意見が表明されましたので、結局のところ、言うべきことの多くは伝わったことになるのではないかと感じています。

そして、そのような「言うべきこと」は、患者の権利法をつくる会という一つの市民団体の意見として表明されるよりも、それぞれの分野で独自の課題を掲げて活動している団体の意見として表明された方が、わたしたちの目標とする「患者の権利の法制化」、「患者の権利擁護を中心とする医療基本法の制定」の実現に向けて有効なのではないでしょうか。

今回の意見交換会の直接的な目的は、日本医師会に医療基本法共同骨子の共同提案団体・賛同団体の声を伝えることでした。しかし、それだけではなく、それぞれの団体が、どのような問題意識でこの活動に関わっているかを相互に認識し、確認するいい機会にもなったと思います。このネットワークを拡げ、かつ、強固にしていくことが、患者の権利法制化の実現への道筋であるとわたしは考えています。

 

 

医療基本法に関する意見交換会の報告・感想

川崎市 小林展大(弁護士)

 

医療基本法に関する意見交換会

二〇一七年七月七日、日本医師会館にて、医療基本法に関する意見交換会が開催されました。意見交換会は、主催者及び日本医師会からの挨拶に始まり、参加した約一一の各団体から日本医師会の医療基本法草案に対する意見が述べられ、その後に日本医師会からのコメントがなされました。そして、各団体と日本医師会とで意見交換をしました。意見交換会の全体の大まかな流れは以上のとおりです。

 

日本医師会の横倉義武会長からの挨拶

日本医師会としては、昭和四〇年の初めに医療基本法の議論はしていたものの、医療基本法の制定には至りませんでした。

その後、平成一八年に、日本医師会に医事法関係検討委員会ができて、医療基本法の制定に向けて、再び議論がなされるようになりました。

そして、平成二二年には、「今こそ医療基本法を」と題するシンポジウムを行い、その後、日本医師会の医療基本法の条文案の提案がなされるに至りました。また、日本医師会としては、医事法関係検討委員会の条文をもとにシンポジウムを行い、条文案を修正しました。

今後は、国会に提出する法律案として検討していき、国民的な議論をする必要があると考えているとのことでした。

 

各団体の日本医師会の医療基本法草案に対する意見

各団体の日本医師会の医療基本法草案に対する主な意見は、以下のようなものがありました。

 ・医療基本法には、共同骨子六項にある国民参加の政策決定を入れて欲しい。患者は、自らの視点から意見をもって政策を決定していくことが必要であり、このことは権利として担保されるべきではないか。

 ・広くあまねく患者参画の規定を入れて欲しい。

 ・医療政策による人権侵害を防止するために、医療基本法の制定が必要である。

 ・医療に関する国民の権利義務を定めるならば、国民の権利義務→医療従事者の権利義務の順にすべきではないか。

 ・最善かつ安全な医療を平等に受ける権利も定めるべきである。

 ・国民の責務条項は、自己責任論につながる危険がある。

 ・医師の偏在の是正が必要である。

 ・医療資源を抑制的に使う必要がある。

 ・医療を選ぶ権利が狭まってきている。

 ・患者目線に立つ理念法が必要である。

 ・生存権だけではなく、幸福追求権も必要ではないか。

 ・病気や障害等を理由に差別されることのないよう明記する必要があるのではないか。

 ・患者の権利擁護を医療提供者の責務に加えるべきではないか。

 ・現場で理念に立ち返るための法律であってほしい。

 ・医療基本法では、「福祉職」の位置づけを明確化する必要がある。

 ・トータルコンセプトは、「信頼」にある。また、原点は、患者の権利擁護にある。

 ・苦情は宝である。

 ・リスボン宣言は、医師が患者にあると認めた権利を挙げており、その権利が認められないならば、医師は団結して国家と闘え、としている。

 ・人は誰でも間違えることを前提にシステム構築すべきである。

 ・良質、安全かつ適切な医療を享受する権利は定められていない一方で、良質、安全かつ適切な医療提供のため協力する義務は定められている。

 ・日本医師会の医療基本法草案の四条、六条、七条に「医療安全」を入れるべきである。

 

日本医師会からのコメント

日本医師会からの主なコメントは、以下のようなものがありました。

 ・医療基本法の成立を実現したい。

 ・政策決定への国民の関与は、大切な点なので、ブラッシュアップしたい。

 ・患者本位の医療は、基本的人権の具現化である。

 ・各団体の日本医師会の医療基本法草案に対して挙がった意見と同じような考えを述べる医師もいた。

 

意見交換

意見交換の時に、挙がった意見は、以下のようなものがありました。

 ・患者は、必要な医療を受けたいのであって、自由にいくらでも医療を受けたいわけではない。

 ・適切な医療を施せば予算は減る。

 ・地域格差を良い方向に収れんすれば、医療の水準は上がる。

 ・医療費は多くは公費依存している。財源に踏み込むには関係者が多すぎて、「財源を維持すべきである」くらいしか医療基本法には書けないのではないか。

 ・医療を同じく提供されても、万人に同じ効果が得られるわけではない(不確実性)。

 ・結果が悪いと訴えられるのではない。リスクの説明をして、最善を尽くせば訴えられるわけではない。

 ・患者と医療提供者の共同事業が医療の本質である。

 

医療基本法に関する意見交換会に参加して

最後に、医療基本法に関する意見交換会に参加してみて、私の感想を一言だけ書いておきたいと思います。

法律の条文の文言だけでなく、法律の条文の順序も意味を持つことがあります。だから、私は、前記の「医療に関する国民の権利義務を定めるならば、国民の権利義務→医療従事者の権利義務の順にすべきではないか」といった意見や「良質、安全かつ適切な医療を享受する権利は定められていない一方で、良質、安全かつ適切な医療提供のため協力する義務は定められている」といった意見に共感するところがあります。医療基本法という法律の制定を目指すのですから、条文の文言や順序も重要なポイントになるものと私は考えています。

 

 

中村道子さんからのバトン

(追悼に代えて)

小沢 木理

 

 乳がん患者の会のソレイユ(数年前に解散)の会長でいらした「中村道子さんが七月二九日に逝去された」ということを知りました。がん患者の会の先駆けともいえるソレイユを率いて、患者自らが主体的に情報を集め、乳がん患者さんのための治療法の選択肢の提示やサポート活動をされてきました。

 いまから一四年前の二〇〇三年、山梨で開催した学習会に中村さんをお招きし、乳がん治療の実態とその選択肢についてお話しいただいたこともあります。その後も権利法をつくる会の世話人会には熱心にご出席されていて、お話しすることがよくありました。その中村さん、お会いするたびにいつも満面の笑みでお話しされるので、こちらの内にある疎ましい思いは解き放たれることしばしばでした。

 詳しいことは知りませんがご自身のお話しによるとこの数年間は、「がんの転移などで入退院を繰り返していた」とのことです。でもなんともその時でさえ満願の道子スマイルでサラッと話されるので、実際にはどんなにお辛いことだったのだろうとこちらで想像することが困難なほどでした。

 常に前向き、悩むより挑戦する、結果に執着しない、周囲を明るく元気にさせる、人として垣根が低く温かさを感じさせるそんなお人柄でした。そう、それにどんなに体調不良でもビールは欠かされない。いわば男っぽさと女性の優しさを兼ね備えた方でした。

 「患者の権利法」進化して「医療基本法」、その成立の日を見ずしてまた大事な仲間を見送ることになりました。わたしが知り得ない他のお仲間の方々も、ひとりふたりと旅立たれていたとしても不思議ではありません。残されたわたしたちは、それでもひたすら前を向いて徒歩を進めます。中村道子さんや先に発たれた方たちからの目に見えないバトンを握り、道すがら新たな仲間も増やしながらこれまでそしてこれからもめざしている目標に向けて。多くの仲間の皆さん、『この先もよろしく!』。

 きっと中村道子さんも空からそう言っておられると思います。共に歩みましょう。

 中村道子さん、これまでご苦労さまでした、そしてありがとうございました。

 

故中村道子さんを偲んで   

           神奈川 森田 明   

 

 つくる会設立以来の世話人であった中村道子さんの訃報が届きました。

 世話人会に時々出てきて、あまり発言はしないものの、議論に耳を傾けて楽しそうにしておられた姿を記憶されている方も多いかと思います。

 中村さんはずっと横浜におられたので、私は世話人会のほか、神奈川の会員で独自にイベントを企画したりしていたころ(もう二〇年くらい前になりますが)、そこにも参加されて力を貸していただいたことを思い出します。

 しかし実は私も中村さんのことをあまり詳しくは知りませんでした。

 つくる会の設立過程をまとめた「患者の権利法をつくる」(一九九二年刊行、明石書店)に、中村さんは次のような自己紹介を寄せています。

「一九三二年生まれ。東京都出身。五五年群馬大学工学部応用科学科卒、保険会社外交員。一九七六年六月左乳房を切除(第四期)、この体験を生かして、一九八八年乳ガン体験者の団体、ソレイユ結成。現在ソレイユ会長。乳ガンに関して勉強すればするほど、現在の医療に対しての矛盾を感じ、患者の権利法の制定を強く願うようになった。乳ガンの自己検診法の普及、「乳ガン」と言われた時、乳ガンの再発、転移の時の正しい対処の仕方を、体験者および一般人を対象に啓蒙活動を行っている。」

 今これを改めて読み返して感じるのは、「一九三二年生まれ」というとほぼ私の母の世代にあたるのだということ、「群馬大学工学部応用科学科卒」はちょっと意外でしたが理系の分野についても臆せず積極的に勉強することにつながったのでしょう、「保険会社外交員」はなんとなくわかるような気がします。

 乳ガン体験者の団体、ソレイユを結成し、ずっと会長をされてきたことはよく知られていましたが、今般ネットを検索してわかったことは、乳ガン治療の在り方についての近藤誠先生の見解を巡って、近藤先生を支持した中村さんはそれ以前に属していた団体を追われることになり、新たに自らソレイユを立ち上げた、ということです。ソレイユは二〇一三年末に活動を終えますがその間ずっと会長として会をまとめ相談等にあたってこられた。温厚な笑顔からだけでは測り知れない信念とパワーを持っておられたことがうかがえます。

 その後もつくる会だけでなく、患者の権利オンブズマン東京の活動にも参加されてきました。

 冒頭、つくる会の「世話人会に時々出てきて、あまり発言はしないものの…」などと書きましたが、中村さんのすごいところは、体調の悪いときも多かったにもかかわらず、そのようなかかわり方を二五年にもわたりずっと続けてこられたということです。

 自らの体験に根差した活動を大切にしてきたとともに、そこにとどまらずより普遍的な課題に目を向け、常に勉強を怠らず、様々な活動に参加し続けてこられた姿勢には改めて頭が下がります。

 ご冥福をお祈りします。

 

書籍の紹介

「健太さんはなぜ死んだか」

警官達の「正義」と障害者の命

斉藤貴男著

山吹書店 定価一五〇〇円

 

 二〇〇七年九月、佐賀市に住み、中度の知的障害を持ちながら自分らしく生きていた二五歳の安永健太さんは、仕事から自転車で帰る途中、警ら中のパトカーから「とまりなさい」と声をかけられてもとまらず、ますますスピードを出して、交差点の赤信号で原付自転車に追突して転倒しました。

 立ち上がった彼に、パトカーから降りた二名の警察官が駆け寄り、怒鳴りつけました。元々知的障害がある上に、恐らくは一種のパニックに陥ってしまった健太さんは、意味のある言葉を発することができず、「アー、ウー」といったうなり声を上げるばかりでした。

 警察官たちは、健太さんの身体をつかみ、無理矢理移動させようとしたところ、猛烈な抵抗に遭いました。それはそうです。健太さんからすれば、勢いよく転倒してしまった上、立ち上がった途端、突然力で押さえ込まれる、それはとても恐ろしいできごとだったに違いありません。

 ますます言葉を発することが困難になった健太さんを、警察官たちは、薬物中毒者と疑い、何とか手錠をかけようと争います。抵抗する健太さんを、応援に駆けつけた複数の警察官と五人がかりで抑え付け、アスファルトの上にうつ伏せに押し付け、後ろ手錠をかけたところで、ようやく警察官達は健太さんの異常に気づきます。

 心肺停止。

 病院に運ばれた健太さんは、死亡が確認され、他方、警察官達は、自分たちの一連の行為は、警察官職務執行法上の、自傷他害の恐れのある「精神錯乱者」に対する「保護行為」であり、何ら問題はなかったと主張しました。

 大切に育ててきた健太さんを失ったお父さん、そして弟さんは、健太さんの無念を晴らすべく、佐賀県警(佐賀県)を相手に刑事及び民事責任を問う長いたたかいの旅に乗り出します。

 しかし、司法の壁はあつく、刑事は付審判請求による起訴までこぎ着けたものの無罪に、そして民事賠償請求も、一審二審ともに敗訴、最高裁でも上告が受け付けられず、敗訴判決が確定してしまいました。

 本書は、この事件の関係者から丹念に聴き取りをしたノンフィクション作家の著者が分かり易く事件の概要と問題点をまとめたものです。

 私は、民事訴訟の控訴審から弁護団の一員として参加し、この事件から多くを学ばせていただきました。刑事でも負け、民事でも負け、また事件から長い時間が経過したものの、法廷には、毎回傍聴席数をはるかに超える支援のみなさんが訪れ、健太さんのお父さんと弟さんを励まし、この事件をまさに自分たちの問題として熱心に応援して下さいました。

 一審での敗訴判決を覆すのは一般的に難しいとは言え、原審で調べていなかった警察官の証拠調べが認められたり、また改めて障害の専門家の意見書を複数提出したり、弁護団会議では全国から集まった弁護士達が長時間にわたる議論を重ね、それぞれの起案に赤を入れながら書面を研ぎ澄ますことに努めました。

 控訴審での控訴棄却、そして認められなかった上告、力を尽くしただけに敗北感に打ちのめされるようでしたが、私たちはこの事件を決して忘れない、二人目、三人目の健太さんを出してはならないという、お父さんの何よりも強い願いを、次の世代にも繋げるために、働きかけていくつもりです。

 本書は、その足がかりとなるものです。

 本書は、四つの章からなっています。事件の発生とその後の経過、健太さんってどんな人? 刑事と民事、二つの裁判のゆくえ、跋扈する優生〝思想〟に勝つ。

 とりわけ、最後の章は、昨年の相模原障害者施設殺傷事件を受け、過去に当該施設の職員でもあった「犯人」が露悪的ともういうべきやり方で表した異様な優生思想を振り返りながら、どうしてこのような思想を彼が抱くようになったのかが、全く検証されていない問題を指摘しています。事件後、当然ながら自体の重大性を踏まえ、神奈川県は「検証委員会」を設置しましたが、極めて不十分な内容にとどまっています。

 この事件では、「犯人」が事前に国会前や警察署に赴き、犯行予告をしていたにも関わらず、放置されたことも問題とされていますが、検証会議は、警察の対応を批判することは一切しない一方で、施設の対応を強く非難するものとなっているのです。

 また、そもそも「犯人」がどうしてこのような極端な〝思想〟を抱くようになったのか、全くその背景が検証されていないと言います。

 著者は、そこに「健太さんの事件と通底する何者かの〝意思〟を強く感じとります。

 私たちは、何かにつけて「多様性」ということを耳にする社会に生きています。けれども、最近のヘイトクライムをはじめとして、さまざまな同調圧力は「多様」な生き方を許さない、そんな怖ろしさも日々感じてしまうところです。健太さんが生まれたのは国際障害者年の一九八一年、それから三六年を経て、障害者権利条約を批准し、〈あらゆる活動分野における障害者に対する定型的な観念、偏見及び有害な慣行と戦う〉ことを約束した国の民として、何をめざすべきなのか、もう一度事件を振り返りながら、考えていきたいものです。

(久保井摂)