野田正彰著・講談社
著者は精神科医ですが、それにとどまらず、幅広い分野で活動され、日航機墜落事故をはじめ数多くの犠牲者を出した事故の被害者遺族から丹念な聴き取りを行い、突然に大切な人をうばわれ家族の精神状態がどのような経過をたどるのか、またそこから何を学ぶべきかについて示唆に富んだ分析を加えた『喪の途上にて』、第二次世界大戦で日本軍から強制連行され、奴隷労働や性奴隷としての非人間的な取扱いを受けた生存者からの聴き取りをもとに著した「虜囚の記憶」、精神障害者の犯罪が報じられるたびに保安処分の必要性が強調される状況を踏まえ、一三件の重大事件について調べ、患者や家族からが発していた支援を求める叫び(クライシス・コール)を精神科医療や医療制度が受け止められず、事件を防ぎ得なかったのは何故か、医療はどうあるべきかについて論じた「犯罪と医療ークライシス・コールに応えたか」など、数多くの著書があります。エッセイストとしても優れた能力を発揮し、アジアの文学、芸術にも造詣が深く、真の知識人であり、決して同調圧力に屈することなく、たんたんとした、けれど真摯で判りやすい文章で、日頃気づきにくい問題を指摘してくれるその著書は、常に大切なことに気づかせてくれます。
本書は、題名のとおり、うつ病に関して論じたものです。
みなさんの周りにも、うつ病と診断された人が何人かはいるのではないでしょうか。ご自身がうつの症状に苦しんでいらっしゃる方も多いだろうと思います。
けれど、それは本当にうつ「病」なのか、と著者は問いかけます。日本でうつ病と診断された人の数がどれほどの勢いで増えているのか。診断と同時に処方される治療薬は、本当に必要なものなのか。
1980年代初めまでは、いわゆる「うつ」といっても、何らかの遺伝的要因による大脳の神経病理が仮定される「内因性うつ病」のほか、そううつ病(双極性障害)、「抑うつ反応」、「抑うつ神経症」、「抑うつ状態」など症状を起こしている原因に基づいた分類がなされていました。圧倒的に多いのがストレスを受けて一時的にこれまでの精神状態とは異なった状態になる「抑うつ反応」ですが、これは本来のうつ病である内因性うつ病とは別のものです。
ところが、アメリカ精神医学会が作成した「精神障害の診断と統計マニュアル」(DSM)が、本来は統計分類として作成されたものであるにも関わらず、1980年頃から拡大解釈され、このマニュアルに基づく病名決定がただちに薬物治療に結びつくことになってしまい、うつ病と診断される人の数が急激に増えてしまったのだと著者は指摘します。
日本では、バブル崩壊後の1998年に自殺者が年間3万人を超えるようになり、以来2011年まで一四年間にわたって3万人以上の方が自殺により亡くなりました。
2006年に自殺対策基本法ができて、各地で自殺予防キャンペーンが展開され、「パパ、ちゃんと寝てる?」と呼びかけ、自殺はうつ病が原因だとして、精神科受診を促す働きかけがされています。本書は、この施策が積極的に展開された地域では自殺者が増えているという驚くべき事実を指摘します。
本来の精神科診察は、患者と向き合い、ひとつずつ丁寧に話を聴き、相手に共感するぎりぎりの線で内に発してきた問いを見つけ、それを問いかけることにより、患者は自分が置かれている状況や自分がどうしてこのような精神状態にあるのかという問題に気づいていく、それが回復にもつながると著者はいいます。
ところが、マニュアルを使うことにより、機械的にうつ病と診断されてしまい、薬物を投与され、薬物依存となって離脱できなくなってしまった「患者」を大量に創り出しているのではないか。その背景には、1990年代末から大々的に宣伝され、使用されるようになった新薬(SSRI/選択的セロトニン再取込阻害薬)の存在がありました。この新薬が導入後どれほど巨大な市場を獲得しているのか、また新薬が攻撃性や自殺衝動を高め、あるいは感情を鈍らせ人格を変える副作用があることを、著者はさまざまな事例やデータを紹介しながら、説得力をもって論じていきます。
近頃では、子どもまでがうつ病と診断され、安易に向精神薬を投与され、また、職場において組織から意図的に追いつめられた労働者が、精神科受診を勧められ、薬物を服用するようになり、結果として職場から追放されている状況など、考えてみれば、確かにそういった実態はあるのだろうと気づかされ、ぞっとしました。
著者は、社会で「疾病化」が進んでいると警鐘を鳴らします。「疾病化」とは、著者が提唱する概念で、社会的な問題を個人の疾病の問題にすり替える善意の政治・経済活動をいいます。たとえば高血圧、動脈硬化症などを「生活習慣病」と名付けることで、個人の「生活習慣」の問題にすり替える。
精神障害においても、個人の尊厳をないがしろにし、個性のある者を排除するような組織の問題から目を背けて、「病気」と決めつけることで、個人をそのような状態に追い込んでいる組織や社会がはらむ問題を見えなくしてしまう。
「発達障害」や「アスペルガー」といった障害名は近頃よく耳にするところですが、そんな名前でひとくくりにすることによって、一般の教育の場で教育を受けて清聴することや、社会内で生活することを否定し、排除しているだけではないのかという問題提起。
その背景には、薬価の高い向精神薬を売りつけようとする企業戦略とそれにからむ利権(あらゆる薬害事件で指摘されているところです)があることについても、説得力あるデータを用いてひもといていきます。
1998年にどうして急激に自殺者が増えたのか、震災被災地では精神医療がどう影響しているのか、教育現場で何が起こっているのか、その上で、著者は、根本的な解決のためには精神科医療が変わらなければならないと提言します。収容所と薬漬けしかない現状から、不眠や落ち込みは環境の負荷から来るものだと気づき、それを変えていく力を患者が持つことのできるような医療に。それは、患者と家族による自助活動を支援する医療です。
読み終えて大きな溜息をひとつつきました。