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書評 「死ぬ意味と生きる意味」

ー難病の現場から見る終末医療と命のあり方

浅見昇吾編 上智大学出版

 本書は、上智大学で開催された公開の社会人講座における講義を収録したものです。たいへん重いタイトルですが、副題にあるように、まさに医療、介護、生活の現場から、難病患者本人、家族、看護・介護職、生命倫理、医療ガバナンスまで、さまざまな立場の当事者が生きることについて語っています。

 難病の定義のひとつである「希少性」から、少数の人達を優遇することは許されるのかを民主主義の根幹から問い直す冒頭の編者の講義に続き、ALS患者である舩後靖彦さんによる難病の宣告を受け一旦は呼吸器装着を拒否する死を覚悟しながら自律する生を生き直すまでの過程の語りに感動する一方で、怨嗟のこもった言葉で語られる介護者から受けた極めて悪質な、命にもかかわる虐待の事実に戦慄します。

 続いて「困ってる人」の大野更紗さんが「当事者のまなざしから」との副題ではありますが、彼女の本来のフィールドたる研究者の手法で「難病」と社会政策について、確かな資料に基づいて積極的に語り、脳性麻痺の尾上浩二さんが障害者権利条約、わが国の障害者制度改革について、障害を社会の側の障壁だと捉える「社会モデル」を紹介しながら論じます。

 介護職、看護職の方による、当事者の生と死に寄り添って来た経験から語られる「現場」の物語も非常に興味深く、新たな視点を教えてくれるものでしたし、ALS患者の家族の物語として鮮烈な「逝かない身体」を書いた川口有美子さんの事前指示書に関する講義からも多くを学ぶことができます。

 その中でも、特に感銘を受けたのは、世田谷一家殺害事件の被害者の親族である入江杏さんが、事件の第一発見者となってしまったお母さんを前年に看取った経験を語った「病と障がいの母を看取ってー曖昧な喪失と公認されない喪失」という講義です。

 母親の死の一年前に最愛の夫の死を経験した入江さんは、妹一家の死は夫の死とは違い、「純粋な悲しみとは異なる苦悩と悲嘆」がつきまとう「公認されない悲嘆」であったと気づきます。自死遺族に代表される、その悲しみの存在を公表できない「公認されない喪失の悲嘆」、そしてさよならをいえない、さよならのない突然の別れという「曖昧な喪失」。

 このような喪失、それによる悲嘆は長期にわたり、心の区切りがつけられず、未解決ゆえの凍結した悲嘆が癒しに向かうプロセスを妨げる。だからまずは不明確であること自体を理解し、承認したうえで、丁寧に自分の悲しみに触れ、「未解決の喪失とともに生きることについての、不在と存在の曖昧性に関する意味に満ちた新たな物語を見出す」ことができれば「創造への道筋がつけられる」と入江さんは語ります。創造もできない過酷な人生を強いられた本人だからこそ説得力を持って伝えうるメッセージに大いに励まされた気がしました。

 入江さんは、自分とお母さんの悲嘆について、精神科医である宮地尚子さんの「環状島」モデルを引用していますが、今年出版されたばかりの宮地さんの岩波新書「トラウマ」(前号で簡単にご紹介しました)にはまさに環状島モデルが当てはまる悲嘆として、入江さんの著書が引用されていました。

 近頃いろんな分野で「ナラティブ・アプローチ」という言葉を耳にします。その人の「ものがたり」として問題となる状況を語り直すことによって、適切な支援を考える。そんな取り組み方の入門編としても「現場」からの問題提起である本書はおすすめです。

(久保井摂)