福岡 久保井 摂
去る6月29日夕方、東京は四ッ谷の弘済会感で初代事務局長池永満氏を偲ぶ会が開催されました。実は横浜でも独自に偲ぶ会を持ったとのこと。故人から影響を受けた人がいかに多いことかが分かります。
会では次々に参加者が池永さんのことを語りました。鈴木利廣さんは、同時期に患者側で医療過誤訴訟に取り組む活動を始めた立場から、ともに医療者とともに取り組んだが、池永さんは「医療に心と人権を」というスローガンを掲げ、信頼関係を基礎に闘いを形成していくことを大切にしていたこと、印象的なエピソードとして、三十年以上前にカルテを証拠保全で入手しろというのはおかしい、医療機関と話し合って開示を求めるべきだと主張していたことなどを紹介しました。
小林事務局長は、既に小脳転移を来たし呂律が回らなくなっていた池永さんから、医療分野における個人情報保護法に関する当会の意見書について、医療に特化した法律をつくる過程では医療機関側は医療情報の特殊性を主張し、非開示事由を広範に主張してくるだろうから、気をつけた方がよいとの電話をもらったことを紹介し、まことに端倪すべからざる戦略家であったと述べました。
患者の権利オンブズマン東京の市民ボランティアのみなさんが口々に語った思い出からは、ともに運動するみなさんに注いでいたあたたかいまなざしが感じられましたし、日本医療福祉生協連の日野秀逸さんからは、学生時代、全学連の中央執行委員として出会ったこと、深いつながりであるようでいながら実は生涯を通じて八回ほどしか直接会ったことはないこと、「人に勇気を情熱と」というスローガンが相応しい生き方であったことなどが語られました。
神奈川の飯田伸一さんからは患者の権利ヨーロッパ視察の思い出と、共通する趣味としての山登りが語られ、川端和治さんからは、権利法の海外視察に参加した際に、留学中の池永夫妻と邂逅したこと、その後トゥールーズで開催された世界医事法学会に参加したときのエピソードが紹介されました。
配偶者でベストフレンドたる早苗さんは、実は池永さんが自分の闘病や活動歴などを題材にした「二一日間」というタイトルの小説を企画していたというエピソードを、ご本人が作成した企画書をもとに紹介され、「新・患者の権利」は池永さんの次世代にこの活動をつなぎたいという思いが込められていること、ぜひそのバトンをつないでいただきたいと挨拶されました。
終わりの挨拶を担当した安原幸彦さんは、池永さんと同期の弁護士として、修習生時代から雄弁を絵に描いたような人であったとのエピソードや、一方で非常に大きなこだわりと頑固さを持っていたこと、また実に広い問題に深く関わったゼネラリストでもあった彼なら、現在の改憲の危機を回避するために人生を捧げたであろうと述べ、憲法改正を阻止することが現在の最重要課題であることを強調しました。
政治に対する無関心が広がり、参院選は低い投票率の中、自民党の地滑り的一人勝ちの構図を示し、憲法96条問題や、とんでもない自民党の憲法改正案など、基本的人権のあり方を根本から揺るがす動きが感じられます。池永さんの遺志を継ぐ意味でも、憲法の意義を改めて語り合う活動を広げていくことが必要です。