福岡市 久保井 摂
患者の権利に関する講演をすると、しばしば医師の方から、「患者の権利、権利とばかりいうけれど、患者の義務についても言ってもらわないと困る。権利には必ず義務を伴うはずだ」という発言をいただきます。
そのたびに、まだまだこの国では、患者の権利、いやそもそも権利というものがただしく理解されていないことを痛感し、その都度改めて説明させていただくのですが、なかなか納得してもらえないことが多いのです。
そもそも、「権利には義務を伴う」という、よく聞くフレーズですが、これ自体が誤解されています。
権利と義務はたしかに鏡の表裏のような関係にあります。分かりやすいのは契約関係です。たとえば売買契約では、買い主が契約に基づき売り主に対して対象となる物の引渡を求める権利があるのに対し、売り主は引き渡す義務を負います。逆に、売り主は引き渡した商品の代金を求める権利を持つのに対し買い主は代金を支払う義務を負います。
ここで、買い主は商品の引渡を求める権利とともに代金を支払う義務があるのだから、やっぱり権利は義務を伴っているではないか、と考えてしまうかもしれませんが、それは誤りです。ここでは商品と代金が対価関係になっているから、相互に権利と義務が発生しているに過ぎず、あくまで引渡を求める権利と向き合っているのは、引き渡す義務です。
これを医療契約についてみると、患者は医療契約に基づき、医師に適切な医療の提供を求める権利があり、医師は適切な医療を提供する義務を負います。
他方、医師は患者に医療費の支払いを求める権利があり、患者は医療費を支払う義務があるのです。
ですから、向き合っているのは、患者の医療の提供を求める権利と医師の医療を提供する義務、医師の医療費を請求する権利と、患者の医療費を支払う義務、です。
買い主には、買った品物を売り手が想定した条件で使用する義務はありません。もちろん、使用方法を誤ると危険が生じるような品物の場合、取扱説明書に書かれた使用上の注意を守ることは望ましいことですが、守らなかったからといって、契約上の責任を問われることはありません。それにより、危険が現実化して不利益を被ることがあるかもしれませんが、それはあくまでも自己責任というものです。
医療においても同じことが言えます。もちろん、最善の医療を実現するためには、診療に必要な情報を適切に医師に申告する必要があるでしょうし、療養上の指導にしたがうことが望ましいでしょう。でも、患者は、そうしなければならないという法律上の義務を負うわけではありません。そうしなくとも、法的責任を追及されることはありません。ただ、それにより、結果として健康を回復できず、不利益を被ることになるかもしれませんが、それはあえて自分で選んだ結果ですから、甘受せざるを得ない、それだけのことです。
もっとも、患者の権利は契約によって発生するものではなく、人が生まれながらに持つ固有の基本的人権を医療の場に当てはめたものですから、契約にたとえて考えるのは適当ではないというべきでしょう。