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医療基本法 福岡シンポジウムの成果と課題

山梨 小沢 木理

 

 権利法をつくる会も実行委員会の一団体ですが、2012年11月10日、福岡で開催の「医療基本法制定に向けてのシンポジウム」に参加することができたので、そのシンポの成果と課題について、記憶が薄れないうちに感想を書き留めておこうと思います。

 シンポジウムの詳細については近いうちに「記録集」が出されると思いますので、それを読んでいただきたいと思います。また既に前号で竹花元弁護士が報告されていますので、ここではごくかいつまんでまとめます。

 「医療基本法」をテーマに福岡でシンポジウムを開催するにあたっては、特別に感慨深いものがありました。九州、それも博多という地域は権利法をつくる会の全体事務局があり、患者の権利オンブズマンをはじめさまざまな患者の権利をめぐる活動をされていた権利法をつくる会の初代事務局長であり九州・山口医療問題研究会の創始者のひとりでもある池永満弁護士の姿を背中に感じていたからです。(12月1日、池永満さんの訃報を知りました。とても無念で心痛みます。)

大きな成果と課題

 まず何よりも特別な感慨があったのは、前段で述べたように開催場所が患者の権利法制化活動にゆかりの深い福岡であったということです。さらには、シンポのタイトルにも〝患者も医療者も(共に)幸せになれる…〟とあるように、今まで対立的立場と評されることが多かった患者側と医師会側とが同席し、共に同じ方向に向かって意見交換ができたことです。基調報告では日本医師会側から常任理事の今村定臣さんと患者側の視点を踏まえた弁護士の鈴木利廣さんとが同じ会場で考えを述べ合えたことです。このような機会は今まであまりなかったことで、双方の考え方が全て一致ではないにせよ、このことは発展的な大きな一歩を踏み出したといえます。おふたりの発言の要約は、前号で竹花元弁護士が報告されています。

 そして、ほかの三名のパネリストが実に明快な問題提起を行い、聞き応えのある発表だったことです。 

 九州大学大学院医学研究院准教授の鮎澤純子さんは、「今まで今回のテーマのような課題について接したり考えたりする機会が無かったので、今日の参加者の中でわたしが一番の素人(?)かもしれない」といった趣旨の前置きをして、 〝止ってないで進めるためにまさに必要なことは〟を一気に話されました。

 また、医療過誤原告の会の石政秀紹さんは、当初発表自体を躊躇し、「このようなパネリストとしての経験ははじめてなので…」と自信なげでしたが、当日ははじめてとは思えないほど落着いて発表をされました。石政さんは奥様を出産時の病院の対応が不十分だったことがきっかけで亡くされました。出産に際し、かかっていた医師が適切な処置をせず数時間放置、不誠実な対応の末一ヶ月後に亡くなられたそうです。

 裁判結果のあとも、その医師は謝罪もなく病院を売り払うものの損害賠償にも応じようとせず、数年後に探し出した際には、「また逃げるしかない」と開き直ったそうです。

 被害者(本人やその家族)だけが辛い悲惨な状況に追いやられる一方で、医師として執るべき措置を怠り、放置し引き起こされた事故にもかかわらず、カルテ改ざんなどの隠蔽や逃避行為など卑劣な態度を取り続け、現在その医師は別の病院で医者として働き、高級車に乗り贅沢な生活をしているといいます。

 このように、倫理的道義的に問題がある医師を放置しているのは許せません。また、わたしたちでも突然に被害者やその家族となる可能性や、いざ被害者となったときのしかかってくる多くの問題に苦しめられることなどを身に沁みて感じさせられました。

 

 患者の権利オンブズマン副理事長の平野亙さんは、患者には、患者の苦情申立権が確立していなければならないこと、またその苦情解決には、院内あるいは院外の独立した第三者機関の患者の苦情解決支援組織が必要だとしています。

その裏付けとして、オンブズマン活動での苦情調査から具体的実例を紹介。「今の医療者側の認識実態では、患者の権利規定やインフォームド・コンセントの手続規定に多くの問題を残していて、現行の苦情処理規定だけでは不十分である。患者の“苦情申立権”をしっかり明示する必要がある」と主張されました。

 

精通者の死角と課題

 今まで「医療基本法」なるテーマに接する機会がなかったと言われる鮎澤純子さんが、外部的視点で話された内容はとても収穫のあるものでした。

 普段は「医療管理学」、主に病院や医療安全の管理を教えていらっしゃるとのことですが、今回話されたことは、まずアメリカの病院で働いておられた時のこと、そこでは、「患者の権利」とか「患者の責務」というのは、単にそういうことばを掲げるだけでなく、徹底してその理念に忠実に実践しているという具体的例を紹介されました。たとえば「患者の代理人部門」「質の向上部門」「リスクマネージメント部」など患者をサポートする専門部門があり、患者には、まず〝I am sorry…〟ということばから話すように教わったそうです。それは自分たちにミスがあったかどうかに関係なく、患者が蒙った被害などの事実に対してのねぎらいのことばとして伝えるためだそうです。また二十四時間態勢で患者の声を聞きまくるそうです。

 「医療基本法」については、それを進める難しさについて、『そもそも「医療とは?」も、「基本法とは?」も「医療基本法」も、多くの人には分かっていない。』『「医療基本法」ができたら何が変わるのか、または何を変えるのか?についても分からない。』といい、これらのことを整理して分かりやすく社会に丁寧に伝える必要性があると話されました。

 一般に「患者の権利法」についても正しく理解されていないことや、諸外国の患者の権利法についても、周辺の社会制度やその他の法律がカバーしていることなども整理して把握する必要があり、そのうえで我が国の「医療基本法」のあり方を考える必要があるのではないか。また「医療基本法」で何が変わるのか、変えるのかという視点、患者も(にも)医療者も(にも)、という視点について整理し、丁寧に説明し続ける必要性を説いておられました。

 

 また、医療事故調査の目的は「真相究明」「再発防止」であるが、それには「患者にとっても、医療者にとっても」という視点と「医療にとっても、医学にとっても」という視点が必要で、医療の安全性も医療の質も透明性なくして向上はなく、第三者機関による「医療事故調査機関は必要だと述べられました。

 もっと多くのことを話されましたが、鮎澤さんはその話しの大半を活動の原点とも言うべきごく基本的な視点(現状把握)を再確認すること、社会的背景や現存の社会制度等の見直しを含め徹底した実態調査とその把握を行わない限りは、この「医療基本法」の制定を進めて行くことは難しいと指摘されました。

 シンポジウムの発言者として、今までは「医療基本法」というテーマに直接には縁の無かった方が招待され、このような角度からお話しが聞かれることがかつてあまり無かったように思います。この第三者的視点と、専門性を背景にした問題提起は実に衝撃的かつ感動的ですらありました。発言に説得力のある立場の方の発言ですから、説得力もあります。

 かかるテーマに精通していない人だからこそ、わたしたちが見ていなかった部分が見えるのだと思います。それこそが運動を広めて行くうえでの重要なヒントです。

 

 言うまでもなく、法案の中身の検討が第一優先で、それは繰り返し行われる必要があります。

 一方で、このような重要なテーマが関心のあるごく一部の人たちの間だけで議論が深められていて社会的認知にはほど遠いことも事実です。

 わたしたちは目的を達成させるために、まず国や国会議員や医療関係機関に声を届ける努力をします。しかしそれ以外の対象の一般市民やメディアに届けるのはとても不得手です。市民運動に一番足りないことは、政策に直接影響力を持つ立場以外の一般市民に伝えることです。よく、「患者が変われば医療も変わる」ということばが使われます。つまりは、圧倒的な力となる主体者である市民に情報をいかに伝わるようにするかは、優先順位の低いことではないのです。知識も情報も持たなければ、患者(市民)は変わりようがないのです。

 国民にとって有益な法律や制度ができたのにも関わらず、人々はそれらの内容に疎く関心が無いまま活かされていないものは枚挙に暇がありません。

 繰り返しになりますが、わたしたちは法案の中身について検討を重ね、そのことに時間を費やすことは当然のことで、また直接政策決定に影響のある人たちに要望し、または連携を呼びかけていくことも当然のことです。しかし、今回の鮎澤さんの講演では、「医療基本法」を先に進める為には、もうひとつの作業、「いかに分かりやすく社会に丁寧に伝えるかが必要である」という趣旨のことを話しておられました。

中長期的戦略を立てあるいは立て直した上で、市民運動にはこの三つまでがセットで必要です。

 

 従来は、専門家や決定機関の間で取り決めたものを上意下達で国民に降ろしてきました。

ですから多くの国民はそれらのことに知識も無ければ関心も無い、だからどんな法律や制度が出来ても庶民にとってはお供え物でしかないのです。

 この「医療基本法」なるものも、その二の舞を踏む可能性は決して低くはないと思います。

 無い時間をやりくりしての市民活動ですから手が回らないという実態ではあります。しかしだからといって活動におけるこの三つめの課題をなおざりには出来ません。

 国や行政、企業にはじまり、専門家集団の発信物においてはこの三つ目の作業に相当の力が注がれています。その発信物は、実に整理され、誰にも分かりやすいものになっています。市民への浸透がいかに重要なことかを熟知しているからで、広報には多大の力を投じています。それに引き換え、市民運動では伝える力が弱く損をしています。財源、人材等々の問題があります。しかし、広めたいことをいかに伝えるか、それも誰よりも主体者に伝えることはないがしろにはできません。

 鮎澤さんのお話は、これらの課題に向き合う必要性について、改めてわたしたちに考える機会を与えてくださったと思います。