当会の創立に深く関わり、初代事務局長を務め、日本における患者の権利運動を牽引しつづけてきた池永満弁護士が、本年12月1日午前2時21分、がんのため、逝去されました。
その最後の三年余りは、自身がその推進のために力を尽くしてきた「患者の権利」を、まさに自らが患者として実践する日々でした。
池永弁護士は、福岡県弁護士会会長を務めていた2009年秋、肝機能の悪化を指摘されて受けた精密検査で、悪性リンパ肝腫と指摘されました。既に進行していて治癒不能として、化学療法を勧められましたが、これを拒否し、食事療法により自己免疫力を高めるとして、会長職を終えてからは故郷の直方市に拠点を移し、毎朝のジョギングをこなすなど、体力強化に努めた結果、腫瘍は主治医が驚くほどに縮小しました。しかし、その後心筋梗塞の発作を起こして、カテーテル手術を受け、術後に消化管出血が見つかって胃がんが発見され、胃全摘手術を受けました。
さらにその後、肝腫瘍が破裂して、精査した結果、肝細胞がんと診断され、繰り返し塞栓術を受け、肺転移も指摘されていましたが、変わらず精力的に弁護士としての活動を継続し、直方駅舎の保存運動、東日本大震災を受けての「原発なくそう!九州玄海訴訟」に呼びかけ人のひとりとして関わりました。
しかし、今年の秋、小脳転移が分かり、11月にサイバーナイフによる治療を受けたものの、体力が低下し、命つきるに至りました。
今年は「療養に専念する」といいながら、やはり理事長を務めるNPO法人患者の権利オンブズマンの活動にも関わり、苦情調査では自ら報告書を執筆し、また、その主著である「患者の権利」(九大出版会)を大幅改訂した「新・患者の権利」の完成に心血を注ぎ、病室にも資料とパソコンを持ち込み、連日徹夜するなどして、原稿を完成させました。
本人は、三月には出版記念会を開き、その頃までには軽快して仕事に復帰するのだと意気盛んで、いつもきらきらした目で、先のことを語っていました。
小脳転移が分かったとき、主治医は、当初は本人には伝えず、家族を集めてその深刻な病態について説明したとのことですが、家族は、まず本人に伝えてくださいといい、本人は冷静に事実を受け止め、しかしひるむことなく、次のステップへと前向きな姿勢を崩しませんでした。
そのみごとな「生き切り様」に、心より敬意を表したいと思います。患者の権利を中心とする医療基本法制定への運動を進めつつある現在、池永弁護士を失ったことは痛恨に絶えません。
私が最後にお会いして言葉を交わしたのは10月30日、サイバーナイフによる治療を待つ病室に訪ねたときでした。歩けない状態にも全くめげず、小脳転移による平衡感覚の障害について、「これまで一度も経験したことのない感覚」だと、何だか楽しげに語っていました。自身の病による症状の推移をも、いっぱいの好奇心をもって観察している、その精神力の強さ、すべてを肥やしにしてさらに前に進もうという意欲に、舌を巻く思いでした。
一一月中旬には、アメリカの「自己決定権法」について、ぜひ「新・患者の権利」で触れたいが、法文を探して翻訳してほしいという電話をもらいました。いつも、脱稿した著書についても、校正の都度、大幅な加筆や訂正を行い、納得がいくまでそれを繰り返す人でしたから、最後まで原稿を手放さず、手を入れていたのだと思います。
通夜や葬儀は本人の希望により無宗教で、また友人達が彼のことを語る会として営まれました。そこで語ることができたのは、彼の広い交友関係の一部の者で、幅広い活動のいくぶんかが語られただけでしたが、それでも、本当に時代を見る目、特に政治的な視点をもって、あらゆることに、はるか先を見据えながら取り組んでいたことを、改めて感じる時間となりました。
池永弁護士の訃報に接する一週間前、ハンセン病問題国賠訴訟の原告団代表であった曽我野一美さんの訃報を聞いたばかりでした。11月23日午後11時15分、急性肺炎による逝去。ハンセン病問題は、けんりほうnewsに鹿児島の国立ハンセン病療養所星塚敬愛園の入所者であった作家島比呂志さんが寄せた「法曹の責任」という寄稿に端を発しています。敗戦後半世紀を超えてらい予防法という悪法に物言わず温存させてしまったわれわれ弁護士らの法曹としての責任を問う島さんの思いを、九州弁護士会連合会への人権救済申立につないだ池永弁護士のアイデアが、あの国賠訴訟、控訴断念による熊本判決確定、そして今日に至るまでの息の長い運動を担う原告のみなさんの成長と団結を生み出したのでした。
訃報から数日が経って、しだいに池永弁護士の喪失の事実が胸に迫っているところです。書面を作成したり、資料を収集したりしながら、ふと、これについて彼だったらどんな意見を述べただろう、どんな助言をくれただろうと、思うことが多くなっています。
池永弁護士が最後まで手を入れていた「新・患者の権利」、発行については、また本紙でご案内させていただきますので、ぜひ手にとって、お読みいただきたいと思います。
(久保井 摂)