権利法NEWS

『ドクターサーブ』をめぐる往復書簡

 

 216号に掲載したある憲法ミュージカルに関する原稿について、世話人の福田みずほさんから電子メールをいただきました。ご本人の了解を得て、私(久保井)とのやりとりの一部を転載させていただきます。

 

久保井さま

 けんりほうnews216号の「『正義』の思いにひそむわな」、興味深く読ませていただきました。

 唐突に思い出したのが数年前に週刊誌で読んだ、ある世界的に有名な神の手と呼ばれる脳外科医のルポでした。ものすごく難しい長時間かかる脳腫瘍摘出手術をずっと見ていたルポライターの感想はただ一言「そこには人の命を救う、という行為以外の何ものもなかった」。とても印象的でいまも覚えています。

 ハンセン病患者さんたちへの同情心が強く、かなり過激な表現でそのミュージカルを演出した田中さんという方は「1980年代、戦火のアフガン、難民、薬もなく放置された患者たちという特異な設定で日本と結びつけてない」と言われたそうです。

 ここでまた思い出したことがあります。マザーテレサです。超有名なこの方はインドのスラムでハンセン病患者たちの看護に何十年も従事し、質素な生活を貫き通して天寿をまっとうされました。敬虔なクリスチャンで「神のみ心のままに」最底辺に生きる人々への献身的な行為は世界中の人々に感動を与えました。彼女は「かわいそうな人々を救いたい」と言ったでしょうか。定かではありません。しかし英雄視されることを嫌い、ひっそりと悲しむ人々に寄り添って生きました。彼女の残した有名な言葉「愛の反対語は憎しみではない。それは無関心だ」。世界から忘れ去られた人々への関心を引くためになら忙しくて疲れていても、取材に応じ、ノーベル賞受賞式にも出かけて行く。

 また思い出したことがあります。それは約40年前に読んだ遠藤周作の「死海のほとり」という小説です。イエスキリストの生涯について調べていく主人公が、「イエスは奇跡など起こせなかった。弟子たちにも見放された無力な大工だった。彼はただ、悲しむ人々のそばにいるだけだった。愛しただけだった」と語って終わったように覚えています。なにしろ遠い昔に読んだので、ほとんど筋を忘れてしまったのですが、その一節だけは強く印象に残っています。

 私は何の宗教も信じていないので、マザーテレサだのイエスだのと引用するのは面映ゆいのですが、ハンセン病患者がこの世に存在するのだということを知ったのが小学生の頃見た「ベンハー」という映画の中に地下の暗いところに閉じ込められたハンセン病患者たちの前を、十字架を背負わされ、鎖につながれたイエスがムチ打たれながら歩いていくシーンがあって、強烈な印象を残したこと。それから中学生頃になって見た「小島の春」という映画です。「ベンハー」はキリスト教の価値観を基底においた作品で、虐げられた人々を十字架にかけられたイエスが救うのだというテーマでした。宗教心が皆無の私にも感動をあたえるいい映画だといまも思います。確かにあの時代もこの映画が作られた時代もハンセン病は「恐ろしい病」でした。だけど遠藤周作はイエスは誰も救えなかった、何もできなかったと結論付けました。また「小島の春」は強制隔離政策によるハンセン病患者さんたちへのひどい人権侵害を同情的に描いていて、苦悩する医師も出て来たという風に覚えていますが間違ってますか?

 で、投稿の中で久保井さんは「かかる信じがたい人権侵害の政策のただ中にあり、それを強化していったハンセン病専門医たちは、決して悪意で関わっていたわけではありません。むしろ献身的で良心的な医師として悲惨な状況におかれている患者を「救いたい」という純粋な思いから出発しています」と書いています。それなのにどうして? と誰もが疑問をもつところです。久保井さんはその理由を「自らを気の毒な患者を救う側、患者を救われる側と位置づけてしまう心性がそこにはあった」からとしています。うーむ、そのところが良くわからない。患者を救いたいと思って懸命に頑張った医師たちがかえって人権侵害を推し進める張本人となってしまう。ミュージカルはその辺のことを全く考えずにものすごく誇張されたハンセン病患者たちを描いていて、回復者たちの心を傷つけた。いまそのミュージカルを巡って当事者と主催者との間で話し合いが続けられているそうですが、これからどうなるのでしょう。

 映画は演技する人の表情のアップや沈黙や情景描写などによって細かいことも伝えることができますが、舞台ことにミュージカルやオペラ、歌舞伎などは、大げさな身振りや踊りや歌など誇張されたものが多く、慣れていないと白けてしまいます。演出家としては「悲惨な状況にある患者さん」たちへの思いが強くあり、そういう表現になってしまったのではないでしょうか。でも、マザーテレサの言うように「無関心が一番いけない」のでどんな形にせよハンセン病患者たちに関心を寄せ、語り合い、より良い表現方法を模索するべきだと思います。福田みずほ

 

福田みずほ様

 おいそがしい中、真摯な感想のお便り、ありがとうございました。色々と改めて考える機会をいただいたと感謝しています。

「小島の春」ご覧になったことがあるんですね。

私もビデオで一度部分的に見たことがあります。中村メイコが子役で出演しているのでしたよね。

この映画は、小川正子という長島愛生園に勤めていた医師の著書「小島の春」(1938年)を原作としています。小川正子は、ハンセン病患者の絶対隔離政策を強烈に推し進めた光田健輔医師の愛弟子で、光田医師に心酔していた医師のひとりです。「小島の春」の巻頭には光田医師の写真と共に「四〇年の間癩者の慈父としてその貴き生涯を捧げつくさせ給へる我が師光田先生にこの手記を捧ぐ」との献辞があります。

 彼女は、もちろん、差別偏見をおそれて治療も受けずに隠れ潜んでいる気の毒な患者たちを助けたいとの一心で、各地を渡り歩き患者を探し出しては療養所への入所を熱心に勧めました。

 しかし、その勧めにしたがい、療養所に収容された患者は、(特に当時はまだ有効な治療法もなく)実際には自らの労働力で療養所を賄わなければならず、かつ制度的にも、また事実上も(隔離政策によって一層高められた偏見差別から)社会内にもどることが困難になってしまったのです。

 表現者が何をどのように描いたかについての、社会的な意味づけからの批判には、常に一定の危険が伴うことも、私は知っているつもりではあります。

 あの記事は、相当に悩みながら、不適切な表現になっていないだろうかと不安になりながらも、このことはお知らせしなければならないと思って書きました。そしてまた、あの当事者たちがどうぞ対話をつづけていけるように、という思いからも書いています。

 とりとめもなくなってしまいましたが、こうしたやりとりこそ、むしろけんりほうnewsの場でしてみると面白いのかもしれませんね。

 

久保井さま

 お返事ありがとうございます。久保井さんの投稿の中で一番不可解だった点ーなぜ「良心的な」医師が、強制隔離政策を苛酷に進める側になってしまったのかが、分かりかけて来ました。それについては「どう分かったのか」をまた後ほど書きます。ではまた後ほど。福田みずほ

 

久保井さま

 お忙しいところをたびたび失礼します。この数日間私はずっとこの「ドクターサーブ」の問題を考えていました。そして頭に思い浮かぶままを勝手に久保井さんに送り続けて来ました。いま読み返すとどうしようもないくらいの脳天気さで、お恥ずかしいかぎりです。私としては、何かを表現するものにとって、いろいろな批判にさらされるのは覚悟の上で、それでもどうしても伝えたい事があるから発表する。表現方法が過激であっても中立公平な立場に立っていなくても、表現者の思い入れが強くても、表現者の責任において許されること。このミュージカルの演出家が「表現の自由だ」と主張したこともそれはそれで正当である、と言いたかったのです。演技者たちが、何か間違っているとおもったが、仕方なく演出家に従ったとあるのはおかしい。意見があわなければやめればいいのだから。と思いました。しかしながら、ハンセン病回復者たちが、この舞台はハンセン病への偏見差別を助長すると抗議したという気持ちも痛いほど分かりますし、演出家自身ハンセン病の歴史について勉強不足であったこと、偏見差別の甚大な被害にあわれた方々への配慮に欠けていたことを反省していない点は問題だと思いました。

 最後に朝日新聞の女性記者が、鈴木利廣弁護士に「権利って言う言葉、なんか強すぎる感じしますが」と尋ねたところ「それはあなたがいままでに権利を踏みにじられたことがないからでしょ?」と言われた。記者は大変な衝撃を受けた。というエピソードを紹介して終わりにしたいとおもいます。福田みずほ