権利法NEWS

正義の思いにひそむわな

久保井 摂

 10月17日の朝日新聞関西版朝刊に「ハンセン病表現苦悩」と題する記事が掲載されました。関西の弁護士らの呼びかけで企画された人権と平和を考える憲法ミュージカル「ドクターサーブ」の中で、ハンセン病について、偏見差別を助長する表現があったとして、ハンセン病回復者らが修正を求めたというものです。

 

 「ドクターサーブ」は、アフガニスタンで医療や農業を支援する活動を三十年近く続けている医師中村哲さんを主人公とするミュージカルで、前半においてアフガニスタンでハンセン病患者に医療を届ける活動を行う姿を、後半ではソ連撤退、内戦、9.11後の空爆など荒廃した戦場と化した地で、患者に寄り添い、井戸や用水路を掘るにいたる姿を、描いています。

 当事者たちがくだんの問題に気づいたのは、ハンセン病問題弁護団のひとりが、ミュージカルのちらしに「らい」という言葉が使われていることを知ったことがきっかけでした。このことばは、病気に対する負の印象を増幅し、偏見差別につながりかねないとして、以前からその使用を回避する動きがあり、ことに予防法廃止後は使用されなくなっていました。その回避すべき言葉が、しかもちらしに用いられていることに、関係者は衝撃を受けたのです。

 当事者たちからの問題提起を受け、上演前に脚本が開示されましたが、台詞にもたびたびこの病名が使われているほか、医学的に不正確な理解による表現があり、病や患者に対する誤った認識を植え付ける危険があることが指摘されました。

 そこで、主催者側は、台詞から「らい」という言葉を消し、指摘された表現の一部を変え、「現在は治療法も確立、治癒する」との説明文をパンフレットに折り込み、ミュージカル上演前にチラシの表示について謝罪する等の対応を取った上での上演となり、当事者もその初回公演を観ました。しかし、舞台上に表現された「患者」たちがあまりに悲惨に、しかも哀れむべき、人以下の存在として描かれているとして、当事者たちは直視するに耐えず、改めて修正を求めました。

 記事は、治癒して関西に住む当事者の会「いちょうの会」会長の宮良正吉さんの次のような話を紹介しています。

「幼いころ、ハンセン病になり、隔離された。治ったので社会で働き、家族をもち、生きてきた。差別されるのは怖い。病歴を隠したが、隠したままでいたくないと思い、身近な人から告白していった。劇では『怖い病気』と描かれ、ショックだった。耐えきれず、うつむいてしまった。やっとの思いで築いた私の人間関係を壊すもの。見た人に怖いという印象が残るのでは。」

 他方、主催者側、劇の演出家である田中暢さんの談話は、次のとおりです。

「1980年代、戦火のアフガニスタン、難民、薬もなく放置された患者たちという特異な設定で、日本と結びつけていない。現地で患者と出会い、彼らの尊厳と悲しみに寄り添う中村さんを描きたかった。過激に見えたかもしれないが、オブラートに包み隠してしまうと、この病気の苦しみ、悲しみを語ることさえ遮断してしまうのではないか。歴史からこの病気を隔離してしまわないか。やれるだけの修正はしたが、ここから先は表現の自由。当事者を愚弄するとは考えていない。」

 私は、ミュージカルそのものは観ていませんが、台本を読ませていただき、修正前、山梨で行われた公演のDVDを拝見しました。まず感じたのは、極めて大がかりな、また本格的なミュージカルであるということ。ダンスも芝居も歌も、時間をかけ稽古を積んだ上でのものであることがうかがわれました。百数十名の市民が、ボランティアで関わり、実に熱心に演じています。

 患者として描かれている十名ほどの集団は、他の出演者との違いを強調するため、病み朽ちた体表面を象徴するかのごとき黒い襤褸をまとい、獣のように叫び、泣き、身もだえしながら床を転がります。また、初めて重い後遺症を持つ患者に接したワーカーが、足をすくませ、触ることさえできず、「見てはいけないもの見た」とつぶやきます。

 その中で、中村哲氏役の役者さんは患者に触れ、治療し、クリスマスには、ワーカーから「奴らにはこの味はわかりませんぜ」「口が腫れますぜ。もったいない」と反対されながら、患者全員に上等のケーキと紅茶を買い、配ります。しかし、患者たちは毒入りではと恐れて口にしようとしない。そこで、中村氏役の方が毒味をして見せ、こどもの患者に手ずから与え、こどもが美味しいと喜ぶ姿をみて、ようやく他の患者も口にして、笑顔が広がる。それを見たワーカーが、「見て下さい、一人一人の目の輝きを。間違いなく人間の輝きです」と観客に語りかけます。

 闇色をまとって床に腰を下ろした患者たちに囲まれて舞台中央に立つ、白い衣装の中村哲さん(役の方)に、白いスポットライトが当たる光景は、まさに宗教画を彷彿とさせるものです。苦難のただ中にある患者の救い主として気高く描かれていると感じました。

 別の場面では、最重症の患者とされた女性が、「あなたは私に命をくれた」「人間にしてくれた」と中村氏に対する感謝の言葉を述べながら泣き狂います。

 DVDを見終えた時、思わず大きなため息をついてしまいました。主催者側の意図は、誰もが回避するような困難に飛び込み、過酷な実情の中、あえて留まり持続的な活動を続ける中村氏の姿と、国際間の様々な思惑が戦火を拡大し、そこで生きている人々の生活が破壊されている実態を伝えることにより、平和の尊さと憲法を守る意義を伝えることにあったものと思います。

 しかしながら、ハンセン病については、誰が見ても「おそろしい病」に描かれていたと言わざるを得ません。患者役にほとんど言葉らしい台詞はなく、それこそ獣のように泣き叫び、身もだえる演出。「耐えられずうつむいてしまった」という宮良さんの反応は決して過敏ではなくもっともなものだと思います。後に聴いたところでは、出演者も当初この演出に戸惑い、疑問を感じていたそうです。けれど先の談話にあったような、「オブラートに包み込むのは適当でない」とする演出家の指導を受け、自分を説得して演じ込んだ。

 はたして、演出家の言うように、かかる表現を用いなければメッセージを伝えることはできなかったのでしょうか。

 当事者、とりわけ回復者やその家族が目にしたとき、どう受け止めるかということに、主催者側の思いがいたらなかったのは何故なのでしょうか。

 このけんりほうnewsでも何度となくハンセン病問題をお伝えしてきました。かつて日本がとった強制隔離政策がいかに苛烈で、患者や関係者の権利をどれほど踏みにじるものであったか、また、療養所の中でどのように悲惨な実態があったか、たびたび紹介してきました。しかし、かかる信じがたい人権侵害の政策のただ中にあり、それを強化していったハンセン病専門医たちは、決して悪意で関わっていたわけではありません。むしろ、献身的で良心的な医師として、当時治療法もなく、公衆衛生も不備で、悲惨な状況におかれている患者を「救いたい」という純粋な思いから出発しています。

 なぜに良心的な医師たちによってあの未曾有な人権侵害が突き進められたのか、すべてが解明されているわけではありませんが、困難な中でハンセン病医療に携わるうちに、意識しないまま、自らを気の毒な患者を「救う」側、患者を「救われる」側と位置づけてしまう心性が、そこにはあったといえないでしょうか。

 私は中村哲氏がそうであるとは思いません。著書を読んだり、講演を聴いたりする中で知る中村氏は、ソ連のアフガン撤退後バブルのように押し寄せた欧米のNGOが、そこに生きる人たちの主体性を尊重せず、西欧の正義や価値観を押しつけ、結果としてさらなる対立や争いを産み、介入前よりいっそう国土を疲弊させていったことを強く非難しています。当事者の中に分け入り、言葉を覚え、その価値観を知った上で、彼らの目線で必要な支援を選び出していく。それが中村氏の活動の根幹にはあります。

 しかしながら、このミュージカルでは、中村氏は、やはり哀れで気の毒な患者の救い主として、英雄として描かれていると感じました。そのような中村氏に「共感」した制作者が伝えるメッセージは、観客にも「救い主たる中村医師」側からみたものとして伝わり、そこでは、患者は「正義と信念を持って救うべき対象」という扱いになってしまうのではないか。

 ハンセン病問題ロードマップ委員会の最終報告書が、患者の権利を定める医療の基本法の制定こそが、医療施策におけるかかる人権侵害の再発防止のためには必要だとしているのは、検証会議での検証を通じて、本来医療の主体とされるべき患者が、単なる対象としてしか位置付けられてこなかったことが根本的な原因になっていることが明らかになったからです。私達が提唱しようとしている「医療基本法」は、「与えられる医療から参加する医療へ」という二七年前の患者の権利宣言案から一貫して唱えているスローガンを具現化するものであると同時に、私達が他者に対して「救い主」の意識を持つことなく、ともに権利主体として、互いを尊重し、みんなにとってよい医療のあり方を描くことのできる仕組みの基盤をつくろうとするものです。

 さて、このミュージカルについては、新聞報道後も当事者と主催者の間で真摯な交渉が続けられています。10月いっぱい関西の五つの会場で計六回の公演が行われたとのことですが、今回の問題をきっかけに、これで終わりとするのではなく、対話が継続され、主催者や関わった市民の方々が、ハンセン病問題をはじめとする人権課題に対する理解をより深める活動が続いていくことを心より期待します。