事務局長 小林洋二
○ 事故調査制度に関する日本医師会の提言
医 療事故調査制度に関しては、2008年に厚労省の第三次試案及び大綱案が公表されたもの の、政権交代等の影響もあってか、その後なかなか進展が見られない状況になっていますが、日本医師会「医療事故調査制度に関する検討委員会」は、本年6 月、「医療事故調査制度の創設に向けた基本的提言について」を発表しました。
内容的には、全ての医療機関に院内事故調査委員会を設置することを前提に、医療関連死につ いては第一次的に院内事故調での調査を実施し、その能力を超える事案について、現在の日本医療安全調査機構を中心として構築される「第三者的機関」が調査 を行うという形が基本になっています。確かに、再発防止のためには、その事故が起こった医療機関自らが調査を行うのが効果的であること、また、これは第三 者機関をどのような組織としてイメージするかにもよりますが、全ての医療関連死を第三者機関による調査対象とするのが果たして現実的なのかという疑問も あったことからすると、院内事故調を基本とするというこの提言には頷ける部分も多々あります。
し かし、厚労省の大綱案による医療安全調査委員会は、関係者に報告を求めることをはじめとして、出頭を求めて質問すること、関係物件を提出を求め留置するこ と等の権限をもつものとして構想されていました。一方、この提言がイメージしている「第三者的機関」は、日本医療安全調査機構を中心として日本医師会、日 本医学会をはじめ関係団体が参加する、いわば任意団体ではないかと思われます。そのような任意団体に厚労省案のような調査権限を付与できるかどうか、また 調査権限なしで実効的な調査ができるのか、という問題がまずありそうです。
また、 この提言では、院内事故調査委員会の調査能力を超える案件のみが「第三者的機関」に報告されるということになり、それ以外の案件は院内事故調限りの取扱に なりそうです。これでは、せっかくの事故調査の結果を医療界全体で共有することができませんし、また、患者・遺族の側からすれば、当該医療機関の判断で、 本来ならばきちんとした調査がなされるべき案件が、身内の調査でいい加減に済まされてしまうのではないかという懸念を払拭できないでしょう。提言では、患 者・遺族からの「第三者的機関」への調査請求も可能としていますが、「第三者機関」がどのような要件を充たす場合にその請求に応じて調査を開始するのかは 検討されていません。
これについては、やはり厚労省案のいわゆる医療事故死等、す なわち、①行った医療の内容に誤りがあるものに起因し、又は起因すると疑われる死亡又は死産、②行った医療に起因し、又は起因すると疑われる死亡又は死産 であって、その死亡又は死産を予期しなかったものの全件について、医療機関から「第三者的機関」への届出を義務付けるべきではないでしょうか。その中で、 院内事故調査委員会の調査能力を超えるものは「第三者的機関」で調査し、それ以外のものは院内事故調の調査対象とすることとすれば、この提言のメリットも 活かせるはずです。患者・遺族から「第三者的機関」への調査請求があった場合も、上記の「医療事故死等」の要件に該当する場合に調査が開始されるいう制度 にすれば整合性も採れるように思えます。
このほか医師法21条の異状死届出義務の 改廃問題など、論点はいくつかありますが、いずれにせよ、きちんと議論すれば解決できない問題ではありません。この提言も、「これまでの(事故調設置に向 けた)議論をそのまま終焉させてしまうことは、医療界にとってのみならず社会にとって不幸なこと」としており、事故調査制度創設に向けての議論を盛り上げ ていくための契機として受け止めたいと思います。
○ 無過失補償制度
政府は、「規制・制度改革に係る方針」(2011年4月8日閣議決定)において、「医療行為の無過失補償制度の導入」を掲げました。概要は以下の二つです。
① 誰にでも起こりうる医療行為による有害事象に対する補償を医療の受益者である社会全体が薄く広く負担をするため、保険診療全般を対象とする無過失補償制度の課題等を整理し、検討を開始する。
② また、同制度により補償を受けた際の免責制度の課題等を整理し、検討を開始する。
五 月、民主党内に「医療の無過失補償制度を考える議員連盟」が発足しました。会長に就任した森ゆうこ参議院議員は、「医療事故に関連した事件は、医療崩壊・ 医師不足の一つの要因になっている。患者、国民、医者の信頼関係を再構築する意味でも提言していきたい」と抱負を語っています。
六月に発表された日本医師会の前掲「医療事故調査制度の創設に向けた基本的提言について」も、患者救済制度の創設に向けて議論を開始すべきとの提言で結ばれています。
前掲の閣議決定を受け、厚生労働省は「医療の安全・医療の質の向上に資する無過失補償制度等のあり方に関する検討会」を設置し、八月から検討を開始しました。開催要項によれば、検討課題は以下の四つです。
① 補償水準、範囲、申請、審査、支払、負担及び管理等の仕組みの在り方について
② 医療事故の原因究明及び再発防止の仕組みのあり方について
③ 訴訟との関係について
④ その他
事務局作成の当面スケジュールは、今年末に中間とりまとめ、来年春にパブリックコメントを実施し、六月には試案とりまとめというかなりのスピードです。
「つ くる会」は、2001年9月に「医療被害防止・補償法要綱案の骨子」を採択・発表し、医療被害に対する無過失補償制度を提唱してきました。産科においては 2009年1月から無過失補償制度が実現していますが、医療一般における無過失補償制度がこのような公的な検討のテーブルに上ることは初めてのことであ り、画期的な前進と言えます。
しかし、忘れてはならないことは、無過失補償制度と医療事故調査制度は、患者の「安全な医療を受ける権利」を保障するための車の両輪だということです。
当 初、この二つについては医療事故調査制度の議論が進行し、無過失補償制度に向けての議論はやや遅れた形になっていました。それが、ここにきて、事故調の議 論を追い越す形で無過失補償の議論が前面に出てきた背景には、いわゆる「医療崩壊」論との絡みで、無過失補償制度による医療訴訟リスク回避というメリット が注目されていることがあるようです。議連会長の森議員の発言にもそれが窺われますし、厚生労働省の検討会でも、事故調査や再発防止の議論と補償の議論は 別であり、切り離すべきだという議論が出ているようです。
しかし、訴訟リスク回避 を主なメリットとしてこの制度の議論をすれば、必ず、補償を受けることでの訴権放棄という問題が出てきます。つまり、医療事故被害者に対して、この無過失 補償制度で補償を受け取るか、それとも損害賠償請求訴訟で責任追及するかという二者択一を迫るような制度設計になりかねない危険があります。極端な話、補 償額の設定によっては、低額の補償金によって被害者を黙らせるという制度にもなりかねません。
現 在の産科医療補償制度を創設する際にも、この訴訟リスク回避というメリットについては議論されたようですが、結果的には訴権を制限しない制度設計になって います。この産科医療補償制度の現状をどう評価するかも含め、今後、無過失補償制度と事故調査制度を車の両輪として推進していくための取り組みが重要で す。