権利法NEWS

情報「本当に必要で欲しいものが、無い」 だから、「本当に欲しいものが欲しい」

小沢木理

 そもそもおかしなことですが、医療消費者(患者)は医療に於ける法律など殆どま〜ず知りません。医療者自身も知らないことに驚かされることもしばしばで す。かといって、医療に関する法律を、いざという必要な時に水戸黄門の印籠のように取出してきて説得力のあるものになっているかというと、それもそうでは ないのが実情です。
確かに、専門分野がまたがっていて、その専門職にある人たちにとっては意味があるのですが、サービスを受ける側がそこまで把握しきれないことはある程度やむを得ないと思います。

必要な情報は全て見えるように
 しかし、医療に関するどの法律も患者にとって必要な情報ですから、ネット社会とはいえインターネットで検索して探させるばかりでなく、図書館にあるとか身近に触れられるようになっている環境が必要です。何重もの重い扉の奥に眠らせておくものではなく、誰もがアクセスしやすい環境を作ることが、国や自治体の、時には医療機関の説明責任の入り口だと思います。

 現在行われている患者への情報提供というものは、分かり易い例えで恐縮ですが、例えば店先に並べてある商品を提示しているに過ぎません。医療機関という施設やそこでのサービス(商品)内容の説明に留まっていて、その先のパッケージの裏にある品質保証(実体)については、買ってみるまで分からない。買ったものが納得出来ないと感じた時、金銭的負担も大きいですが、時間と心身の負担、時には大きなダメージをさらに負うことになります。

 この流れで今一番危惧することは、医療の均てん化(誰もが等しく医療を受けられるようにすること)が進められることは無論賛成ですが、一方で、「医療」という一字でカバーされてしまう怖さを感じています。工場で同じ規格で生産されるモノではなく、医療はひとりひとり個別の人間が行う非常にナイーブな行為です。それ故、診察、検査、診断、治療、投薬、どの場面に於いても時に大きな個人差が出てくることがあります。
 私が、組織して10年間患者のサポート活動をしてきた経験から、こういった内容についての苦情や相談が多くありました。なかでもとりわけ多かったのが、「どこの医者がいいか知りませんか。教えて下さい。」というあまりにも当たり前のしかし切実な声です。
 一見、患者の我が儘と捉えられがちですが、どういう状況の患者であろうと、〝知りたい情報が無い〟ことには変わりありません。
「医師に出会えさえすれば解決」とは多くの人が思ってはいないと思います。主治医制度も同様で、主治医は欲しいけど、限定された主治医が必ずしも納得出来る医師とは限りません。物理的制約から近くの医療機関で我慢している例は決して少なくないと思います。誰にも同じように医療が受けられるようにすることだけが、イコール患者の満足ではないということです。
これからは、患者にも参加する医療を求めていく(医師の治療法に無条件に協力する義務とかいうのでなく)必要はあると思います。しかし今迄「参加する患者」になれなかった背景には、「お任せ患者」にしておきたかった国や医療者側の事情があったのだと思います。患者の権利を並べつつ今もそれを担保する体制が不十分なのです。
今、いや、いままで患者が一番知りたかった情報、欲しかった情報とは、未だアクセスできないその医療というパッケージの中身であり品質表示です。

知りたいのは、単なるパッケージだけではない
 よく患者の権利として「自己決定権」「セカンドオピニオン」ということばが使われます。また、現行の「医療法」の総則で、〝医療を受ける者の利益の保護及び良質かつ適切な医療を効率的に提供する体制の確保を図るべし〟とし、その第二章で、〝医療に関する選択の支援等、医療に関する情報の提供等〟と情報提供の重要性を謳っています。

 この「自己決定権」「セカンドオピニオン」などは、医療を受ける者の利益の保護及び良質かつ適切な医療を効率的に提供する体制の確保を図るためにも、その判断に必要な情報提供とセットで考えなければ成り立ちません。
しかし実際には患者が比較判断する情報が無いまま医療機関に飛び込み「セカンドオピニオン」を求めます。ところが、何件尋ねてもAオピニオンのコピーの連続であったりします。かといって、ただ数の論理でAオピニオンが多数だからそれで解決ではないことがあります。前医による望ましくない治療結果が、セカンドオピニオンによってもさらに増幅されることも出てきます。完璧な医療などないとしても、また同時に完璧な医師の情報(治療方針等の)でないにしても、少しでも事前に医師を選択する判断材料が強く必要とされています。

 医療界においては、タブーが多過ぎます。そしてそれが当たり前だと思わされています。
 しかし、それが食品であったらどうでしょう。口に入れないまでも、例えば遊具であったら、生活用品であったらどうでしょう。そのものについてのあらゆる情報は、消費者がチェックできて、自ら判断することが出来ます。このように自分で判断が出来ない状態に置かれていること自体が、いまだ医療界は患者の人権を軽んじているとしか考えられません。

 医療の安全、医療の質、医療の均てん化に努力されている医療者が多くおられることも事実です。そういう方々には頭が下がります。
しかし、それとは別に、医療の中身が見えるようになっているかは別のことです。

抜けてる、受診前に判断選択する為の情報提供
 患者にとって欲しい情報とは、まずは病状によっては明暗を分けることに繋がる医師自身の情報です。治療方針、治療実績や得意分野、医師自身の自己紹介等医師情報の開示が挙げられます。この情報自体、医療に求められるものを保証するものではありません。あくまでも最低限の基礎情報です。
 しかし医療提供者側にしてみれば、医師確保の立場からは公開したくない情報かもしれません。医師を選ばれては困るからです。
 いづれにせよ患者は経験を通して、パッケージに関係なく善かれ悪しかれ医師や医療機関の実体をすぐ知ることになります。学閥に関係なく信頼出来る医師を判断します。
 とはいえ、現実的には、病院などでは医師不足から移動や出向医師が殆どで、また医療の均てん化を図る上でも患者による医師の自由な選択など無理な相談です。患者自身も実際には選べない現実を承知しています。
 しかし、それでも患者の受診の選択に資する情報、セカンドオピニオンの実効性を担保するためにも、医療のパッケージの中身の医師に関する情報は患者が知りたい基本情報であることには違いありません。医師情報以外にも知りたい情報はありますが、こういった情報を国も医療者も患者のために整備し提供していく責任と義務があると思います。

 いま目指している「医療基本法」を考える上でも、その重要な視点が抜け落ちていると思います。「医療基本法」を検討する中で、 [情報に関する権利]が〝自己に関わる医療情報の提供〟となっていますが、ここで主張したいのは、受診以降の自己情報に留まらず、受診前に判断選択する為の情報提供〟の必要性が抜け落ちてはいけないということです。その中身について充分に議論されていないとしても、「基本法」であるが故にこの受診前の情報提供の捉え方は非常に重要で、患者の権利のひとつの柱としてこの一文が入ることが欠かせないと考えます。
 患者の権利擁護対策は、苦情受付制度や医療被害救済制度など事後対策的なものだけでは充分ではなく、事前に必要情報をしっかり提供することまでが保証されなければならないと思います。
 ドクターショッピングなんて言い方はとてもできない深刻な状態でドクター探しをしている患者さんが多くいます。こういう状況を作っているのは、偏に患者が医師を選択するための情報を与えられていないためです。
 医師不足を理由として、その医師がどういう医療を行うのかを知らせないというのは問題のすり替えだと思います。
 受診前に、医療や医師の判断や選択をする為の情報は、医療のスタートラインで、ここから医療が始まっているからです。
 この問題がいかに切実な問題であるか、その厳しい実例を次回お伝えしたいと思います。