事務局長 小林洋二
前回の世話人会で、①医療の公共性を強く意識し、②国・自治体、医療者・医療機関以外の医療にかかわる関係者(ステークホルダー)の責務、③医療専門職の集団的自律権などを加えて、新たな要綱案を策定するとの方針が提起され、現在、会員のみなさまの意見を集約中です。
この機会に、これまでの要綱案改定の歴史をおさらいしてみましょう。
第一次改訂(1993年11月)
権利要綱案が発表されたのは、1991年8月のことです。その要綱案パンフレット「与えられる医療から参加する医療へ」の第一版は、まだ「患者の権利法をつくる会準備会」の名義で発行されました。
第一次改訂が行われたのは約2年後の1993年11月。細かい文言の修正が多いのですが、それだけに、つくる会発足当時の力の入った議論を思い起こさせます。
例えば、IV章「患者の権利各則」の(a)(自己決定権)の旧規定は、「患者は、医師及び医療従事者の誠意ある説明、助言、協力、指導などを得た上で、 自由な意思にもとづき、診療、検査、投薬、手術その他の医療行為を受け、選択し、或いはそれを拒否することができる」というものであったところ、「医療行 為を受け」の部分が「医療行為に同意し」に改訂されました。改訂の理由には、I章「医療における基本権」(e)(医療における自己決定権)の部分と表現を 統一したものとのみ説明されていますが、その背景には、患者は医療行為の単なる受け手ではなく主体であることを明確にしたいという思いが込められていたの ではなかったでしょうか。
内容自体が改訂されたのは、IV章(c)(インフォームド・コンセントの方式、手続き)の規定です。旧規定は、「患者及び医療従事者は、医療行為に関す る説明と同意につき、書面により行うことを求めることができる。/胎児、小児、痴呆老人、意識障害のある者などに対するインフォームド・コンセントは、そ の患者に代わって意思表明をなす法律上の権限を有する者または法律上の保護義務を有する者に対し行うことができる。この場合は必ず書面によらなければなら ない」というものでした。改訂後は、従来の第一文が(1)として独立し、第二文が「患者が疾病・未成熟等を原因として、医療行為に関する説明、報告等を理 解し、或いは同意・選択・拒否する能力が欠如している場合には、患者に代わって患者の最善の利益を代弁することのできる法律上の権限を有する者を患者の代 理人とする」との文言に変わりました。
小児だからといって、あるいは痴呆老人(という表現の問題も当然あると思います)だからといって一般にインフォームド・コンセントの能力が欠けていると は言えないのであり、あくまでも個々的な場面に即して医療行為に関する説明、報告等を理解し、或いは同意・選択・拒否する能力が欠如しているかどうかを判 断すべきなのだというこの改訂には、患者の権利をめぐる議論の深化が明らかです。「その患者に代わって意思表明をなす法律上の権限を有する者または法律上 の保護義務を有する者」が「患者に代わって患者の最善の利益を代弁することのできる法律上の権限を有する者」に変わったのは、精神保健法における保護義務 者の問題が意識されたものと思われ、この点でも議論の拡がりが感じられます。また、旧規定では、インフォームド・コンセントを行う主体として医療提供者が 想定されているように読めますが、改訂によりその問題も解消しました。なお、旧規定で小児などと並んでインフォームド・コンセント能力を欠く患者として挙 げられていた「胎児」については、これを独立の主体と考えるか否か、女性の権利との関係で厳しい指摘があったことが改訂後の解説文からは窺われます。
第二次改訂(2001年9月)
権利要綱案が発表後10年を経て、患者の権利を巡る状況は大きく変化しました。第二次改訂は、その様々な変化に対応した大改訂となりました。改訂は、大きく三つの点に分けることができます。
○ カルテ開示の前進に伴う改訂
ⅣIV章(f)(医療記録の閲覧謄写請求権)の規定は、「患者は、自己の医療に関して、医療機関或いは医療従事者から治療経過にかかる要約的説明文書(サマ リー)を受けるとともに、医療機関が有している自己の医療記録(カルテ等)を閲覧し、或いはその写しの交付を求めることができる」とされていました。
要綱案発表当時は、患者の権利に理解のある医療従事者からも、この条項に対する強い抵抗感が示されていたものです。しかし、さまざまな取組みを経て、 1998年には厚生省「カルテ等診療情報の活用に関する検討会」がカルテ開示法制化を提言し、翌1999年には日本医師会が「診療情報の適切な提供を実践 するための指針について」を策定、発表し、カルテ開示を原則とせざるを得ないところまで運動は前進しました。しかし日本医師会の指針で、医療機関の大きな 逃げ道になっていたのが、サマリーの交付を、カルテの閲覧・謄写に代えることができるとなっていたことです。
この間、つくる会では1995年10月に医療記録開示法要綱案を、1999年11月には医療記録法要綱案を策定、採択し、カルテ開示法制化のイメージを示してきましたが、権利法要綱案本体はそのままになっていました。
この第二次改訂では、(医療記録の閲覧謄写請求権)の規定を、「患者は、医療機関が有している自己の医療記録(カルテ等)を閲覧し、或いはその写しの交 付を求めることができる」と単純化し、サマリーの交付とカルテ開示は全く別物であることを明確にしました。但し、サマリーの交付にはカルテ開示とはまた 違った有効性もあることから、IV章(b)(説明及び報告を受ける権利)に(2)を新設し、サマリーの作成・交付を求める権利を規定しています。
またIV章(e)(検証権)は、標題のみ(セカンド・オピニオンを得る権利)に改訂しました。1991年当時は、「セカンド・オピニオン」という言葉が 日本語としてまだ定着していないということで「検証権」との言葉を使っていましたが、2001年段階では既に定着していると考えられたわけです。時代の流 れを感じさせる改訂点の一つです。
○ 患者の権利擁護システムに関する改訂
1999年には患者の権利オンブズマンが発足しました。オンブズマンによる具体的な患者の権利擁護活動の進展の中、要綱案の患者の権利擁護システムに関する条項の改訂も議論されました。
その結果、II章(a)(権利の周知と患者を援助する義務)の規定の「〜患者自身がその権利(本法に定める患者の諸権利)を十分行使しうるよう援助しな ければならない」という文言を、「〜患者自身がその権利を十分行使しうるよう、すべての市町村に一定数の患者の権利擁護委員をおいて患者・家族からの苦情 相談を受け、医療機関との対話の促進を含め苦情が迅速かつ適切に解決するよう援助しなければならない」と改めて、「患者の権利擁護システム」を国、地方自 治体の義務として具体化するとともに、V章「患者の権利擁護システム」(a)(権利の公示システム)の「医療機関は、本法に定める患者の諸権利を具体的に 行使する手続等につき施設内に公示しなければならない」という文言の「手続等」の部分を「手続等(苦情申立窓口を含む)」と改める等、苦情処理の重要性を 強調する改訂が行われています。
○ 安全な医療を受ける権利に関する改訂
1999年は、横浜市立大学の患者取り違え事故、都立広尾病院の消毒薬誤点滴事故等が耳目を集めた「医療事故クライシス」の年であり、医療の安全性に対 する社会的関心が高まった年でもありました。翌2000年の第四次医療法改正で特定病院に対して安全管理体制が義務付けられる等、この年を境に、医療安全 が政策課題にとりいれられていくようになります。
こういった状況の中、つくる会は「医療事故防止・補償法要綱案の骨子」を策定し、2001年9月の総会で改訂された要綱案と同時に採択しています。
要綱案第二次改訂作業の中で、最も熱心に議論されたのが、この安全な医療を受ける権利を巡るものでした。
もともと患者の権利宣言運動から患者の権利法運動を推し進めてきたのは、医療事故再発防止への強い想いでした。つくる会の中に、医療安全の重要性について異論があるはずはありません。しかし、この時点で、要綱案の本文に「安全」という文字はありませんでした。
それは、I章(c)(最善の医療を受ける権利)の解釈に関わっています。
医療の質は、専ら有効性と安全性の観点から判断されます。ある患者の状態に対して、ある医療行為が、他の医療行為に比較して最高に有効で、かつ最高に安 全であれば、その医療行為が「最善」であることを誰も疑わないでしょう。しかし、そのようなことは殆ど考えられません。有効であればあるほど一定の危険性 も含むというのが通常であり、医療が「最善」であるかどうかは、その兼ね合いで判断されるべきものです。いくら有効でもそれを上まわる危険性があれば「最 善」とは言えませんし、安全性が確実でも有効性が認められなければ「最善」とは言えません。そういった観点から、第二次改訂に向けての議論でも、医療行為 の「安全性」の判断は、「最善性」の判断に既に含まれているものであり、「最善の医療を受ける権利」とは別に、「安全な医療を受ける権利」を考える必要は ないのではないかという意見は相当な説得力を持っていました。
しかし、医療行為には必然的に危険が含まれるとしても、その危険性の程度は安全管理体制次第です。「医療事故クライシス」以降の議論で明らかになったこ とは、危険性をなくすことはできないが減らすことはできるというごくあたりまえのことでした。その意味では、やはり「安全な医療を受ける権利」を患者の権 利の一つとして位置付け、国、地方自治体や医療機関に対して安全管理体制を求めていく根拠とすることに、大きな意義があると考えられます。
以上のような議論の結果、I章(d)として、「すべて人は、安全な医療を受けることができる」という規定が新設されました(これに伴い、従来の(d)は (e)となり、以下同様にずれています)。また、他の規定に出てくる「最善の医療」という文言は、全て「最善かつ安全な医療」と改訂されました。
第三次改訂(2004年10月)
2001年5月、熊本地方裁判所は、「らい予防法」によるハンセン病患者・元患者に対する隔離政策を憲法違反であったと判断して原告らの国家賠償請求を 認容し、この判決は確定しました。この判決を受け、ハンセン病問題の再発防止を目的として設置された「ハンセン病問題に関する検証会議」は、2004年7 月、中間報告「公衆衛生等の政策に関する再発防止のための提言(骨子)〜ハンセン病問題における人権侵害の再発防止に向けて〜」を発表し、「患者・被験者 の権利の法制化」を再発防止策の柱の一つとして位置付けます。
つくる会においても、ハンセン病問題と患者の権利についての議論を重ね、I章「医療における基本権」に、(g)「すべて人は、病気又は障害を理由として 差別されない」との条文を新設することになりました。また、Ⅱ章「国及び地方自治体の責務」に、(d)「病気または障害を理由とするあらゆる差別は禁止さ れ、撤廃されなければならない」との条文を加えました。
この改訂作業においても、「患者の権利」は「保健医療サービスの利用者としての権利」であり、保健医療サービス利用の場面を超えて、広く社会的差別一般 を禁ずるのは患者の権利法本来の射程を超えているのではないかとの慎重論があったことは、要綱案パンフレット「与えられる医療から参加する医療へ(6訂 版)」の解説記載のとおりです。
第四次改訂に向けて
医療基本法による患者の権利の法制化という発想は、「ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」(通称「ロードマップ委員会)の議 論の中から出てきたものです。この「ロードマップ委員会」は、「ハンセン病問題に関する検証会議」の示した再発防止作をどう実現するかを検討するため委員 会であったことを思えば、第四次改訂の議論は、第三次改訂と連続するものとも言えます。
特に、パンフレットの解説に、「日本の感染症患者及び精神障害者に対する社会的差別・偏見は、医療政策によって作出・助長されてきたという歴史を踏ま え、医療政策の基本法たるべき『患者の権利法』の中に、『病気及び障害による差別を受けない権利』を位置づけることが、同様の過ちを繰り返さないために重 要であると考える」という文章を読むとき、その想いを深くします。
様々なところから「医療基本法」を求める声が上がっているこの時に、「医療政策の基本法たるべき『患者の権利法』」はどうあるべきか、これまでの改訂作業を上まわる熱心な議論を期待したいと思います。