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Hospital Wandering in Formosa 第31回台湾皆保険制のゆくえ

台湾在住 眞武  薫

随分長いこと原稿を出せずに、今年も残り少なくなってしまった。母の脳梗塞はそれほどひどいものではなかったが、夏休みはそれまで母の世話で疲れた家族の負担を少しでもなくすこと、これから周りの者がそんなに無理することなく母の世話をしていくための計画をたてるつもりで帰国した。しかし、既に周りの者がかなり疲労困憊していたため、筆者が家事一切を引き受けることになってしまった。

今年の日本の夏休みは、猛暑、度重なる台風の襲来で本当に大変だった。もともと筆者は暑さに弱いため、八月下旬にはとうとう夏の疲れが出て入院することになってしまった。この入院体験記は別の機会に譲ることとして、今回は台湾へ帰ってからの健康保険の変化を述べてみたい。

退院した次の日は台風、9月30日に台湾へ戻り、午後から授業を行った。退院時の薬は二週間しか処方できないため、戻ってから早いうちに台湾の病院へ行く必要があった。戻ってすぐは新学期が始まったばかりだったので(台湾の新年度は8月1日に始まる。大学が実際に前期の授業を始めるのは九月中旬からである)、学内は学生の履修をめぐりかなり混乱していた。新学期の風物詩と言ってしまえばそれまでだが……。

リハビリも放っておいたし、入院中も台湾から持ち帰った日本にはない薬を服用していたため、残りも殆どなくなり、早急に外来受診する必要があった。戻って一番に行ったのが台湾大学附属病院だったから、実感が沸かなかったのかもしれない。ここは以前から一人の医師が診察する患者の数はかなり限られていた。特に何の変化も感ずることなく、処方の薬も変わらなかった。

その日は台北に泊まり、次の日に台北市内の財団法人の経営する病院へ行った。その日の外来は以前述べた心臓カテをしていただいた循環器医にかかる予定だった。かなり人気の医師のようで、午前中の患者さんは百人を越していた。通常、台湾の病院の予約は受診時に病院がしてくれる、電話で予約する(これにも電話の指示に従って番号を入力する方法、直接電話で係員に話して予約する方法とある)、院内にある予約機の端末を使う、インターネットで予約するが主流である。

パソコンや機械に不慣れなお年寄りなどは、外来の時に直接医師に予約を頼んだり、電話で直接係員と話せばよいので、かなり至れり尽くせりのサービスである。病院によっては、現在の進行状況をネットで検索できるところもあり、病院で待ちたくない場合や、病院の中の喫茶店で待っている場合は

病院にアクセスすれば進行状況がすぐに分かる。勿論、院内には色んなところに端末があるので、調べたい時に外来診療の進行状況を知ることができるのだ。

以前にも述べたが、台湾の病院の長所は徹底した番号制度であると思う。

上記のようなサービスは、日本でもPHSを使って患者さんに順番が近いことを知らせるようなサービスを始めている病院があると聞くが、それほど多くはないようである。実際、日本帰国時に筆者が通っている病院は更に一歩進んだオーダリング・システムを導入していたようだが、欠点も見受けられた。

病院についてまず、自動受付機に診察券を入れると、診療科や予約時間が出てくる。筆者はそれで受付が完了したものだとばかり思い、各科の窓口へ行くのは大抵予約時間になってからだった。勿論自分が何番かはわからない。

「予約時間に行ったのに随分待たされるなぁ」と思いつつ、暫くしてからその謎が解けた。受付のクラークさんがいうには、「病院玄関に設置してある受付機にカードを通しても、それは本当に本科の受付が済んだことにはなりません。その後、直ちに各科の受付窓口へお越しください」ということだった。

受付が二重手間になっただけではないか。

さて、財団法人の循環器の医師はいつも患者さんが多く、通常の予約ができる二週間前では既に〈額満(予約でいっぱい)〉となっていて、予約不能な医師が多い。そういう時は、医師の外来日に直接診察室まで行き、〈加号単〉という許可証をもらって受付へ行くと、診てもらえる。財団の場合、とてもこなせない人数でない限りは、この〈加号単〉を快く出してくれていた。

ところが今回は事情が違っていた。まず、診察室の入り口に「〈加号〉は受け付けません」とある。医師はまだ来られておらず、看護師に頼んでも「もう〈加号〉はできません」と言われた。かかりつけの医師なのにこういう状態であった。神経内科も同様〈額満〉にはなっていたが、ここは〈加号〉はしてくれた。ところが処方の段階で問題が起きた。

筆者は持病に糖尿病があるが、かなり以前より手足の痺れ感があるので、糖尿病性神経障害の薬であるビタミンB12を処方してもらっていた。ところが、今回は「神経伝導速度の検査では明らかな神経障害であるとは断定できないので、健康保険局が適応症とは認めない。自分で薬局に行って購入するように」と言われた。

筆者が台湾を離れている間に何が起こったのだろう。しかし、健康保険局と何らかの関係はありそうだ。後で医事課に勤務する友人に訊いてみた。答えは健康保険財政圧迫のため、医療費にかけられる予算が大幅に削減されたことだった。以前に述べた「大きな病気は大きな病院で、小さな病気は小さな診療所で」のスローガンを予算削減という形で具現化したようである。

予算が削減されれば、たとえ一日に沢山の患者さんを診ても、予算をオーバーすればそれはお金にならない患者となり、患者をカットし始めたのだ。薬品については今までの濫発も問題ではあったろうが健康保険局は、何が患者に必要な薬かということをじっくり吟味することもなく、ただ適応症ではないという理由で処方箋を書かせなくなった。そうすると、医師がいくら健康保険の適用範囲で薬を出そうとしても出来なくなる。言える助言は「直接薬局に行って買いなさい」である。

これは一般に患者数が多く、収入も多い歯科医院で最も顕著になっているそうだ。一ヶ月の予算内の患者を診てしまえば、あとはお金にならないというので、その額に達した診療所は月末には休診をするそうである。これを以って医療の改革と言えるのだろうか。

日本でも膨れ上がる医療費をどうするかという問題は非常に深刻で、台湾と同じような事態も起こっているのだろうが、これらの問題を考えるとき、本当に必要なものは何かを見極め決定する能力のある者が参与し、予算を決めるべきであると感じた。

○ その後の楽生院

八月五日から七日と、久保井さんをはじめとする数人の弁護士さんとともに楽生院入りしました。まず、驚いたのが突貫工事で建設中の新病院の建設スピードの速さです。「前回訪問したときにはこんなにできていなかったのに・・・」と。

そして台湾へ戻り、皆さんのことも気になり、先日一人で行ってみました。後になってから、バスの便はすごく良いことが分かったのですが、行きはバスを乗り間違え、通常台北から45分くらいで行けるところが3時間もかかってしまいました。院に着いたのは夕方の六時過ぎで、もうあたりも暗くなっていました。そこで驚いたことは「新しい病棟に明かりが灯っている!」でした。約二ヶ月で、新病院の工事は内装まで進んでいるようです。

現在、楽生院の存続をめぐっていろいろな運動がなされていますが、なかなかうまくは行かないようです。ある入所者の方から「四人部屋だけどとても狭いのよ。昼間だったら中に入れるから、今度来たとき入って見たらいいわ」と言われました。

これも大変なことですが、わたしたちが楽生院を訪れるたびに通訳や案内をしてくださっていたCさんの足の状態が良くないことがとても気になりました。数年前に亡くなったお母様は痛みが激しく、痛み止めを多量に使われた関係で、造血機能に障害を起こし、一ヶ月に四回程度輸血をしなければならなくなりました。当時は国民皆保険ではなかったため、Cさん自らが血液を購入し、看護師に頼んでお母様に輸血をしてもらっていたそうです。

しかし、国民皆保険になってから、自由に血液を購入することはできなくなりました。Cさんのお母様はある土曜日に具合が悪くなられたそうですが、そのとき院には当直の医師がおらず、輸血用血液の処方箋を出せず、月曜まで医師を待ったものの、結局は過度の貧血で帰らぬ人となられました。Cさんは今のご自身の状態が当時のお母様の状態と同じだとおっしゃいます。そして年末頃には足を切断して、それでもとても痛くて母のようになるのだと。

ここで思ったことは、ハンセン病療養所の閉鎖性、社会の不理解です。国民皆保険になる前から、24時間の救急病院はいくらでもあった訳ですから、保険の有無を問わず、誰でも救急外来には行けるのです。楽生院の医師は整形外科や内科など、ハンセン病自体とはあまり関係のない医師が殆どです。「新病院解説の暁には皆さんにもっと良い医療を提供できるようになります」と院長はおっしゃるそうですが、Cさんのお母様がそのような状態になられたとき、楽生院自体には当直医がいなかったり、処置できなかったりしても、すぐ近くにメディカル・センターもあるのです。なぜ、こんな不幸なことが起こるのでしょう。

楽生院の多くの入所者の方が、外の病院へは行きたくないとおっしゃいます。それは今までの隔離政策が生んだ消えない壁です。わたくし自身、いろいろな病気がありますので、ハンセン病の患者さんだけではなく、例えば糖尿病で、ひどい壊死を起こされたり、手足を切断されたりされた方、関節リウマチで、ひどい変形がある方なども見てまいりました。ハンセン病じゃなければかなり抵抗はあっても、堂々と病院へかかれるのです。

しかしながら、ハンセン病元患者さん方は外の病院には行きたくないと言われるのです。ハンセン病の後遺症すら満足に診ることもできず、またハンセン病自体の治療についても全くの素人である医療スタッフの中で、患者さん方は総合病院の完成を心待ちにしておられます。その後ろの新たな隔離病棟(居住区を含む)へは入りたくないけれど、医療は必要なのです。以前に述べましたが、前の総合病院と後ろのハンセン病の施設との間の渡り廊下はつけられないそうです。自由に前の総合病院へ行けたとしても、皆さんはやはり隔離されたままなのです。