権利法NEWS

患者の権利宣言から20年 記念集会へのお誘い

「患者の権利宣言 周年記念集会」実行委員長
加藤 良夫
(南山大学法科大学院教授、弁護士)

1984年の患者の権利宣言運動から20年が経過しました。

その4年前の1980年の夏には「富士見産婦人科事件」が連日大きく報道されていました。病院が取らなくてもよい子宮や卵巣を営利目的でとっていたのではないか、医師でもない人が診断をしていたのではないか等が問題となっていたのです。

私達は、患者中心の医療を実現するためには、患者は医療行為の対象物ではなく医療の主人公であることを明らかにするとともに、まず「患者の権利」の内容が明確にされ、それが医療の場で尊重されることが必要であると感じていました。

「患者の権利宣言(案)」は、患者の「知る権利」「自己決定権」等、六つの基本的な権利を柱に構成されていました。そして「与えられる医療」から「参加する医療」へという当時のキャッチフレーズは、患者自身も受け身の患者像から主体としての患者像へ変換を図る必要性があることを示していました。当時、医療の世界に「患者の権利宣言」は大きなインパクトを与えました。医師等から、「癌の患者に病名を知らせてしまってもよいのか。もしその患者が落胆して自殺したら責任を取ってくれるのか。」といった反発や戸惑いの声も寄せられました。

20年経過して、医療は変わったと言えるでしょうか。確かに「インフォームド・コンセント」を中心とした患者の諸権利は医療の世界で急速に認識されるようになりましたし、一部医療機関におけるカルテの開示制度の導入にも見られるように、20年前にはとても困難なことと思われていたことも部分的には実現しています。

また、運動の面でも患者や市民が中心となった多様な活動の輪が一層広がっています。医療過誤事件に関する判決の内容を見ても、社会における患者の権利の発展が反映されているということが伺われます。

しかし、今日なお「患者中心の医療になった」という実感は持てません。医療政策が医師会等の政治的な力のある圧力団体の意向で動かされている面も続いていますし、患者の人権を無視した事件も発生しています。我国に「患者中心の医療」を実現させるためには人々の意識変革も文化の変容も必要なことであり、50年、100年とかかるのではないかと感想を述べ合ってきましたが、私達が絶えずあるべき姿を求めて努力を尽くしていかなければ実現できることではありません。

20年目の節目の時期に、この20年を振り返り、取り組むべき課題を明らかにし、未来を展望することは有意義なことと思われます。そこで「患者の権利宣言二十周年記念集会実行委員会」を設け、集会を企画することにしました。

集会では、朝日新聞編集委員の田辺功氏に『「患者の権利宣言」運動が果たした役割』と題して講演を依頼しました。報告として、小林洋二弁護士に患者の権利宣言後の運動面を総括してもらい、増田聖子弁護士に裁判例をレビューしてもらいます。その後リレートークとして、患者、市民、医療被害者、医療従事者、法律家等からひとり五分で「今何をしていて、今後何をすべきと考えているか」について順次発表していただきます。各人が多様な活動を知り、交流の機会になれば幸いです。このコーディネーター役は鈴木利廣弁護士が担当します。そして、全体のまとめをして、できれば「患者の権利」の法制化を目指すアピールを集会の名で採択したいと考えています。

是非この集会に参加して下さい。