権利法NEWS

書評 黒坂愛衣のとちぎ発《部落と人権》のエスノグラフィ

パート1 部落へ飛び込む
パート2 出会い、ふれあい、語らい
パート3 個と出会う/部落と出会う

コメンテーター 福岡安則
創土社 本体価格各1800円

フィールドワーク。
私がこのことばをはじめて意識したのは、はずかしいことに去年のはじめ。
ハンセン病問題においては、三年前の熊本判決を受けて、厚生労働大臣が「検証会議」というのを設置している。ハンセン病問題を徹底的に検証して、国が同じような過ちを繰り返さないよう、施策提言を行うことを目的としている組織だ。

この検証会議の作業の一環として、らい予防法の被害者に対する大がかりな「被害実態調査」を行うことになり、その準備会議に、原告のみなさんから生活史を聴き取った経験をもつ弁護士として何か言えと呼び出されたのである。

会議では、たくさんの被害者から聴き取りを行う道具としての「調査票」をどうつくるかが議論されたが、中でも、調査の専門家である社会学者のみなさんのお話に注意をひかれた。
社会調査の何たるかも知らなかったわたしは、いくつか本を買い込み、にわか勉強。これがおもしろくて、引き込まれるように読んでしまった。

フィールドワークは手もとの「カタカナ新語辞典」によれば「野外研究、現地での探訪・採集・記録による調査研究」。もともとは文化人類学で生まれた方法論、と指摘されて、そうだった、と思い出す。
社会学における社会調査はこの方法によって実践されている。
とりわけ興味深かったのは、聴き取りの方法論というか、その社会学ともいうべきものである。私たち弁護士は、聴き取るとき、そこに裁判で勝つための証拠を見いだそうとする。だから、もともとその行為は恣意的で、一定のゴールに向けて語り手をコントロールしようとするものだ。しかし、ハンセン訴訟の聴き取りの場においては、つまりは圧倒的な想像を絶する人生被害の前においては、ということだが、わたしたちはコントロールするどころではなく、常に語り手に教え導かれていた、と思う。
そうして聴き取ったことを、想像力をふりしぼって自分なりに再現する(文字に書き起こす)ことにより、被害の本質に、さらにはこの被害をもたらした加害の本質に近づくことができたと思うのだ。

同時に、聴き取りはまぎれもなく語り手との共同作業だった。語り手と向き合い、これまで長年にわたって秘してこられた過去を、はじめて語っていただく。いったん語りはじめると、半世紀のときを経て、奪われた幼い日が、なつかしいふるさとが、みずみずしくよみがえり、当時の思いそのままに、そのひとのものがたりが紡ぎ出されていく。
さらに貴重な経験となったのは、「語ること」、そしてその語りが「陳述書」という形で第三者によって「語られること」が、語り手みずからを勇気づけて、心を開き、自己実現への一歩を踏み出すきっかけとなったということだ。それまで身を潜めていた方々が、前に出て発言するすがたを、みなさんも何度も目撃されたことだと思う。
この聴き取りのしごとを通じてわたしたちが学んできたことにたいへん近いことが、社会学の本にはしたためてあったのだ。特に調査結果を整理していくコーディングの作業は、生のデータから概念形成していくものであるのに、はじめに目的ありの私たちの関連づけ作業に近く、逆方向からのアプローチとして興味深かった。

さて、前置きが長くなったが、本書のコメンテーター福岡安則氏は、冒頭に紹介した検証会議の「検討会」委員で、被害実態調査を担っておられる社会学者。つまり私が心ひかれたお話をなさったかたのおひとりである。

本書は、福岡さんの愛弟子黒坂さんが今後の進路に迷っているときに、ふと、部落解放同盟栃木県連合会の事務所でアルバイトしながらフィールドワークしてみようかと考えて、師にメールで相談するところから始まる。
師からはげまされ、部落に飛び込むことを決めた弟子は、その事実を知った伯父から大反対され、懇々と説諭される。身近な人の中にかくも深く根を張った差別意識と、自分が毅然と反論する言葉を持たなかった事実にショックを受けた弟子は、新たな決意をもって部落に入っていく。

解放同盟の事務所で働き、運動に参加しながら、日々の「参与観察」の成果をフィールドノートにまとめ、メールで送り続ける。師はそれに補足や訂正をしたり、はげましたりしながら、一緒に走っていこうと呼びかける。こうして2002年8月から2003年11月までの間に交わされた膨大なメールをまとめたのが本書なのだ。

とにかくおもしろい。部落についてのイメージに大きな変容をせまられ、正しく理解することができるばかりでなく、フィールドワークということを、またフィールドノートというものを、これほどうまく教えてくれる書物はないのでは、と思うほどだ。そして登場人物が実に魅力的。ここでも聴き取りとそれにこたえて「語ること」によって語り手が変わっていくさまをみてとれるのも興味深い。

黒坂さんのまなざしは真摯であたたかく、部落の中からいきいきとフィールドのようすを発信してくれる。テープ録音するわけでもなく、基本的には記憶に基づく語りおこしだというが、その力のたしかさにもうならせられる。

なお、黒坂さんは今も栃木にて参与観察継続中。私はこの続きがよみたいのだが、それには本が売れなければならないらしい。いずれも結構なお値段ですが、上記のとおりおすすめ。ぜひご購入の上ご一読ください。

(久保井摂)