事務局長 小林 洋二
「最近成立した個人情報保護法と患者の権利法との関係がよく分からないので簡潔に整理してほしい」というご要望をいただきました。
カルテ開示の法的義務化
5月23日に成立した個人情報保護法については、報道規制による表現の自由の侵害の危険や、行政によるプライバシー侵害を防げないといった様々な批判があります。患者の権利一般を考えた場合、そういった問題も無関係ではないのですが、全体を評価するのは非常に難しいので、ここではカルテ開示との関係についてのみ考えてみます。
個人情報保護法とカルテ開示との関係で、最も注目すべき点は、診療情報も一般の個人情報並に扱われるようになったという点です。
これは、今でこそあたりまえのことに思えるのですが、これまでの経過からすれば、実は大きな前進なのです。1988年に成立した「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」(これが「個人情報保護法」と呼ばれていた時代もありました)では、診療情報は、刑事事件の捜査情報等とともに、はじめから開示の埒外に置かれていました。今回の個人情報保護法成立に至る過程でも、例えば1999年11月の中間報告では「現行法において公益上の観点や当該個人情報の性質上の観点等から適用除外されているものが数多くあるように、保有状況の公開や本人からの開示の求めに応じることが適切でないと考えられる場合が種々想定されるので、これらの適用除外の要否について検討する必要がある」とされていたのです。こういった議論が過去のものとなったのは、やはり1998年のカルテ等診療情報の活用に関する検討会報告書以降、カルテ開示法制化が強く主張され、自主的なカルテ開示の実践が紆余曲折を経ながらも進んできたからでしょう。
個人情報保護法30条本文は「個人情報取扱事業者は、本人から、当該本人が識別される保有個人データの開示(当該本人が識別される保有個人データが存在しないときにその旨を知らせることを含む。以下同じ。)を求められたときは、本人に対し、政令で定める方法により、遅滞なく、当該保有個人データを開示しなければならない」と定めます。診療情報を例外とする定めはどこにもありませんし、現在、報告書をまとめつつある厚労省「診療に関する情報提供の在り方に関する検討会」も、個人情報保護法施行後は、個人情報取扱事業者に該当する医療機関は、カルテを開示する義務を負うことを当然の前提にしています。
いくつかの問題を残しつつも、カルテ開示は法的義務になったのです(なお、個人情報取扱事業者の義務に関する部分は「公布の日から起算して二年を超えない範囲内において政令で定める日から施行する」となっていますのでご注意下さい)。
個人情報取扱事業者とは
条文からも分かるとおり、個人情報保護法上のカルテ開示義務を負うのは、個人情報取扱事業者に該当する医療機関ということになります。では、個人事業取扱事業者とは何でしょう。法2条3項本文では「個人情報データベース等を事業の用に供している者」と定められていますが、データベース化された個人情報が5000件未満の場合は「取り扱う個人情報の量及び利用方法からみて個人の権利利益を害するおそれが少ないもの」(法2条3項5号)として個人情報取扱事業者の範囲から除外することが予定されているようです。
このような個人情報取扱事業者の定義からすると、残念ながら、全ての医療機関に対してカルテ開示が法的に義務付けられたとは言えません。件数の数え方など、詳細は分かりませんが、医療機関の規模がある程度以下であれば、個人情報取扱事業者の範囲外ということはあり得るでしょう。また、患者側から自分の通院しているクリニックが個人情報取扱事業者であるかどうかを確認する方法もなさそうです(病院であればまず間違いなく個人情報取扱事業者ではないかと思われますが)。
医療機関の場合、診療情報を管理している患者の数が5000人以下であったとしても、到底、「取り扱う個人情報の量及び利用方法からみて個人の権利利益を害するおそれが少ないもの」には該当しないと思われるのですが、この点については検討されていないようです。
個人情報保護法によってカルテ開示が法的義務となったことは評価すべきですが、全ての医療機関に開示を義務付け、全ての患者が開示請求権を使えるようになるためには、やはり診療記録に関する特別法が必要だと考えられます。
遺族による開示請求
遺族によるカルテ開示請求を認めるべきか否かは、カルテ等診療情報の活用に関する検討会当時から一貫して議論されてきた論点です。1999年に採択された日本医師会のガイドラインは、遺族からの開示請求を認めていませんでしたが、昨年10月の改訂によって相続人からの開示請求を認めることとなったことは、けんりほうニュースでもお伝えしたとおりです。
ところで、個人情報保護法が個人情報取扱事業者に開示を義務付けるのは、あくまでも本人に対するものであって、遺族に対する開示はこの法律の範囲外です。これは個人情報に関する権利が一般に相続の対象とならないと考えられていることからの帰結だと思われます。つまり個人情報取扱事業者にとって、患者本人からのカルテ開示請求に応じることは法的義務ですが、遺族からのカルテ開示請求に応ずる法的義務はないというのが現状です。
しかし医療の透明性確保、医療事故再発防止という観点からすれば、遺族によるカルテ開示請求を認める必要性は極めて大きいと言えます。このことは2001年6月の国立大学医学部附属病院長会議常置委員会「医療事故防止のための安全管理体制の確立に向けて(提言)」でも指摘されたところです。
この点からしても、個人情報保護法以外に、診療記録開示を定める特別の法律が制定される必要性は失われていません。
「診療に関する情報提供の在り方に関する検討会」の現状
検討会は診療記録開示に関する特別法の必要性に関しては両論併記の上、「~個人情報保護法案等で対象外となっている問題も含めて、まずは、診療情報の提供などに関して各医療機関が則るべき運用指針を策定すべきである」(報告書案)として、「診療情報の提供等に関するガイドライン」を検討しています。
注目すべきは、日本医師会ガイドラインが「裁判問題を前提とする場合は、この指針の範囲外であり指針は働かない」としているのに対し、報告書案には「訴訟を前提とした診療記録の開示の求めについては、訴訟を前提としていることのみを理由に診療記録の開示を行わないことは適当ではない」という記述が含まれていることです。
日本医師会ガイドラインは、カルテ開示の目的を「患者が疾病と診療の内容を十分に理解し、医療の担い手である医師と医療を受ける患者とが、共同して疾病を克服し、医師、患者間のより良い信頼関係を築くこと」に限定することによって、訴訟を前提とする場合を「ガイドラインの予定する目的外」であるとして排除するのですが、カルテ開示の目的に個人情報保護という考え方が含まれてくると、日本医師会のこのような論理は通用しなくなるわけです。
カルテ開示法の必要性が両論併記という点に関しては、1998年のカルテ等診療情報の活用に関する検討会報告書からの後退として厳しく批判せねばなりませんが、日本医師会の最後の砦であった「訴訟目的は範囲外」という扱いが崩れるとすれば、実質的にはかなり大きな前進ではないかと思います。