権利法NEWS

Hospital Wandering in Formosa 第21回 危機管理

台湾在住  眞武  薫

ここ1ヶ月で台湾はSARS一色に染まってしまった。更に台湾人医師が団体旅行で日本を訪れ、帰国後に発症ということで、一気に日本中を震えあがらせてしまった。未知の疾患で、治療法も確立されてない中、SARS収束を唱える国もあるかと思えば、台湾のように院内感染が広がっている実情もある。戦略の成功を握る鍵はどこにあるのだろう。

台湾のSARS対策網はどのようになっているのだろう。台湾大学医学部付属病院救急部が閉鎖された翌日、筆者は同病院外来へ行った。台大病院は中山南路という道路を隔てて、旧棟と新棟とに分かれており、外来は旧棟、救急部は新棟にある。

通常、いくつかの出入り口があるのだが、その日は正面玄関と裏門から以外の出入り口は封鎖されていた。まるで、検問でも受けているかのような物々しさで、防護服に身を包んだ看護師は検温をし、調査用紙を配る。用紙には自分の健康状態のみならず、過去の渡航歴や受診した病院まで記さなければならなかった。それでやっと院内に入れた。

外来も普段よりずっと患者数が少なく、院内の緊迫した状況は外来でも明らかだった。医師の様子もいつもとは違う。夜には同台北市にある新光病院というところに行った。神経内科の待合室には誰もいなかった。主治医には「日本に帰国したんじゃなかったの?」とまで訊かれる有様だった。確かに「華人圏」で猛威を振るっている疾患かもしれない。しかし、筆者の思うところでは、日本だっていつその危機に晒されるとも限らないし、すぐに帰国しなければならない理由も見つからなかった。

手洗い、消毒、うがい、人ごみでのマスクの着用等は気をつけている。台湾を避けて日本に帰ったから安心というのはちょっと違うと思う。と話すと主治医はちょっと意外な顔をした。それは院内感染が拡大しつつある台湾に居るよりは、日本に居たほうが安全かもしれない。でも、事態はそのようなその場凌ぎでは済まされないような気がした。

台湾では台北市立和平病院における集団感染の報道の後、台大病院救急部の院内感染、高雄の長庚病院での院内感染のニュースと、大規模病院の院内感染の報告が続出した。前回で述べた「なぜ台北市だけなのだろう」ではないが(実際この件に関しては政治と強く絡まっているという見解が多い)、公共性や医療関係者の連携・協力に問題があることが浮き彫りになってきた。

未知の疾病ゆえ、その対策は刻一刻と変化して当然だと思う。しかし、問題の重大さは半ば予見しながらも、それに応じた臨機応変な対応がなされなかったように思われる節がある。感染拡大が懸念され、和平病院の集中化も報道されるいっぽうで、SARS疑い受診可能の医療施設もまた多かったようだ。勿論、報道されるSARS受け入れ病院は限られていた。しかし、実際には患者がSARS疑いであっても、病院の窓口は広く、結果的に多くの病院でSARSの入院患者を増やしてしまった。気付いた時には院内感染。台北市の大規模病院の救急部が危機に瀕したとき、患者はどこへ行けばよいのか。

政府は台北市に隣接する台北県三重市にSARS専門の病院を開いた。しかし、今後予想される事態はそれでは間に合わない気がする。それに今回の疾患でよく耳にするようになった「陰圧式隔離室」の設備はそんなに整っているのだろうか。新光病院は築十数年である。受診時に主治医に訊いてみた。答えは一階に二部屋というところだった。この病院は主に五階から十階に病棟があるため、約十二部屋であろうか。しかし、主治医は続けて言った。「それではとても足りないので、別空調の十階は今SARS病棟になっている」と。

SARS指定病院以外で、自分が通っている病院に果たして患者がいるのかどうかは、一般人には知らされていない。そしてそこの隔離システムも。台湾の医療従事者が倒れていって、「○医師を陰圧式隔離室に隔離した」という言葉をよく耳にするようになった。しかも自分の勤務する病院でもSARSの患者はいるはずなのに、何故か彼らが運ばれるのは、台大病院などのメディカルセンターだった。本人の勤務する病院にはベッドがないのだろうか。人工呼吸器が足りないのだろうか。医療スタッフは足りているのだろうか。自分がSARS疑いでも、患者は安心して医療機関を受診できるのだろうか。

院内感染が報道されると、N95マスク、防護服、人工呼吸器の不足等が述べられるようになった。そうなると発症してもどの医療施設に入っているかで、生命予後が大きく左右されることになる。実際数は不明だが(引き算が合わない、或いは筆者の無知からであろうか)、医家向けサイトに記されていた陰圧式隔離室の数は、そんなに多いものとは思えなかった。全てのSARS患者に対して陰圧室が必要な訳ではないだろうし、隔離室も、陰圧室から、手洗い・風呂を備えた個室、独立した給気と排気システムを持つ大部屋等と優先順位がつけられている。

そういう中での医師の日本旅行。日本医師会の「医の倫理綱領」(四月号参照)ではないが、この医師には医師という職業の尊厳と責任の自覚や人格はは備わっていたのだろうか。医療関係者と協力して医療に尽くしていると言えるのだろうか。和平病院のある医師の日記には、院内感染が広がりつつも、それが公にされない実情が記されている。第一線で働く医療従事者であるからこそ、医療従事者も極度のストレスを負わされているのはよく分かる。しかし、それはなかなか声になりにくく、実際に活かされない。

今問われているのは病院の隠蔽をあばくことではない。現状に見合った疾病管理と対策である。医療従事者は専門の知識や経験を活かして密に連携をとりながら、より現実に即した対策を提唱するべきだし、もっと上のレベルでの疾病対策、防疫対策が講じられるべきである。

なお、このような危機の中、一般大衆に対しては「なるべく不必要に病院に近寄らないように」と叫ばれるようになった。さりとて、病む人はSARS患者のみではないし、そういう患者たちも状況が悪くなることは当然考えられる。そのような中、安心して受診できる医療機関を準備することも重大な責務だと思う。あらゆる場面を想定しての危機管理が問われている時だ。

※ 和平病院の医師の日記については http://wiki.newzilla.org/SARSQuarantineDiaryを参照