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Hospital Wandering in Formosa 第20回 SARS

台湾在住  眞武  薫

今、世界中で最も関心のあることの一つにSARS( Severe Acute Respiratory Syndrome)があるだろう。今回は台湾での状況を報告してみたい。

日本から戻って暫くして、〈非典型肺炎〉ということばをしばしば耳にするようになった。それでも初めの頃は皆「怖い病気があるものだ」ぐらいにしか考えてなかったと思う。

4月18日付の台湾の患者数は、可能例29例、擬似例44例、排除例83例、未確定例13例で、今日までの累積数は169例で、17日付の自宅隔離例は1713例と報告された。この数字だけでも如何にいろいろな情報が氾濫し、台湾の人々が混乱しているかが分かっていただけるかと思う。

特に発症が広東省で、野生動物を食べたからだと言われていたり、北京の情報隠蔽が明らかになってきたり、はっきりした感染経路が分からず世界各地に患者が広がっているため、人々の不安を招いている。具体的な報道などは専門家に任せ、ここでは筆者が体験、或いは見聞きしたことを述べたい。

SARSが広がりを見せ始め、政府ははいろいろな防禦策を推奨した。その代表が手洗いの励行とマスクの着用である。三月半ば、筆者は気管支喘息の薬がなくなったため呼吸器科へ行った。呼吸器科とは言っても、待合室は内科で、循環器や消化器など別の患者さんも沢山いる。待合室ではマスクをしている患者さんが多く見られた。ちょっと咳でもしようものなら、皆の視線がこちらへ来る。

診察室に入ると、看護師はマスクをしていたが、主治医はしていなかった。「SARS怖くないんですか」と訊ねたら、「別に」という答えが帰ってきた。この頃はこの病気に対しての個々人の考えはさまざまだったと思う。同じ日の夜同じ病院の神経内科に行ったところ、そこでは医師も看護師もマスクを着用していた。

病院は症状のある人が訪れるから、より危険性が高いとしても、外だから安全とは言えない。学内はともかく、人込みの中に行くときはマスクを付けておこうと思った。

そして、次に同じ病院に行ったとき、その病院は全ての職員にマスクの着用を義務付けたようだった。医師、看護師のみならず、会計等の職員も全てマスクを付けていた。マスク着用の患者さんの割合もぐっと増えているように見えた。その日は行きはMRTと呼ばれる電車(地下鉄と地上とある)で病院の近くまで行き、帰りはタクシーに乗った。

タクシーに乗って暫くすると、運転手が言った。「ねえ、そのマスク外してくれない?病院のばい菌俺の車の中にばら撒かれている気がするんだけど」と。外せと言われれば外すが、もし筆者が感染していたりすると、この運転手はより危険に晒されるのではないか。

ある被隔離患者の声がネット上に記されていた。

自分は、隔離病棟へ入れられ、一日にすることと言ったら、看護師が二回採血に現れること、医師がとりあえず現れることだけだった。看護師、医師とも完全武装状態で、はっきり顔を見ることすらできない。勿論、家族や友人には会いたいが、ここには来られないし、もし可能であったとしても、自分が病気をうつしてしまうかと思えば、来てもらいたい気持ちも失せる。唯一の救いは、病棟が十数階のため、台北市の景色が一望できることだ。

二回目病院に行ったとき、台北市はいち早くSARSの情報小冊子を出していた。中には、マスクの着用、手洗いの励行、被感染地域に行かない、感染者と接触しないなど、いろいろ予防策を示していた。ここで少し変に思ったのは「どうして台北市だけなのだろう」ということだった。筆者は台北の病院に行っているが、問題は日々深刻化しているので、政府の機関である衛生署が作るべきではないのか。勿論政府関係のサイト(衛生署を含む)で病気のことは述べてあるし、更新もまめには行なわれていた。でも、病院に啓発のための小冊子があるのとそうでないのとでは随分違うように思う。

更に深刻なのは患者の家族である。感染の事実はなくても、自宅隔離という状態になる。毎日数回消毒のための車が来て、家中消毒される。食事は近くの保健婦等が運んでくるが、家の者は外に出ることは許されず、玄関のドアを少し開け、その隙間から食事を受け取るといった具合だ。

ある報道によると、隔離世帯では、そこの空気が来ないようにと、二四時間扇風機をつけられたり(台湾は都市部では殆どが集合住宅)、家から出てどこかへ出かけるのではと監視されたりしているそうだ。症状が落ち着いて、帰宅した患者の家も同じような扱いを受けているという。

アメリカも数日前に感染地域へ渡航した者の献血を禁止したが、台湾ではより早く献血の禁止が決められた。病院では医療用マスクが飛ぶように売れている。WHOが推奨しているN ではないが、贋物が出回っている率も高いと聞く。人々はより安全性の高いと思われるマスクの購入を惜しまない。

こういう中、眼に見えないかたちである種の差別意識が広まっているように思う。先に述べた隔離中の患者の声であったり、自宅隔離者に対する周囲の対応であったり…。感染経路が分からないため、できるだけの予防策を取るのは仕方がないだろう。しかし、反応が些か尋常でないような気もする。

台湾政府は病例疑いに対する報告(密告?)者に褒賞金を出すという発表をした。空港では、全ての入国者が医師、看護師による検温を受けてからでないと、入国できない。未知の疾病に対する防禦策はだんだんエスカレートしてくる。

前述した隔離入院中の患者さんの声は、ハンセン病の方が死ぬまで故郷の土を踏めなかったこととどこか似ているような気がした。医療研究が進んだ社会故、この病気の原因や対策が突きとめられる日も近いのかもしれないし、安全性を考慮に入れると、それなりの予防措置も必要なのかもしれないが、そのいっぽうで、新たな形の差別を生んでいるような気がしてならない。