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Hospital Wandering in Formosa 第19回 背負いきれない「重み」

台湾在住  眞武  薫

医療事故が起こったとき、医療サイドの頭によぎるのは法的責任の面での不利益だけなのだろうか。インフォームド・コンセントということばが使われるようになって久しいが、内容の上ではそれほど進歩していないというのが多くの方々の見解ではないかと思う。国民の医療に対する信頼や再発防止という観点から見れば、それがどんなに大事なことであるかは容易に分かるであろう。

前回入院したとき大腸ファイバーの検査をした。考えられる順序でいけば、病院側の患者に対する検査の必要性、手順、安全性の情報提供、それから患者側の理解と同意であろう。ところが、「ここは本当に日本?」と思ってしまいたくなるようなことがあった。主治医は回診のとき、「大腸ファイバーやりましょうか」と言った。その後にお馴染の「同意書」というのが来るのだが、何とも順序がおかしいのだ。とにかく相手は「まず同意書にサインする」ことを要求してきた。しかし、同意書の中には、「わたくし、患者○○はこの検査について、十分な説明を受けました。検査に伴う危険等十分理解した上で、検査の施行をお願いいたします」などと書いてある。

病院側の説明は、あくまでも同意書にサインしたら検査の手順や安全性等を説明するという形なのだ。「これじゃ順序が逆じゃない?」と思いながらも、ちょっと訊ねにくい雰囲気があった。看護師さんはたびたび病室を訪れてくるのだが、言われることばは、「同意書にもうサインされましたか」である。サインする前に、医師なり薬剤師なり(検査前処置に薬剤を使うため)の説明があるのではないかと思って時間を稼ぐのだが、あくまでも同意書を先に求められた。

初めての方だったり、いつもの筆者ならしっかり粘って十分説明を受け、同意してからしか書かなかったろう。ところが今回は、状況が少しばかり異なっていた。その病院に入院するまでに、主治医との大きな衝突があったからだ。入院に至るまで、外来で診てもらってる主治医には会っていない。ことばも聞いていない。しかし、そこで筆者はかなりの絶望感を抱いていたため、「ここの病院でも嫌がられると、もう行き場がない」という気持ちになり、普通なら平気で聞けることも聞けなかったのだ。

実際に入院して戸惑ったことはこの同意書のみで、ここの医師との間に軋轢が生じた訳ではない。しかし、影には、また戻って診てもらうであろう主治医の姿がちらほらする。台湾人だったら、「そんな医者やめてしまえばいい、もっといい病院を開拓すべきだ」と言うだろう。実際に、筆者は台湾人の知り合いの医師数人に同じことを言われた。

主治医との間に生じた摩擦。それは身体のみならず、多くの心理的負担をも患者に与える。なぜこうなるのか。「医療事故報告制度に関する意見書」の中にもあるように、医療事故はある程度の確率で起こりうるものである。それはどんなにシステム化された工場においてでも、ある一定の確率で不良品ができてしまうのと同じと言ってもよい。相手が人間なのだから、なおさらである。

しかし、そうは言ってもやはり相手はその道のプロだ。専門家としての責任感や倫理観をうまく発揮できないのだろうか。専門家であればこそ、医療事故を報告し、再発を防止することが如何に重要であるかは分かっている筈だ。安全性の確保がどれだけ医療サイド・患者関係を良くできるかということが分かっていないのだろうか。答えは「分かっちゃいるけど…」だろう。

筆者が心理的に参ってしまったことも、元を辿っていけば、医師・患者関係にあると思う。最近は日本では、「カウンセラーはもういらない」とまで言われているそうであるが、なかなか否定し難いものがある。本当に専門家意識を持って患者(或いはクライエント)と接している専門家がどれだけいるだろうか。カウンセリングとか心理療法ということばが非常に普遍的になっているいっぽうで、患者のいたみに向き合えない専門家が何と多いことだろう。

たぶん患者は自分のことに関して「命をかけて」医師に接していると思う。ところが、その雰囲気は医療者側に素早く察知され、敬遠されてしまう。その「重み」に耐えられないのだ。それはいわゆる精神医療のみならず、一般医療でも同じことが言えるだろう。医療サイドは極めて敏感である。しかし、その前に、いたみを持っている患者側はもっと敏感だということを察知していただきたい。

お互いに逃げあったり、傷を舐めあったりするのではなく、真摯な態度で対応することで、どれだけ医療の安全性や質が高められるだろうか。もちろん、医療サイドに大きな負担がかかるのは事実だ。しかし、専門意識というものは、それを踏まえた上で構築されているのではないだろうか。背負う荷物が重すぎるという気配でか、ここぞという一番大事なときに医療サイドの逃避は起こる。

上述したとおり、前回の入院で筆者は主治医に会っていない。勿論、最初に入院を勧められたときには会った。しかしそれ以降は、どう考えても「逃げられている」という結論にしかいかないのだ。外来に行っても、毎回主治医は現れず(看護師さんの話ではさっきまでいたというのにもかかわらず)、代診の医師が診る。毎回おざなりな態度をとられる。これが医療そのものに多大な不利益を生じさせているということが分からないのだろうか。

たしかに患者の重みを背負っていくのはたいへんなことだと思う。しかし敢えてそれから逃避し、患者側の信頼を失わせるばかりでいいのか。勿論、医療は双方の協力なしには絶対に成立しない。それでも専門家としての原点に立てば、答えは自ずから出てきそうな気がするのだが…。