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Hospital Wandering in Formosa 第18回 無視と自浄

台湾在住  眞武  薫

原稿遅らせの常習犯である筆者が又もや原稿を遅らせてしまった。事務局の方々にはいろいろな意味で多大なご迷惑をおかけしてしまい、ほんとうに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

今年の2月3日に左季肋部に強い痛みが起こり、最終的に入院となってしまった。今考えると、「輸液管理下で絶食。消化管を休めて他の検査を進めていったら如何ですか。病院を紹介します」という主治医の言葉に素直に従っておけば良かったのかもしれない。そうすれば上記事務局の方々にも迷惑はかけずに済んだし、入院の時期が新学期に入り込んで仕事に支障が出るようなこともなかったろう。結局入院したのは前記主治医が勧められた病院だったのである。

この入院にまつわるいろいろな出来事もあり、皆さんに聞いていただきたい気持ちもあるが、それは他の回に譲ることとしよう。今回はこの病院での体験談というべきものでも述べさせてもらおう。

大学の関連病院といってもいろいろな規模の病院があると思う。筆者が入院したのはその大学病院からさほど遠くもない閑静な住宅地の中にあった。施設自体が新しいことや、小規模のわりにはかなりの設備投資をしている病院と見受けられた。入院した当日は殆ど動くこともできなかったため、病棟の状況も分からなかった。ただ、筆者の近くで老婆の叫ぶ声が響いていた。

2日目となると看護師さんやエイド(看護助手)さんと顔を合わす機会も増えてきた。何とも丁寧で親切な看護スタッフの方々だなあという印象を受けた。

そして3日目、少しずつ歩けるようになって病棟の様子が窺われてきた。全てというわけではないのだろうが、入院患者の殆どは介助の必要なお年寄りが占めていた。今までいわゆる「老人病院」の類のものにお世話になったことがなかったからか、ちょっと異様と言っても過言ではないような「新鮮さ」を覚えてしまった。

看護師さんは二交代で日勤の方たちは休む暇もなく駆けずり回っている。たまに点滴を取り替えに来られては「うるさいでしょう?」などとにこにこしながら声をかけてくれる。エイドさんはエイドさんで朝は患者さんの顔拭きから清拭、病衣の着替えや食事の介助(勿論三食)などなど、仕事は探そうとすれば無限に増えてしまうというような感じだった。でもそういう中、本当に彼女たちの働きぶりはかいがいしいものがあった。

筆者が入っていたのが重症個室だったからかもしれないが、近くには筆者よりずっと具合の悪そうなお年寄りの患者さんがおられた。お年寄りでも介護なしで動けそうな方は大学病院への入院待機の方が殆どのようだった。特にエイドさんから「トキちゃん」と呼ばれていた、筆者の隣の隣の個室のお婆さんは想い出深い。トキさんは少し痴呆があるのか、せん妄なのかはたまた見当識障害なのかは良く分からないが、毎日昼夜を問わず叫んでおられた。身体はガリガリにやせ細っていらっしゃるし、輸液のチューブを抜いてしまわれたりするからか、身体の一部は抑制されていたように思う。

トキさんの訴えにはなかなか迫力があった。「誰か来てください。看護婦さ~ん」、「痛い、痛い、誰か来て~っ!」、「嬢ちゃん、嬢ちゃん、もしっ!」ぐらいは序の口で、夜中にもなるとだんだん凄みを増してくる。「ひとごろし~っ!」などなど。折りしも似通った症状のご老人が数人入って来られたのか、夜中の病棟は大合唱となった。たぶんこれらのご老人はナースコールを押す力さえないか、或いは抑制されて押したくても押せないのであろう。最後に頼れるのは自分の口だ。

トキさんが「看護婦さ~ん、助けて!」と叫ぶと、更に奥の病室から別のご老人が「看護婦さ~ん」と叫ぶ。もっと奥からは声にもならないようなうめき声のようなものが響きあい、看護師さんも「呼応しあってるね」などと仲間内で話しているようだった。ここで筆者が感じたのは日勤帯と夜勤帯の不思議なギャップである。

前述したように日勤帯では看護師さんもエイドさんも休む暇もなくただひたすら働いている。こちらから見ていて「燃え尽きないでね」と言いたくなるくらいだ。ご老人たちの叫び声は勿論昼夜を問わない。それらに応えるべく献身的にサポートを続けるスタッフたち。ところが夜勤帯はエイドさんはいない。看護師も三人体制でそんなに手がまわらないのは事実だ。

夜勤帯の中にどのように休憩時間が組み込まれているのか筆者には分からない。しかし、休憩時間に体験したものは凄かった。休憩時間は専用の休憩室がありそこに詰めてテレビを見たり大声でお喋りをしたりしている。正しく決められた休み時間なのだろうからそこは彼らの自由なのだろうが、全てが聞こえてしまう筆者には辛いものもあった。

勿論ナースコールが鳴れば対応はする。しかし、前述のご老人たちはナースコールという手だてはないのだ。虚しく、でも彼らの声もこだまする。ご老人たちにはどのように聞こえるのだろうか。筆者は詰め所との距離の近さもあり看護師さんたちの笑い声の方がずっと耳障りに聞こえてしまう。次の日、「昨日おばあちゃんたちうるさかったでしょう?」と言われても言葉に詰まってしまう。せめて休み時間の自由があるのなら防音の整った部屋を準備できないのだろうか。

どんな悲痛なお年寄りの叫び声が聞こえて来ようと全く無視。次の日の日勤帯に行われる手厚い看護は前日の彼女たちの行動を浄化させるもののように思えてしまった。