台湾在住 眞武 薫
昨年の暮れ、台湾では立て続けに投薬ミスが起こり、数人の新生児が命を落とした。また、助かった赤ん坊も一ヵ月後に退院はしたものの、今後どのような後遺症が出てくるとも限らない。事故の多くは新生児誕生後、看護師が筋弛緩薬をワクチンと誤って投与したために起こった。同じ冷蔵庫の中に複数の薬品が入っており、薬を間違えたという。更に、南部では小児に糖尿病治療薬(経口血糖降下剤)を風邪薬と誤って投薬し、低血糖昏睡を起こすという事故もあった。
これら医療事故の多くは医師の処方にはミスはないものの、投薬段階で医療従事者による薬剤の取り違えが起こって発生している。小規模診療所においては診療停止を余儀なくされたところもある。政府もこの事件を大きく取り上げ、〈打錯針〉(注射ミス)、〈吃錯薬〉(服薬ミス)をなくすため全ての薬剤に中国語名を明記することを決定した。薬品に中国語名を記すことについては、今後三ヶ月以内に、台湾で包装されていない薬品についても六ヶ月以内に実施することとし、違反者には6万元(約22万円)以上30万元(約111万円)以下の罰金を科すこととした。
これらの医療事故に対する行政の対応はかなり迅速に思えるが、反対に考えると、今までにどれだけ多くの投薬ミスがあったかということをも反映しているように思える。しかし、薬品名を中国語表記にするだけで事故は減少するのだろうか。ある台湾の医師が書いていた『医療黒幕』という著書によると、台湾では医師免許や薬剤師免許を貸し出す商売があるという。何れも更新制度や定年制度がないために、免許を営利目的で貸し出すというのだ。
現在、台湾では中規模以上の病院になるとたいていの薬袋には商品名と薬品名が記されている。薬局(院内)でのチェックも複数の薬剤師によって行われている。薬物に対する薬剤師への質問コーナーもあり、気軽に薬品に対する情報も得ることができる。しかし、問題はそれらの網にかからない薬剤にあるようだ。
注射薬についてはアンプルやバイアルに英名は表記されている。しかし、小規模診療所で出される多くの内服薬となると、大きなプラスチック容器にのみ薬品名が表記され、実際薬剤を手にした患者には「白い錠剤」とか「赤いカプセル」としか判断できない場合が多い。投薬段階で誤った薬を患者が処方ミスと判断することは非常に難しい。いわゆる「ゾロ」の薬品には識別するためのコードナンバー表記も怪しいものがあるし、日本のように『医者からもらった薬がわかる本』の類いの本も普及してはいない。
日本でもお年寄りの呑み違いなどを防止する目的で、わざわざ個別の包装から外し、一回分をまとめて一つのパッケージにするという方法は今でもとられているのだろうか。台湾ではこの段階で取り違いが起こってしまえば何が起こるかは分からない。上述の経口血糖降下剤についてもこのような段階でのミスらしい。薬剤師によると薬剤を入れた容器や薬剤自身の形状が酷似していたという。
筆者はもともと疑い深いのか、台湾でアレルギーがあると言ったにもかかわらずその薬剤を注射されひどい目に遭ったことがあるからか、投与された薬品については詳しく聞くように心がけている。しかし、多くの小規模診療所ではそれらの薬品に関する詳細な情報はもらえなかった経験がある。そうなると、たとえ風邪だとしても自ずから足は情報の詳しい病院へと向いてしまう。ところが多くの患者がそう考えてしまうからか、大病院への集中化が進み健康保険財政を圧迫しているというので、政府は〈小病看小医院、大病看大医院〉(小さな病気は小規模医院で、大きな病気は大病院で)というようなスローガンを唱えだした。
しかしミスはやはり起こる。筆者の聞き違いであってくれればいいが、数年前にある大病院の救急外来で看護師同士の会話が聞こえてきた。「注射、隣の患者さんと間違えちゃった」と。どんなに細心の注意を払おうとも、ある確率でミスは避けられない。そういうときに患者が求めるのはやはり医療サイドの誠実な対応、将来同じことを繰り返さないための努力であろう。裁判では勝訴するケースも増えてはいるが、やりきれない気持ちで過ごしている方々も多いと思う。
実際に目にしたことはないが、台湾では〈抬棺抗議〉ということばがある。どうしても理不尽だと思われる医療サイドの対応に、遺族が直接抗議するのである。名前のとおり棺桶を担いで病院に直接乗り込み抗議するというものだ。勿論その棺の中は空っぽだが、直接行動に出られた病院側としては報道を避けるためもあってか早急に遺族に慰謝料と思われるものを渡すらしい。裁判で勝訴したとは言っても亡くなった患者のいのちは戻らない。同じく賠償金を得るならこのほうが迅速且つ確実という考えもあるようだが(実際ある台湾人の友人はそう言っていた)…。
このような事故が続出する中、政府は健康保険料の引き上げを予定している。国民皆保険が始まってから、段階的にではあるが自己負担額は増え、昨年秋からはこれまでの病院規模による自己負担額の違い、頻回受診者に対する基本診察料の増額、薬品料に対する増額に加え、検査料の自己負担増も開始した。頻発する医療事故の中、保険料まで値上げをするというので、国民の医療不信や大病院集中化はますますエスカレートする様子だ。そういう中での法の未熟さに〈抬棺抗議〉も復活するかもしれない。