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Hospital Wandering in Formosa 第15回 たおやかに生きたいけれど

台湾在住  眞武  薫

随分昔のことではあるが、大学のとき教育学の講義で以下のようなものがあった。「司法のルール」と「医療のルール」。前者は「疑わしきは罰せず」、後者は「疑わしきは病気と思え」、では「教育のルール」とは如何にあるべきかということについて論じ合った。今教育のルールについて論ずるつもりはない。しかし、司法のルールと医療のルールということについて深く考えさせられる出来事があった。

いくら医療のルールが「疑わしきは病気と思え」であっても、それはあくまでも原因を追求する科学的なものの見かたであって、不必要で過剰な治療や処置を意味するものであってはならない。筆者はこの医療と司法のルールの名の下に一生涯忘れられないであろう経験をした。激怒と恥辱のさなかでの叫びも相手側には届かなかった。現在の日本でこのような事が起こるかどうかは分からないが、こころの病をお持ちの方々にも、そうでない方々にも聞いていただきたく、敢えて述べさせていただくことにした。

慢性疲労症候群。筆者が七年前に台湾でもらった病名だ。糖尿病などの他の慢性内科疾患があるところから、正確にはこの病名をもらうことはできない。しかし、症状は存在するし、周りの不理解や励ましからうつになった。台湾の精神科で保険の効くカウンセリングを受けることは殆ど無理だ。たいていは自由診療でやっているところと契約をし、そこに通うことになる。

台湾大学で診ていただいている筆者の主治医は大変お忙しいようだし、大学のカウンセリングセンターの所長も兼ねておられるようで、外来に通うのは月に一度。どっさりともらう薬の他に、カウンセリングを受けるよう勧められた。カウンセラーは同大学の以前の研修医、今は別の病院に勤務されている。村上春樹が「物語を書くことは自分にとっての井戸掘りだ」と言っているように、自浄手段を持っていると生きてゆくのは少しは楽かもしれない。しかし、筆者は「掘り起こし」が不得手で、カウンセラーにお願いすることにした。

自分の意識下レベルにあるものを掘り起こしてゆくという作業は時には耐えられないほどの苦痛を伴う。筆者がある箱を掘り当て、蓋を開くのには数年の時間がかかった。だが、蓋が開いてしまっても、その中のものをじっくりと見据え、それを受け容れることは容易なことではない。繰り返される自己批判、罪悪感、いっそ死んでしまいたいとさえ思うような気持ち。

筆者がどうしようもなく辛くなったときの補助手段はとても脆い。大学の主治医はまずは見つからない。カウンセラーは面談の場では立場が異なるので、クライエントの危機管理にはタッチしないと約束させられている。残る手段は台湾大学の救急外来である。以前にも述べたが台湾の救急外来には<暫留区>と呼ばれるところがあり、すぐに帰宅させると危険だと判断されればそこにとどまる。ところが、精神科で<暫留区>を備えているのは台北市内で二箇所しかないそうだ(しかも一箇所は軍関係の病院である)。

その日はどうしようもなく落ち込んでいた。カウンセリングの後、喫茶店に入り少しでも気分を変えようとしたが、全く無駄だった。「仕方ない。救急外来行きだ」と腹を決め台湾大学の救急外来へ向かった。当直医は親切だったし話にも耳を傾けてくれた。しかし気がかりだったのか<暫留区>のある病院に行って一晩休んで帰宅してはどうかという助言をされ、台北市立療養院という精神病院の救急外来に行くことになった。この事に関しては筆者も納得していた。

二重ドアの中にベッドのある部屋が幾つかと保護室(隔離室)があった。看護師さんが布団と枕を持って来てベッドで休むように言われた。眠れないので安定剤を注射された。殆ど眠れなくとも夜が明けると気分はそれなりに落ち着くものである。その日は会議もあったし、次の日、翌々日と講義は詰まっていた。しかも中間試験前なので、予定通りに事を進めなければならない。医師に帰宅したいと言った。まずこの場で断られるとは思わなかった。しかし、救急外来のワックスがけとやらで、筆者は部屋を移らせられ、医師とは満足な話もできなかった。

タイミングも悪かったのかもしれない。自殺念慮及び自傷行為に苦しむ女性がやってきて、筆者の隣のベッドに休んだ。彼女は自ら入院を希望して来たようだった。筆者は数度にわたり帰宅希望を訴えたが退けられ、とうとう帰してもらえなかった。「自殺の可能性がある」と言うのだ。それは前日は落ち込んでいた。でもある意味では仕事がそれを反らしてくれているのも事実だ。アタマは完全に現実モードに戻っていた。

三日目、病院側は思いもかけない決断を下した。「強制入院(日本で言うところの措置入院)」である。自殺の可能性はないと何度強調しても信じてもらえない。しかももう二人の医師による鑑定が行われ、強制入院は確実となったというのだ。青天の霹靂としか言いようのない出来事に一瞬たじろいだが、向こうが強制力を行使しようというのなら、せめて自分の状態に詳しい台湾大学の主治医とカウンセラーに助言を頼もうと思った。

カウンセラーとは連絡がつかなかったが、病院側は折り返しの連絡を約束してくれた。主治医とは連絡がつき、筆者の状態について説明してもらうことになった。医師というものは一度決めたら撤回できないのか筆者の言葉は頑として尽く無視された。患者の人権だってある。こんな理不尽な判断が下されていいのか。しかしそこで選択を誤ったのかもしれない。筆者は警察に援助の電話をしてしまった。

医師がもう鑑定しているのだから、何を言おうと患者は重症の精神病なのである。七・八人はいたと思う。病院の中に駐在する警察に取り押さえられそうになった。入院自体を納得できないから私にだって説明させて欲しい。そして納得のいく説明をして欲しい。全ては無駄だった。それでもなお取り押さえようとするので、「自分で歩ける」と抵抗したが聞き入れてはもらえない。手足を縛られ、ストレッチャーに括りつけられて病棟の隔離室へ運ばれた。

法の力を行使するというのはこういうことなのか。警察の血も涙もない対応に涙が溢れてきた。抑制される際に衣服が少し脱げた。警察はいやらしい目で見てくすっと笑った。あの目は一生忘れることができない。隔離室でも手足の自由を奪われた状態で、何度も看護師と思われる者が出入りしていたが、筆者が強く訴えるまでスカートを上げてくれる者はなかった。トイレに行きたくてもその自由もない。縛られているので相手に訴える術もない。

どれくらいの時間が経ったか分からない。「懲らしめは終わり」となり、病室へ移された。医師の説明を求めるが、「お前は心神喪失状態だった。妥当な処置だ」という返事しかない。思いもかけない辱めを受け、涙を流し抵抗するのを心身喪失状態と言うのだろうか。このような場に直面して平気でいられる方がいれば、そちらの方の心神状態を疑いたい。

二日目にやっと上の主治医(指導医と思われる)と話す機会が与えられた。研修医、看護師を交えての面接となった。それでも相手はなお考えを改めてはくれなかった。しかも言うことが不条理だ。「月曜日まで我慢すれば退院できる」というのである。病棟へ連れて来られたのが木曜日の晩、主治医との話は金曜日だった。土・日は勿論休みである。当直医はいたとしても、何を根拠に月曜日と設定できるのか。看護師の「私だって辛いのよ」という言葉も何の慰めにもならなかった。

結局は筆者の人権は尽く無視され、「自傷行為の危険性あり」ということで月曜日まで入院させられた。その間何度「大人しく我慢すればいいものを」というような台詞を耳にしたことか。月曜日には退院とはなったものの、最後まで相手の権力を行使された。「自主退院の同意書にサインしろ」というのである。勿論しなければ退院はできない。仕方なくサインした。

火曜日にカウンセラーのところへ行った。彼は筆者の最近の状態や病歴について病院側に話したという。答えはこうだった。「僕はその病院の医師の判断を尊重する。そしてあなたの命を尊重する」と。まるで筆者は命を大事にしていないという言い方ではないか。連絡を望んだのは筆者だが、クライエントの危機介入に関しては全く拒否しているにもかかわらず、彼はこちらが不利となるような情報を提供した。契約違反ではないのか。

あるとき、「科学というのは、どんな状況下、どんな相手であっても、間違っているときにはノーと言えるのです」という記事を目にした。医学は勿論科学ではないが、科学的でならなければならない部分においてさえ科学ではないのだ。帰宅して目にしたのは誤って投与された見たことのないインスリン製剤のバイアルだった。