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書評『沈黙から発言へ』

バーニス・ブレッシュ/スザンヌ・ゴードン
早野真佐子訳
日本看護協会出版会
ISBN4-8180-0921-0
本体価格3,500円

ひとことでいうなら、「とてもユニークな書物」(カバー裏の推薦文からの盗用です)。
ふたりの著者はいずれもアメリカのジャーナリスト。保健、医療、看護に関する著作を執筆している著明な方らしいですが、わたくしは寡聞にして知りません。
タイトルが示すとおりに、ナースに対し、沈黙してはならない、発言することによって、ナースという職業の「可視性」を高め、それにより、その重要性を公衆に認識させ、ひいては安全なよい医療としていく主体的な力を担おうではないかと呼びかけています。しかも、懇切丁寧に「ノウ・ハウ」を指南しているところが、実にユニークといえます。

本書は二部構成になっています。
第一部は「沈黙はもうやめよう」、第二部は「メディアと公衆とのコミュニケーション」。
第一部では、ナースが医療の場で医師のサポートという位置に自分を閉じこめ、常に一歩退いている現状を、臨床の場でのやりとり、メディアの扱い方などから具体的に指摘した上で、それがいかにナースの地位を低めているか、また患者の安全を脅かすものとなっているかについて問題提起しています。
象徴的かつ本質的な問題として指摘されているのが、医師は「ドクター誰それ」と呼ばれるのに、ナースは、エミリーとかパティとか名前で呼ばれ、あるいは単に「ガール」(女の子)と呼ばれること。日本では、医師は先生、薬剤師や療法士、栄養士も先生と呼ばれるのに、看護師はそうではない。まず自称他称のこの違いが、ナースという職業を低くあらしめている、というのです。
著者は、ナースもまた医師と同じように「私はナース・アダムスです」と、ナースという職業及び自分の姓を明らかにして、患者をはじめとする他者に接しなさい、と薦めます。「主体的行動者」として声をあげる行動は、そこからはじまるのです。

なるほどなぁと思ったのが、ナースは自分の仕事の価値をしばしば自ら低めてしまうということです。患者からお礼を言われると、「大したことはしてません。先生がなさったんですよ」と答えてしまうし、また、表に出ないことこそが使命であり美徳だと思いこんでいたり、「白衣の天使」として、ひとりの「人間」であることを消してしまったり。本書はその理由が「父権主義社会の名残りと、看護の宗教的な起源にある」と鋭く指摘します。
そう、これはまた優れたフェミニズムの指南書でもあるのです。
私たちの中に刷り込まれている思い込みの数々が、どうして不当なのか、その考えを変えるべきなのか、ひとつひとつについて、分析し、検討し、再考を求めていきます。
その上で、主体的行動者として、ナースの仕事を人に伝えよう、その価値を広く認識してもらおうと、行動を呼びかけていくのです。
「自分の仕事を説明する」、
「医師を怒らせるのではないかという不安に打ち勝つ」、
「感謝を素直に受け入れることを学ぶ」、
「難解な言葉を避ける」、
「情熱を抑え込まない」、
など、「仕事を語る」ための心得やテクニックがまことに丁寧に論じられています。
第二部では、そのようにして語ることをはじめたナースに対し、メディアに訴えて、ナースの仕事を広く公衆に認知させ、社会的役割を高め、医療を変えていく方法を紹介していきます。ニュースメディアはどのように機能しているのかからはじまり、ジャーナリストが何を必要としていて、どんなニュースソースに飛び付くのか、そういうメディアに接触し、取り上げてもらうためにはどんな手段をとるべきか、その際のニュースリリースの作り方、広報の専門家との協働、テレビやラジオに出演する際の留意点などなど…。
何と周到な本でしょう。
たとえば新聞の投書欄や投稿原稿欄に採用されるためにはどういうアプローチが必要か、原稿を書く際にはどんなことに気をつけるべきかという下りは、ナースや医療の場に限らずとも、大変参考になります。
そういうノウ・ハウを、単なるノウ・ハウにとどめず、随所にナースの個人名を記し、その具体的な「行動」を紹介することにより、読者は自ずとフェミニズムを学び、主体的行動者へと意識変革されるように導かれていく、そんな本です。
ああ、しかし誉めすぎてしまいましたでしょうか。ずっしり重く、通読するのは結構大変ですが、つまみ食いでも十分ためになります。

(久保井 摂)