台湾在住 眞武 薫
日本以外の国にいると、それなりにそこそこのやり方に遭遇する。日本でもよその国でも病院の実情に一番詳しいのは掃除のオバサンかもしれない(オジサンもいるが・・・)。断っておくが<歐巴桑(オバサンと読む)>、<歐里桑(オリサンと読む)>というちゃんとした台湾の中国語があるのだ。
その時その時の入院で面白いことがあるのだが、夏休み前に入院した時も、ちょっとした面白い出来事があった。漢方(台湾では〈中医〉という)でいう〈補〉の考えからだろうが、入院するとやたら食べ物をいただく。こっちは糖尿で入院しているのだから当然病院食をいただくわけで、基本的にはよそからの差し入れはお断りしている。それでもやはり食べ物を持って来てくれる。棄てるのも勿体ないので、ナース・ステーションに持って行くと「うどんの差し入れで余りがあります。食べたい方はナース・ステーションまで」という面白い放送が流れ、誰かしら貰い手が見つかると言った具合だ。
ずうっと前に相当困った貰い物もあった。さきほど述べた〈補〉の考えからだろうが、台湾人は病気をしなくても、だからするとなおさら内臓や血液系の食べ物を食べさせられる。実は筆者は血や内臓は大の苦手である。思うに中国人が非常にスレンダーでも貧血が少ないのはこの食習慣からではないかと思う。
それは薄く切ってあったので初めは何だか分からなかった。スープの香りを嗅ぐや血液系、臓物系のものであることは分かった。ちょっと考えて、形をよく見て答えが出た。豚の心臓のスープである。隣りのご夫婦は親切心でくださっており、しかも筆者がいただくのを見守っておられるのだ。呑み込むには大きすぎるし、噛んでいただく勇気はない。結局はその病院の病院食が紙製の弁当箱だったことが幸いして、何とか食べたふりをして棄ててしまった。
別にそういう食習慣が悪いと言っているのではない。外国人から見れば日本人の食習慣だって奇妙に思えるのは沢山存在すると思う。だからこそ反対に異文化で受け入れられないものもあるとおおらかな目で見て欲しい。こちらは相手の親切心を踏みにじったような後ろめたさを感じながら、なんとか順応しようと努力はしているのだ。
今でもそのようなことがあるのかどうかは知らないが、昔聞いた中国の怖い(?)話しがある。中国人は大抵長旅の時は自分のカップを持っており、茶葉を入れている。そこへ汽車内のサービスで熱いお湯をくれるといった具合だ。
「見ぬこと潔し」であろう。長旅の中でのお湯のサービスに感謝する。ところが水の出所を探ってみると汽車のトイレの水だったという。沸騰させているから安心と言われればそれまでだが、それを知っていたら飲みたくないという人は多いと思う。
掃除のオバサンを挙げながら、全然そちらの話題に行かない。話しを戻そう。それは数年前に台北で入院した時の出来事だった。そこは今では昇格し等級では一番上のメディカル・センターになってしまったが、そうなる前もメインテナンスにはかなり力を入れていた。ちょっとひどい話しだが、室料差額のあるベッド数が全病床の三分の二くらいを占めている。一般人にはなかなか入院できないことから〈貴族医院〉と呼ばれている。そしてその汚名(?)を返上すべく病院側は差額のないベッド数を増やそうと、新しい病棟を建てる計画を打ち出しているが、付近住民の居住空間と接近するため、近隣住民の反対にさらされている。
台湾の病院は入院日数が日本に比べてとても短いと思う。その時は原因不明の頭痛で神経内科に入院していたが、そこの病院は「脳神経科」で内科も外科も一緒だった。外科の患者さんが同室になることが多く、悪性脳腫瘍等でも切って抜糸してしまえば退院である。化学療法で抗癌剤を使ったり、放射線治療を受ける患者さんは殆どが外来治療となってしまうため、外科の患者さんは大変そうだった。
しかし抜糸して「大丈夫、退院」と主治医に言われれば退院である。室料差額のこともあってか患者も早く退院したい。というより完全看護でないために、家族に入院患者を出してしまうと誰かが付き添わなければならないところが一番の負担になるのだと思う。
隣りの患者さんが急に退院になった。折りしもお昼時二人の友人が見舞いに来てくれた。筆者は台湾に住み始める前から台湾のウーロン茶にハマッている。入院中友人たちは私のためにとウーロン茶を持参してくれ、三人でお茶をしていた。そこへ掃除のオバサン。彼等の勤務中であれば、ベッドの清掃やシーツ交換などはオバサンたちが行う。まずは手すりなどをきれいに拭きあげ、シーツも交換した。
隣りの患者さんの退院が急だったからか、病室には昼食が運ばれていた。オバサンはラッキーと言わんばかりに隣りの席でその昼食を自分のものとして食べ始めた。たぶん台湾ではそういうシステムなのだろう。ちょっと不思議に
思いながらも三人でオバサンと向かい合っていた。彼女は我々に分からない台湾語でずっと話しかけていたが、そこは訳の分からないアジアン・スマイルで応えていた。
ご飯については物を粗末にしないと言う意味では良い事と言えるかもしれない。しかし、その次は駄目だった。彼等には昼休みはあるようだが(普通一二時~一三時三〇分)、特定された休憩場所はないようだ。オバサンはいきなりベッドメイクされたベッドに横たわり昼寝を始めた。昼休みの時間が終わると何事もなかったかのように部屋を出て行かれた。三人は唖然としていた。
物を分かち合うのはいいことだが、入院したベッドがその前誰か別の人に使われていたというのはちょっといただけない。