権利法NEWS

Hospital Wandering in Formosa 第11回 オシモのはなし

台湾在住 眞武  薫

日本人は排泄という行為についてとても閉鎖的である。この世に生まれて乳児・幼児期、そしてたいていの場合最期を迎えるまでのある時間は誰か周囲の者の助けを必要とする。にもかかわらず、当事者でもないかぎりこのことがオープンに話される機会は少ないようだ。

日本では完全看護がゆきわたっていることもあり、前記の場合以外で入院治療などをしたりすると、排泄行為の介助等を患者の家族等がすることはめったにないだろう。筆者も手術を経験し、短期間ではあるが自由に排泄という行為ができなかったときがあるが、それらは全て看護師さんがやってくれ、家族は何ら関わらなかった。

台湾の場合はちょっと違う。完全看護ではないため、家族は患者の世話をしなければならない。日本人的感覚から考えると、入院して家族から下の世話をしてもらわなければならないというのはちょっと想像し難いものがあるかもしれない。ここでは筆者が台湾の病院で目にした経験を述べてみたい。

台湾の病院は差額のない複数人の部屋でも、殆どの病室にシャワー、トイレがついている。患者が動けないような状態では「付き添い」を必要とするため、家族も病室のシャワーを使うことが普通である。看護師は導尿など特別の手技を要する以外は、排泄についてのケアは患者の家族に任せている(というか家族の義務と言ってよいだろう)。

日本人的な感覚では、自分が意識があって自由に用を足せる時は、あまりそのこと自体について誰かと話すなどということはなく、非常に閉鎖的なところがある。ましてや身体が自由にならないということで、家族に下の世話をしてもらわなければならないとなると、戸惑いを感じることも多いだろう。看護師であれば専門的なトレーニングも受けているだろうし、家族に世話してもらうという恥ずかしさも後ろめたさも感じずに済む。

数年前に台北で入院した時、隣りには身体の自由が効かないお婆さんがおられた。このようにお年寄りが入院するとその世話は、(1)家族が交代でする (2)専門の付き添い(外国人労働者が圧倒的)がする、が殆どだ。(3)に頼むと家族の目が行き届かない等の理由で満足のいくケアが受けられない場合もあるが、その割合は着実に増加していると思う。それに対し、儒教的な伝統もあってか、やはり親の面倒は身内で看なければと、家族総動員になる場合もある。

前述のお婆さんは(1)のほうで家族が交代で世話をされていた。実際、息子さんやお嬢さんなどは仕事があるらしく、昼間の世話は殆どお孫さんがやっておられた。意識がはっきりしていても身体の自由が効かないとおむつを使用しなければならない。手馴れぬ身でそれらをこなしていくのは大変なことだ。このときだけではないが、非常に不思議に思ったのは周りの家族の対応である。

自分が排泄をしているところ、或いはおむつを換えてもらっているところを家族の皆に見られたら、どうお感じになるだろう。筆者だったら羞恥心にさいなまれ、「もう殺して!」と思ってしまうかもしれない(少々オーバー)。だが、台湾では他の者が手を貸さないにしても皆で見ている。そのことに何の意味があるのか分からない。でも本人も割と平気そうだし、周りの者も抵抗なく眺めている。「私もその場にいてあなたのことを思っているのですよ」と言わんばかりに。そうやってそばにいることにより患者への関心を表すのか。

そのお婆さんはお孫さんの世話を一番心地よく考えていらしたようで、おむつの交換から、少し回復されてベッドの横でのポータブルトイレの使用に至るまで、たいていはお孫さんの名前を呼ばれていた。日本だったら、老婆の下の世話を二十歳くらいの男性の孫がするということは、あまり考えられないだろう。でも筆者が隣りにいて、一番よくやっているなと映ったのもそのお孫さんだった。要は誰にでもあること・必要なこととして自然に認識されているからではないかと思った。

皆さんは他人のお宅にお邪魔したりしたとき、トイレを貸してくれとなかなか言い出せなかったという経験をお持ちではないだろうか。他人の家のトイレはなかなか借り難い。でも、普通に上がって、お茶もいただいて、お喋りもするということになれば、トイレにも行きたくなるだろう。そういうとき何故か台湾では緊張しなくていい。大抵の場合、「トイレ行かないでいいですか?」と向こうから聞いてくれるからだ。大学時代の友人は生理中にボーイフレンドの実家に呼ばれ、ナプキンを捨てるのが申し訳ないと、目につかないように持ち帰る方法をいろいろと苦慮していた。日本人は本当に大変だ。

筆者は今回の帰国前にまたもやERのお世話になった。いつもは「知り合いもいない外国人」で通していたのだが、そのときは何度も知り合いの電話番号を聞かれ、ある友人が来てくれた。筆者は点滴でつながれていたので、当然時間が経てばトイレにも行きたくなる。だが看護師さんはストレッチャーから下りることを許してくれなかった。

友人が便器を持ってきてくれた。でも出ない。以前にも同じ経験がある。ベッドの上だからか、他人に見られているからかは分からない。結局は導尿してもらうことになった。もし、私がその友人ならカーテンの外に出て行くだろう。しかし、彼女は看護師さんの横でしっかりと私を見届けてくれたのだ。以前にベッドからは下りられるが、その横のポータブルトイレで排泄ということがあった。日本なら看護師さんはカーテンの外で待っていてくれるだろう。でも台湾では違っていた。看護師さんは筆者の傍で見ているのだ。「排泄に関する考え方がここまで違うのか」と考えさせられた。患者のそばについていてあげるという思いやりの気持ちのようであるが、我々日本人には苦しいものがある。