台湾在住 眞武 薫
第7・8回で述べていたが、2月に筆者は日本の病院で辛い体験をした。自分の中で、当直医の対応、その後の主治医の態度に納得がいかない、それでもどこかで信じていたいという気持ちが葛藤する毎日を今でも送っている。医師と患者間の関係に亀裂が入ってしまうと、修復は大変難しいと聞くが、それを痛感する日々だ。
筆者が病院で倒れた翌日、同病院の医療相談室に行き、カルテ開示に関して訊ねてみた。要求はできるけど、開示には主治医の同意が必要と言われ、そのままためらってしまっていた。関係がこじれた主治医の同意が得られないと開示してもらえないというのはちょっと変だとは思ったが、そこを敢えてという勇気はなかった。
四月に一週間の春休みがあり、学生からのちょっとした要望もあり、一時帰国した。例の事があってから一ヵ月半、まだ心の整理はできていないが、主治医に会ってみようと思った。その前に自分の気持ちを伝える手紙は書いていた(今になって考えると、それでも言葉には尽くし難いし、自分の気持ちというものは、なかなか相手に伝わらないものだと思うが)。
主治医の診察を受ける前日、別の疾患で同じ病院に行った。同じ内科の診察室を使っていて、待っている間に病院側が掲示している「カルテ開示」に関しての張り紙に目が行った。どうも二月に医療相談室で聞いたのとは違うような気がした。診察を終えてそのまま管理課へ問い合わせに行った。病院側の説明では患者側から要請して医師が拒否することはないということだったので、カルテのコピーと、医師の説明を要請した。ただ、詳細に関しては翌日主治医と相談してから決めるということで。
翌日主治医からの意見は、「説明しても意味がない、時間の無駄」ということだった。確かに筆者はそれがもとで重大な後遺症を残したわけではないし(心理的にはひどい後遺症となったが)、命に別状があった訳でもない。主治医は当該当直医の書き込んだ内容を見ながら、「よう書いとるなあ、僕やったら絶対こんなに書かんわ」と言われた。
結局は関わった医師からの説明は望めそうもなかったが、主治医はその日のカルテ及び看護記録のコピーをくださった。大体どういうことが起こったのかは把握できた。カルテの中には筆者がなぜ憤慨しているかについて意味がわからないというような記載があった。そのすぐ後に倒れてしまったようで、その当直医とどんなことを話していたかは定かではない。でも今になって考えると筆者が言いたかったのはこんなことではなかったかと思う。「先生、検査値に出ては来ないかもしれないけど、あなたは私に今辛い症状があるということを認めてくださってますか?」と。
辛い症状があるから受診する。それに対して医師はまず患者のいたみを認めてからこそ、その対応も出てくると思う。筆者はいわば「おおかみ少年」と化し、今辛いということさえ認めてもらえず、ただのうるさい厄介者となる。そして、何とかこの場を早く立ち去ってもらわなければやりきれないというような医師の対応を招いたような気がする。そういう中、主治医からは言葉はなくともカルテのコピーだけはもらえたのは幸せだったのだろうか。結局、当該医師からの説明はもらえず、何ともやりきれない気持ちだけが残った。
「僕だったらこんなには書かない」と言われた主治医のカルテは本当に記載が少なかった。その当日にしても、入院云々について話し合ったことも書かれてはいなかった。患者側から見ると、自分に不利になると思われることは一切書かないのかなと勘ぐりたくなる程だ。そういう意味では熟練した(?)医師ほど記載が少なくなるのだろうか。
台湾のカルテも非常にシンプルである。例えば、投薬の記載の他は脈拍速い(一分間に100から120)とか胸痛ありとか当日測定した血圧などだけである。日本の主治医の記載とよく似ている。ただ違うのはそれを医師としても快く開示してくれるかどうかである。勿論、台湾でもカルテの開示を求められないような病院も存在する。しかし、筆者が行っている所は可能で、今回の帰国に際しても、「これで台湾の診療の記録がわかるから、コピーして持って帰ったらいいよ」と医師から言われた。日本とは随分違う。
日本ではどうしてカルテ開示に関して医師・患者間に相互理解が得られないのだろうか。台湾は前の患者の診察中に後の患者が口をはさむようなおおらかなお国柄だからこそ可能なのだろうか。以前「誠意」という言葉で表したが、相互理解のためには患者を「苦しみに耐えている人」として医療側が認めることから始めないといけないと思う。それでこそ患者側には自分の苦しみを理解してもらえたという安心感が得られ、医療者側を信頼し、協力できるのだと思う。見たいカルテをコピーしてくれたのは、主治医の誠意だったとは思うが、相互理解やお互いの尊重には至っていないと思う。患者と医師が同じ医療情報を共有し、お互いに治療に前向きに協力していける日はいつ来るのだろうか。