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Hospital Wandering in Formosa 第9回 救急訓練を受けて

台湾在住 眞武  薫

4月9日、10日と大学で救急救命の訓練を受けた。初めの動機は「ある程度の知識があればどこかで役に立てるかも」というものであったが、訓練を受けた後の率直な感想は「怖くて手が出せない」である。2日間にわたる朝から夕方までの15時間におよぶ訓練はほんとうに大変だった。「怖さを知る」という意味では貴重な体験だったかもしれない。

訓練の内容もかなり豊富だった。朝いきなり『救急理論と技術』というテキストを配られた。概論から、外傷処置、ショック及び一般救急処置、止血法、心肺蘇生術(CPR)、骨折・筋損傷に対する処置、交通事故の救急(頭頚部及び脊椎の固定法を含む)から患者搬送までと多岐にわたった。主宰は中華民国赤十字協会新竹支部(筆者は台湾の新竹というところに住んでいる)で、二人の講師が来られた。

それぞれの科目の間の休み時間は5分から10分ぐらいで、まるで訓練の場が救急の現場であるかのような感じがした。ショックや熱傷に関しては筆者も経験があるので、こんなことをするだろうくらいの予想はついた。でもその他の事に関しては全くと言っていいほど知識がなかった。実際に訓練ができるレベルの人材が不足していることもあるようだ。講義にもかなり熱が入っている。

とても印象深かった言葉が、「救急車の中にいるのはただの運ちゃん。するべき処置をやっているかどうかで、救命率が大いに違う。」であった。誤解のないように申し上げておくが、台湾は戦前日本が統治していた時代もあり、かなりの割合で日本語が残っている。「運ちゃん」と日本で言えば差別用語になってしまうだろうが、現地の人々は非常に親しみを込めて呼んでいる。もし、台湾に旅行に来られてこういう言葉に遭遇されても、どうか寛容であって欲しい。それは我々日本人が犯した罪の傷痕であると言えるかもしれない。

筆者は台湾・日本の両方で救急車のお世話になったことがある。日本ではもうろうとはしていたものの、意識はあったので、救急隊の処置や救急車の中の構造はだいたい想像できる。台湾では途中で意識がなくなったりしたことがあったが、率直な印象は「車の中に何の設備もない」である。それなりの設備を整えた救急車もあるとは聞いているが、その数はごく僅からしい。

台北は台湾では一番の都会だし、新竹はIT関連の工場が密集しているため、特別な設備を持った救急車があったり、救急隊も乗っている。それでも普通の救急車ではバイタル・サインを見たり、特別の処置をしてくれるという訳ではない。日本では救急救命士の気管内挿管が取りざたされているようだが、台湾では何をか言はんや、である。先日、数年前とかなり大きな地震災害もあったが、山地のほうへ行くと「ただの運転手だけ」というところもまだ珍しくないそうだ。そうなると筆者が受けた救急訓練もまんざらでもないのか。

しかし、講師は講師で伝えたいことが多かったようで、教えるほうも、受講者のほうもemergency状態である。まずは理論を話し、次に練習、実習。学ぶ量が多くなるほど、受講者の消化不良が目立つようになってきた。止血については(否、いろいろな面で)三角巾がかくも有用なものであることを学んだ。しかしCPRにいたっては受講生はほとんど分かっていなかったようだ。講師は色んなケースを想定して見せてくれるのだが、講師一人を囲んででは見えない者も多い。

そして説明が終わると、いきなり指導者なしの練習、即試験である。やっている練習が正しいかどうかチェックしてくれる人もいない。手技がそれほど繁雑とは言わないが、即時の判断、的確な対応が求められる場での即戦力にはほど遠いものがあった。これで人ひとりのいのちが左右されるかと思うと、ほんとうに怖くて手が出せない。実技試験はくじ引き方式で問題が書かれたカードを引き、講師の前でやってみせるというものだった。実技試験はCPRと訓練全体を通しての二科目あったが、試験の方法としては良かったと思う。但し十分な訓練を受けていれば…。

かなり怖いと思うのはこの訓練に合格すると初級救急の資格がもらえるということだ。台湾の人たちは、なかなか人情味があり、困っている人たちを黙って見ている訳にはいかない、といったタイプの人が多いようだ。これも数年前、本学の中にある池(いや泥沼?)に子供が落ち、助けようとした学生を含めて三人が犠牲になったという痛ましい事故があった。

実技試験、筆記試験はあるものの、講師は「絶対不合格者は出さない」と強気の保証をする。でもこの程度の知識で実際の場面で役に立つのだろうか。何度も申し上げるが、「怖くて手も足も出ない」というのが率直な感想だ。少しでも誰かの役に立てればと受けた訓練ではあったが、人材、資材、知識、技術の不足を埋めるにはまだまだ相当の時間がかかりそうだ。