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Hospital Wandering in Formosa 第8回 やはり信じていたい

台湾在住 眞武  薫

前回で述べた日本の病院での出来事は、まだまだ癒されない傷として残っている。台湾に戻って意外に感じたのは、台湾の医師たちが思いがけず同情してくださったり、励ましてくださったりしたことだった。

人のいのちを扱う職業が故、自ずから医師の方にかかってくるストレスも大変なものだと思う。でも、医師と患者はいつまでも対等な立場になれないのだろうか。研修医は十分な教育も受けず、知識・技術も満足に習得しないまま一人で多くの患者と向き合わなければならない。しかも低賃金、過剰労働のもとで。待遇の悪さが故に外勤や当直のアルバイトとなってしまう。実際の数は分からないが、自分一人では何もできない場面に遭遇し、困惑した若い医師も多いと思う。以下は実際数年前に台湾のある病院で見た風景だ。

救急外来に怪我人が運ばれてきた。しかし、当直医は内科の医師で何もできない。病院にいたスタッフ(医師免許がないことは確か)が患者の傷を処置していた。処置が終わると「○○先生、治療完了。10針縫ったとカルテには書いておいてください」と言った。確かに、縫合も満足にできない内科医に処置してもらうより、無免許でもある程度の技術がある病院スタッフが処置したほうが結果的にはいいのかもしれない。だけど、医師以外がこのような治療にあたるのは違法ではないか。考えれば考えるほど、恐ろしい病院だったと思う。

先月家族がJRの列車事故に巻き込まれた。顔に怪我をし、足の骨にはヒビがはいっているかもと言われたらしい(最終的には大丈夫だったようだが)。事故で一度に多数の怪我人を、しかも夜中に診なければならない事態となれば医療スタッフにかかってくるストレスも相当なものだと思う。でも顔の傷は縫ってもらったものの、足はレントゲンを撮っただけで、ギプスを巻ける医師もいなかったのか、一日入院して次の日に整形外科へ行くように言われたそうだ。

患者は夜中の病院でどんな医師が治療に携わっているのか分からない。医師は医師で、どんな患者が運ばれてくるのかはらはらしながら夜を過ごさなければならない。このような状態で、医療の質が向上し、医師―患者間のよりよい関係が築けるのだろうか。もっと熟練した医師が夜間の診療に携わってもいいのではないか。満足なトレーニングも受けていない医師に治療してもらうより、より迅速にそのような事態に対応できる医療機関へ搬送した方が良心的ではないか。医師自身が怖い思いをしながら満足のいく治療を提供できないでいるより、医療者全体が質の向上をめざしてもっと努力するべきではないか。

当直医の技術が未熟であるという事実を隠されることのほうが患者にとっては不安だ。己の限界を知り、ベストな処置・治療が行われてこそ、医師と患者の間に信頼関係が生まれるのではないか。そうすると、医師は医師で自分でできないことはそれを認め、更にいっそうのトレーニングを積むべきだし、十分な報酬や休養時間も確保されて当然だと思う。また、患者は患者で、病気に対するある程度の知識を得て、お任せ医療から、相談・選択できる医療にならなければならないと思う。

私事ばかりで申し訳ないが、姉が入院したとき(本当にさんざんな冬休みだった)点滴の速度が速すぎ、血管痛が起こったり、気分が悪くなったりしたらしい。「どうして速度を落とさなかった訳?」と訊ねると、「だってどうやったらいいか分からないもの・・・」と言われて驚いた。さしずめ台湾なら家族が「看護婦さん(と言ってはいけないの?)点滴終わりました」と言えば、「すぐ来るからちょっと止めといて」となると思う。日本は医療サービスが行き届いているからかもしれないが、「それくらい知っといてよ」と思った私の方が十分変な奴なのかもしれない。

何とも脱線ばかりしているが、日本で不幸な出来事が起こるまで、私は心からその主治医(教授)を信頼していた。糖尿病で初めて入院したときにもらった手紙の中にはこうあった。

糖尿病の治療は(1)食事、(2)運動、(3)薬物と学生が解答すると点にしています。一番重要なことを忘れているからです。忘れていることは“患者さんの教育”です。DMがいかにつらい合併症を来す疾患であるかを十分理解してもらい、そのような合併症の発症を阻止し、楽しい人生を送って頂くためにはDMコントロールがいかに重要であるか頭だけでなく、体で患者さんにおぼえて頂くようにしなければなりません。

糖尿病の治療もこの手紙をいただいた時と比べるとはるかに進歩している。それでも基本はやはり変わらない。一教育者としても、教育の力を信じたい。

また、台湾で納得のいく医療機関を探しながらも、少なからず医療不信に陥った時期があった。その時にいただいた手紙の一部を以下に述べる。

しかし、dataだけで全てが分かるなら医者は不要で、全てコンピューターが決めてくれるはずです。医者が必要であるのはdataだけではなく、他の多くのfactorを考えて最高の治療法を決めるからだと思います。大切な事は、一つには医者の言う事を守ること、次は疑問に思うことは質問し、説明してもらうこと、そして医者との間によい人間関係を保つことです。病気自体が十分解明されているわけではありませんので、医者も説明できないことがたくさんあります。ただ今までの経験から、その人その人に合った良い治療法を知っているものです。医者不信に陥らないようにして下さい。
医者は患者さんを選べない。患者さんは、医者を選ぶ権利があります。

どうしても納得がいかなかったのは、ここまで言ってくださった主治医におよそそれとはかけ離れた言動をとられたことだ。でもここで自分は果たしていい患者だったかと振り返ってみると、随分わがままもしてきたように思う。もう一度原点に戻って、信じることから始めて、信頼関係を再構築できないものか。これらの手紙をくださったときの主治医の気持ちを信じてみたい。