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Hospital Wandering in Formosa 第6回 犯罪者の権利

湾在住 眞武  薫

台湾ではときどき公立の病院の外来や救急外来で受刑者を見かけることがある。ジャリッ、ジャリッ、ジャリッと音がする。振り返り見るとまるで映画の「クリスマス・キャロル」のスクルージを見ているようだ。二人の警察に連れられ、手には手錠をされ、足には鎖。耳にした音は鎖の音だ。その音を聞き、受刑者を見かけるたびに心が痛み、一年半前のある出来事を思い出す。

犯罪を犯したのだから、それまでと言われれば何も言えないかもしれない。でも本当にそうだろうか。受刑者はその人権までも無視されていいのか。その日は我慢できない腹痛に襲われた。台湾大学にしては珍しく、診ていただいた科の医師は親切だった。「すぐに救急外来へ行くように」と指示された。でもあまりの痛さに歩けない。台湾の病院はたいていボランティアの人がいる。すぐに車椅子を準備して、中山南路という通りをはさんだとことにある救急外来へ搬送してもらった。

台湾の救急外来に対する率直な印象は「野戦病院」である。病院によって少々異なるが、十年経った今でもあまり変化はないと思う。診察を終えて観察が必要となれば<暫留区>と呼ばれるところに休まされる。そこにはストレッチャーが並べられており、患者はそこに寝かされる。一つひとつがカーテンで仕切られている病院はまだいいほうだが、台大病院にはない。隣の患者さんとの間には付き添いの人がかろうじて座れるほどのスペースがあるだけだ。

その人は意識がないまま二人の警察とともにやってきた。家族に連絡しているのかどうかは分からなかった。意識はなかったが、何かを呑んだかどうとかで看護婦さんは警察側に排泄があるかもしれないということを告げた。警察は成人用紙おむつと彼らの昼食を買ってきた。医師も看護婦もそれ以外は何もしない。警察は患者の前で昼食を食べ始めた。食べ終わって、意識のない患者を前に紙おむつをつけ始めた。それも面白半分のように笑いながら...。

少なくともその場面を家族がご覧になっていなかったのが幸いだと思う。その人はまるでおもちゃでもあるかのように筆者の目には映った。かなりたってからその人の関係者らしき人が来られたが、すぐに去って行かれた。また暫くして突然その人は吐血を始めた。勿論意識はない。やっと医療スタッフが行動を始めた。挿管し検査らしきものを始めた。筆者の訴えも聞き入れてもらえないくらいだから、その人の様子を見に来る人もいなかったのだ。

夜遅くなってその人の父親らしき人とそのご家族であるらしい女性が現れた。物言うこともなくベッドのそばに座っていた。意識のないまままた吐血すると、看護婦が来て吸引する。その繰り返しだけだった。医師も来ないし、家族に説明している様子もない。ただただ沈黙のまま時が過ぎる。世も更けて女性は救急外来を離れ、父親らしき人だけになった。もうかなりご年配のようで、椅子に座っておられるのも大変そうだ。自分の息子が犯罪者であるという引け目があるのか、何も言われることはない。ひっそりと座っておられる後ろ姿がふるえているようにも見えた。

筆者も薬の効果がなくなるとまた痛み始める。忙しそうに横を駆けてゆく看護婦さんに声をかけても、気づかれないのか、気づいても「ちょっと待って」の返事だけ。誰も来ない。横にはそのご老人の後ろ姿。こうして夜が明けた。

筆者もそのご老人も一睡もしていない。朝になると、医師がシフトし、回診に来る。筆者への説明は「台大病院はベッドが空きそうにもないので、よその病院を紹介するので、そこへ移ってくれ」ということだった。実際に移ったのはその次の日だったが。

その頃は学年末の試験が終わったばかりで、勤務先にも連絡しなければならなかった。近くにいる他の患者さんの家族ははおおっぴらにやっているのに、何故か筆者が携帯を使おうとすると注意される。バッテリーも心配でいつもは電源を切っていた。それに近くには機械につながれた患者さんもいる。何とか公衆電話のところまで行き、電話しようとするとそのご老人がおられた。台湾では一定の年齢を過ぎた方はたいてい日本語ができる。それが日常と化し、あまり意識されることもなく、日本語と台湾語混じりで話をされている人が多い。

そのご老人もそうだった。

思い切って声をかけてみた。ここでは満足のいく医療が受けられないので、病院を変わりたいとおっしゃった。言いたいことも言えず、ずっと我慢しておられたようだ。そこで父親としての本音が吐露された。その人がどんな罪を犯したかは分からないが、一目見て犯罪者だと分かることもあって、ご老人は遠慮されていたらしい。何もできなかった自分。できるならまだ生きていて欲しいと願うだけだ。