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世紀の転換と患者の権利

NPO法人患者の権利オンブズマン理事長  池永  満

20世紀が終わろうとしています。

丁度100年前の1900年(明治33年)には「精神病者が社会に流す患害」をなくすことを理由として「精神病者監護法」が制定されています。1907年の法律11号「癩予防に関する件」により、らい患者を収容するために設営された療養所の初代所長は全て警察官だったそうです(大谷藤郎『らい予防法廃止の歴史』)。

当時、「富国強兵」政策を推進していた日本政府の「患者政策」は、患者の治療や保護を目的とするのではなく「治安対策」として始まり、その後も軍国主義化の進展にあわせて強化の一途を辿っています。

第二次世界大戦の終結と「個人の尊厳」を定めた日本国憲法の誕生(1946)、さらに『世界人権宣言』(1948)の採択などは、そうした患者政策の根本的転換を迫るものでしたが、残念ながら医療分野において患者が人間としての尊厳を回復する過程は必ずしも単純には進行せず、戦後半世紀の経過の中で、徐々に構造変化をとげましたが、精神医療分野では今日なお35万床を維持しており(刑事拘禁施設の収容者数の約5倍)、「らい予防法」の廃止は1996年のことです。一世紀を費やしたわけです。

そうした遅れを招いた歴史的要因として、今にいたるも旧関東軍七三一部隊の蛮行をはじめとする日本軍国主義が引き起こした戦争犯罪を自らの責任で解明し、清算する作業が遂行されていないことが、大きな影を落としていることも間違いないでしょう。

何故なら、良く知られているように、医療分野における人権侵害を防止する大原則として確立され、治安対策や種々の人権制約を一掃する共通のキーワードとなっているインフォームド・コンセント(十分な情報を得た上で選択・同意・拒否すること)自体、第二次世界大戦を総括しナチス医師達の非人道的な人体実験を裁いたニュールンベルグ綱領(1948)の「自由な意志にもとづく同意」に由来するものにほかなりません。

自らが犯した誤りを学ばないものは、誤りを克服する教訓を手にすることも出来ず、結局のところ誤りを犯した古い社会構造の重しを引きずらざるを得ないという、歴史の弁証法なのかも知れません。

20世紀が終わろうとする中で、患者の権利運動に取り組む者の一人としてかねてからの宿題に着手すべく、今年2回にわたり中国を訪れ、中国政府が世界遺産に登録すべく復元工事を急いでいるハルピンの七三一部隊本部などの遺跡を回りましたが、規模と蛮行の甚大さに言葉を失いました。

しかし、歴史は無意味な歯車をまわしてはいないようにも思います。

医療分野における人権侵害を防止する原則として誕生し、ついでアメリカなどの医療過誤裁判において患者の自己決定権を保障する法理として発展したインフォームド・コンセントの原則が、今日においては、日常医療の現場において、患者の医療参加を促し、専門家によるパターナリズムによる医療構造を打ち砕き、個人の尊厳を守り個性の開花に奉仕する医療システムをつくり出していく躍動的なキーワードとして役割を果たしつつあります。

遅れてインフォームド・コンセントの旗を掲げた日本の患者運動では、これらの課題を複合的に推進しうる武器を手にしたとも言えるわけです。

WHO宣言(1994年)は、患者の権利を日常的に擁護し、医療福祉サービスの改善と質の向上を目指すシステムとして、裁判外の苦情手続を提唱していますが、この発想の基軸にもインフォームド・コンセントが生きづいているように思います。

多発する医療事故トラブルにおいても、インフォームド・コンセント原則を徹底することにより、医療行為に伴う危険性情報や医療事故情報を患者と医療従事者が共有し、共通認識を強めることにより共同して危機管理能力を高める契機となるでしょう。

NPO法人患者の権利オンブズマンの相談員からのアドバイスを受け、医療機関や医療従事者に対して直接苦情をぶつけることにより、患者自身が自己決定権を有する患者に相応しい意識変革をとげていくことを実感することも少なくありません。医療従事者も苦情に誠実に対応する中で、患者家族の医療参加のエネルギーを受けとめ、自らの業務を患者の視点で改革していくことが求められています。「苦情から学ぶ医療システム」は、20世紀の遺物であるパターナリズム医療を清算し、21世紀型市民社会における医療福祉サービスにふさわしい、個人の尊厳に根ざした社会システムとして国際的な発展を遂げるのではないかと思います。