日向市 井ノ口 裕
医療現場に身を置いている者として考えると、カルテの作成については、以下の3つに方向は別れると思うのである。
1つは、正道を歩む道。
つまり医師自身が、必要にして十分な医学的な情報を、誰もが判読できる文字で記入すると言う方法である。正道を歩むと言うことであるが、問題はこの方法では1日に診ることが出来る患者さんの数が限られることである。私の実感と、色々な医師の感想では、1日の数は20人前後と考えられる。この方法でカルテの返却を行っているのは東京の王さんで、彼女は1日に40から50人は可能であると書いている。実際に行っている王さんの意見が正しいと思うが、王さんも言っているように、やはり患者さんの数を制限しなければならない。
このことは、診療を予約制にするとかしないとかという問題にとどまらず、保険診療でやっていくことが可能かどうかの問題でもあり、カルテ返却の議論をするだけでは結論は出せない問題である。仮に保険診療でやっていくとすると、誰も雇わないで夫婦2人でやっていく診療所という形態になろうかと考える。しかもかなりの都会で無ければ難しいであろうというのが私の実感である。
2つは、恥を忍ぶか、居直る道。
医師のみならず、医療現場に働く人の意見は、「医師は非常に多忙である」と言う点で一致している。従ってカルテは極めて乱雑な字で、2-3行のわけの判らぬ記載があるだけである。診療録管理学会の木村明氏のいうところの「後日の検証に耐えるカルテ」というものではなく、弁護士さん、また市民団体の人には極めて評判の悪いカルテを作る道である。我々個人の開業医では「どうも個人開業の先生のカルテは.....」と言う言葉にも耐えなければならない。「これが現実でしかたがない」と居直るのも、恥を忍ぶのと同じ性質のものである。
日本医師会の最近の報告では、1診療所あたり75人の患者さんが受診している。これは平均であって1年の半分以上は75人以上の患者さんを診ていることになる。私の診療所では6年前の阪神大震災の時は1日で200人の患者さんが風邪で来院した。「後日の検証に耐えるような科学的なカルテ」の手書きによる作成は不可能である。したがって、恥を忍ぶか居直って、何行かのメモをカルテとしてコピーするという道を選ぶということになる。どちらを選ぶにしろ「カルテと呼べるものではありませんが」と思いつつ仕事をすることは変わりない。そして、どうにかしなければならないことでもある。
3つは、知恵と工夫をする道である。
私は日本を代表するような病院が、知恵も工夫も努力もせずに、カルテ管理士という制度を取り入れることに反対である。あまり長い話にするつもりは無いが、コンピュータの音声入力措置などで、出来る限りの工夫をして、どうしても人間の手書きの部分が現段階では必要であると言うのであれば、私もそれには同じ考えである。
私は20年前に開業した。その時にレセプトコンピュータを導入したが、近所の金持ちの病院の院長から「人件費の方が、ちびっとばかり安い」と言われた。
「機械を買うより人件費が安いから、機械の代わりを人にやらせる」ということも、確かに法律違反ではない。レセプトを受け取る側では、手書きであろうとコンピュータであろうと、期日までに届けばそれでよいのである。
しかしそれは、レセプトを受け取る側の話であって、毎月の深夜に及ぶレセプト作成の労働をしている側では、話は別である。レセプトの作成時期が近づくと、職場全体がいらいらしてくるというのが普通である。しかし、レセプトコンピュータのおかげで、働く人は本当に助かっている。普通は1週間の深夜に及ぶ残業は、私の所では20年間1回もない。
以前、東京都知事に美濃部達吉という人がいた。彼は、都知事に当選してから、東京都の仕事をひととおりやったそうで、ゴミの収集、糞尿の収集も自分でやったときいている。美濃部さんについての評価はいろいろあるし、このようなことをやったと言うことにも意見は様々とおもう。しかし、人に何かの仕事をさせる立場にいる者は、毎日毎日それをやっている人が楽になるように考えるべきである、と私は思うのである。
知恵と工夫と投資を惜しまなければ、人間の労働は相当程度軽くできる。私は個人の診療所をやっているが, 2千万円以上のコンピュータの投資はしている。日本を代表するような病院は、5億円や10億円のコンピュータの投資はすべきなのである。実際にそれくらいの事をすれば、かなりの事がコンピュータでできる。楽に何かを行う手段の有無は極めて大切なことである。役場の情報の開示もコピー器があって出来るわけで、あれを人間が手書きで何百枚も書かなければならないとしたら、情報開示も何もあったものではない。つまり、情報の開示をやるなら、コピー機を買う金はださなければならない。
以上の3つの中からそれぞれの自分の姿を選ばなければならないが、私は3つの中では3番のスタイルを選んでいる。私なりの理由があっての話であるから、私はこの方法が広まることを念願している。
しかし、問題は今からカルテの返却を行う多くの医療機関で、具体的にどんな方法がとられるのか、ということである。現在は有名な病院でカルテ管理士と言う制度が採用され始めていて、後戻り出来なくなるのではないかと心配である。私が望みを抱いている流れは一般的には電子カルテ方式と言われるものに近いが、この方式はまだ医療現場の多様性に対応できていない。ある分野では便利だが、ある分野では使いにくい。更に日本人にはキーボードを使うということも障害である。知恵と工夫を行って使いやすくなり、更に音声入力の精度が高まることを期待したい。音声入力が出来るようになれば殆どの問題は解決される。
だが現在でも、工夫次第で相当な事ができる。私がコンピュータを買ったのが20年近く前で、1台が150万円であった。しかし今では1台が20万円である。
更にあのころに作ったソフトは400万円かかったが、現在では既製のデータベースソフトで作成できて、値段は5万円程度である。20年前には1000万円かかったシステムが、今なら50万円くらいで作ることができるということになる。特別の決意をしなくても、やろうという意志さえあればできる。
私はこのシステムで20年間で20万人のカルテは返却しているので、一般的な個人の診療所ならすでに実証済みである。急性の一過性の疾患の多い医療機関ではこのシステムは役に立つ。あとは診療形態に合った形につくればよいのである。そうすれば、診療所のナースもナースらしい仕事の仕方で働けるし、小さな診療所の事務の人も、患者さんとの直接の関係の中での仕事をおこなうことができる。更に個人の診療所の医師も、もはや1冊のパンフレットといえるくらいのカルテを、工夫次第では即座に作る事ができる。
私は、以上のような考えであるが、医者だけの会やマスコミの人や、または患者の何かの権利を求める会の人たちには評判がわるい。弁護士さんにも良くはないようである。「なぜ、あんなにムキになって口述筆記に反感を示すのだろう」と言うくらいのものである。
しかし私は、医療現場で働いている医師や正看、准看、事務、受付などの人が全て集まった集会では必ず賛同を得られ、実現する可能性のもっとも高い方法であると考えている。