権利法NEWS

105号の井ノ口さんの意見に賛成します

国立市 王 瑞雲

口さんの御意見について、私は大賛成です。

カルテは無償にて病人側に返すべきものと当然私は考えています。「診察」する行為は当たり前に言って病む人々をどうしたら「病まない人」にするのか?それ以外の目的はないのです。
そして、病人側がどんな治療を受けたいか?病人側に選択する権利があります。

「ものみの塔」の輸血問題の裁判で出ましたように「どう生きるか?」その命の持ち主が決定する権利があります。アトピー性皮膚炎の治療で「ステロイド剤、使いたくない」と病人側が要求し、大病院の主治医が「じゃ ステロイド剤を入れないことにしますね。」と言って何種類かの軟こうを処方して下さいました。
それが見事にきれいに効き、ある時その若いお母さんは親しくなった薬局の受付の女性に「さすが◯◯先生、ステロイドも使わないでこんなにきれいにしてくれたの!」と話しかけたそうです。
その時その窓口の女性はけげんな顏して「え?ちゃんとステロイドが入っていますよ。」と正直に教えてくれたのです。
その若いお母さんはすぐさま、子供を連れ私のところへ相談に来られました。「ウソをつかれていた!」そのショックはとても大きかったのです。「訴える 」と憤慨するお母さんをなだめるのに時間を沢山とりました。私は大病院の医師の「治療は医師がするもの」という考えは間違ってないと思います。しかし、肉体は病人のものです。病人側が医師の行為をチェックし、治療法に納得し監督する権利を持っていると考えるのです。

今日も私の病人側からFAXが届きました。二日前、休日で診た子供のお母さんからでした。「今、抗生物質は使わない方が良いと思うのですが・」という意見でした。私のところへ来る前は抗生物質にひたりきった二年間でした。そして私のところへきて漢方薬を飲むようになって、この半年本当に嬉しくなるくらい抗生物質から離れていました。二日前私に急性副鼻腔気管支炎といわれて抗生物質、その他飲んでいるのだけれど、どうも以前他医に通っていた時のように「効かないで延々と飲み続けなければならない気がする」という切々とした相談でした。
私はすぐ電話をかけ、私が抗生物質を処方している理由を説明し、後あれこれ沢山おしゃべりをし合いました。最終的に「飲ませる飲ませないはお母さんが決定を」と答えました。ある種の医師に言わせれば病人側は能力がないから決定させるのは残酷だという事になるでしょう。でも私は今の日本に住む人々、またはこのようなお母さん達は決して「能力ない」人々ではない。毎日毎日二十四時間子供と接触し、理屈抜きに子供の状態を理解しているのです。三名の医師が何ともないと診ていたのに「脳膜炎」になるかも知れない「ただごとではない!」と感じて四つ目の病院へ駆け込み自分の子供を助けた若い母親もいるのです。医師は病人に対し自分の力だけでは百パーセントの責任はとりきれません。病人や病人の家族の手助けが合ってはじめていい仕事が出来ます。

カルテを書くに当たり井ノ口さんのいうようにカルテ管理士なんてとんでもないのです。ありのままその医師が書けばいいのです。きれいなパターン化した完璧なカルテはかえっておかしいでしょう。大切なことはその医師がどんな仕事をしたかありのままでいいのです。手を加える必要はないのです。但し、その為には、一日に診る病人を私のように四十人から五十人ときびしく抑える必要があるでしょう。いつも私が「医師がいい仕事をするには、どの位診るのが限界か調べる必要がある」と書くのはそのためです。

私が今の形のように百パーセントカルテ開示をして問題がなかったか?というと必ずしもそうではありません。私がミスをしたことすらきちんとカルテに残り病人側も知ってしまっているのです。いつも緊張しますので医師には更にストレスになるかも知れません。

それから他医の書いたカルテを次の医師は読む気はあるんだろうか?私は時々考え込んでいます。

というのは、私の診察を受けていた家族が他県へ転居し近くの医師へと私がすすめる(当たり前と思うのですが)と、その新しい医療機関では全く過去のことに気を配ってくれないとのことです。
私の持たせるカルテを見ようともせず、あるいは今迄どんな病気をし、どんな治療を受けたとも聞かない。その病人は「大阪から東京まで通っていいですか?」と電話で泣いていました。

私は私がカルテを持たせたからその医師は不快なのではない。仮に私が他の多くの医師のようにカルテなんか渡さなくてもその医師はその病人の今迄のいきさつをきちんと聞こうともしないだろうと思う。何故なら「時間がない」の一言につきると私は考えているのです。保険診療で今の私のやり方でやってみたらいい。医師は命をいくつ持っても足りないと思います。

だから私は病人が一人でも減って、医師がその自分の人生を楽しむくらいの余裕を持たせて欲しいと思います。病人側も一回でも通院が少なくなればうれしいし、医師側も助かる。そのためには上下間系でなく純平等な対等な立場となる。同じ土俵で「この病気は何、どうしたら治せる?」専門知識の差があっても、真理を追求する権利は医師も病人も同じにある、と思うのです。

だから医師の持つ情報は出来る限り多く正しく病人側に伝えるべきと私は考えています。

そうすることで医師は本当に医師らしい本来の姿にもどれるのではないか?病人側が自分で治せるようなものを何にも医師が治療することでもない。病人側に教えていくだけで病人は経験し、自分の身体の主人公になっていける。

医師の仕事はそうした社会的役割を持っていると私は信じているのです。

延々と書きました。近々大阪で「医師の会」の臨時総会が開かれます。事務局のスタッフの皆々様の御苦労、本当に大変だと思います。私自身は、誰が何と言おうと自分の信じる様に試みよう! という気持ちでいます。今迄通り、百パーセントカルテの開示を続けることです。でもどこまで書くべきか?むろんすべての科に合う方法でもなさそうとあれこれ考えていますが、少なくとも小児科、皮膚科では義務づけられていいのじゃないか?とは考えています。その方が病人にとって有利だからです。

なるべく発言をひかえようと努力していますが、井ノ口さんの御意見に大いに賛同しペンを持ってしまいました。皆々様の御健闘を祈ります。