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カルテ開示に関する個人的な意見

日向内科  井ノ口  裕

ルテの返却が現実に行われるようになりました。今までは現実の問題ではなくて、いわばアイデアの出し合いでしたが、これからは、生身の人間が実際に行わなければならないことになります。私は、カルテの返却という事が、単に便利とか、検査の重複が無くなるとか、薬が判るというような、いわば利益に置き換えて語られるものではなく、人間とは何か、人間と人間の関係はどうあるべきなのか、職業とは何か、職業を通じての対等というのはどのようなシステムのことなのかと言う、いわば人間にとっての価値とは何かということが議論されるべきと思います。

私は特に、大々的に導入がなされようとしているカルテ管理士と言うシステムと、口述筆記という手段についてみなさんの意見を聞いてみたいと思います。私は以下のように考えて、反対の意見を持っており、こんな事までしなければならないのであれば、カルテの返却はむしろやめるべきと思っています。

1 大体「目的」はきれい事。その達成手段にこそ目的の性質がでてくる。ある本に医療現場の話として「オイ、そこの看護婦、患者をレントゲンにつれていってこい。」という会話がのっていました。

日常の医療現場では「そこのクスリ屋」「オイ、メーカー、ちょっと来い」などという会話は多く、カルテ返却を語るのも、この様な人間の扱い方をするのも同じ医療現場であります。

私はこの様な点こそが医療の問題だと思っています。そうすると「それはアンタの個人的な好みの問題でしょう。別に法律違反じゃあるまいし、それぞれの勝手で、カルテ開示と関係ない」と言われます。その通りです。だから私はカルテ作成の具体策を問題にするのであります。法律違反でなければ何をしてもOKというわけではないと思います。

大体において「運動の目的」「会の目的」というのは描象的な言葉の羅列であって、言い換えれば「きれいごと」であります。

しかし、目的達成の為の手段というのは極めて具体的であり、誰の目にも見えるものであり、人間の生の行動であります。

だから「目的」の文字を隅々まで読むよりも 具体的方法を少しだけのぞく方が、その「目的」をより深く理解できると思います。

少し大げさですが、ドイツのナチスがゲルマン民族の優秀性を唱え、それを守る手段としてユダヤ人の抹殺を行いました。ゲルマン民族の優秀性と、ユダヤ人の虐殺を切り離して「それとこれとは別の話」というわけにはいかないのであって現に行われていることの方が重要でと思います。

「どういう積もりか知らないが、こんな事やっていいの」ということであります。

2 口述筆記は、先生と言われる人が、先生という人にさせる作業だと思います。

高級官僚がそうでない官僚に、公務員特別職の高給取りの裁判長が、1号俸の月給15万の事務職の人に、社長が平社員に、そして医師が看護職にさせるものです。どんなに忙しくても、その逆はないのです。自分で書けばよいのに彼らは書かなくて当然、書かせて当然と思っているのです。みていても彼らの態度は横柄です。彼らは情報は自分がコントロールするものと思っています。

私は、情報を開示しないということより、開示しないでも存在できた組織をなくす、または組織の内部を作りかえることが重要だと思います。仕事では分担があるだけで、上も下もあってはならぬ。自分でかけるのだから書け、というのが私の気持ちです。

3 私はこの近くの労働基準局の所長をみて驚きました。案内してくれた署員の人の子供かとおもいました。20代でしょうか。こんな年齢で、過剰な接待や扱いを受けていたら、おかしくなるはずだと思いました。私は田舎の開業医ですから、そんな経験もありませんが、それでも「先生」と言われ始めたときは気持ちが悪かったのを覚えております。だから近藤さんが「先生というのはやめよう」と言ったときには同感でした。ただこんな人は滅多にいないのも事実です。私は人を人とも思わない横柄な態度は、職業などで身に付くと思っていましたが、看護婦と呼び捨てにする若い医師もいるし、看護婦さんと言う教授もいるし、人によると思い始めました。先生と言う言葉が医療の現場から無くなれば、横柄な態度も一緒に無くなると思います。カルテ返却の目的は、本当はこれであると私は思うのです。だから口述筆記などもってのほかであります。

4カルテ管理士は、カルテ清書士になってしまう。

カルテ管理士がカルテの不備を指摘して、それを医師が書き直すなら、私は賛成です。現在は指導医が研修医に対してそれを行っています。カルテ管理士がそれを行うというのですが、中中と思います。循環器、内分泌、血液など専門化したカルテはその分野の専門医以上には不備の指摘は難しく、内科も外科も婦人かもというのは不可能です。結局は清書をしてそれを医師が見て追加をすることになりましょう。整備されたカルテは、おそらく医師の字ではないと思います。

カルテ管理士ではなくて、カルテ清書士になってしまうのはあきらかです。これは医療の仕事の分担ではありません。私は患者さんの症状をききとる、患者さんの症状の経過をきちんと追う、問診用のコンピュータの導入とその使い方の指導など、医師の縛りのない職業の制度の確立を目指すべきだとおもいます。つまり患者ーー医師ーー看護婦ーー准看と言う縦の流れではなく、患者と医師、患者と看護婦、患者と准看と言うような関係を作るようにすべきであります。

5 カルテは原則無料

一部が1万円であれば、日本中が返却されたカルテで埋まるでありましょう。1万は極端ですが5千円でも事情は同じとおもいます。5百円でも無料と比べれば簡単に実現ができます。私はこんな議論はいやなのです。カルテを返す人も受け取る人も侮辱するようでいやなのです。しかし、カルテを返してもらえばそれでいい、他のことはかんがえもしない、と言う人がいます。カルテの返却だけが目的なら、患者の権利とか義務とか言わずに値段の交渉をした早いと思います。患者の権利、人間の権利というならカルテは原則無料と言うことは譲れない1線ではないかと思うのです。選挙は権利であって、いくらか払った人だけが行えるというのは権利では無いでしょう。

宮崎県日向市 日向内科医院 井ノ口 裕
メール hiroino@face.ne.jp
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